2014年原水爆禁止国民平和大行進の沖縄コースが明日スタートします。
以下は、原水協のニュースからの抜粋を紹介します。ぜひ多くの大人たちに読んでもらいたいとおもいます。
ぼくは、原発事故の次の日に、福島を離れてから、一度も自分の家を見ていません。
2年生の3月に、急にぼくは東京の子になりました。家も学校も友達も、楽しかった事が急にみんな消えて、ひなん所から知らない学校へ行く生活が始まりました。弟も、ぼくも、泣いたり吐いたりしながら、ただ、しなければならないことをがんばりました。
2年生の3月に、急にぼくは東京の子になりました。家も学校も友達も、楽しかった事が急にみんな消えて、ひなん所から知らない学校へ行く生活が始まりました。弟も、ぼくも、泣いたり吐いたりしながら、ただ、しなければならないことをがんばりました。
ぼくたちは、くいきがいひなん だから、ばいしょう金がほとんどもらえないので、みんなたいがい貧乏です。
そして、ほとんどの子が、お父さんと離れ離れの生活をしています。
そして、ほとんどの子が、お父さんと離れ離れの生活をしています。
お父さん達が福島で働かないと、ぼくたちは避難を続けられないからです。原発事故さえなければ、ぼくらはみんな、自分の家で、家族そろって普通に暮らせたはずです。
ぼくも、1年半はお父さんと離れ離れでした。たまにお父さんに会える日はすごく嬉しかったけど、お父さんが帰るたびに、弟が布団にもぐって泣くので、すごくつらかったです。ぼくも弟と同じ気持ちだったから。
ぼくも、1年半はお父さんと離れ離れでした。たまにお父さんに会える日はすごく嬉しかったけど、お父さんが帰るたびに、弟が布団にもぐって泣くので、すごくつらかったです。ぼくも弟と同じ気持ちだったから。
ぼくのお父さんは、一人で福島の家に残ってがんばったけど、心と体が壊れて、仕事を辞めて東京へ来ました。やっと一緒に暮らせるようになったけど、今でもいろいろ大変なことがあります。
広島や長崎の原爆のことは、話には聞いたけれど、まさか69年もたって、自分の家の上にも同じ様なものが降ってくるなんて、そして、その見えない毒が、ぼくたちの生活をめちゃくちゃにしてしまうなんて、夢にも思わなかったです。
ぼくたちは、原発事故でたくさんのものを失いました。自分の家や家族の笑顔や、たくさんの楽しい事が、みんな消えてしまいました。
こんなことを二度と繰り返してほしくないから、どうかぼく達が政治を動かせる日まで、この国を守っていてください。そしてぼくたちに、原爆も原発も無い、安全な未来を渡してください。ぼくたちは、それを引き継げるように、一生懸命勉強してついていきます。
こんなことを二度と繰り返してほしくないから、どうかぼく達が政治を動かせる日まで、この国を守っていてください。そしてぼくたちに、原爆も原発も無い、安全な未来を渡してください。ぼくたちは、それを引き継げるように、一生懸命勉強してついていきます。
よろしくお願いします。