2007年12月31日月曜日

今年最後の日。

今日はいよいよ大晦日。

ゆっくり家の掃除などしたいのだが、それもままならない。

最後の日が月曜日とあって、朝6時半には金城町のラジオ体操、7時半からは儀保十字路の朝立ち宣伝の日である。大晦日だからと言って休むわけにはいかない。

儀保十字路はさすがに行き交う車は極端に少なくなっているが、それでも一生懸命に手を振り続ける。

がんばれと声もかけられる。

この間、毎月曜日、儀保十字路の朝立ち宣伝を行なってきた。出張と休みの日以外は欠かしたことがない。

今日は、そのお礼を中心にマイクから訴え、来年の協力をお願いした。

地域のみなさんに支えられてこそ、このような朝の訴えが続けられるのである。

ありがたいことだと感謝しつつ、来年、必ず勝利をと決意を固めている所である。

今年もありがとうございました。

例年もよろしく。

2007年12月30日日曜日

寒さが身にしみます

今日はこの冬一番の寒さ。

外に出ると風が吹き一段と寒さが身にし、お年寄りに会うと「ヒークナティヤー」(寒くなったねー)から会話が始まり、若い人もブルブルふるえている。

こんな寒い日には、最近、自公の那覇市政が生活保護の冬季加算の廃止を提案したことに改めて思い起こし、心の芯までガタガタとふるえてくるような気になる。

この寒さでも、生活困窮者は我慢しなさい、沖縄は亜熱帯地方だから、夏と同じ生活様式でいいという態度に、弱者に冷たい自公市政だと改めて知らされた思いがする。

県は、那覇市政の冬季加算廃止の手案を受けたが、県としては他の市へアンケートも行なった結果、この制度は必要との結論に達したという。

当たり前である。

自公市政にないのは、お金ではなく、弱者を思いやる心、市民を思いやる心がないのである。

天気予報によると明日はもっと寒くなると言う。

天気の寒さより、冬季加算廃止を提案したという自公市政の冷たさが身にしみるようである。

2007年12月29日土曜日

沖縄県民は団結してがんばろう

今朝の新聞、県民大会実行委員会が年明け早々に文科省に、教科書検定意見の撤回と「日本軍の強制」の記述の復活をめざして要請することになったとの記事が載った。

多くの県民が当然のことと受け止めたに違いない。

政府、文科省は沖縄県民の団結をおそれて分断策をはかってきているようだが、それに乗せられてはいけない。

今回の決定を「まあまあのでき」とか「これで矛を収めよう」などとの一部の人達のことが新聞に載っていたが、それこそ相手の思うつぼ。

今回の事件は、歴史の事実を正しく後世に伝えるかどうか。真実を正しく書くかどうか、であり、これに「まあまあ」などあってはならないと思う。

県民は一致団結して頑張り抜くべきである。

私もがんばります。

2007年12月28日金曜日

那覇市議会の仕事納め式

今日、那覇市議会の仕事納め式が4時半からあり参加しました。

議長あいさつのあと、各会派代表が挨拶。日本共産党市議団からは私が挨拶しました。

私は、今年は、これまでの3期11年間の議員活動のなかでも一番の激動の年だったこと。

そして、その年を与野党の枠を超えてがんばってきた画期的なことが3つあるとして、

一つは、教科書検定問題が起きて、すぐに那覇市議会が動き決議をあげ、それが全県にひろがるきっかけをつくった。

2つめには、6月の検定本展示会を議会を行なったこと。これは、地方自治の歴史の中で初めての出来事ではないか。

3つめは、国の国保交付金の算定ミス問題で、超党派で要請団を派遣し、国にその補填を約束させたこと。これは、2月議会での国保の値上げについての大論争がその出発点だったこと等をのべ、

市民のために、大いに議論すべきは議論し、市民ために一致点で行動するときは大いに進めるという那覇市議会の歴史のなかでも特筆すべきとしだった。

また、来年はさらに激動の年となるでしょう。お互い全力でがんばろう。

と挨拶しました。

教科書から「軍の強制」削除。緊急抗議集会

昨日、文科省が教科書から「軍の強制」を削除した問題で、緊急抗議集会が開催されました。

約700名が参加し怒りを表明。

あの戦争を美化、正当化する勢力の策動は断じて許せません。

私たちは、あくまでも検定意見の撤回と記述の回復めざして団結して頑張ります。




国場430番地付近の坂道に大雨対策の横断側溝実現

国場430番地付近の急な坂道に横断側溝が実現した。

これは、7月の大雨で、大量の水がこの道に流れ込み、下手の民家の塀を崩壊させたもので、8月17日にこの対策を市に求めていたものです。

急な坂道のため、特殊加工されたグレーチングが設置され、水が流れ落ちる仕組みになっていました。

先週の大雨時にも早速を効果を発揮したとのことでした。


寒川町の急な坂の石畳道に手すりの設置工事始まる

昨日、寒川町の市道寒川2号線に手すりの設置工事が始まりました。

これは、先月の11月26日に死闘交渉していたものが実ったものです。

石畳道でもあるため、教育委員会文化財課との調整に時間がかかったようです。

急な坂道で、また石畳が痛んでいる場所もあり大変危険でしたが、これで少しは安心できます。

引き続き、根本的な整備にがんばります。


金城、寒川町の間を走るいろは坂にカーブミラー設置実現

昨日、赤丸宗通りと金城ダム通りをつなぐいろは坂にカーブミラーが設置されました。

急カーブで見通しが悪く大変危険でした。

近くの住むSさんからの要請を受けて市と交渉していたものです。


首里リュウボウ前の歩道に安全策

昨日、首里りゅうぼう前の道路拡張予定の市道で、工事が中断しているため、通行人が低いブロック塀に謝って足をかけて転んでいるとの話しがあり、早速、古堅茂治市議と一緒に市と交渉。

市は、「これは危ない。明日にも安全策を設置する」と約束。


左から古堅市議、渡久地修市議

県立病院センター前の道路冠水で、県・市と交渉

昨日、先週の金曜日の大雨で、県立病院センター前の県道がまたまた冠水し、一時通行不能になった問題で、県・市と交渉。

��月の大雨のときにも同様のことがおこり、市に改善を申し入れていた。その後、市と、県は、排水路の浚渫と、暗渠の浚渫、新たな排水溝の設置などを行なった。

ところが、今回の大雨では、この排水溝が木の葉っぱなどでふさがれて機能しなかったという。

今回の事態をうけ、県南部土木事務所、市の上下水道局と交渉。新たな排水溝を設置することなった。

また、抜本的な対策を急いで検討するとのことだった。

この交渉には、外間久子県議も同行してもらった。


昨日は風邪のためブログ休みました。

不覚にも、風邪をひいたようです。

籍がひどく、そのため体中の筋肉がメキメキときしんで痛いです。

昨日は、雨の中、朝立ち宣伝、県、市とも交渉、緊急抗議集会などに追われて体が冷えたのでしょうか。

大事をとって、早めに休んだためにブログの更新が抜けてしまいました。

それもでも、今日も、朝立ち宣伝は何とかこなしましたが、早めに直そうと思っています。

みなさんも気をつけてください。

2007年12月26日水曜日

教科書検定意見の撤回を。これが県民の願いです

文科省が、教科書検定意見の問題で、軍の強制の明記を認めない決定を出した。

教科書会社が訂正申請した日本軍の強制が削除されたり、薄められたりしたことなど断じて許せない。
ましてや、検定意見が撤回されなかったことは絶対に許せないことである。

日本軍の関与があったという記述など、沖縄県民と国民の大きな世論に押されて復活したものがあるという部分もあるが、それですまされるものではない。
文科省は、あくまでも日本軍の命令を否定しているのである。

日本軍による命令、強制、誘導、関与なしに集団自決など起こりえなかったのは歴史的事実である。このことは、この間の生き残りの方々の証言でも明らかである。

あの戦争は正しかったとする侵略戦争に無反省の政治の帰結である。

憲法9条を変えて、再び戦争のできる日本をつくろうとする動きと不離一体のものである。

私たち沖縄県民は、このような企みを断じて許さないだろう。

再度、教科書検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で決議

那覇市議会は、昨日の最終本会議で「教科書検定に関する意見書」を全会一致で可決しました。

��月15日に決議しましたが、文科省が、県民の声を無視し、軍の強制を薄めるようにとの「指針」を出したということへの事態を受けて、日本共産党市議団が、議会運営委員会に再度の決議を提案していたものです。

以下がその全文です。


教科書検定に関する意見書

去る9月29日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が、沖縄県知事、沖縄県議会議長、那覇市長及び県内41全市町村議会をはじめ、県民が一体となり、復帰後最大の県民の参加で開かれ、文部科学省による沖縄戦の歴史の歪曲に抗議し、その実相を正しく継承していかなければならないという熱い思いのこもった大会となった。
旧日本軍の関与が削除されたことを機に、これまで証言をためらっていた戦争体験者の方々から、沖縄戦に関する新たな証言が相次いでいる。
当市議会は、復帰35周年の5月15日、沖縄戦における「集団自決」が、日本軍による命令・強制・誘導等なしに、起こりえなかったことは紛れもない事実であり、そのことがゆがめられることは、悲惨な地上戦を体験し、筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられてきた沖縄県民にとって、到底容認できるものではない。沖縄戦の歴史を正しく伝え、悲惨な戦争が再び起こることがないようにするためにも、今回の検定意見が速やかに撤回されるよう意見書を提出した。
しかし、文部科学省は、那覇市民、沖縄県民の沖縄戦における「集団自決(集団死)」の実相、体験を無視し、教科書会社による訂正申請に対し、再度の書き直し「指針」を伝えたことが明らかになった。
この「指針」に示された内容は、「沖縄戦の事実を正しく伝えてほしい」との市民・県民の思いに応えるものでなく、軍の強制をあいまいにするもので到底容認できるものではない。
よって、文部科学省は、「沖縄戦の事実を歪曲してはいけない」との市民・県民の声を真摯に受け止め、速やかに検定意見を撤回し、記述を回復されるよう、再度強く要請する。

以上、地方自治法第99条の規定により、意見書を提出する。

平成19年(2007年)12月25日
那 覇 市 議 会 

あて先  衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣、文部科学大臣   

2007年12月25日火曜日

面白いの発見、ブログランキング

多またまブログランキングというものを見つけた。

芸能人など有名人のブログのランキングで、そこに政治家という欄があったのでのぞいてみた。

すると私のブログもランキング入りしていた。

当初は30位ぐらいだったが、次第にあがり10位、8位になり、昨日はとうとう5位になった。

面白いものだと見ていたら、昨日の一瞬だが4位になった。不思議なものだと考えているうちに今朝みてみると5位になっていた。

ちなみに、政治家の部の1位が東国原宮崎県知事である。これはうなずける。ずっと順を追ってみてみると、有名に国会議員、政党党首なども出てくるので、そういうなかでの5位とは、なかなか解せないことではあるが、いずれにしても、多くの方がこのブログをみて、私や、日本共産党のことについて少しでも理解できることに役立てば幸いである。

昨日まで3連休で、今日出勤して、このブログをチェックする役所の職員の方々もいらっしゃるでしょう。おはようございます。

まず、このランキングも興味津々でのぞいてみてください。

こちらをクリックしてください。


2007年12月24日月曜日

今日一日の出来事

今日は、振替え休日。

でも、私たちには休みはなし。

朝6時半、金城町のラジオ体操に参加。

��時半、儀保十字路での街頭演説前の掃き掃除。ポイ捨てタバコがいっぱい。

��時45分から手振り宣伝。8時過ぎからマイクでの訴え。休日なので車はいつもの半分以下。

��時45分、朝食。

��時、パソコンで事務整理。

��0時、新婚旅行に出かける娘夫婦を見送る。いってらっしゃーい。

��1時、相談者と面談。その後、市議会へ。途中で弁当を買う。

��2時半、弁当を食べる。

��2時45分、明日の本会議の総務委員長報告の打ち合わせ。

��時、党市議団会議、明日の打ち合わせ。5時近くまでかかる。

��時半帰宅。雨。

��時、妻はビラ配布へ。

晩は、母の葬式のお礼状発送のため、住所未記入の方々の整理など追われる。

明日の最終本会議が終われば、いよいよ本格的に県議選の勝利へ向けて動くことになります。

みなさんのご支援をお願いします。

2007年12月23日日曜日

赤嶺政賢衆院議員と街頭宣伝

今日、3時半から赤嶺政賢衆院議員と街頭宣伝。

年金の公約違反問題など、市民の怒りと日本共産党への期待が伝わってきました。




御茶屋御殿復元期生会の懇親会

御茶屋御殿の復元期生会の総会が開催され、その後の懇親会に招待され参加しました。

琉球王朝時代の文化の中心となった御茶屋御殿は戦禍で消失。首里城ともにその復元は長年の悲願でした。

復元期生会が出来て11年目とのことです。

「会長の宮里朝光先生は、私の中学校時代の恩師でもあります。今年、奥さんが他界したばかりですが、悲しみを乗り越えて、復元のために尽力されていることに感動を覚えます。先生をはじめ期生会のみなさんのご奮闘は必ず、県民を動かし、政府を動かし、復元へと実って行くでしょう。戦禍で消失した沖縄の文化遺産の復元と後世に伝えていくことは私たちの大きな使命です。戦前の文化遺産を実際にご覧になり、接してきた方々が元気なうちに、御茶屋御殿の復元を実現し、さらに、中城御殿、円覚寺の復元へとつなげていきましょう」と挨拶しました。



右から、浜比嘉先生、渡久地修、宮里朝光会長、桑江義直事務局長



2007年12月22日土曜日

娘が結婚しました。

今日、娘の結婚式でした。

��時半から、教会で結婚式を挙げ、7時から披露宴でした。

景色のいい教会でした。披露宴も、娘と彼氏が自分達で企画したようで、娘の受け持っているクラスのビデオレターや、友人・職場代表挨拶など、どれも心温まるもので、和やかな暖かい結婚式だったと思います。

昨日のブログに、「娘は、弟に『父さんは結婚式で泣くはずよ』と言ってたという。私は、『絶対に泣かないよ。泣くのは母さんだよ』と言ったが、明日はどうなるのだろう」と書きましたが、果たしてどうだったのでしょうか・・・・?

みなさんの想像にお任せします。


教会での式を終えて。


新郎新婦と渡久地修(右)、渡久地栄子(左)


和代と記念撮影


受付に飾られた、娘の担任のクラスの子どもたちからの
和代先生の絵のプレゼント

沖縄協同病院の新病院建設起工式

わったー病院・・・、沖縄協同病院の新しい病院建設の起工式が今日、建設現場の隣の古蔵中学校体育館で盛大に行なわれました。

組合員、職員など体育館いっぱいの参加者が、新しい病院建設を喜び合いました。

場所は、現在の協同病院の川向いの那覇市古波蔵で、床面積も今の倍になるとのことです。

みんなでぜひ立派な病院の建設を実現させたいものです。


起工式の幕開けの模様。


会場で

2007年12月21日金曜日

明日、娘の結婚式

明日、娘が結婚する。

「寂しくなりますね」といろんな方から言われるが、どうなのだろうか。

あまり忙しいくてそういうことを考えているゆとりがなかたということもできるが、逆に、息子が一人増えるのだと思っているのかもしれない。

娘は、親に頼らずに自分たちで結婚するのだといって、式やら披露宴やら、彼氏とすべて相談しながら自分たちで行なっている。親の出番はないようだ。ありがたいことだ。

娘が小さい頃は体が弱く、高校を卒業するまでも、将来どうなるのだろうと親心にも心配したものである。

ところがどうだろう、今は、小学校で子どもたちを教えているのだから親ながらも感心してしまう。

去年の小学校のクラスの子どもたちと親たちが公民館を借りて、結婚式をやってくれたようである。今年の小学校の子どもたちは明日の結婚式でビデオ出演するといって先日録画撮りをすませたという。

娘は、弟に「父さんは結婚式で泣くはずよ」と言ってたという。

私は、「絶対に泣かないよ。泣くのは母さんだよ」と言ったが、明日はどうなるのだろう。


2007年12月20日木曜日

国保過小交付金問題、年度内に解決へ。厚生労働大臣が明言

国保の国の算定ミスによる過小交付金問題で、那覇市議会は、安慶田j光男議長を団長に全会派の代表による要請団を派遣、今日、朝から精力的に政府と国会に要請行動を展開しました。

日本共産党市議団からは、渡久地修市議団長が参加。

午前中は、県選出の国会議員をはじめ、衆院、参院の議長に要請。

国会開会中のため、議員本人と会えたのは、島尻安伊子、糸数慶子参院議員、下地幹夫、嘉数知賢、仲村政治衆院議員。
日本共産党の赤嶺政賢衆院議員と照屋寛徳、西銘恒三郎、安次富修衆院議員、山内徳信、喜名昌吉参院議員らは本会議などのため秘書が対応しました。

��1時半からは、総理官邸で岩城光英内閣官房副長官に要請。

官房副長官は、「急ピッチで法整備を進めている」「なんとか解決したい」と発言。

「急ピッチで進めているとのことですが、それは今年度内に行なうと理解していいですか」との私の質問にも、「はい、年度内ということです」と明言しました。

午後は、桝添厚生労働大臣に要請。

これには、別件で上京していた翁長那覇市長も合流。

大臣は、この問題は「きちっと責任をもって解決する」と約束しました。

この過小交付金の額は、那覇市で約5億5千万円、全県で11億円余になります。



  総理官邸で。2列目右端が渡久地修


  総理官邸内の官房副長官室。机の前が岩城官房副長官


右から桝添厚生労働大臣、翁長那覇市長、安慶田議長、
左から2人目が渡久地修


 糸数慶子参院議員と


総理官邸前の銀杏の紅葉


東京からの発信

今、東京の都市センターホテルです。

昨日、政府要請のために到着しましたが。

夕食を食べてホテルに帰るとき、コンビにで那覇市長と偶然に会いました。

こんなこともあるものですね。


2007年12月19日水曜日

国保特別交付金算定ミスによる過小交付金問題で政府要請へ

今日、12月定例会の委員会審議が終了しました。

このあと、昼の飛行機で東京へ。

国民健康保険の特別調整交付金の国による算定ミスによって、那覇市に同交付金がこれまでに5億5千万円あまりになっている問題で、早急に那覇市に交付するように那覇市議会の代表として政府要請に行ってきます。

明日、1日中関係機関、国会議員などに要請行動を行い、明日の最終便で帰る予定です。

2007年12月18日火曜日

おもろまちの市有地売却について、陳情審査

今日、那覇市議会総務委員会で、おもろまちの市有地売却で、136㍍の超高層マンションが建てられることについて、これに反対している住民からの陳情審査が行なわれました。

市役所が建設されるからと土地を購入し家を建てた住民、、あるいはマンションを購入した方々にとっては、切実な問題です。

反対署名も1万2千人が集まったとのこと。

市は、この声に誠実に応えるべきです。



陳情審査の模様。こちら側が陳情人。向う側左が渡久地修委員長

2007年12月17日月曜日

那覇市議会、12月議会の個人質問が終わり、明日から委員会審議。

那覇市議会の12月定例会の代表・個人質問が今日で終了しました。

明日からは2日間の日程で委員会審議です。

今日、これまで、那覇市当局は、日本共産党市議団が無駄使いと指摘していた、企業が行なう旭橋駅周辺再開発への補助金はやめよ、補助金への市の起債の充当は違法との指摘に、これまでは、問題ないと突っぱねてきていましたが、日本共産党の大城朝助議員の質問に、市のミスであることをはじめて認め、当銘副市長が謝罪しました。

補助金に起債を充てるのは違法と、これまで何度指摘しても居直り続けていましたが、11月に日本共産党市議団が総務省や国土交通省との聞き取りや、県からの聞き取りなどで、市のミスがハッキリしてきたものです。

市は、猛省すべきです。


2007年12月16日日曜日

日本共産党南部地区党会議が行なわれました

今日、日本共産党沖縄県南部地区党会議が開かれました。

規約に基づく一年に一度の会議です。

一年間の活動方針と、新しい地区委員を選出しました。

私は引き続き南部地区の副委員長を務めることになりました。

この会議では、今の自公政治のもと、県民のくらしがますます大変になっている実態がだされました。同時に、国民が立ち上がれば政治を変えることができることができるということも示されました。

そして、日本共産党のがんばりが特に求められていることがこもごも語られ、来年の県議選挙の勝利、解散総選挙の勝利に向けて決意を固めあいました。

2007年12月15日土曜日

銀色に輝くサトウキビ畑

今日、外間久子さんと街頭演説に出かけた。

仲井真という地域で、那覇市にしては珍しく、丘陵のなかにサトウキビ畑が広がっていた。

そのサトウキビ畑の真ん中に宣伝カーを入れ演説をした。

演説をしているそばはサトウキビしか見えない。頬をサトウキビの葉がこする。

背丈より高い位置に、銀色に輝くサトウキビの穂が揺れている。

西の空からは、曇り空ではあるけれでも、それでもまぶしい太陽が降り注ぐ。

銀色の穂がさらに輝いている。

外間久子さんの演説の途中ではあるが、サトウキビの穂に魅せられて何枚か写真をとった。

このような景色はめったにみられない。

曇り空の日に輝く銀色の穂。那覇市内での景色である。


脳ドックの結果

一月ほど前にうけた脳ドックの結果についての説明が今日ありました。

一月も近くもかかるのですね。

心配していましたが、結果は正常でした。一安心。

健康は不摂生が一番の大敵なようですが、いざ実行となるとなかなか難しいかも・・・?

それでも、健康が一番、がんばりましょう。


2007年12月14日金曜日

沖縄クレジット・サラ金被害をなくす会の定期総会

今日、沖縄クレジット・サラ金被害をなくす会の第12回定期総会があり参加しました。

長い運動の結果、去年12月には、貸金規制法の改正をかちとり、グレーゾーン金利の撤廃(あと2年後)をさせるなどの大きな前進の中での総会でした。

過払い金返還でも大きな前進がありましたが、それでも被害者はまだまだたくさんいます。

この方々の救済と、さらに高金利のない社会へ、根本的には貧困をなくすことが大事だと痛感しました。


2007年12月13日木曜日

外間久子県議が沖縄衆院一区に出馬表明

解散総選挙が予想されているもとで、日本共産党沖縄県委員会は、今日、記者会見を行い、赤嶺政賢衆院議員は比例単独候補とし、一区に外間久子さんを擁立することを発表しました。

今の自公の弱い者いじめの政治のもと、外間久子さんの出馬は、政治を変えたいと願う県民の期待に応えるもので、勝利するために全力でがんばらなければなりません。

自公の政治があまりにもひどく、その被害を一番受けているのがこの沖縄であり、外間久子さんの勝利への条件は十分にあります。

また、比例代表選挙でも九州・沖縄での2議席の確保にも大きな展望を切りひらくものとなります。

個人質問が終わりました

今日、個人質問を行ないました。

新都心の那覇市有地の売却を本土企業に行なおうとしていることを追及。

首里からの景観も壊されてしまうことについてただしたところ、市当局は、首里からの景観のシュミレーションも行なわないのに、景観は壊れないなどと強弁。

市長にいたっては、逆に、超高層ビルが建つことが、首里から那覇市の経済発展の展望を見ることができるなどと、開き直った発言に終始。

都市計画マスタープランにある「首里八景からの眺望を守り保全する」ということはまったく無視し、首里からの景観が壊されることにはお構いなしの姿勢で、首里の住民への説明会も必要ないとの態度で、ほんとに住民不在、本土企業優先がありありでした。


2007年12月12日水曜日

明日、12月議会の個人質問です

明日、個人質問の日です。

おもろまちへの、超高層マンションの問題などを取り上げます。

本土資本への売却ありき、市民置き去りのやり方がありありです。

がんばって質問を展開したいと思っています。

2007年12月11日火曜日

新基地建設反対の緊急集会

今日、夕方6時から、新基地建設を白紙撤回せよと緊急集会とデモが行なわれ参加しました。

明日、普天間代替施設移設協議会が開催されるとのことで、仲井真県知事がほんの少しの修正で、基地の建設を認めるとの動きから、これに反対し、白紙撤回を求める抗議集会でした。

集会後、牧志まででも行進しました。

議会の代表質問の日で、5時近くまで本会議が続き、その後、団会議や明日の対策などに追われましたが、何とか参加することができ、最後まで参加し、普天間基地は早期返還せよなどとアピールしました。


2007年12月10日月曜日

個人質問の発言通告提出

今日、個人質問の発言通告の締め切り日でした。

質問の日は、13日の木曜日です。
通告は以下の通りです。

��、日豪EPA協定について

政府・農水省は、日本共産党赤嶺政賢衆院議員と那覇市議団の政府交渉で沖縄のサトウキビ、パインを除外すると明言した。間髪を入れずに、市長会としても、県、関係団体と一緒に、同協定を締結しないように再度、政府に要請すべきである。

��、おもろまちの那覇市有地売却と超高層ビル建設を中止し、住環境を守り、那覇市の景観を守ることについて、

��1)那覇市に超高層ビルが乱立し始めているが、80メートル以上の建築物が現在いくらあり、計画はいくつあるのか。ほとんどが本土資本ではないのか。
世界遺産、景観法、市の景観条例、市都市計画マスタープランの趣旨に反するのではないか。無秩序な乱開発を防ぐためにも、高さの制限が必要であり、景観審議会にかけるべきである。見解を問う。    

��2)まちづくりについて、都市計画マスタープランの上位法である、第3次総合計画と、今回提案している次期那覇市基本構想のなかでは、どのように位置づけ、どのような手法を書いてあるのか。

��3)首里金城町・当蔵町の景観条例の目的、位置づけと、住民合意まで何年、何回、話し合いをもったか。今回、おもろまち住民とは何年、何回かけて話し合ったのか。
   また、市の都市計画審議会と県からの意見についてどう対応するのか。住民合意ができるまで凍結すべきである。

��4)市の都市計画マスタ-プランでは、首里の景観形成方針をどのように位置づけているか。
新都心の庁舎予定地に計画されている超高層マンションが建設されたら、首里からの景観は台無しになってしまう。首里城、雨乞御獄、虎瀬公園、観音堂からの景観はどうなるか、図で示してもらいたい。
また、首里の住民への説明は何回行ったのか。歴史と伝統を守るために努力、協力してきた首里の住民の意思は無視してもいいという立場か。世界遺産の首里城や、首里からの景観は壊されてもいいという立場なのか。

��、小中学校のクーラー設置事業の促進について

��1)普通教室へのクーラーの設置について、これまでの整備状況と、こども達の感想、現場の状況について伺う。
また、日本共産党市議団は、クーラーの維持費も当然、国庫で負担すべきと、去年に続き今年も政府に要請してきた。文科省の担当者も、クーラー設置の必要性を認め、沖縄の教室の暑い実態について調査することを「前向きに検討する」と約束した。
市としても、国に対し、夏場の暑い教室の実態調査を求めることと、維持費の国庫負担を要請すべきである。

��2)本員は、初当選以来一貫してクーラー設置を提案し、市長も「市長も清水の舞台から飛び降りる覚悟で」と5カ年計画での設置を約束したが、今年はその最終年度であるがまだ半分も残っている。それを、企画部が査定して中止するとのことだがとんでもない。こども達への約束を守れ。市長の答弁を求める。


2007年12月9日日曜日

日本共産党演説会

昨日8日、那覇市民会館で日本共産党演説会が開催され多くの党員、後援会員、支持者、市民が参加しました。

来年6月の県議選挙の6人の候補者が勢揃いして決意表明。私も3分という限られた時間でしたが、一生懸命になんとしても勝利をかちとらせてくださいと決意と支持を訴えました。

田村貴昭衆院比例代表候補、赤嶺政賢衆院議員が、今の政治の動向と国民生活について詳しく解明しました。


訴える渡久地修候補


教育シンポジウム

昨日、那覇市の与儀小学校で、「沖縄の子どもたちに豊かな学力を」と題した教育シンポジウムがありました。

沖教祖那覇支部、沖縄子ども研究会、沖縄県民間教育研究団体連絡会などが共催したもので、多くの父母、教師、関係者が参加していました。

全国一斉学力テストに唯一参加しなかった、愛知県犬山市の教育関係者の中嶋哲彦名古屋大教授の講演がありました。

その後、教師、保護者、大学教授らのシンポジウムが行なわれましたが、学力テストの問題点、子どものの本当の学ぶ喜びとはなんだろうなど、考えさせられるとても時機にかなった催しでした。

沖縄の教育行政に関わる方々にも大いに参考になるものでした。


2007年12月8日土曜日

街宣中にFA18ホーネットが爆音まき散らし頭上を飛行

昨日、新都心で田村比例候補と街宣中に、米軍機が2機編隊で爆音をまき散らし頭上を飛行していきました。

ちょうど、F15戦闘機の欠陥問題と撤去、即応訓練の即時中止を訴えていたところでした。

��A18ホーネットだと思われますが、マイクの音もかき消され中断するるほどでした。

米軍の傍若無人ぶりはひどいものがあります。

まるで沖縄を未だに植民地と思っているのでしょう。そして、それに対して、何一つ抗議や中止の申し入れのできない日本政府に怒りを覚えます。

こんな米軍いいなり、アメリカいいなりの今の自公政治は早く変えていきましょう。

昨日の写真が、衆院沖縄分室から送られてきましたが、それに、このホーネットの写真もあったので、怒りを込めて紹介します。



田村候補と、マイクで訴える渡久地修。安里で。



街宣中にFA18ホーネットが飛行。爆音で一時中断。右上に2機が写っている。新都心で。


2007年12月7日金曜日

田村貴昭衆院比例候補と街頭演説

今日、朝の7時半から首里の汀良十字路で朝立ち宣伝。

10時からは、九州比例ブロックの田村貴昭衆院比例代表候補とともに街頭から日本共産党の躍進を訴えました。

安里、おもろまち、古島と訴えて回りました。

私は、教科書検定意見を撤回せよ、欠陥機であるF15戦闘機は直ちに撤去せよ、新都心への超高層マンションの建設そ進める本土資本に那覇市の土地を売却するなと訴えました。

田村候補は、アメリカいいなり政治、大企業いいなりの政治を告発、弱い者いじめのj自公政治の転換を訴えました。

多くの市民の手を振っての激励がありました。

2007年12月6日木曜日

インフルエンザ予防接種

��2月議会も始まり、めまぐるしい日々です。

今日も、朝の街頭宣伝、外間久子さんと安里で行ないました。

午前中は団会議、午後2時過ぎからは、代表質問の当局の聞き取りでした。

その合間を縫って、インフルエンザの予防接種をはじめて受けました。

今年はインフルエンザが大流行するとの話しもあり、また、こんなときにインフルエンザにかかったら大変と思って受けました。

費用は自己負担でした。

これから、来年の県議選挙の勝利に向けてがんばらないといけません。

みなさんも、くれぐれも健康には気をつけてください。

2007年12月5日水曜日

首里金城町の側溝設置交渉

昨日、首里金城町の住民から電話があり、自宅前の市道に水がたまり出入りできないとの苦情がありました。

早速、現場調査、市と交渉。

側溝の設置、工事中の安全蓋の取り替えなどをすぐに行なうことになりました。


12月議会、昨日から開会

昨日、12月那覇市議会が開会しました。

市立保育所の廃止や、病院の独立行政法人への移行に向けて職員の身分を移す議案、住環境と景観を破壊する巨大ビルの建設へとつながる市の土地を本土資本に売り渡す議案などが出されています。

住民のくらしと福祉をまもるためのがんばりが求められています。



写真は、総務委員長として決算審査の報告

嘉手納基地への米軍攻撃機の大挙飛来と即応訓練に抗議、中止をもとめる

今日、日本共産党沖縄県委員会として、那覇防衛局と外務省沖縄事務所に抗議と中止を求めてきました。

岩国基地から30機の戦闘機が大挙飛来、空軍と海兵隊が合同の即応訓練を強行。

基地周辺では大変な爆音に。

基地負担軽減といいながら、新たな基地の強化負担の増加になっています。

防衛局も外務省も米軍いいなりに終始していました。私は防衛局と外務省自らが調査をするように追及。

防衛局は嘉手納防衛局の職員を派遣し調査と報告を約束しました。

外務省でも担当者が、調査と報告を約束しました。

また、外務省では、負担が増加していると認めました。

最近の米軍の傍若無人ぶりは目に余るものがあります。

米軍の植民地意識と、日本政府が、きちんと抗議と中止を求めない姿勢に一番の原因があるのではないでしょうか。

アメリカいいなりの政治の転換が求められています。


手前、右から3人目が渡久地修。12月5日、那覇防衛局

2007年12月3日月曜日

瀬長亀次郎の演説の魅力とは

瀬長亀次郎生誕百年記念、講演と文化の夕べが浦添市で開催された。

赤嶺政賢衆院議員の挨拶のあと、演劇集団FECのコント「お笑いカメジロー」が繰り広げられた。

瀬長亀次郎を知らない世代のコントだけに、どういうものになるのか興味があったが、笑いと風刺ありで楽しかったが、やはり世代の相違は否めなかった。もっと若い世代の感覚を学ばなければならないかもしれない。

比屋根照夫先生の講演は、これまで私の中にあった、瀬長亀次郎の演説の魅力、大衆を引きつけたものは何かという疑問にこたえるものだった。

瀬長亀次郎の演説は、沖縄の方言を使い、痛烈に的を批判し人々を引きつけた。

それは、テレビ、ラジオのない時代に、その演説会が教育の場であり、情報伝達の場であった。

県民の沖縄戦の体験、米軍統治の不法、不理に対する怒り、その現実を瀬長亀次郎が代弁していた。

時代の苦悩を引き受けて、瀬長亀次郎の体験と共有し、瀬長亀次郎に託した時代だった。

比屋根先生の話はなるほどとうなずくものだった。

今日は貴重な話しを聞いた想いである。

私も、県民の声を代弁できるように、瀬長亀次郎の演説に学ばないといけない。

2007年12月2日日曜日

おめでとう。那覇マラソン、息子が完走。

今日、那覇マラソンだった。

息子が初出場。見事に完走した。

��時間57分だったとのことである。

42.195キロの距離を走覇するのは大変なことだと思う。

私も、過去に5回出場し、3回完走したことがあるので、その大変さは分かっているつもりである。

フルマラソンを完走するには、毎日の練習が欠かせない。

私も、以前は毎日と言うほどジョギングを行なっていた。

毎日10キロ。

しかし、運動神経の鈍い私は、ペースはものすごく遅い。

しかし、そんな私でも、毎日、1年も練習を重ねると、フルマラソンにも出場出来るようになっていた。

私の場合は、5時間14分ほどだったと記憶している。

毎日、ジョギングしないと落ち着かなくなるほどで、おかげで体力にも少しは自信をもてるようになったが、ここ最近は、忙しいことを理由に走ることがなくなってしまった。

ジョギングをしている人を見ると、自分も走りたくなり、うらやましく思いながら、またはじめようと何度も決意だけはするが、実行できないでいる。

息子の那覇マラソン出場をまた一つのきっかけにして、ジョギングを始めようかと思っているが、はたしてできるだろうか。

もう一度、那覇マラソンに出場する日が来るのだろうか。

2007年12月1日土曜日

上原亀一郎さん逝く

上原亀一郎さんが昨日亡くなりました。

米軍占領時代に瀬長亀次郎さんらとともに、祖国復帰運動の先頭にたった闘士で、糸満市長、立法院議員、県議会議員などをつとめました。

演説や会議での発言などは亀一郎節と称され、「アメリカ帝国主義の日本・沖縄支配と日本独占資本の沖縄食い荒らし」を徹底的に看破してきました。

いま、アメリカいいなり、大企業いいなりの政治をただす大きな激動の情勢の時期に、亀一郎さんを失ったのは残念でなりません。

しかし、その亀一郎節は、私たちが引き継いでいきます。

亀一郎さんのご冥福をお祈りいたします。

合掌。

2007年11月29日木曜日

寒くなってきましたが、自公市政の方がもっと寒く感じます。

今日、北風も強く雨も降り一気に寒くなってきました。
「寒くなりましたね」が挨拶になってきました。

特にオートバイに乗っていると寒さが一段と身にしみます。

でも、その寒さより、那覇市政が生活保護世帯の冬季加算は沖縄にはいらないといって、政府に廃止を要請したということの方が、さらに寒さと冷たさを感じさせます。

生活保護世帯の方々は、寒さも我慢しなさいというのでしょうか。

マッチ売りの少女が、寒くて凍えそうな中でマッチをともして暖かくなろうとした物語を想いおこしてしまいます。

弱い者や市民に冷たい今の自公市政から暖かい市政への転換が求められています。

2007年11月28日水曜日

後期高齢者医療制度は凍結、中止を

昨日の沖縄の後期高齢者医療制度議会は、保険料を決定した。
一人あたり年間61,805円もの保険料である。

年金から天引きするというまさにお年寄りいじめの制度である。

これまで、度重なるお年寄りへの負担の押しつけや病院からの追い出し。

自公政治のお年寄りいじめもついにここまで来たかということになる。

日本共産党の3人の後期高齢者医療議員は反対し、凍結、中止を求めたが、賛成多数で強行されたという。

この制度は、政府さえも凍結を言い出す始末のものであり、中止しかない。

もっと国民の世論に訴えていくことが重要だと思う。

2007年11月27日火曜日

沖縄、那覇の農業について考えさせられた1日

今日、那覇市農業委員会が開催されました。

その中で、11月15日、16日の日本共産党沖縄議員団の政府交渉のなかの農水省との交渉につて報告しました。

農水省が日豪EPA協定で、沖縄のサトウキビやパインなどが壊滅的打撃を受けるという認識を示し、サトウキビ、パインを協定品目から除外するという姿勢は譲らないと明確に述べたことを報告。

そして、それで安心というわけにはいかない、もっと、農協や農業委員会、県や市町村がいったいとなって、EPA締結反対の声を広げていくことの重要性を訴えました。

その後、事務局から、衝撃的な報告がありました。

那覇市農業委員会を廃止するという市の方針が示されたのです。

なんと、沖縄の農業、那覇市の農業について、肝心の市がそういうことでどうなるのでしょう。

私は、即座に、存続を強く訴えましたが、参加した農業委員の全員が存続すべきとの立場です。

那覇市政は、沖縄や那覇市の農業を発展させる展望の施策も姿勢もないのかと悲しくなる出来事でした。

2007年11月26日月曜日

寒川町の急な坂の石畳道に手すりの設置交渉

首里寒川町の市道で急坂の石畳道に手すりの設置の交渉を行ないました。

これまでも幾人かが転んでいる場所で、手すりの設置が求められています。

市も設置の必要性を認め、早速手配を行なうことになりました。

2007年11月25日日曜日

日本平和大会in沖縄、キャンプシュワブ基地包囲行動

今日、日本平和大会in沖縄の最終日、キャンプシュワブ基地の包囲行動が行なわれました。

日米両政府があくまでも辺野古に新基地を押しつけようとしているもと、絶対に基地の建設はさせないと、

全国と沖縄からの参加者1300人が手をつないで、基地の金網の1,3キロを包囲しました。

海外代表も参加して、基地に向かって「新基地建設反対」などのシュプレキコールと、手をつないだ人間の鎖とウェイブを2回にわたって行ないました。

人間の鎖行動では、海外代表も挨拶、また、「辺野古のオジー」こと嘉陽宗義さん85歳も、辺野古のみなさんと一緒に参加し挨拶し、参加者とともに最後までたたかおうと連帯を深めました。



キャンプシュワブ基地の第一ゲート前。
「米軍海兵隊施設、無断に立ち入ることは出来ません。違反者は日本国の法律によって罰せられます。」の看板が。



嘉陽宗義さんらと一緒に新基地建設反対のシュヒレキコールを行なう


人間の鎖でキャンプシュワブ基地を包囲。
左から、渡久地修、嘉陽宗義さん、赤嶺政賢衆院議員



嘉陽宗義さんを囲んで
後ろ左から、渡久地修那覇市議団長、西銘純恵浦添市議、
真栄里保県常任、嘉陽宗儀県議、玉城のぶ子元県議

2007年11月24日土曜日

後期高齢者医療制度に不安の声

今日は、半日支持者訪問を行ないました。

多くの方から後期高齢者医療制度について、不安の声が出されました。

��5歳以上のお年寄りから保険料を強制的に取り立てることなど、少しずつしられるようになっているようです。

こんなお年寄りいじめの制度は中止させましょうと訴えてきました。

その中で3人の方が日曜版を購読してくれました。

2007年11月23日金曜日

弱い者いじめの自公那覇市政の正体みたり

今朝の沖縄タイムスのトップ記事見て怒りを覚えている人は多いと思う。

生活保護の「冬季加算」という制度を廃止を要請と報道された。

生活保護は憲法25条の「国民の最低限度の生活を営む権利」の保証として、最後のセーフティーネットの役割を果たしている。

その冬季加算は冬場の暖房費などを保証するものだが、沖縄は年中暖かいのでいらないといって、なんと那覇市から国に要請したとある。

最初は、国が廃止を言ってきたと思ったが、那覇市の方から要請したとのことである。

許せないことである。

自公の翁長市政は、これまでも福祉や教育の予算を削ってきた、来年度に向けても、さらに福祉、教育の予算を削ることを明らかにしている。

そして、今回の那覇市からの生活保護の冬季加算の廃止要請。

自公・翁長市政の弱い者いじめの姿勢がありありである。

一方では、企業の行なう旭橋再開発事業に市の予算26億円も補助するとか、船のこない大型な港湾開発に補助するとか、また、建設事業の落札率の問題などは逆に高止まりになっている傾向がある。

弱い者いじめをやめさせ、本土大企業や企業優先の政治から、市民優先の政治への転換が求められていると思う。

勤労感謝の日

今日は勤労感謝の日。公休日です。

公休日は逆に私たちにとっては一番忙しい日となります。
今日は、朝、母の告別式のお礼状の文案作成。その後は儀保町への挨拶回り。終わったのが1時半です。

昼食はを15分ですませ、2時から赤嶺政賢衆院議員との街頭演説のため合流地点へ急行。

��時半まで街宣。やっぱり今の自公政治に県民の怒りが高まっているのか、反応があります。

これから、4時半開始の平和大会へ行ってきます。

その後、同期会のちょっと早い忘年会です。

なかなか息つく暇もないですが、勝利めざしてがんばります。

2007年11月22日木曜日

認可保育園の園長会のみなさん方から要請をうけ懇談

今日午前10時から2時間にわたって、那覇市の認可保育園の園長会から要請をうけ懇談しました。

那覇市が、施設整備補助金や運営助成金の継続、特別保育事業への補助の充実など様々な要求が出され懇談しました。

那覇市が、一律の予算カットを行ない、それが子どもたちの分野にまで及び、保育に大きな支障を来している実態が浮き彫りになりました。

日本共産党市議団は、このような福祉予算の一律カットに反対して、子育て支援の充実に全力でがんばります。


園長会のみなさんと懇談。向う側左から2人目が渡久地修

日本共産党沖縄議員団の政府要請行動の成果を那覇市長に報告

 日本共産党沖縄県委員会、議員団の18人は、11月15・16日、赤嶺政賢衆院議員、内閣府、厚生労働省、国土交通省、文部科学省、防衛省、外務省、農林水産省、財務省に対して、55項目の県民の切実な問題について要請、交渉を行ない、政府側から、いろいろな貴重な答弁を引き出しましたが、この要請行動の成果を那覇市の行政にも生かしてもらおうと、今日、午後2時半から那覇市に対して報告を行ないました。

対応した当銘芳二副市長は、「ご苦労様でした。この報告はきちんと市長に伝えます」と述べました。

渡久地修市議団長の報告の骨子は以下の通りです。

��、 防衛、外務省には、普天間基地の撤去、辺野古や東村への新たな基地の建設をやめるように強く要請してきました。

��、 内閣府は、カジノについては、「刑法に触れ、法的に禁止されている。沖縄振興特別措置法にもなじまない」と明言しました。

��、 財務省には、庶民増税と消費税増税の中止を要請しました。

��、 厚労省では、国保交付金算定ミスによる県内自治体への過小交付額は、時効などつけずに全額交付すべきとの要請に、「厚労省としては、全額交付する方向で法制局と調整する」と答弁しました。
母子家庭の児童扶養手当の削減をやめるようにとの要請には、「就労支援が十分でない中での削減は大きな影響を与えるので手直しが必要」と認めました。
認可外保育園への給食費への支援と、固定資産税の非課税を強く要請しました。
後期高齢者医療制度と療養病床削減の中止を強く要請しました。

��、 農水省では、「日豪のEPA協定で沖縄のサトウキビやパイナップルなどは壊滅的打撃を被る。この認識を持っているのか。協定は締結すべきでない」との追及に、担当者は「壊滅的打撃を与えるという認識はわれわれも一緒。農水省としても(関税撤廃品目から)除外を求めるという姿勢は譲らない」と明確に答弁。
このことは、翌日17日の琉球新報が一面トップ記事で報道しました。

��、 文科省では、「歴史の事実を書くのが教科書ではないか」「証言者がうそを言っていると思っているのか」との追及に、「事実を書くのが教科書です」「証言者がうそを言っているとは思わない」と答弁しました。
「検定意見は撤回せよ」と強く求めてきました。
学校クーラーの維持費の補助について、「夏場の教室が35度、36度になり、授業への集中力が欠け、体にも悪い。ぜひ実態の調査に来てもらいたい」との要請に、「前向きに検討する」と約束。

��、 国土交通省では、戦争中の特殊地下壕の埋め戻し事業については、200万円以下にも積極的に対応する約束。災害支援法では、台風11号・12号も適用すると回答しました。


左から2人目が渡久地修、3人目が当銘副市長

ブルーインパルスの曲芸飛行に反対を―那覇市に申し入れ

今日、日本共産党那覇市議団は、「航空自衛隊那覇基地の航空祭における、ブルーインパルスの誘致及び飛行中止について」を翁長雄志那覇市長に対して申し入れを行いました。
対応した當銘芳二副市長は「ブルーインパルスの飛行は編隊飛行のみと聞いている。那覇基地は民間住宅地とも近接しており、これまで市長も明確に反対の立場を表明しており、曲芸飛行について容認できないと申し入れをしたところだ」と答えました。
私は、「これまで那覇市議会では那覇空港の早期民間専用化を求める意見書を全会一致で再三採択している。那覇市の立場も民間専用化であり立場は明確だ。ブルーインパルスの誘致及び飛行そのものに反対すべき」と強く申し入れを行いました。


2007年11月21日水曜日

脳ドック検査

今日、脳ドック検査を受けてきました。

はじめてMRIという検査機械の中に入りました。

ヘッドホンをつけていますが、すごい音が伝わってきます。

でもよく聞いてみると、ロックバンドのベースやらドラムのリズムのようにも聞こえます。

検査技師の方から、気分が悪くなったらこのボタンを押してください。その代わり、絶対の動かないで、瞬きも禁物ですと言われていたので、緊張して目をつむっていましたが、ロックバンドのリズムと思えば、まあ、乗り切れるものだと思いました。

検査が終わって、5種類ぐらいの音でしたね、どこから出ているのですかなどと尋ねてみたら、5種類の映像を撮っているので、音も5種類ですといわれました。

いずれにしてもホットしています。

しかし、検査結果は後日と言うことなので、安心していいかどうかはしばらくお預けのようです。

2007年11月20日火曜日

脳出血かとパニックに。おっちょこちょいの笑えない話

先日の出張のおり、高校時代の同期生と同じモノレールに乗り合わせることになった。

お互いに健康の話しに及ぶと、以前に脳内出血をおこして救急車で運ばれる羽目になった話しを空港まで聞かされた。
気をつけないといけないと分かれたが、まさか自分がそんな目に遭うとは思ってもいない。

��日後、ホテルから国会の赤嶺衆院議員の部屋へ行き、そこで資料に目を通そうとしたときだったと思うが、メガネをポケットから出してかけてみるといつもはハッキリ見えるのだが、逆にぼやけて見える。外して、またかけてもやっぱりぼやけてしまう。どうしたことか・・・。

何度やっても同じで、逆にぼやけてしまう。

その時に、一瞬、モノレールの同期生の話を思い出した。

これが、脳出血か、脳溢血かと、一瞬パニックになりそうになった。

念のために、メガネを拭いてみよと外して、右目のレンズ拭き、左目のレンズを拭こうとしたら、何時もと違って、レンズがあまりにも透明すぎるではないか。

不思議に思いながら、手をやると、なんと、レンズがない。

パニックの理由がやっと分かった。とたんに、力が抜け、われながら自分のおっちょこちょいぶりにあきれて笑ってしまった。

脳出血、脳溢血ではなかったのだ。片方のレンズがないから余計にぼやけてしまうのである。

一安心。

ところが、どうしよう。大事な政府交渉がこれでは大変だ。近くに百均はないし、国会のメガネやに問い合わせると3000円すると言うし、さて、どうしよう、どうしよう。

うろたえていると、赤嶺衆院議員が貴重なアドバイス・・・。

「なんで、メガネなしで行けばいいんじゃないの」・・・。

そうだよ、それでいいんだよと開き直って、交渉にのぞんだ。

幸い、細かな数字の資料などを見るような場面もなく、1.5なので、少々のものはメガネなしでも何とか事足りた。

ホテルに、念のために掃除の方に、床にレンズが落ちているかもしれないので注意してほしいと伝言してあったが、戻ってみると机の上に大事そうにおかれていた。

ほっとすると同時にわれながら、おっちょこちょいぶりに改めてあきれながら、フロントに、ありがとうとお礼の電話をいれた。

明日は、国保のくじであたった、初めての脳ドック検診です。

脳に異常がないように、待ち時間を過ごすための本と、両目のレンズの入ったメガネを忘れずにもっていかなければと思っています。



2007年11月19日月曜日

うれしい電話

今日の夕方、上間にお住まいのOさんから電話がありました。

たしか、10月11日だったと思うが、道路の横断側溝が壊れて車の通るたびにものすごい音がして眠れないという相談を受け、翌12日に市と改善の交渉を行なっていたものである。

その時は、応急措置をしてもらい、音はおさまったが、その後3週間ほどして、本格的な工事が終わっていた。

その電話は、お礼を言うのが遅くなってすみません、ほんとうにありがとうというものだった。

このようなお礼の電話をいただくとほんとにうれしくなる。今では静かに眠れるとのことである。

だんなが、老健施設に入所しているようで、介護の大変なようで、自身も週2回はデイケアに通っているとのことである。

それでも、私に、「健康が一番だから体に気をつけてよ」と気遣ってくれるのは本当にありがたい思いがする。

Oさんの心優しい言葉が何よりの励みになります。

12月議会の議案説明

今日、朝の10時から12月議会の議案説明がありました。

5時近くまでかかりましたが、市民生活や市政のあり方についての重要な議案だけに、説明もしっかりと受けなければなりません。

いろいろこ議会までに勉強する課題も多く、これから12月議会に向けてまた忙しくなりそうです。

2007年11月18日日曜日

学校クーラー維持費で政府要請。調査を前向きに検討を約束

16日の文科省との交渉で、学校クーラーの維持費への補助についても、去年も交渉しましたが、今回は大きな前進をかちとりました。

それは、沖縄の学校では夏場の室温が35度、36度になります。子どもたちが集中力がなくなり、めまい、吐き気など健康にも悪いという実態についてぜひ調査しほしいと去年、要望していましたが、そのことを質したところ、「調査していないとのことでした」。

今回、その実態を改めて示し、那覇市のクーラー維持費で年間9500万円もかかることなどを訴え、ぜひ、沖縄の子どもたちのおかれている環境を調査に来てほしいと再度要請しました。

これに対し、今回は、担当者は、「自分も鹿児島の出身であり、暑さについてよく知っているつもりであるが、要望は前向きに検討したい」と答弁しました。

クーラー維持費の補助の実現にも全力でがんばります。

「証言者がうそを言っているとは思わない」――党県委員会の政府要請で文科省の担当者が答弁

11月15日、16日の日本共産党沖縄県委員会と議員団の政府交渉で、文部科学省では、教科書検定の撤回と沖縄の小中学校のクーラーの維持費への国の補助の実現、戦後の混乱期に学校用地として接収した借用学校用地の買収事業へ国の補助を行なうことなど求めてきました。

教科書検定問題では、約50分間にわたって担当者とやりとりが続きました。

沖縄戦の悲惨な実態について、糸満市では一家全滅した世帯が約400世帯と言われている実態などや、浦添市議の比嘉愛子さんが、軍から渡された手榴弾で一家7人が自決しようと円陣をくんで爆発させよとしたが不発に終わったために現在生きているjという、自身の夫の話しを涙ながらに訴えました。

これには出席していた担当者ら2人も涙を浮かべていました。

私は、「教科書は、歴史の事実を事実として書く物ではないか。私たち県民は、事実を書いてほしいといっているだけであって、これが政治介入というのか」と言うことと、「新たな集団自決の被害者や生き証人が現われて証言しているが、この証言がうそを言っていると思うのか」と問いただしました。

担当者は、「あくまでも、歴史の事実を書くのが教科書です」と答弁。

また、「新たな証言者が出てきていることも承知している。この人達がうそを言っているとは思っていません」と明言しました。

「だったら、検定意見がやっぱり違っていたということだ。撤回すべきだ」と追求しましたが、

「事務方なので、これ以上のことはコメントできない」と答弁不能になりました。

県民大会実行委員会の政府要請行動にも参加しましたが、その時は残念ながら、文科省との交渉には人数の制限があって文科省の交渉には参加できずにいましたが、今回、教科書検定を所管している文科省の担当者と約50分間のやりとりで、それでも時間は足りなかったですが、重要な答弁を引き出せたと思っています。

検定意見撤回へさらにたたかいをつよめていきましょう。


2007年11月17日土曜日

「日豪EPA協定、サトウキビ・パイナップは除外に」。「沖縄農業に壊滅的打撃」と農水省が見解・・・共産党県委員会の政府要請に答弁

11月15日、16日両日の日本共産党沖縄県委員会、日本共産党沖縄地方議員団の政府要請行動が行なわれました。

赤嶺政賢衆院議員、田村貴明党九州沖縄ブロック比例候補、県議団、市町村議員団の計18人(団長・嘉陽宗儀県議、副団長・渡久地修那覇市議団長・県議予定候補)が参加しました。

総務省、内閣府、厚生労働省、国土交通省、文部科学省、防衛省、外務省、農林水産省、財務省の9つの省に対して、55項目の当面の差し迫った問題について要請、交渉を行ないました。

それぞれ、貴重名成果がありましたが、昨日16日の4時半過ぎから記者会見を行ないました。

私・渡久地修が報告しましたが、その中の日豪EPA問題について今朝の琉球新報が1面トップ6段抜きで大きく報道しています。

以下後段部分を抜粋

「共産党県委員会の渡久地修市議らは十六日、衆院第一議員会館で農水省の担当者にたいして『サトウキビやパイナップルなどの沖縄農業に壊滅的打撃を与えるEPA協定は締結すべきでない』と要請した。
 これに対し担当者は『(沖縄農業に打撃を与えるという認識は)われわれも同じだ。農水省としても(関税撤廃品目から)除外を求めるという姿勢は譲らない」と答えた。
 県試算によると、サトウキビなど四品目の関税が撤廃された場合の影響額は二百二十九億円(生産額)にに達する」

と報道しています。

農水省の生産局特産振興課の課長補佐や生産専門官、国際局の担当者などは、私の質問にも、明確に「沖縄の農業に壊滅的打撃を与えるという認識は農水省も一緒」と明言し、「除外を求める姿勢は譲らない」と答えました。

私は、繰り返し確認し、このことを沖縄に帰って「農水省の見解として報告してもいいですね」と問いにも、「よろしいです」と答えました。

しかし、この問題は、これで安心といえるものでないことは明らかです。

EPA協定締結反対の声をさらに大きく広げ、沖縄や日本の農業を守るためにがんばることが重要になっています。

ぜひ、今朝の琉球新報を見てください。

他の要請項目でも貴重な成果がありましたが、別の紙面にします。

政府要請行動から今、帰任

日本共産党沖縄県委員会と、日本共産党沖縄地方議員団の政府要請行動が15日~16日に行なわれました。

いろんな成果がありました。その報告は後日。

最終便の出発が遅れ、11時25分着の予定が12時前に延びてしまい、今さっき12時45分に自宅に着きました。

原因は、使用機の羽田空港着の遅れです。

他の空港から、羽田に来て、すぐに沖縄に飛び立つという仕組みになっているようで、その間はわずか30分ほどではなかったかと思います。

あまりにも、効率のみを優先しているようで、機体の点検、整備など大丈夫なのかなと不安になりました。

大量輸送機がこんなことでいいのかと疑問に思いながらの不安な空の旅でした。

2007年11月13日火曜日

あるご婦人からの手紙

今日団地にお住まいのKさんから手紙が届きました。

ほんとにうれしい激励の手紙でした。

日頃、演説をしても、聞いている人はいるのかなと思ったりすることもありますが、やっぱり聞いている人はいるんだと勇気づけられました。

Kさん、ありがとうございます。

本人にお礼を述べ、了解を得て匿名という条件で紹介します。

「前略、
お元気ですか。
去った28日には参加することが出来なくて申し訳ございません。
久子さんのあとつぎと云うことで喜んで居ます。
頑張ってください。
選挙の折りに、マイクを握るのは当たり前のこと・・・・
その後のおさむさんに何時も感動して居ります。
すべての選挙の勝敗は別としてお一人でマイクを握って、お礼を述べて居りますおさむさんに頭が下がる思いです。
おさむさんだけですよ・・・
ベランダから良く見える場所なので手を振って応援して居ります。
おさむさんならきっと県民のために頑張れると思います。
何時もお一人で頑張っておられる姿の目にしておりますので・・・」

追伸として、「長生きするのもこわい世の中になって参りました」と今のお年寄りいじめの政治を告発しています。

お年寄りいじめ、国民いじめの政治を転換するためにも、日本共産党のがんばりが求められていると思います。

これからも、みなさんのご支援を受けてさらに全力でがんばります。

Kさん、お手紙ありがとうございました。

2007年11月12日月曜日

心ない不法投棄

廃家電の不法投棄が絶えない。

首里金城町の芸大研究棟まえの市道に、ゴミとなった洗濯機、テレビなどが不法に投棄されていた。

かれこれ3ヶ月ほどになると思う。

不法投棄禁止の看板が側に立っている。

いつになったら撤去されるかと日々注目していたが、しびれを切らし、市の道路管理課と交渉した。

自治会の副会長も同行してもらった。

ゴミは、その場ですぐに撤去してもらったが、こういう大通りに堂々と投棄していく市民がいることに、怒りを通り越して悲しくなってしまう。

ここは首里城や守礼門の近くである。「守礼の邦」、「守礼の民」とはこの程度のことかと疑われてしまう。

幸いに、すぐに撤去してもらったが、また投棄されないか心配である。

プランターをおいて花を植えれば投棄はなくなる等の話し合いをやったが、実に悲しい話しである。

街の美化のために一生懸命に努力している人々もいっぱいいる。

ゴミやたばこのポイ捨て、不法投棄はやらないという最低限の当たり前のルール(常識)は守ってほしいものである。


 

2007年11月11日日曜日

大盛況の瀬長亀次郎生誕百年記念展

今日は、我が沖縄の誇り、民族の英雄、瀬長亀次郎生誕百年記念展の最終日だった。

行政視察のための出張やらがかさなってやっと今日見ることが出来た。

すごい人だかりで、それだけでもとてもうれしい気分になった。

特に若い人が目立つ。なぜなのだろうか。

会場では、はじめて目にする物がほとんどである。

瀬長亀次郎のことはよく知っているつもりでいたが、改めてその偉大さを教えられた。

瀬長さんと一緒に活動したことのある来場者は、それぞれが、瀬長さんとの自分との関わりを自慢にし、かつ誇りにしていることが表情からありありと伺える。

そういう私も、「瀬長さんの運転手を一時期やっていたよ」と娘の千尋さんに話したりしているのである。

��日の初日から、展示品が増えているとのことだった。

参観者が、この資料があったよとか、写真などを届けてくれているそうである。

その中には、沖縄人民党の創立大会の案内状というこれまで見つからなかった第一級の資料まで届けられたという。

また、瀬長さんが刑務所から出所するときの、歴史的な写真が残っているが、手を挙げて大衆に応えている瀬長さんのそばでほほえんでいる刑務官が写っているが、この写真は、瀬長さんとフミさんの表情もそうだが、この刑務官の表情もとても印象的であるが、その刑務官が、これは私ですと尋ねてきたというのだから驚きである。

まさに、記念展にふさわしい出会いである。このことを、長年秘書をやってきた、佐次田勉氏が興奮したように説明していた。

瀬長さんは、弾圧に屈せずにたたかった英雄である。そして、今日の展示会を見て知ったのだが、とても几帳面な人だったと思う。当時の物を靴、ネクタイ、時計などなどをきちんと保管していたようである。日記も、几帳面だったことが文字を通して伺えるようである。

刑務所から出てきたときの背広まで残っており、展示されていた。

受付の人に聞いたら2000人を超えた参観者だろうとのことである。

今、瀬長亀次郎のように、不正や悪政に対して、たたかわなければならない。そういう意思の表れだと思う。

「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ」

瀬長さんが板きれに書いた言葉が飾られていたが、いま、その意志とたたかいは確実に後世に引き継がれている。

私もその一員としてがんばらなければとの思いを強くした。

瀬長さんの刑務所からの出所の写真とそのときつけていた背広をバックに、千尋さんと記念写真をとった。

その意志を引き継ぎがんばる決意をこめて・・・。



千尋さんの後ろに出所時につけていた背広

2007年11月10日土曜日

従兄弟の義父のお別れ会

今日、従兄弟の義父の「お別れ会」(あえて葬儀とは言っていないようだ)があった。

郷土歴史家としても有名な方であったが、「お別れ会」も氏の人柄が偲ばれるものだった。

まず、新聞には「11月8日午後8時37分91歳の天命を終えることができました 皆様のお力添えを頂き本人の望んだ一生だったと思います 本人の意志により献体をいたしましたので当日は本人の眉毛と髭にてお骨の代わりとさせて頂きます お別れ会にご出席を賜れば幸いに存じます」と書かれている。

「お別れ会」が読谷村だったので、地理に不案内なことと、工事のための渋滞も重なって、会場に着いたのが終了時間の15分前になってしまったが、会場についたら、いつもの葬儀の雰囲気と違っていることに、一瞬とまどってしまった。

友人または知人らしき人のお別れの話しが終わったところであったが、私が焼香する頃には、もう一人の友人の方が、氏との出会いや歴史家としての師事していたことなどを話していた。

こんな「お別れ会」もあるものだと思っていると、最後に、氏の二女の婿である私の従兄弟の挨拶の番となった。

従兄弟は、ギターを持って現われた。「葬儀にギターとは」と、とまどいを覚えたが、すぐにその疑問は解消された。

従兄弟は、「氏は、なにごとも型にはまらず、人生を楽しく生きてきた・・・」云々と話していたように記憶しているが、たぶんそれに近いようなことを言っていたと思う。

そして、そんな義父のこと歌で紹介しますと言って、次の歌をみんなの前で歌った。

会が終わり、従兄弟に、「すばらしい歌だったので、歌詞をいただけないか?、ブログで紹介したい」と申し入れたら快く渡してくれた。次がのその歌詞である。

さだまさしの、「雨やどり」という歌を知っているだろうか。その替え歌である。

菊の花で囲まれた祭壇の前で、髭を生やした従兄弟が、義父の死について歌っている姿を想像しながら、「雨やどり」の曲にのって次の詩を読んでほしい。



「『古典を読むんだよ』が あなたの 口癖だった
論語に聖書、徒然草、歎異抄
この長い年月をよみつがれたんだから
すばらしいにきまっているではないか

目が悪くなり、文字も見えなく 本が読めなくても、
古本屋に連れていけば、その日はご機嫌で
ほんの表紙をながめ、目次をながめては
ずっとにこにこで笑顔が耐えなかった

目が見えなくても、耳があるではないか
その気になれば どうでも学べるんだよと
テープレコーダーにラジオやテレビの市民講座
食後のぼくの日課は読み聞かせ

よく見ておけよ、これが老いというもものさ
献体に尊厳死、自分の告別式
冷静にいつも死を見つめていて
自分の死さえ他人事だった

寝たきりになっても 家で介護ができ
自宅で老衰死は 幸せだったと思う

いろんなことを教えられました
心から言いたい ありがとう」


正直に生き、欲もなく、ひたすら学問に生きた、氏の人柄、歌っている従兄弟の人柄が偲ばれる会だった。

無心、正直、一生懸命、わずかな時間のなかで氏から学んだことは多いような気がする。

合掌。



今、帰ってきました

現在、10日の午前0時18分です。

今、出張から帰ってきたばかりです。

出張先のホテルのPCで、ブログの更新を行なおうとしたら、アカウント名とパスワードを混同してしまい、更新できませんでした。

すみません。

この間、日本の政治は小沢民主党党首の辞任劇で混乱していましたが、あの騒動の裏にある、国民の政治を変えたいという大きな流れと、今までの自民党流のアメリカいいなり、大企業いいなりの政治の避けがたい矛盾に、もっと目を向けることが大事ではないでしょうか。

明日から、またがんばります。

2007年11月4日日曜日

明日から行政視察です

明日から行政視察に行ってきます。

今回は、会派ごとの視察になります。

金曜日まで強行スケジュールですが、全国の先進じ事例を勉強して、那覇市政に反映させるようにがんばってきます。

そのため、毎日のブログの更新が出来るのか分かりませんが、その節はご容赦ください。

あぜん!・・・。小沢民主党党首辞任表明

昨日の、大連立の話しにもあきれたが、今日、小沢党首が辞任の記者会見を行なったという。

これには、さすがにあぜんとしてします。

いったい何があったのだろうか。何か表には出ていない何かがあるのだろうか。

とにかく理解できない不可解な出来ごとである。

ハッキリしているのは、参院選で示された民意に添った動きでないことは明らかである。

民意を無視した、数あわせの論理で行動すると、必ず国民から批判を受けるであろう。

行き詰まった自民党。参院で第一党となった民主党。

だが、いずれも、国民の願いに応えることが出来ずに、今までの自民党政治の延長線上にいる限り、根本的な政治の転換は望めそうにない。

国民本位の政治の転換を求めて、私たち日本共産党ががんばらないといけないと痛感する出来事である。

2007年11月3日土曜日

自民と民主の大連立?

自民党と民主党の党首会談が行なわれ、自民党の福田総理から民主党の小沢党首に連立の呼びかけがされたとの報道が今朝の新聞のトップとなっている。

今の自公政治が行き詰まっていることを示している。

沖縄県民の視線から見ても、あまりにも異常な・アメリカいいなり、大企業いいなり、戦前回帰の政治に、ワジワジー(カンカン、怒りを表す沖縄方言)している。

そのワジワジーの結果が先の参院選の自公の大敗北だと思う。

その、国民・県民いじめの自公の政治路線を反省し転換をせずに突き進もうとすればするほど、このような連立の話しになってくるのであろう。

国民の暮らしや・平和を守るためにどうするかではなく、旧態依然とした数あわせ、多数派工作。

これでは、政治は変わらない。

主権者は国民である。主権者である国民が声を上げれば政治は動かせる。

このことを参院選挙の結果と、沖縄県民の島ぐるみのたたかいは示していると思う。

自民党から連立を呼びかけられた民主党もとどのつまりは、中身では自民党と対して変わらないと言うことを見事に証明してしまった出来事である。

自公の異常なアメリカいいなり、大企業いいなりの政治を転換する勢力が大きくなることが今必要と思う。

日本共産党は、そのためにがんばらなければならない。

今朝の新聞を見ての第一感想です。

2007年11月2日金曜日

ヒメコバチ被害対策で市に緊急申し入れ

昨日発見したヒメコバチの被害にあったデイゴの木は、今日の午前中には伐採・撤去が行なわれました。

伐採された木は、ボロボロの状態で、造園業の方の話しでは、倒木の危険があったとのことでした。

その方の話だと、この通りのデイゴ並木をはじめ、市内のほぼすべてのデイゴの木がヒメコバチの被害にあっているとのことで、薬剤散布しか対策がないとのこと。

しかし、それも有効かどうかは疑問であるとのことで、今のところなかなか対策が見つかっていないとのことでした。

党市議団としては、今朝の事態を重視し、さっそく、午前11時から、緊急に當銘副市長に申し入れを行ないました。

申し入れは、市内のデイゴの被害状況についての至急調査、把握すること。

市としての、対策を至急検討することについて申し入れました。

當銘市長は、県とも連携しながら対策を取ることを約束しました。



左から2番目が渡久地修、3番目が當銘副市長

2007年11月1日木曜日

ヒメコバチの被害

役所の駐車場に車を入れるときに、一本のデイゴの木が無惨な姿をさらしている。

皮がベロンとむけ、それも皮の繊維だけがだらりとぶら下がっている。

昨日まではまったく気がつかなかったが、1日でこんな姿になるのだろうか。これは病気に間違いない。

このままだと倒木のおそれがある。そうなると、通行人や車に危害を及ぼすことになる。

すぐに、管財課に直行し、これこれしかじかと話すと、すぐに見に行きますとのことだった。

管財課の職員は、「これは病気だと思います」「危険なので伐採した方がいい」とのことで道路管理課に通報したとのことだった。

夕方、同課から電話があり、ヒメコバチによる被害だとのこと。危険なため明日にも伐採するという。

ヒメコバチとは、辞典によるとハチの一種で、デイゴの歯に卵を産み、瘤をつくって成長を阻害するとのことである。

沖縄の北部をはじめ各地で大きな被害に遭っているとのことである。

那覇市の街路樹はデイゴの木が多いが、いったいどうなるのだろう。

至急の対策が求められている。

 
皮のむけたデイゴの木

2007年10月31日水曜日

沖国大への米軍ヘリ墜落・・・「かすかに覚えている」と福田総理

こんな人達が、沖縄の基地問題を論じているのと思うと恐ろしくなる。

��0日の衆院特別委員会で、日本共産党の笠井亮議員が、3年前の沖国大へのヘリ墜落事故について聞いたところ、

「かすかに覚えている」と答弁。

ほんとに覚えているのか疑いたくなるような答弁である。

質問した笠井氏も、これには正直ビックリしたのではないだろうか。

口では、「沖縄県民の負担軽減」といいながら、実際は、沖縄県民が基地によって苦しめられていることをまったく意に介していないことを見事に表した一幕である。

こんな自民党政治を一刻も早く終わらせたいものである。


2007年10月30日火曜日

運動会の場所取り風景

一昨日は、市内各地で小中学校の運動会が開催された。

私たちが小さい頃、子どもたちの晴れ姿を近くから見ようと、家族は前日の晩から場所取りに出かけていった。早い人では、夕方からむしろを持って一番いい席を確保するために一生懸命だった。

むしろを敷き、風に飛ばされないように石ころの重りを四方においてから帰っていった。

朝方来た人達は、ほとんどが、すでに手遅れだった。

しかし、中には前日に一番いい席を取ったはずだのに、風でムシロが校庭の隅に無惨にも飛ばされたりしていることもあり、地団駄を踏んだこともあった。

また、当日遅く来た人達が、図々しく一番いい人の席の前に陣取ることもあったりして、子どもの運動会は、親や兄達の陣取り合戦でもあった。

そんな光景も、学校側の陣取り自粛要請や、時代の流れとともになくなっていった。

・・・と思っていた。

ところが、一昨日、朝の6時半からのラジオ体操に出かけていったら、この陣取り合戦に出くわした。

すでに、前日の夕方から晩にはすでに勝負がついているのであろう。人影はなく、昔のムシロではないが、青、緑のいわゆるブルーシートと言われているものがびっしりと敷かれていた。

昔も今も、自分の子どもを一番いい席で見たいという親心は変わっていないようである。

今日は、楽しい運動会になるだろうと思いながら、携帯電話機で写真をパチリ。

西の空には、まあるいおつきさんがほほえましく輝いていた。

 
場所取り合戦のシート  


西の空のお月さん

2007年10月29日月曜日

とぐちおさむを県政へ・はげますつどい

昨日、「とぐちおさむを県政へ・はげますつどい」が首里農協ホールで開催されました。

昨日は、ほとんどの学校が運動会で、また、旗頭や、各町の行事、18夜などと重なるなどしましたが、会場いっぱいの250人が参加していいただきました。

このような集まりは初めてという人も多く参加していました。

ありがとうございました。

とぐちおさむも多くのみなさんから激励を受けましたが、勝利めざして全力でがんばります。



2007年10月27日土曜日

沖縄県産業祭りを視察

今日、午後から県議予定候補4人そろって、沖縄県産業祭りを視察してきました。

失業率が全国の2倍となっている沖縄の産業の発展は県政の大きな課題です。

農漁業をはじめとした、地場産業の振興と観光産業の発展な、また、新たな分野の産業の振興など、課題は山積しています。

今日の会場では、いろんな分野の出店がありました。特に、健康産業など沖縄の特産を生かした産業に挑戦していることが目につきました。

大いに力を合わせて沖縄の産業の発展にがんばりたいものです。


2007年10月26日金曜日

国会での証人喚問、赤嶺さんがんばって。

��0月28日(日)に「とぐちおさむさんを県政へ・はげますつどい」が開催されますが、予定していた赤嶺政賢衆院議員が参加できないことになった。

理由は、翌日の29日に、前防衛事務次官の国会証人喚問が決まり、赤嶺さんが日本共産党を代表して質問をすることになったとのことで、その準備のためだという。

みんなに報告したら、「当然だ、こんな大問題は徹底的にあばいてほしい」とのことで、誰一人文句を言う人はいない。

軍需産業と防衛省官僚、政治家の癒着は、絶対に許してはならない。結局、国民の税金を食い物にしているのである。

この人達は、普天間基地の移設とからんで、沖縄の負担軽減といいながら、実態は、利権争いとの話しをよく聞くが、まさにその通りだと言うことを、今回の事件は示しているのではないだろうか。

軍需産業と官僚、政治家の癒着を止めるためには、日本共産党をぜひのばしてもらいたい。

2007年10月25日木曜日

同期生からの思わぬ差し入れ

今日、朝立ち宣伝を行なっていたところ、中学・高校と同級生だった、K氏がひょこっりと現われビックリ。

近くで仕事をしているとのこと。

宣伝カーに掲げているノボリが風でまいあがり、困っていることに話題が及ぶと、任せておけといって去ってしまった。

声を出しての訴えが、終盤に差しかかった頃合いに、K氏が戻ってきて、人包みの袋を手渡した。

中身は、ノボリが舞い上がらないように、つり用の鉛を使った、文字通りのノボリのオモリだった。

大変大助かりです。

��さん、ありがとう。早速使わせていただきます。

2007年10月24日水曜日

28日にはげますつどい

10月28日(日)、午後7時から首里農協ホールで「とぐちおさむをはげますつどい」が開催されます。
多くのみなさんの参加をお願いします。

2007年10月23日火曜日

うれしい電話

今朝、事務所ではげますつどいのはがきを印刷しているときに、突然電話が鳴った。

金城町にお住まいの外間さんからだった。

外間さんには、昨日、教科書検定意見撤回を求める東京要請行動の報告集を手渡していた。

早速読んだとのことで、「とても感動した。いい報告集だ。こういうこともあったと自分の知り合いに配りたい。カラオケサークル、モアイのメンバーにも読んでもらいたいのであと30部ほしい」とのことだった。

とてもうれしい電話だった。

水のひとしずくひとしずくが、このように一つの流れになり、やがて大河となっていき、歴史を動かすと、その報告集でも書いたが、まさに、各地でひとしずくが生まれていることを実感する出来事である。

歴史を動かす大きなたたかい、私の報告集が少しでも役にたてればこんなうれしいことはない。

報告集の必要な方はメールください。

2007年10月22日月曜日

沖縄もそろそろ秋の気配

いつの間にか、沖縄も秋の気配が漂いはじめた。

より正確に言うと、先週頃からである。

北風が吹き、晩は少々肌寒くなり、毛布が必要になってきた。

そういえば、日が暮れるのも早くなった。

議会、教科書検定問題等々と追わ日々だったが、そういえばもう10月も下旬にさしかかっている。

沖縄ではしのぎやすい季節だが、ちょっと油断すると風邪をひいてしまうので気をつけないといけない。

季節の変わり目、健康に気をつけて、がんばりましょう。


2007年10月21日日曜日

戦後処理はまだ終わっていない。

今日、朝8時から住民約1500人を非難させての不発弾の現地処理が行なわれた。

米軍の航空機から投下された250キロ爆弾で、信管がついていて大変危険だという。

こういう、恐ろしいものすぐ近くに62年間も過ごしていたのだからぞっとする。

避難は8時から始まったが、現地本部で状況を見ていたが、かなりの交通混雑だったようだ。モノレールも不発弾での交通制限は初めてである。

避難が完了し、不発弾の処理にかかろうとしたときに、平良のバス停や儀保交差点に人がいるのが確認されたりで、作業はたびたび中断した。

こういう大規模な住民を避難させての作業がいかに困難かがよく分かる出来事である。

不発弾の処理は自衛隊の101不発弾処理隊によって行なわれた。

��時15分に不発弾の処理を開始。手動で信管抜き取りにかかっているようで、8分の1ずつ信管を回し、あるいは4分の1ずつ信管を慎重に回していく作業が無線で伝えられてくる。
緊張が走る。

��時間余をかけて、信管抜き取り、10時27分に無事終了。

250キロ爆弾の弾頭と弾底の信管2個が抜き取られた。

沖縄戦は、鉄の暴風と表現されているように、無数の砲弾、爆弾が打ち込まれた。今なおかず多くの不発弾が毎年発見される。残された不発弾の処理にはあと100年かかると言われている。

これだけでも異常なのに、その費用まで半分を那覇市がなどの自治体が負担させられているのはどう見ても納得できない。

沖縄の戦後はまだ終わっていない。

戦後処理として、国の責任で行なうべきである。改めてこのことを強く思いました。


 
    101処理隊から説明を受ける。右下が250キロ不発弾。     深さ6㍍の穴と処理後の不発弾


             運び出される不発弾         抜き取られた信管。少しの衝撃でも爆発するとのこと