2009年9月30日水曜日

県議会代表質問終わる

県議会の代表質問が今日で終わりました。

今日は日本共産党から嘉陽宗儀団長が質問しました。

政権交代しての初の議会です。

自公の質問、あるいは新しい政権の与党となった社民、改革の会(国民新党の質問は、それぞれ歯切れが悪い感じがしました。(民主は3人のため代表質問ができません)

自公は、これまでの与党だったことで、政府と追及しればするほど自分たちに跳ね返る。

社民・改革の会などは、国政では与党になった手前、厳しく政府の政策を追及できないなどの状況になっています。

正々堂々と質問できるのは、建設的野党の日本共産党だけというのが今度の県議会の代表質問でもはっきりしました。

これからが日本共産党の出番です。

10月2日には、私・渡久地修が一般質問に立ちます。

ぜひ傍聴してください。

2009年9月29日火曜日

教科書検定意見撤回、記述回復を求める県民大会

今日、教科書検定の意見撤回と記述の回復を求める県民大会が開催されい千人余の県m人が参加しました。

2年前の9月29日の11万6千人の大会から2年経ちましたが、いまだに県民の願いは実現していません。

今度こそ、教科書検定意見の撤回と記述の回復をと熱気のこもった大会となりました。

2009年9月28日月曜日

米軍車両による畑踏み荒らしに抗議

今月23日に、うるま市勝連で、米軍車両とみられる大型車両がオクラ畑に侵入し、100本以上のオクラがなぎ倒されるなどの被害がでた。

車両は市道から畑に侵入し、回転して畑を踏み荒らしてそのまま立ち去ったとみられている。

畑と隣接原野には大型車両のタイヤ痕も残されている。

現場は米海軍ホワイトビーチに隣接し、当日は事前集積艦が寄港し、物資輸送者の往来があったという。

今日、沖縄防衛局に赤嶺政賢衆院議員、嘉陽宗儀県議団長と渡久地修県議が、「米軍車両によるオクラ畑踏み荒らしに抗議し、全容解明と再発防止を求める申し入れ」を行いました。

沖縄防衛局の真鍋朗局長は、現在、県警察で刑事事件として捜査しているとして、米軍車両かどうかは断定できないとの答弁でした。

嘉陽団長は、タイヤ痕や回転の半径などからみれば、このような大型車両は米軍車両しかない。民間にはこのような大型車両はないはずだと指摘、防衛局としても全容解明を強く求めました。

政権が交代し、民主党政権が「対等な日米関係」と言っていますが、防衛局側は今まで通りの米軍をかばう姿勢に終始しているように思えてなりませんでした。




2009年9月27日日曜日

県民を欺く手法はやめてもらいたい

新しい政権、普天間基地の閉鎖・撤去、辺野古への新基地建設反対の期待が広がっている。

鳩山首相は最低でも県外移設と言明し、外務大臣も県外移設を交渉すると言っている。

ところが防衛大臣は、県内移設やむなしをちらつかせている。

一方は県外移設を言い、もう一方は県内移設が現実的だという、これは明らかに県民の世論を見極めようとするような役割分担での発言であろう。

防衛大臣の態度は、県内紙の社説でも書かれている通りで、この態度はこれまでの自民党のなにも変わらない。

このような政府の態度がこの選挙でノーの審判を下されたことをもっと認識ずべきである。

沖縄県民は、辺野古への新基地建設反対、県内たらいまわし反対をきっぱりと基地問題では示している。

八つ馬ダムや川辺川ダムが中止が発表されているのに、沖縄の基地問題ではいまだにアメリカいいなり。

防衛大臣の発言は、県内紙をはじめ多くの県民の失望をかっている。

これが政権内での打ち合わせ通りの世論操作のための手法であれば許せるものではない。

このことを肝に銘じる必要があるのではない。

県民を欺くようなやり方はやめて、公約通りに実行すべきである。

辺野古への新基地建設断念せよ。

この世論をもっと広げましょう。

2009年9月26日土曜日

基地闘争交流集会

日本平和委員会主催の基地闘争交流集会が沖縄で開催され参加してきました。

新しい政権が誕生してのこれからの基地闘争についての交流が行われました。

民主党中心の政権が国民の願いに沿うような政策を次々と打ち出しながら、今の日本の政治をゆがめている、アメリカ言いなり、大企業言いなりと政治悪を根本からただすという方向をもっていないおいう状況のもとで、基地をなくしていくたたかいをどのように進めていくかが交流されました。

大変示唆に富んだ発言が相次ぎ大いに勉強になりました。

こんどの県議会の質問にも役立ちます。

いずれにしても、辺野古への新基地建設を断念させるには、政府だのみ外交頼みだけではだめです。

沖縄県民の島ぐるみのたたかいで、全県民的、全国民的な世論にしてこそ実現の確かな力です。

議会での論戦はもとより、県民ぐるみのたたかいお構築にがんばります。



基地交流集会

2009年9月25日金曜日

10月2日に一般質問

今日、一般質問の通告締め切りでした。

政権交代して初の県議会です。

自公政権の構造改革路線をストレートに沖縄県政に持ち込んで、医療、福祉、教育、暮らしの予算などを削減して来た自公県政。また、基地問題でも、政府いいなりに辺野古への新基地建設を推進してきた仲井真県政。

先の選挙はこれらの自公路線にたいしての県民のきっぱりとした審判が下されました。

今度の県議会では、これまでの県政運営が問われてきます。

平和とくらし、福祉、医療、教育を守る県政への転換をめざして論戦を展開したいと思います。

質問通告はこちらろクリック。(HPのメイン画面から質問通告にアクセスしてください)

2009年9月24日木曜日

日本兵の遺骨が3体/浦添市で発見

先日、西原町幸地で日本兵の遺骨が5体ほぼ完ぺきな状態で発掘されたばかりだが、今度は、浦添市の前田で日本兵の遺骨3体が発見された。

浦添市前田高地で沖縄戦の激戦地の一つである。

市の区画整理事業の発掘作業の中で発見されたもの。

一帯は、近世墓群でフィンチャーと呼ばれる掘りこみ墓が並んでいるところで、日本軍が掘ったと思われる陣地壕から発見された。

遺骨は休憩中だったのだろうか、一体は手を頭上に組んで手枕をしている。もう一体は横を向いて休んでいるように見える。

休憩中に爆撃か何かで突然生き埋めになったのではとの発掘をしている市の文化課の説明だった。

戦争はいかなる理由をつけようとも正当化し美化することはできない。

物言わぬ証言者になりかわって私たちが叫び続けなけれれならない。



市の担当から説明を受ける



3体の遺骨。手前の遺骨は手枕をしている。



フィンチャーと呼ばれる掘りこみ墓の近世墓群

2009年9月23日水曜日

首里城

今日、首里城の整備状況や32軍壕との関係などで視察を行った。

小さいころから育った地域だけに親しみはひとしおだ。

首里城の南殿には戦前、首里博物館があって(今日の管理センターの説明では北殿にあったという)、母・敏子が戦争時まで勤めていたところと聞いているので、なおさら感慨深いものがある。

大城立祐さんの「琉球処分」や最近のテンペストという小説の舞台である首里城と見下ろす城下町で、薩摩や中国との狭間で揺れ動く琉球の姿が浮かんでくるようだ。

しかし、この国は戦をしない国だったことが、この首里城をみてもよくわかる。

日本各地のお城はどれも戦のための城で、いたるところに敵から守るための備えがあるがこの首里城にはこういった備えがまるでない。

平和外交の国だったのだ。

現在の日本国憲法9条を先取りした国だったのではないかと、案内してくれたOさんと話し合った。

ウナー(御庭)での「舞への誘い」という古典舞踊などがあったが、「かぎやでぃ風」「かせかけ」「上り口説」などなどを観賞していると、戦に頼らず平和外交で国難を乗り切ってきた先人たちの営みが伝わって来るような気がした。



正殿二階御差床(ウサスカ)



復元された南殿(戦前首里博物館があり、母・敏子が勤めていた。北殿との話もあり調査します)




「かせかけ」の舞



首里城の遺構。正殿の地下にありガラス越しに見える。世界遺産に登録されているのは地上の建物と思っている人も多いが、登録されているのはこの遺産群です。

2009年9月22日火曜日

日米首脳会談を注視

辺野古への新基地建設反対、普天間基地の国外移設、最低でも県外移設と公約していた民主党。

初めての日米首脳会談が行われる。

鳩山首相がオバマ大統領にそのことをいうことができるか、沖縄県民は固唾をのんで見ている。

沖縄県民の民意はきっぱりと示された。

基地押し付け、辺野古への新基地推進の自民党が議席をすべて失ったことを日米両政府はしっかりと受け止めるべきである。




2009年9月21日月曜日

子どもたちの熱演が一番のねぎらい

私の生まれ育った寒川町の敬老会がありました。

小さいころからお世話になった懐かしい方々の長寿の祝いでした。

和やかな会でしたが、何よりも素晴らしかったのが、保育園児たちの踊りの熱演でした。

かわいい演技に拍手喝さい。

歳も若くなるような舞台でした。







2009年9月20日日曜日

後期高齢者医療制度の廃止を!/敬老会にも変化が!

昨日は、瀬長フミさんの100歳の祝いがあった。

また、敬老の日を前後して各地で敬老会が開催されている。

先週は儀保町、今日は赤平町の敬老会に参加した。

去年の敬老会では、「お年寄りは早くあの世に行ってくれと言われているようだ」と後期高齢者医療制度への怒りが満ちていた。

今年は、先の衆院選挙で後期高齢者医療制度推進の自公が退場し、同制度の廃止を訴えた日本共産党は議席を維持し、同じく廃止を主張した民主党政権が誕生した。

今年の敬老会は、去年と違って後期高齢者医療制度廃止への展望と、お年寄りを大事するという当然の社会への期待が感じられるものになってきている。

民主党は、お年寄りをいじめ差別する、同制度を早く廃止すべきである。

日本共産党の渡久地修もそのためにがんばると、長寿を迎えられたみなさんにあやかりながら決意をいっそう強くした。

2009年9月19日土曜日

ブログが追いつかない急展開の日々

国民の力で自公政権が退場に追い込まれ、新しい民主党中心の政権が誕生した。

新しい動きが連日のように展開され、あるいは報道されている。

このブログも追いつかないほどの動きが活発になってきている。

後期高齢者制度の廃止、高校授業料の無償化、泡瀬干潟の埋め立て中止、辺野古の新基地建設反対などなど、政治から目が離せない。

そして、県内での動きも活発化し、県議会での活動も目が回るほどである。

激動の時代の幕開けのようである。

自公政権を退場させ、国民が主人公の政治の始まり。

政治を国民こそ主人公の政治への実現目指し、建設的野党の仕事はこれにもまして重要になっていることを痛感する日々である。

2009年9月18日金曜日

県議会はじまる

今日から沖縄県議会、9月定例会が始まりました。

自公政権が退場し、新たに民主党中心の政権・鳩山内閣が誕生しての初めての県議会です。

仲井真県政は自公政権と一体となって、辺野古への新基地建設を推進してきました。

今回の衆院選挙で、辺野古への新基地建設を推進して来た自民党は議席をすべて失うという結果になり、沖縄県民の意思は明確に、新基地建設反対を示しました。

この結果と、新しい民主党中心の政権が辺野古への新基地建設反対を表明していることについて、知事のこれまでの態度が問われてきます。

また、今朝の新聞でも、新しい沖縄担当大臣が、泡瀬干潟の埋め立て中止を表明しています。

沖縄県民の世論が、政治を大きく動かしている事を実感します。

県議会は、来週から代表質問、一般質問がはじまりますが、「建設的野党」としての日本共産党の役割はますます重要になって来ています。

今回の一般質問でも、基地問題から県民の暮らしの問題まで、取り上げることが多くあり、その準備に追われる日々が続きそうです。

2009年9月17日木曜日

農協は「貸しはがし」をやめよ

昨日、名護民商会館で開催された、「農協問題交流会」に党県議団で参加してきました。

40人近くの農家のみなさんらが参加していました。

「30年の支払い契約で借りたのに、4、5年してすぐに全額返済を求められ、競売にかけられている」

「財産をすべて差し押さえられた」

「1300万の借金の返済は終わっているはずなのに、まだ1300万円残っているとして、差し押さえされている」

「借金や返済の履歴を見せてほしいといっても詳しく説明してくれない」

「牛を飼ったこともないのに、牛の飼料代の借金があることになっている」

「突然、20年前の借金といって内容証明で支払いの督促が来ている」

などなどの訴えがありました。

すでに、多くの農家が土地や財産を差し押さえられてい競売にかけられている実態も報告され、貸しはがしの実態のひどさや、農家の苦しみが浮き彫りになりました。

党県議団としても、関係団体とも協力してさらに調査をすすめて、議会でも取り上げていきたいと思っています。




2009年9月16日水曜日

「経済財政諮問会議」の終焉を歓迎

政府の「経済財政諮問会議」のトヨタ自動車会長ら民間議員4氏が麻生内閣の総辞職に合わせて15日辞任したという。

「経済財政諮問会議」は2001年の森政権時代に発足し、小泉政権のときは、郵政民営化をはじめ「骨太の方針」を策定して、社会保障費を毎年2200億円削減する方針を策定するなど、「構造改革路線」の推進者、司令塔の役割を果たしてきた。

国権の最高機関である国会をないがしろにして、大企業、財界いいなりの政治が次々にこの諮問会議を舞台にして進められてきた。

トヨタ自動車の会長らが幅を利かせ、政治を財界・大企業が動かしていることがテレビの映像でもよく出てきたものだった。

派遣労働法の改悪、後期高齢者医療制度などなど、国民に苦難を強いてきた司令塔が、国民の審判を受けて終焉したこと当然のことである。

これからほんとうの意味での国民こそ主人公の政治への始まりである。

新しい政権が大企業にも堂々とものをいえるかどうか国民は注視している。


2009年9月15日火曜日

山川町1丁目の里道崩落危険で市と交渉

今日、首里山川町1丁目の里道が崩落の危険があるとの連絡を受け、さっそく現場調査を行い、午後から市の担当者に来てもらい早期復旧を要請。

この交渉には自治会長さんにも来てもらいました。

この里道は、周辺住民の生活道路であり、子供たちの通学道路でもあります。

数年前に、開発業者が里道に面した土地にマンションを建設するとして、里道の側面を削り取って擁壁を築く予定だったらしいのですが、途中で計画を断念して、その擁壁工事も中途半端で放置されていたようです。

里道のコンクリート敷きの下は、完全に空洞状態になり、今にも崩落しそうにひび割れや亀裂が走っています。

市は、いつ崩落してもおかしくない状態だとして、通行禁止の措置をとりました。

この業者を指導して改修させると約束しましたが、回復までには時間がかかりそうです。

市にたいして、早く復旧して、住民の生活に支障のないようにと強く申し入れました。

バッタ君に感謝

一昨日の遺骨発掘収集現場の近くの草むらでバッタを見つけた。

大きなバッタだ。

小さいころには、このようなバッタがいたるところにいた。

というより、バッタが棲みついているような草むらや畑が周りにいっぱいあった。

今は、私たちの住む街の周りからは畑も、林も、森も、草むらもほとんどが消えてなくなった。

バッタも当然見かけなくなった。

寂しいものだ。

この草むらで、大きなバッタを数匹見かけた。

懐かしい想いとともに、私の周りからバッタやトンボやいろんな生き物が姿を消していることを改め思い知らされた。

そして、これらの生き物を見かけなくなっていたことに、いつの間にか気にもかけないようになっている自分を恥じた。

今の子供たちは、おそらくこのようなバッタなどを見かける機会はないだろう。

残された自然を守りたいものだ。

自然を元に戻すために可能な努力をしたいものだと、バッタを見ながらあれこれ考えた。

バッタ君に感謝。



2009年9月14日月曜日

アカバナー(仏桑華)の紅に想う

昨日、西原町幸地の遺骨収拾現場を調査した。

沖縄戦の生々しい現場だった。

その上の畑の周りには、仏桑華の生け垣があり、紅(くれない)の花をつけていた。

仏桑華の生け垣は、私たちが幼いころは当たり前の風景で、私たちの住んでいた屋敷のまわりもそうだった。

トートーメー(仏壇)に供える花も、仏桑華だったし、お墓参りの時も生け垣から切って持っていったものだった。

仏桑華は沖縄ではアカバナーとも呼ぶ。最近はハイビスカスと呼び、種類もたくさんあり、観賞用としても多く栽培されている。

この在来種のアカバナーは最近はなかなか見ることがなくなった。

アカバナーの生け垣は、幼いころの沖縄の思い出の一こまでもある。

暑い日差しの中で、静かにゆれる紅のアカバナー・仏桑華の花、私は、この場所に一番ふさわしい花だと想った。

物言わぬ5人の日本兵の冥福を祈っているのだろうか。

再び悲劇を繰り返すなと訴えているのだろうか。

多くの人々の魂が眠る沖縄の大地の底から私たちに何かを訴えているような気がしてカメラに収めた。



2009年9月13日日曜日

戦争遺骨収拾現場を赤嶺衆院議員と調査

赤嶺政賢衆院議員と伊礼一美西原町議らと一緒に、西原町幸地の遺骨収拾現場を調査しました。

私は先週に続いて2度目です。

テレビ局や新聞社も来ていました。

記者やカメラのクルーもこの5人の遺骨には衝撃を受けていました。

また、この壕を上に上った原野を高江洲さんに案内してもらいましたが、驚いたことに、約4メートル間隔で米軍の艦砲射撃でできた穴があいています。

この艦砲の穴の周辺で10体の遺骨を発見したといいます。

鉄の暴風との表現を聞いていましたが、すさまじさに背筋が凍りつきます。

戦後64年、沖縄戦の傷は消えていません。

また幸地は愛媛県の部隊が陣地を構えていたとのことです。

遺骨収拾にあたっている、ガマフヤーの具志堅さんや高江洲さんらは、愛媛出身の兵隊ではないかとのことで、何とか遺族を捜したいと願っていました。

私自信が初体験でしたが、戦争の悲惨さを伝える場所だけに、多くの若者たちにその残忍さをぜひ体感してもらいたいものです。

そのことについて、西原町議会、県議会、国会で取り上げていくことを話し合いました。

早く遺族を捜して、供養してあげるとともに、再び戦争を繰り返さないために、その残忍さ、悲劇を後世に伝えるために、レプリカなどでこの現場の状況を保存する必要があると思っています。県議会で提案したいと思っています。





4体の遺骨(あと一体は、少し離れていて、カメラには入っていません)



艦砲射撃でできた穴に立つ渡久地県議。この周辺で野ざらしの遺骨が10体見つかったそうです。

2009年9月12日土曜日

うれしい知らせ/腹囲、85センチを切る

昨日、特定検診を受けてきた。

身長、体重の測定のあと、腹囲を測ったら84センチで、やっと85を切った。

なかなか難しかったが、自転車効果もあるのだろうか?

それに付随してももうひとつうれしいことが・・・。

これまで入らなくなっていたズボンがすーと入ったのです。

うれしいですね。

最高時より約6キロの減量です。

看護婦さんに聞いたら、今が標準の体重ですとのこと。

頑張って維持していきたいと思っています。



2009年9月11日金曜日

中小業者への支援を/民商とともに県と交渉

昨日、沖縄県商工団体連合会(沖縄民商)と一緒に、県に対して交渉を行いました。

小規模工事事業者登録制度の創設や、融資制度の改善などについて要請を行いました。

県から部長らが出席。

中小業者の営業を守るために力を尽くしたいと述べていました。

2009年9月10日木曜日

ブログへのアクセスが8万件を超えました

ブログを開始したのが、2007年の6月7日。

2カ年と3カ月の今日、9月10日にアクセスが8万件を超えました。

基地のない平和で暮らしよい沖縄をめざす、日本共産党の活動を一人でも多くの人に理解してもらいたいと始めました。

この件数は決して多いとは思っていません。

もっと多くの人に読んでもらうようにさらに精進と工夫が必要といつも思っています。

これからも応援をお願いします。

渡久地修より

辺野古でのCH53ヘリの「デモフライト」なるものを調査

沖縄県民は、辺野古への新基地建設反対の意思を先の衆院選挙できっぱりと示した。

今、国政の重要事項として、辺野古への新基地建設断念が浮上している。

こういう時期に、今日、辺野古でのCH53ヘリの「デモフライト」なるものが行われるとのことで調査に行った。

確かにヘリは飛んできた。

ホバリングといっても、あれはホバリングに値しないものである。いわゆる空中で停止している時間は1秒ないしは2秒という程度のものであった。

つぎの日程の都合上、12時半ごろに引き上げたのだが、その後、5分程のホバリングを行っていたということを後で聞いた。舞い上がった潮が浜まで流れてきたという。

また、通常はこのヘリは弾薬やら兵員を満載しているはずだ。今日は、たぶん燃料も最小限、弾薬や兵員も積んでいないだろう。

宜野湾の住民や高江の住民も、こんな騒音では絶対にないと、断言していた。

このようなまやかしは許されない。

沖縄県民の意思は明確である。

普天間基地の即時封鎖、撤去、辺野古への新基地建設断念せよ。基地の県内たらい回しは許さない。

このことが衆院選挙の結果であることを日米両政府は胆に銘じるべきである。

新しい政権が、沖縄県民の意思を尊重するよう、県民ぐるみの運動が今求められている。





調査する県議団

2009年9月9日水曜日

党創立87周年記念講演会

総選挙の結果を受けての党創立87周年記念講演会での志位委員長の講演が今終わった。

日本の歴史の幕開け、未来への展望などが語られた。

選挙後のこの一週間の出来事は、自公政権退場後の日本の政治で、これまで日本の政治をゆがめてきた、アメリカ言いなり、大企業・財界言いなりの政治から寝け出せるかどうかと指摘してきたことが現実問題となって浮上してきた。

辺野古への新基地建設をアメリカは進めると明言し、民主党が公約通り反対をつらぬけるか。

地球温暖化たいさくでのCO2削減目標について早速財界がかみついてきている。

まさに、二つのゆがみの根本を取り除くことができるか、ここに国民こそ主人公の政治への試金石である。

建設的野党としての日本共産党のがんばり、これからの日本共産党の前進にかかっている。

私たちの日々感じていることと、共通の認識が語られた講演会だった。

ぜひお聞きください。こちらをクリックしてください。

2009年9月8日火曜日

ヘルメット、にあうかな?

自転車を乗っていることが記事になったこともあり、自転車利用に関する要望も寄せられて来ている。

自転車専用道の整備や、歩道の段差解消、デコボコ道の解消などなど。

自転車を乗るようになりその切実さを実感している。

環境問題もあって、自転車利用者が増えているようだ。

それもそのはず、私自身がそうなのだから。

自転車屋さんに聞くと、自転車が最近よく売れているという。

それはさておき、私に自転車を進めた人も、ヘルメットは必ずかぶってと言われていた。

また、私の自宅のある首里から、県議会までは急な下り坂を通らなければならないので、勢いスピードも一定程度は出てしまう。

万が一の転倒や万が一のためにも、やはりヘルメットは欠かせないだろうと購入することにした。

色は、自転車の色に合わせたほうがいいのではないかと自転車屋さんの勧めで白にしたが、似合うだろうか。





2009年9月7日月曜日

浦添市のマンション廊下崩落現場を調査

��月3日に起きた、浦添市のマンション2階の廊下が崩落した現場を県議団、浦添市議団と共同で調査して来た。

��階の廊下がそっくり崩落して車を押し潰している。

原因は、コンクリートに海砂を使用したことによる腐食、劣化と強度不足などが指摘されている。

復帰前後の建築ラッシュで、当時は、海砂が大量に使用されていたという。

このマンションの別の棟も、危険として避難勧告が出されているとのことである。

那覇市などでは、復帰前後に、課題過密校解消のためもあって、学校の建設が進められてきた。市議時代から、小中学校の老朽校舎改築に全力を挙げてきたが、沖縄中の老朽校舎の改築問題はいよいよ急がなければならない。

また、学校だけでなく、公共施設、民間の住宅を含め、この問題は沖縄の大きな課題となっている。

けが人がいなかったことは幸いだが、住居を失った人々の今後の生活再建、住宅再建などについても行政の対応が求められる。



崩落現場



隣の住民から話を聞く、西銘県議と渡久地修

2009年9月6日日曜日

沖縄戦の現場に遭遇、絶句/戦争を美化し、正当化することは許されない

20代のころからの知り合いの高江洲さんが、沖縄戦での遺骨収拾をしているので、一度現地を見てほしいと誘われていたが、選挙などがかさなり延び延びになっていた。

今日、やっと現地を訪れることができた。

西原町幸地。

コンビニで待ち合わせをして、迎えに来てくれた車を誘導されて現地にむかった。

幸地城の跡らしく、太平洋から東支那海までが見渡せる高地になっており、素人目にも戦闘の要衝だと理解することはそんなに難しくない地形である。

その高地から、東側の斜面にむかって下り、畑を横切り、林の中を下っていく。

足元も危なっかしくてロープを伝って何とか下っていく。

すると、斜面の途中にニービ質の土の塊の中で作業している一団がいた。

私の前を降りていた若い夫婦が、もくもくと作業している男性に声をかけてあいさつしていたようだが、その現場を見たとたんに女性のほうが絶句しすすり泣きの声が聞こえてきた。

続いて降りた私の目に入ったのは、もくもく何かを掘っている高江洲さんとガマフヤーの具志堅さんだった。

「高江洲さんごくろうさん」と声をかけて近寄ると、その光景には絶句してしまった。

5人の人間の骨がそこに横たわっているではないか。

無残な姿で。

ニービ質の土の中からほぼ完全な姿で日本兵(遺骨収集をしている具志堅さん、高江洲さんらの話)の人骨が表れている。

一体は、手榴弾か何かを浴びたのか頭と体がバラバラにとびちった姿であるが、残りの4体はほぼ完全な姿である。

仰向け、うつ伏せ、足は折れ曲がるなど正常な体型ではない。

胸や頭などに銃弾の跡があるとのことである。

この光景に、しばらくは声も出ない。

初めて目にする戦争の現場だ。

人骨の状況や、米軍の銃弾などから、この壕のなかで抵抗し、外側から多数の銃弾を撃ち込まれ、また、爆発物を投げ込まれたらしいとのことでる。

西原町幸地には、日本軍の「独立混成第22連隊第一大隊」が駐屯していいたとのことで、この部隊の日本兵ではないかとのことである。

5人のうち一人は、身長や骨の成長度合いからして、10代の若者ではないかとのことである。

学徒兵ではないかと話していた。

水を飲んでいる最中か、あるいは最後に水を飲もうとしたのか、アルミ製のヤカンがあり、一人の兵隊の手には湯呑が握られていた。

彼らは、なぜここで死ななければならなかったのだろうか。

沖縄戦は、本土防衛のための持久作戦として決行され、捨石にされたのである。

この沖縄線の現場を見ると、戦争を美化し、正当化することはできなはずだ。

なぜ、こんなむごい死に方をしなければならならないのか。

ただただ茫然と立ち尽くしてしまう。

我に返り、せめてもの供養にと、靴を脱ぎ、素足になって、木べらと刷毛をかりて日本兵を土の中からだしてやる繊細な作業をしばらく手伝った。

いかなる理湯があろうと、戦争は絶対に起こしてはならなし、ましてや、美化し、正当化することは絶対に許されない。

高江洲さんや、具志堅さんらは、この日本兵の名前をできるだけつきとめて、遺族のもとに帰してやりたいと語っていた。

この地では、今年の3月からすでに25体の遺骨を収拾したという。

戦後64年、この沖縄には、まだまだ多くの戦争犠牲者がそのまま放置されていることだろう。

この遺骨収拾もこのようなボランティア任せでいいのだろうか。

戦争を起こした国の責任で、最後まで責任を負うべきである。

一日早く故郷、遺族のもとに帰れますように。

合掌。



高江洲さんや具志堅さんらの了解を得て、一日でも早く遺族のもとに帰れるようにと写真を公開しています。
頭上に光っているのはアルミ製のヤカン。そのそばの白いのは一人の兵隊の握っている湯呑。




2009年9月5日土曜日

新しい歴史の幕あけ/街の声から

総選挙の結果は、国民に新たな希望を与えている。

政治が変わる予感を与えている。

今日も、いろんな方々からいろんな意見をいただいた。紹介すると、

20代男性
いままで選挙に行っても政治は変わらないと思ったし、そういう体験もなかった。初めて自分たちの一票で政治を変えることができるということを体験した。
多くの同世代の人は、そう思っているはずだ。これは大きなことだと思う。

50代女性
とにかく、変えてみないといけない。みんな変えようと動いたと思う。自民党にはうんざりだった。でも民主党ってほんとに大丈夫。沖縄の民主党も2つに割れている。辺野古の基地はどうなるのかしら。

50代女性
共産党が赤嶺さんの議席を守ってよかった。これからうんと働いてくださいね。

60代男性
世の中が変わるだろう。自民党はあまりにもひどかったから。でも沖縄の辺野古の基地はどうなるのかな。共産党が基地問題をもっと全国的な問題にしていく大きな役割があるのではないか。これからは、選挙中に行っていた「建設的野党」というのがとても大事になるのではないか。

70代男性
自民党をやっつけてうれしい。これから政治が変わるだろう。

とこんな意見あった一方、

70歳女性
とにかく変えよう。共産党は政権をまだとれないから、今度は民主党に入れようという人たちが多かった。

と、働きかけや対話の弱かったところでは、民主党に流れていたことも判明している。

この選挙は大きな歴史の一歩である。

本当の意味での国民こそ主人公の政治の実現めざし、日本共産党ががんばりが求められている。


2009年9月4日金曜日

沖縄タイムス・記者のメモ/自転車でも街頭演説

今日も、自転車での街頭宣伝を6か所で行ってきましたが、今朝の沖縄タイムスの「記者のメモ」に登場しています。

赤嶺政賢衆院議員をはじめ幾人かから新聞を見たよと電話があるなど、結構読まれているコーナーです。

歴史的な選挙、自公政権が退場しましたが、国民こそ主人公の政治へ幕開けであり、これからが私たち日本共産党の出番です。

その立場でがんばっていきます。

以下、今朝の記事の全文を紹介します。

記者のメモ

自転車でも街頭演説

〇…7月上旬から自転車移動を始めた渡久地修県議(共産・那覇市区)。地盤の首里地区は急な坂も多く、炎天下での移動は体力もいるが、「快適で健康的。腹周りも小さくなたのこれからも続けていく」と笑顔。衆院選を終え、地域で党の政策を訴える街頭演説も、自転車に小型の拡声器を付けて再開。10年以上前から続けている活動といい「これからも『建設的野党』の立場を訴えていく」と強調。自公政権から民主党中心の政権に変わっても追及は緩めないようだ。




2009年9月3日木曜日

許せない/沖縄は米国の占領地ではない

選挙後、辺野古への新基地建設問題が新政権の重大課題に浮上している。

民主党が普天間基地の県外移設を貫き切れるかが注目されている。

日本共産党は、普天間基地の閉鎖・撤去、基地の県内たらいまわし反対、新基地建設反対で一貫している。

この民主党の県民への約束を守るかどうか、県民はもとより、全国も大きく注目している。

ところで、この問題をめぐり、アメリカ政府高官らが相次いで、辺野古への新基地建設は、国家間の約束であり、改めて日本政府と話しあうことはないとくぎを刺す発言が相次いでいる。

今日も、アメリカの日本部長が同様の発言を繰り返している。

この日本部長は、沖縄総領事のころから問題発言を繰り返し、沖縄をアメリカの支配地、占領地と思っているとしか言いようがないほど沖縄県民を侮辱しているとして多くの県民から批判されてきた人物である。

テレビを見ていて怒りがわいてくる。

アメリカへの日本政府の従属的な態度に対して、沖縄県民はきっぱりとノーの審判を下し、辺野古への新基地建設推進の自民党は全滅させたことを知らないのか。

沖縄県民がいつまでもアメリカいいなり、日本政府言いなりで基地を押し付け続けられることに我慢できなくなり、怒りが爆発したことをまだ自覚していないのか。

多くの県民、国民は自分たちの投票行動で政治が動かすことができる事を今度の総選挙で知ったのである。

振興策との引き換えや、いろんな手練手管で基地を沖縄に押し付けようとすることがもはや通用しなことを知るべきである。

新しくできる民主党中心の政権が、沖縄の新基地建設反対、普天間基地の封鎖、撤去で、県民に約束した通りに動くかどうか、県民は期待を寄せ居ているとともに、その動向を冷静に見ている。

私たちは、新基地建設反対、普天間基地の即時閉鎖、撤去のために全力を尽くすものである。

2009年9月2日水曜日

早くも民主党に試練/アメリカ言いなりから脱却できるか?

選挙で大勝して政権に就くことになった民主党。

沖縄の辺野古への新基地建設反対、普天間基地の県外移設を県民に公約してきた。

このことは沖縄県民が望んでいることであり、ぜひ実現させなければならない。

ところで、アメリカ政府は、普天間基地の辺野古移設合意は譲らないと早くもけん制してきた。

まるで占領者のようだ。

私たちは、自公政治を終わらせた後の日本の進むべき方向は、アメリカ言いなりの政治、大企業言いなりの政治から抜け出してこそ、国民こそ主人公の政治が実現できると訴えてきた。

辺野古新基地建設反対、普天間基地の県外移設を約束してきた民主党が、アメリカ言いなりの今までの政治から抜け出せるか、多くの県民が見ている。

私たちは、民主党が基地の県内たらいまわしを許さず、新基地建設反対、普天間基地の撤去で頑張ることを望むし、そのための県民の団結を呼びかけるものである。

しかし、アメリカ言いなりになって、基地の県内たらいまわしを進めることは断じて容認できない。

新しい政権がしっかりと、アメリカにものをいい、ぜひ新基地建設断念、負担ま基地の撤去を実現してもらいたい。

今朝の新聞報道を見る限りでは、沖縄県などにその責任を転嫁するようなことはせずに、民主党政権として、新基地建設断念、県内たらいまわしはやらないということをはっきりと表明すべきである。


2009年9月1日火曜日

赤嶺政賢さん比例16位

九州比例ブロック21議席中、赤嶺政賢さんは16位当選。

田村貴昭さんは31位とのこと。

田村さんまで押し上げるには、あと24万6831票必要とのこと。

もっと地力をつけることが必要だ。

民主に強烈な風が吹くもとで、沖縄でも共産党支持層からも民主に流れたと報道されているが、そう状況のもとで、前回並みの得票を獲得したのは、新たな支持層を獲得したということで健闘と評価できるのではと思う。

しかし、「対話すれば共産党を支持してもらえる。対話しなければ民主に流れる」との世論の動向の味方は当たっていたと思う。

日本共産党の力をもっともっとつけて行かなければならない。