2008年3月31日月曜日

定年退職者のみなさん、ご苦労様でした。

今日3月31日は年度の最後の日になります。

役所に務めていた人は、今日の退職辞令をもらって晴れて(?)退職ということになります。

今日、儀保十字路で朝の訴えをしていたら、退職する管理職のSさんが手を振ってあいさつしていきました。

これまで毎週同じようなあいさつ風景が繰りかえされてきましたが、今日が最後になるのでしょう。

そう思うと一抹の寂しさを感じさせる出来事でした。

退職される方々は、これから第二の人生を歩むといって、すでにいろんな事を計画している人もいるようで、また、なにも考えていないという方もいるようで様々なようです。

今度退職される方のほとんどは、復帰前後に役所に入り、復帰後の混乱期のなかで市政の発展を支えてきた方々です。

ほんとにご苦労さまでした。

Sさんに電話をいれ、「あすからは儀保十字路では会うことはないのでしょうね。ご苦労様でしたとお礼の述べました」

Sさんは、「そういえば今日が最後ですね。がんばってください」と言ってくださいました。

毎年繰りかえされることとはいえちょっと寂しいきがします。

退職者のみなさん、健康に気をつけてがんばってください。

2008年3月30日日曜日

建築確認検査業務の改善は急務

今日、那覇市内で開催された「建築確認検査業務の改善を、現場からの悲鳴!!総決起大会」があり参加してきました。

建設業関連産業の労働者などが体育館いっぱいに集まりました。

今、耐震偽装事件を受けて建築基準法が2006年6月に改正・施工されたことに伴い現場は大混乱に陥っていることが口々に報告されました。

建築確認が下りないために、「仕事がなく生活できない」「転職も考えている」などのきびしい実態が浮き彫りになりました。

この法改正で、建築計画が法令に適合しているかどうかを審査する建築確認審査が大幅に遅れています。実態に合わないに行き過ぎた審査が一方的に押しつけられ、また、民間任せにする政府の対応に問題があることなどが報告されました。

特に、本土の木造中心の住宅建設と違い、RC構造の住宅がほとんどの沖縄ではその被害は深刻です。

政府によって引き起こされた官製被害と怒りをぶつけていました。

この建築確認審査業務の改善は急務中の急務です。




2008年3月29日土曜日

真実が勝った―大江岩波裁判の反響

昨日の大阪地裁での大江岩波裁判の判決に多くの県民は「当然のことだ」と受け止めている。

と同時に、今の右傾化していると言われている政界や司法界のなかにあって、真実に正面から向き合った画期的な判決だと評価している。

今日、いろんなところで「裁判は勝ちましたね」「当然ですよね」「でも最高裁ではどうなるんでしょうか」とかの会話が交わされた。

この裁判の判決を見て、感じたことは

先ず、真実が勝った。歴史の事実をごまかすことはできなかったということではないだろうか。

2点目には、生き残りの体験者の証言である。、再びこのような悲劇を繰りかえさないためにと重たい口を開き語りはじめた方々の命の重みが真実をつたえたのであろう。

3点目が、あの悲惨な戦争を体験した沖縄県民の、沖縄戦の事実をゆがめる事は許さないと島ぐるみで起ち上がったことである。

文科省は、検定意見の根拠を失った事になる。

これでも、軍の命令・関与はなかったと言い張るのか。それは許されない。

直ちに検定意見を撤回し記述を回復すべきである。


2008年3月28日金曜日

沖縄戦での「集団自決」軍が関与―大阪地裁判決

沖縄戦の渡嘉敷島、座間味島などでおこった「集団自決」「集団強制死」が軍の命令、関与があったかどうかで争われていた裁判で、大阪地裁は「集団自決には軍が深くかかわ」っていたと認定しました。

歴史の真実をねじ曲げ、文科省が教科書検定意見をつけ、軍の命令、関与を削除した理由に、「新たな学説」が出てきたとかいいだしていましたが、その理由がいかに真実に反していたかが明らかになりました。

沖縄県民の大きな島ぐるみの運動と、生き残りの方々の証言も大きな力を発揮したと言えるでしょう。

歴史の真実を正しく後世に伝え、再び悲惨な戦争が繰りかえされないようにしなければなりません。

政府・文科省は直ちに教科書検定意見を撤回すべきです。そして、教科書の記述を回復すべきです。

その実現まで、県民は団結して頑張ることが求められています。


��月28日の夕刊




2008年3月27日木曜日

私の活動の原点。瀬長亀次郎との出会い。

私が日本共産党と最初に出会ったのは、沖縄が日本に復帰した1972年だった。

��2月8日投票の衆院議員選挙で、瀬長亀次郎さんの選挙の手伝いをしてくれと叔父の仲松庸全さんに頼まれたのがきっかけだった。

当時は、運転免許を持っている人が少なかったせいで、18歳で免許を取得していた私は貴重な存在だった。

約1ヶ月間を事務所に泊まり込んで手伝った。

その時のいろんな方々との出会い―社会発展のためにがんばる人々との出会いは衝撃的で新鮮だった。

その時が、その後の民青同盟の専従、日本共産党の専従、日本共産党の議員として活動の原点ともいえる。

その時の写真が見つかった。

当時、沖縄人民党の機関誌「人民」の若者対談にも出席していろいろと語っているが、その新聞も見つかった。

当時19歳であった渡久地修青年の対談を読んで見ると実に興味深い。それは次に紹介する。

あれから35年。

初心を忘れずにこれからもがんばる決意である。


当選のばんざい写真。中央瀬長さんの一番後列が渡久地修青年(1972年12月8日)

いやな天気

「もう寒くはならないでしょう」と、話していたら、今日は肌寒い天気に。

こんな日には油断をすると風邪をひいてしまう。

��・3日前まではあたたかい日が続き、これからはあたたかくなるばかりと思っていたのだが、急に肌寒い天気になってしまった。

それとも体調が不良なのだろうか。風邪気味なのであろうか。肌寒いと感じているのは自分だけなのだろうか。

いずれにしても、こんな時が一番の用心が必要である。

みなさんはいかがでしょうか?

2008年3月25日火曜日

基地をなくすために大同団結を

先月2月29日の個人質問のビデオがやっとネット配信できるようになりました。

遅くなってすみません。

VHSビデオからVOBファイルに変換して、それをまたAVIファイルに変換してネットに配信と、いくつもの行程をたどるのに時間がかかってしましました。

その間、いろんな方のご協力をいただきました。

自分で、これらの作業ができればいいのですが、まだまだ素人ですのでできません。

それでもやっと発信することができました。

この質問と、答弁は県民の大同団結を訴えたもので、ぜひ見ていただきたいと思っています。

下記をクリックしてください。

これからも、基地のない沖縄へ、県民の大同団結を訴えていきます。

2月29日の個人質問の[基地なくすために大同団結を」部分

2008年3月24日月曜日

新たな島ぐるみのたたかいへの一歩となった県民大会

昨日の県民大会は大雨のなか6000人が参加した。

今朝の新聞報道を見ると、政府筋などは、県知事が参加しなかったことや6000人という参加者が少ないなどと、政府の基地政策に影響は少ないと意識的に打ち消そうとしているように思える。

戦後、一貫して基地を押しつけてきた事に対する県民の怒りが広がっていることに気がついていないようである。

今度の大会は、これまでと違う質的な大きな発展がある。そしてそれは新たな島ぐるみのたたかいの胎動、第一歩だと思う。

あれこれと理由を並べようとも、大会に不参加を決めた自民党県連、県民の立場より、政府の側の立場に立って不参加を決めた知事に対して、多くの県民は悔しい思いと、悲しい思い、怒りにもにた思いに駆られている。

「基地なくせ」と県民の立場に立って県民とともに頑張ることのできる政党=日本共産党のがんばりが今こそ求められている。

私たちは、基地をなくすために県民の大同団結をかちとるためにさらに頑張っていくものである。




2008年3月23日日曜日

大雨の中、県民大会

本当地方を大雨が覆う中、本日午後2時から「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」が開催されました。

開催が危ぶまれるほどの大雨でしたが6000人が参加しました。

今回の大会はこれまでの政党や労働組合が中心となった大会とは違い、社会教育団体、福祉団体が中心となった大会となりました。

沖縄の異常な現実に黙ってはいられないと起ち上がったものです。

玉寄実行委員長のあいさつをはじめ、登壇した方々の話は、すべてが参加者の胸を打つものでした。

沖縄県民は、基地をなくすために不屈にたたかいつづけるでしょう。

今日の大会は、新たなたたかいの重要な質的な発展を遂げています。

不参加を表明した県知事、自民党県連などを乗り越えてたたかいは発展するでしょう。

私たちも全力でがんばります。


怒りのプレートを掲げる渡久地修と右が石井郁子党副委員長


2008年3月22日土曜日

いよいよ明日、県民大会。多くの県民の参加を

いよいよ「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」が明日となりました。

多くの県民の参加で成功させたいものです。

今日の県内紙・琉球新報に沖縄県知事の大会不参加について興味深い記事が掲載されました。

「米軍事件・事故に抗議する県民大会について仲井真弘多知事が不参加を決めた。周辺の意見が割れたこともあり、知事は最後まで揺れ続けた。
 今週、知事は水面下で各界の意見聴取を精力的に進めた」
「政界、特に政府・与党に深いつながりを持つ人は反対、接点の少ない支持者は賛成と、意見はくっきり分かれた」

と書かれている。

つまり、この記事を見る限り、「知事は政府・与党に深いつながりを持つ人」たちの大会参加反対の意見を取り入れた事になる。

今週、「県民の代表として県民の立場で大会成功の先頭に立つべき」と、知事に要請していただけに大変残念である。

だからといって大会の意義が変わるものではないし、県民は落胆もしないだろう。

沖縄県民の基地をなくしてほしいという思いはいささかもかわらない。

それどころか、基地を沖縄に押しつける続ける日米両政府への怒りはますます広がり続けるだろう。

明日の大会を成功させ、そのことを示したいものである。

2008年3月21日金曜日

沖縄の農業ガンバレ! 食料自給率向上へ

今日、那覇市農業委員会の真和志農協管轄の生産農家の視察がありました。

ほうれん草、アテモヤ、スターフルーツ、ニラ、トウモロコシの栽培を視察しましたが、一生懸命に頑張っている農家の姿は感激でした。

食料自給率が39%に落ち込んでいるときだけに、今後の農業の発展のためにも、今、頑張っている方々の姿に沖縄の農業の未来を見る思いがしました。

私は、沖縄の経済の発展のためには、農業、水産業の振興がとても大事だと思っています。

これまでも学校給食への地産地消を取り組んできましたが、これからも全力でがんばります。

日本共産党は、食糧自給率のまず50%に引き上げるための政策を発表しましたが、その実現に力を入れていきます。

沖縄の農業、がんばれ。

そのためにも行政の積極的な支援が求められています。


農業用廃プラスチック、廃ビニールのリサイクル施設の視察


岸元氏のアテモヤ


嘉数進氏のほうれん草


嘉数誠氏のニラ


新垣氏のトウモロコシ


那覇市の農業委員、市内農協の3支店長らと


2008年3月20日木曜日

イラク戦争5年、侵略戦争やめよ沖縄集会

今日は、アメリカがイラク戦争を開始してから5周年目の日です。

戦争は泥沼化し、犠牲者も増えています。

アメリカは直ちにイラクから撤退すべきです。

今日、「イラク戦争5年 全国いっせい行動 侵略戦争やめよ!自衛隊は撤退せよ!海外派兵恒久法の制定許すな! 3・20沖縄集会」が開催されました。

沖縄から海兵隊などが出撃してイラクの市民を殺戮しています。

この沖縄では2月に連続して米兵による中学生・女性が起きています。

沖縄から基地をなくすことは、世界平和への貢献とともに、県民の命と安全をまもる道でもあるのです。

基地のない沖縄へともに力を合わせましょう。

3月23日 午後2時 北谷町野球場前広場での「あらゆる米兵の事件・事故に抗議する県民大会」にさそいあってご参加ください。


県庁前広場。中央が渡久地修、右は田村貴昭衆院比例予定候補

2008年3月19日水曜日

後期高齢者医療制度に怒り

今日、女性後援会の懇談会が行なわれた。

��人が参加。

私が、約40分にわたりスライドを使って、日本共産党のめざす日本改革の方向を話した。

大変わかりやすかったとの感想だったが、特に、後期高齢者医療制度には怒りが集中した。

「お年寄りは早く死ねと言っているようなもの」とみんなが口々に怒りを表明。

こんなお年寄りいじめ、なんとしても中止・廃止に追い込んでいきたいものである。

2008年3月18日火曜日

不平等な日米地位協定の抜本改定を求める意見書を可決

那覇市議会は、本日の2月議会最終本会議で下記の意見書を全会一致で可決しました。
具体的な項目も今回は列記していますが、本文のみ紹介します。

相次ぐ米兵事件に抗議し、米軍基地の整理・縮小、日米
地位協定の抜本的な改定の早期実現に関する意見書


 本市議会は、2月12日に激しい怒りをこめ、米兵による女子中学生拉致暴行事件に関する抗議決議、意見書を採択したばかりである。

在日米軍専用施設面積の約75%が集中する本県では、基地が存在するが故に頻発する在沖米軍関係者による事件・事故等に、県民の生命・財産は常に恐怖と危険にさらされている。

 たび重なる事件・事故等の発生は、米軍関係者優先の日米地位協定にも起因するものであることは言うまでもない。

去る2月10日には、本島中部で基地外居住者の在沖米海兵隊員による女子中学生暴行事件が発生したが、その後も米兵による事件が相次ぎ、米軍と日本政府が行ってきた再発防止や綱紀粛正、及び日米地位協定の運用改善による対応では十分ではなく、県民の怒りは限界まで達している。

県民は、これまで日米地位協定の抜本的見直しを、日米両政府に対して何度も強く要請してきた。沖縄県も日米両政府に対し、日米地位協定の見直しを求めている。これは県議会や市町村の決議を踏まえたものであり、県民の総意であることを重く受け止めるべきである。

よって、本市議会は、沖縄県民の人権、生命、財産を守る立場から、相次ぐ米兵事件に対して、強く抗議するとともに、①実効ある米軍基地の整理・縮小②海兵隊を含む米軍兵力の大幅な削減を強く求めるものである。

同時に、在日米軍関係者の優先を保障し、日本の主権と国民の基本的人権に制限を加える不平等な「日米地位協定」の抜本的改定を求め、下記の事項が早期に実現されるよう強く要請する。

として、12項目の改訂事項を具体的に求めています。


2008年3月17日月曜日

仲井真県知事に県民大会の参加を要請

今日、日本共産党沖縄県委員会として仲井真県知事に「あらゆる米兵による事件・事故に抗議する県民大会」への参加要請を行ないました。

上原知事公室長が対応しました。

公室長は、知事はいろんな方々の意見を聞いているところで、近々にどうするかを表明するとの事でした。

私は、知事は137万県民の代表であり、他の人の意見を聞いて判断するとかではなく、知事が先頭に立って県民大会への参加を呼びかけるべきである。

今回の事件は「基地あるがゆえの事件」「いつまでこのようなことが繰りかえされるのか」と那覇市長も表明しているが、これは県民みんなの思いであり、知事は県民の代表として役割をはたすようにと要請しました。



左から、申し入れる渡久地修那覇市議団長、村山県委員長代理、前田県議、外間県議

2008年3月16日日曜日

定年退職者のあいさつに感動

先日の13日で、2月議会の委員会審査が終了した。

那覇市議会は分割付託方式なので、2月の予算審査の各常任委員会では、所管するすべての課から個別に新年度予算の説明を受け質疑を行なう。

主に課長が説明し質疑に答え、必要な場合は、副部長、部長が答弁する。それでも答弁が十分でない場合は、後日、総括質疑で副部長の出番となる。

さて、そんな委員会審査だが、2月議会では毎年のように各課の審査のあと、定年退職、勧奨退職者のあいさつを受ける慣例になっている。

私が委員長を務める総務委員会の所管する部・課でも、今年も数名の退職者がいた。

今回の退職者のほとんどは、沖縄が本土に復帰した年の前後に採用された方々である。

��5年ないしは37年間務めたとあいさつしていたが、復帰後の那覇の激動の時代を市の行政の中心にいた人達の話だけに、いろんな苦労が伝わってきてついつい感激してしまう。

たとえば、米軍から返還された、小禄の金城地区、小禄南地区、与儀、天久・上之屋(現在の新都心)などの区画整理や再開発にずっと関わってきた参事、また、琉海ビル跡(?)陥没事件、ひめゆり通りの大火災などの災害のほとんどに関わってきた副消防長のあいさつなどは、まさに市の波乱の歴史を聞いているようで感激する。まさに市の生き字引的な存在である。

たんたんと、言葉すくなにあいさつされた方々も、感慨深そうだった。

平良市政の時に復帰が実現し、その後、親泊市政、翁長市政と続いてきたが、市長の政治的立場の評価の違いはあったにしても、激動の時代、波乱の時代を支え、市の発展の裏にはこのような職員達がいたことを私たちは決して忘れてはならない。

他の3つ委員会での退職者のあいさつを聞くことはできなかったが、長い間ご苦労様でした。

この本土復帰前後から今日までの出来事は、米軍の植民地支配から日本国憲法と日本の法律が適用された社会への転換という、沖縄と日本の歴史にとっても記録しておくべき重要な出来事である。

この激動、波乱の時代を那覇市役所という行政の中心にいた方々は、その変遷を現場で目の当たりにしている方々である。

ぜひ、その時々に、どのような将来の那覇市像を描いてきたのか、そのためにどのような苦闘を重ね乗り越えてきたのか。そのことを是非、後世に残してほしいものである。

今後のご活躍をご祈念申し上げます。



2008年3月14日金曜日

自民党県連は県民大会に不参加と報道

米兵のあらゆる事件・事故に抗議する県民大会に、自民党県連が不参加を確認と県内紙が今日の夕刊で報道している。

「野党の反基地運動に政治利用される」というのが理由と報道している。

今回の県民大会は、県議会や各市町村の全会一致の抗議決議の内容での一致点での県民大会である。

それなのに不参加を決めたのは何か。

事件直後、すぐに米駐日大使が来沖、また、米軍の司令官まですぐにやってきた。

沖縄県民の怒りを和らげ、押さえようとの意図に基づくものであった。

政府や党本部からの相当の圧力があったであろう事は容易に想像できる。

そういう圧力に屈服している限り、またもや事件は繰りかえされてしまう。

いったい、いつまで沖縄は基地の重圧に苦しまなければならないのか。

いつまでも米兵の蛮行におびえつづけなければならないのか。

しかし、沖縄県民は、戦後27年間の米軍占領から打ち破り、本土復帰を勝ち取った歴史を持っていることも忘れてはならない。

「基地はもういらない」・・・これまで基地押しつけを「仕方がない」、「反対してもどうせ政府に押しつけられる」と思っていた県民の間でも、この声が広がっている。

主権者は国民、県民である。

県民とともに、県民大会の成功のためにも、あと一回り、二周りの運動が求められている。

2008年3月13日木曜日

県民大会を成功させよう

米兵の事件・事故に抗議する県民大会に不参加を決めていた自民党県連が、参加について明日議論するという報道がなされた。

野党が政治利用しているとか、被害者が告訴を取り下げたので、被害者の気持ちを大事にして参加しない等と言っていたが、多くの県民から批判があがっていた。

当然、県民大会に参加すべきである。

参加しないことを再び決めるのであれば、女性の人権、子どもたちの人権と命、県民の尊厳をまもる事に背を向けることにしかならないのではないかと、率直に指摘しておきたい。

この県民大会は超党派はもちろん、全県民的な規模で成功させるべきである。

2008年3月12日水曜日

伊佐真市さん逝く

私が社会変革の運動に参加したのは、1972年、沖縄の復帰の年でした。

その時の民主青年同盟の委員長が伊佐真市さんでした。

情熱家で私たちのあこがれだった、その伊佐真市さんが今朝亡くなりました。

62歳とまだまだ若い人生でした。

残念で仕方がありません。

伊佐さんからは多くの事を学びました。

学ぶことの大切さ、健康の大切さ、情熱を持つことなどなど。

基地のない平和な沖縄をめざし、社会変革に一生を捧げた人でした。

家族の話しによると、亡くなる直前まで本を読んでいたとのことでした。

最後まで情熱を持ち続けた人でした。

合掌。


2008年3月11日火曜日

米軍基地は撤去せよ。ひろがる県民の怒りを実感。

今日、議会終了後の夕方から、「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」の参加呼びかけと、基地撤去を街頭から訴えてきました。

「告訴を取り下げざるを得なかった女子中学生の無念さを思うと、みなさんも心が引き裂かれる思いではないでしょうか。この女子中学生に成り代わって、抗議の声とこのような被害を繰りかえすなと声をあげる事が、私たち大人達と県民に課せられた責務ではないでしょうか」と訴えてきました。

どこでも通行人や車からの激励を受けました。

演説終了後、会社の二階から若い女性達が拍手してくれるところもありました。

今、基地なくせ、この世論が確実に広がっていることを実感します。

基地の撤去、海兵隊の撤退。

日本共産党・とぐちおさむも全力でがんばります。

個人質問の感想が寄せられる

��月29日の個人質問への感想が、市職員より送られてきましたので紹介します。

先日の個人質問は、最近にない良い質問で、とても感動しました。

度重なる米軍の事件や事故に対し、県民として、県都の市長としてどうあるべきかを、決して声を荒げることもなく、冷静にそして理詰めで、全ての人の良心に響くような質問でした。聞いた人は皆、「良い質問だったね」と素直に評価していました。

市長も、「このような問題は党派を超え心をひとつにして声を上げるべきだ、そのために努力したい」と本音で答えていたように思います。私たちはテレビモニターを通して聞いていたので議場の反応は直接は分かりませんでしたが、中で聞いた職員の話を聞くと、普段はヤジが飛び交う議場が波を打ったように静かに聞き入っていたようですね。普段はヤジを飛ばす議員がウンウン!と頷きながら聞いていたようですし、また別の与党議員は、質問が終わったときに思わずサイレントの拍手をしていたようですね。

市長、三役も率直に評価していたようですね。

私も久方ぶりの良い話に、グッとこみ上げえるものがありました。
 
是非、県議には当選をし、県民の心を語り、県民に希望と勇気を与えるような議員になってください。ご健闘を祈念申し上げます。

         那覇市一職員

2008年3月10日月曜日

赤いネクタイ

洋服やネクタイを選ぶセンスはまったくないと断言してもいいと思う。

つまり無頓着である。

これまで、どの洋服にも同じ紺系統のネクタイを使用してきた。

ある女性から、「候補者になったのだからもっと目立つものを」と言われて赤にちかいものをしめていたが、最近、あるお店で気に入った真っ赤のネクタイを見つけて購入した。

購入したのはいいが、背広に合うかどうかの判断のセンスはやっぱりないようだ。

めんどくさいから、今度はいつでもこのネクタイを締めるようにした。

今日は、本会議での委員長報告である。似合うだろうとこの赤いネクタイを締めて出かけた。
ところが、役所のトイレで鏡をみたら、この背広にはどうも不釣り合いではないかと自分でも後悔してしまう。しまったと思いつつも、つけてきてしまったものはどうしようもない。

職員や議員からは、赤いネクタイが似合うよといわれながらも、内心はセンスがないよと言われているようなきがして、はずかしい思いをしながら今日一日を過ごしていた。

ネクタイと洋服のセンスを身につけよう思うが、無頓着な自分には所詮無理な話かもしれない。

このネクタイと背広はどうだろうか、写真を見てご意見を。


2008年3月9日日曜日

米兵事件に抗議する沖縄県民大会決まる

「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」が決まりました。

��月23日(日)午後2時から、北谷町の北谷野球場前広場です。

沖縄では、米兵による女子中学生暴行事件やその後の女性暴行事件など、米兵による事件が頻発しています。

まさに異常な事態です。

沖縄は植民地ではありません。

米軍・米兵の占領者意識の表れです。そして、それに毅然と抗議できない日本政府の態度がこのような事件を許るす結果になっています。

告訴を取り下げざるを得なかった女子中学生らに代わって抗議の声をあげましょう。

「沖縄は植民地ではない」

「女性の人権を守れ、沖縄県民の尊厳を守れ」

「事件の根源である基地をなくそう」

いまこそ、沖縄県民、日本国民が声をあげるときです。

多くのみなさんが参加してほしいものです。

2008年3月8日土曜日

「基地なくせ」の世論を、2月29日の市議会最後の個人質問

��月29日の2008年2月定例会、渡久地修の個人質問中、米兵による暴行事件の問題についての市長とのやりとりについて多くの方から激励を受けました。
今日も、市の幹部から、「とても感激した質問でした。何度かそのことを伝えようと思っていましたが、なかなか機会がなかった。若い職員も同じ感想を持ったと言っていました。立場の違いのある政治家同士が、今回の基地問題で大同団結をと訴えていることに多くの方が賛同していると思います」と語っていました。
身に余る光栄です。
その立場で、がんばります。
その個人質問中、米兵の暴行事件と基地なくせとの質問の部分を掲載します。

●渡久地修 議員
通告に従い個人質問を行います。
その前に、初めてですが所感を述べさせていただきます。
私の初質問の97年の9月から、あっという間に、11年間が過ぎ去りましたが、一生懸命がんばってきたつもりです。
この間、いろんなことを勉強させていただきました。
私は、この那覇市議会で活動出来たことを大変に誇りに思っています。
私たちの那覇市議会は、各党、各会派、いろんな政策の違いのあるもとで、時には、あるいは、今回の議会でも当然のごととして対立案件などがあり、議論は白熱して意見の応酬になります。
しかし、一致する課題については、いろんな違いを乗り越えて市民・県民のために団結してがんばってきました。
また、国の国保算定ミスの過小交付金問題も、議会での国保の値上げの是非の大論争が一つのきっかけでしたが、国に対しては一致団結して交付を求めてがんばってきました。
特に、去年の教科書検定意見の撤回を求める意見書を全県に先駆けて採択し全県に広がるきっかけになったと思います。
また、検定本の教科書展示会を議会として開催し、途中からは市も共催するということおこない、あの県民大会成功に大きく貢献してきました。これは、那覇市議会の議長を先頭に、各党、各会派の結果であり、これは那覇市議会の歴史に残る偉業といっても過言ではないと思います。
私も、その一員として関わることが出来たことを誇りに思うものです。
私は、その市議会の誇りある歩みに立ち、今、起っている、理不尽な「基地あるがゆえの事件」である女子中学生や女性暴行事件に対しても、市民の先頭にたって県民大会を成功させ、基地の縮小、撤去、事件の根絶のために先頭にたってがんばりましょうと訴えまして質問に入ります。

最初に、繰り返される米兵の暴行事件について質問します。
繰り返される米兵による暴行事件は、許せない蛮行です。今議会の各会派の代表質問では、日米両政府のこれまでの「綱紀粛正・再発防止」策が、「聞き飽きた」となんら役に立っていないことに強い憤りが表明されました。
市長は「基地あるがゆえの事件」と断罪し、また、「日米地位協定の見直しはもちろん、これまでの仕組みを一度ご破産にして、最初から検討していく位の決意」「日米両政府に対し、強い決意で、実行制ある施策の実現を要求する」と述べました。
 繰り返される犯罪、事件、もうここまで来たら、基地の存続の是非にまで踏み込んだ解決策が求められていると思います。海兵隊及びすべての米軍基地の撤去まで31万市民の代表として主張すべきと思いますが市長の見解を伺います。
    

●宮里千里 総務部長
 渡久地修議員の米兵の暴行事件についてのご質問にお答えをいたします。
 すべての米軍基地の撤去は理想ではございますが、現実的には大変厳しい状況にもあると考えております。しかしながら、今回の女子中学生暴行事件の発生が示しますように、沖縄県が日米安全保障体制のひずみを一身に担わざるを得ない状況については、いつまでもこれを許すことはできないものと考えております。今回の事件を再び起こさないための解決策として、日米地位協定の見直しはもちろん、今般の米軍再編の中でも県民が目に見える形での海兵隊の削減、基地の整理縮小が行われることが実効性のある施策のひとつになるものと考えております。

(中略)

●渡久地修 議員
 それではまず、中学生暴行事件について、市長の見解をお尋ねしたいと思います。
 米軍は、米軍への教育として、この沖縄は、あの沖縄戦で米軍の血を流して占領したところなんだということを教育していると聞きました。95年、少女の暴行事件が起きました。そのときに、2000年に『隣人の素顔』というのがNHKから報道され、出版もされました。これは私はあらためて読み返してみました。
 そこにこういうのが書かれています。『1995年の少女暴行事件をきっかけとした基地問題のうねりは在沖米軍にも大きな衝撃を与えた同胞の犠牲の上に築いた沖縄の基地から追い出されるかもしれない。戦後半世紀にわたって広大な基地を維持してきた米軍が初めて抱いた恐怖心だ。沖縄の基地を失えば、アジア・太平洋地域での戦略に決定的なダメージとなる。その恐れが米軍に良き隣人政策を打ち出させた。基地に反発する県民感情を和らげるのが狙いだった』というふうに、この『隣人の素顔』は、これから始まっていくわけです。
 しかし、この95年以降、どうなったか。表に出ただけでも14件、表に出ないものもたくさんあると思います。私たちの共産党の相談所にも、表に出せない、こういう方からの相談も寄せられています。綱紀粛正、再発防止ではもう解決しない。市長が言うように、これはもう基地あるがゆえの事件だと、市長は断罪しましたが、私はこの基地の存在と、沖縄県民の安全というのは、決して両立しないと思っています。
 今度の議会、いろんな各会派、全員これを取り上げました。私は注目して聞いていましたが、本当に綱紀粛正、再発防止だけではだめだというのがみんなの強い怒りだったと思います。この間の那覇市議会の決議のものを調べてみました。復帰以来、今日まで実に米軍の事件、事故に関するものが45回挙がっています。そしてその中で、殺人、女性暴行事件、ひき逃げ、こういったものが10回にわたっています。那覇市議会、10回にわたって挙げました。私が当選した97年以降、ほとんど毎年このような抗議決議を挙げています。
 「いつまでこのようなことが繰り返されるのか」、「いつまで耐え続けなければならないのか」、これは私の言葉でありません。これは市長の答弁です。市長、本当にいつまでこのようなことが繰り返されるのか、いつまで耐え続けなければならないのか、そういったことが今、問われていると思います。
 市長は、私は今回のこの代表質問、答弁、非常に注目して聞いていました。市長は、日米地位協定の見直しはもちろん、これまでの仕組みを一度ご破算にして最初から検討していくぐらいの気持ちだとおっしゃいました。しかし、いろんな答弁の中で、またオールオアナッシッングでもいいのかとか、そういったことも述べていました。
 しかし、私は各党、先ほども所感で述べましたが、この議場にはいろんな党派がありますので、日米安保に賛成の党もあるし、反対の党もあるし、市長は、以前は自民党県連の幹事長でもありました。しかし、今は31万市民を代表する市長になっておられます。市長は、地方自治体の責任は住民の命と安全を守る福祉の向上にあると思います。
 そういう意味では、もうここまで、このように繰り返されるのか、耐え続けなければならないのかという、こういう事態に至れば、もうこれは、ここまでやるのであれば、基地はもうどうぞ持って帰ってくださいというぐらいまで踏み込まないといけないんじゃないかなという気もします。
今から33年前、きょうここに配りました昭和50年5月1日、同じように中学校の暴行事件が起こりました。そのときの那覇市議会の決議、臨時議会を開催しています。これは当時、この議会に提出した、議員がこの議場に唐真弘安議員がただ1人、参加しています。唐真弘安さんの了解も得て配りました。
 ここで基地の撤去、縮小、あるいは海兵隊の撤退まで言及しているんです。ですから、私たちは原点に返って、市長が言うように、いつまで耐えなければならないのか、いつまで繰り返されていいのかというぐらいの気持ちで、私は一歩踏み込んで、先ほどの答弁では、海兵隊の削減、基地の縮小、削減といいましたけれども、もう何度言っても、綱紀粛正、こういったもので済まないのであれば、基地の撤去まで言わざるを得ないよと、そういう気持ちで沖縄県民はいるんだよということを、私は30万市民の代表として、市長、ぜひ表明していただきたいと、市長の答弁からは、行間からは、その思いが私は強く出ているんじゃないかなと思いますが、市長の、あらためて思いをお聞かせください。そして、県民大会、代表質問のときはまだ日時は決まっていませんでしたが、日時も決まりました。市長は県民大会開催の必要性も訴えていました。日時も決まりました。ぜひとも市長会の長として、先頭に立ってこの大会を成功させて、絶対繰り返さないと、その思いで頑張っていただきたいと思いますので、市長の見解をお尋ねします。

翁長雄志 市長
 渡久地修議員の再質問にお答えいたします。
 今、代表質問のほうでもお答えをいたしまして、今、渡久地議員からも紹介がありましたので、できるだけ重複しないようにと思っておりますけれども、私も市長になる前は自民党県連の幹事長ということであります。ですから、私は基地問題を考えるときには、2つの立場がひとつあるんですね。1つは、全国的立場で、日本国の一員としてこの日本の国防をどう考えるかということと、沖縄県民として、あるいは那覇市長として、この過重な基地負担というものをどう考えていくのか。この2つのもので、私はいつも苦労といいますか、私なりに苦しんでいるところがございます。全体的な日本の防衛をどうするかという議論は、当然のことながら、共産党とはかみ合いませんので、これは致し方ないと、こういうことがありますが、県民として、この過重な基地負担をどのようにして解決していくかということにつきましては、やはり党派を乗り越えてやっていく必要があるだろうということで、前にも紹介しましたように、私はその沖縄県民、あるいは那覇市長として、有事法とか、テロ特措法などにも反対しました。これは日本国としてどうあるべきかということよりも、そういったものをもろに直撃されるのが沖縄県であるということがあるということで、私は反対をしてやってきております。
 ですから、今、渡久地議員がお話をされているようなもの、沖縄には基地は要らない、それを日本という全体の視野から考えることをやめて、沖縄県の立場だけで物事を考えるのか、そういったものも視野に入れて考えていくのか。それによってもいろいろ違ってくると思います。特に沖縄県の立場で物事を考えるときには、党利党略というものはないようにしないと、これはおそらくは県民ひとつに心がまとまることはないと思いますね。私自身は、保守の出で、そういったものにテロ特措法など反対するというのは、逆にいうと、皆様方にテロ特措法を賛成してくるような乗り越え方が必要だというぐらいのことをやっているわけですよ。
ですから、それからいいますと、一体全体、お互いの立場をどれだけ乗り越えて心をひとつにできるかというのが、この沖縄県から発する物事の解決方法になっていくということになるわけでありまして、その意味では、県民の心をひとつにする作業というものが大変重要である。ですから、県民大会も、これもやはり、いわゆるそういった日米安保の問題とか、いろんなもろもろについて、各会派、党派が持っている考え方を言いつつ物事を進めていくと、必ずこれは県民の心という意味でまとめる作業にはならない。これをまとめる作業をどうするかということによって、今、議員がおっしゃるような、基地は要らないと、ご破算にしていろいろ考えましょうやというようなことの声を沖縄県から発することができるんじゃないか、こういうことにも私も全力をまた傾けていきたいと思っております。

●渡久地修 議員
 どうも市長、ありがとうございました。
 この沖縄から、このような事件、事故を根絶していく。そういう意味では、本当に今、私たちはお互い、私たちは選出された議会人、あるいは市長は市長として、お互い、やっぱり政治的な責任を負っているわけですよね。これは少女の事件、繰り返させている。それは本土の声も、この前の代表質問にも出ていましたけれども、沖縄からどのように上げていくのか。那覇で活動している私たちがどれだけ、今、頑張るのか。どういう頑張りが求められているのか。これが逆に問われていると思います。
 そういう意味では、私はそれぞれの各党、各会派のいろんな政策の違いはありますけれども、絶対、市長が言った、いつまでこのようなことが繰り返されるのか、いつまで耐え続けなければならないのか、その原点に立ち返って、私は県民大会とか、そういったものに取り組む必要があると思います。
 私たちは当然、日米安保条約は廃棄せよという立場です。私はそれを、市長にその立場に立てと言っているわけではありません。当然、立場が違うのがあります。しかし、女性の人権、沖縄県民の尊厳が踏みにじられていることに対しては、これは保守であろうが、革新であろうが、絶対こんなのは許されないと、そういう1点で、本当に繰り返されない、これまで綱紀粛正、再発防止策の口先だけではだめだというのは一致しているんです。どうするのかということが求められていると思いますので、私は私の立場で頑張ります。市長も先ほどの答弁でぜひ、その大同団結の先頭に立って頑張っていただきたいと思います。
 


2008年3月7日金曜日

ガードレールを食べちゃったホルトの木

自然の力や不思議さに驚かされることは多い。

ホルトの木がガードレールを食べちゃったことにも驚かされる。

��つの写真を見てほしい。

ここまでになるのに何年になるのであろうか。

最低5年以上、いやもっとなると思うが、一度役所に確認してみようと思っているが、このブログを見ている市の市道関係の担当者がいたら教えてください。

それにしても、このガードレールの味はいかがなものなのか?

場所は、那覇市識名の市霊園前の市道。

興味のある方は一度見学してみては?




2008年3月6日木曜日

日本共産党演説会でのとぐち修の決意表明

昨日の日本共産党演説会で、とぐち修の決意表明は次の通りです。

外間久子さんの後継ぎの渡久地修でございます。

私が日本共産党と出会ったのは、沖縄が本土に復帰した年でした。1972年に行われた11月の衆院議員選挙で瀬長亀次郎さんの選挙を泊まり込みで応援したのがきっかけでした。

翌年の当時の沖縄人民党の機関誌、「人民」の正月号の若者の対談特集に、私が登場していますが、私は、「沖縄から基地をなくすためにがんばって行きたい」と述べています。19才でした。

私は、それから今日まで、みなさんと一緒に、基地のない平和で暮らしよい沖縄をめざして一筋にがんばってきました。

今、沖縄で、教科書検定問題、米兵による中学生暴行事件、大増税など、身の回りに起っている事態、平和の問題でも、くらしの問題でも、県民の願いと、私たち日本共産党のめざす方向が同じ方向に向っていることを日々、痛感しています。

1972年当時は、自民党が国会でも、単独過半数で政権を握っていましたが、今では、公明党の支援がなければ、選挙も政権も維持できないようになり、それも、去年の参院選では、国民、県民から批判をうけ大敗北しました。

去年の教科書検定撤回を求める県民大会、今度の暴行事件への県民の闘いなど、主権者である国民、県民が起ち上がれば、政治を大きく動かすことが出来るということも日々示しています。

今、政治を変えようとの声をもっともっと大きくあげることが重要になっています。

同時に、その県民の願いに応えてがんばることのできる政党を国政でも、県政でも強く大きくすることが決定的ではないでしょうか。

私は、踏みにじられてきた沖縄県民の怒りと願いを胸に、平和と暮らしを守るために県政で、みなさんの代弁者として、那覇市議3期11年の経験を生かし、日本共産党の一員として、全力でがんばります。

どうか私を必ず県政へ送り出してください。

みなさんの大きなご支援を心からお願いします。


市田書記局長と6人の県議予定候補ら。左から2人目がとぐちおさむ。


決意を表明するとぐちおさむ





2008年3月5日水曜日

日本共産党演説会

今日、県議選挙・総選挙の勝利めざして日本共産党演説会が開催され、約1000人近くが参加しました。

市田書記局長の話はわかりやすいと評判でした。

私も決意を表明しました。

知り合いにカメラをあずけて写してほしいと頼んでいましたが、一枚も写っていません。

デジカメの操作を知らなかったのかもしれません。

残念ですが、後日、他の人から画像をもらってから報告します。

2008年3月4日火曜日

明日、日本共産党演説会

明日は日本共産党演説会です。

市田書記局長が参加しお話しします。

私も決意表明をします。

どのような話しをしようか今考え中です。

明日、那覇市民会館です。多くの方のご参加をお願いします。

2008年3月3日月曜日

那覇市役所の桜、満開終わる

那覇市役所の桜が満開を過ぎようとしています。

おそらく今日がピークでしょう。

小さなサクランボの実もつけ始めているので、もうも納めと言うところでしょう。

今回は、ほんとに見事なまでの開花で、市議会でも幾人かの議員が紹介していました。

今日もメジロと、カメラをもった人々が訪れていました。



2008年3月2日日曜日

沖縄県民大会の成功を

沖縄の県民大会が、「あらゆる米兵による事件・事故に抗議する県民大会」との名称で開催されることになりました。

自民党県連は参加しないことを決めたと報道されていますが、このことに対して、県民からも批判の声が上がっています。

繰りかえされる米兵の暴行事件や事故、もう県民は黙っているわけにはいけません。

私たちは一致団結してその成功にがんばります。

そして、沖縄から基地を撤去させることこそ、本当の意味での事件・事故の再発防止であることを訴え続けていきます。

2008年3月1日土曜日

基地あるが故に翻弄される続ける沖縄の実態

今朝の新聞で、基地あるが故に翻弄され続ける沖縄の実態がまた浮き彫りになった。

一つは、暴行された被害者の中学生が告訴を取り下げ、米兵が釈放されたとの事が報道された。

一部週刊誌の記者が被害者宅まで取材に押しかけ、被害者を非難する記事を書いたと報道されている。

被害にあったのは、純真で人を疑うことを知らない未成年どころかまだ幼い中学生である。それを言葉巧みにだまし、追いかけ、拉致し暴行した米兵の残額非道な行為を非難するのではなく、被害を受けた中学生が悪いと避難する行為は、その人の人間性を疑わざるをえない。

昨日も、女性後援会のハンドマイク宣伝に対して、ある女性が被害を受けた中学生が悪い、米兵は悪くないとかみついてきたという。

県民の基地をなくせという県民の世論の高まりをおそれ、今回の暴行事件の根源である基地から県民の目をそらせようと、意識的に中学生が悪いと言っている卑劣な勢力の陰が見えてくる。

中学生や家族がその重圧に耐えられなかったのだと新聞では識者などが語っていた。

異常な基地の重圧、いつまでも県民はそれに耐えなければならないのか。

いつまで繰りかえされなければならないのか。

もう、県民は黙ってはいない。基地の撤去へと向かって立ち上がる時である。