2007年11月10日土曜日

従兄弟の義父のお別れ会

今日、従兄弟の義父の「お別れ会」(あえて葬儀とは言っていないようだ)があった。

郷土歴史家としても有名な方であったが、「お別れ会」も氏の人柄が偲ばれるものだった。

まず、新聞には「11月8日午後8時37分91歳の天命を終えることができました 皆様のお力添えを頂き本人の望んだ一生だったと思います 本人の意志により献体をいたしましたので当日は本人の眉毛と髭にてお骨の代わりとさせて頂きます お別れ会にご出席を賜れば幸いに存じます」と書かれている。

「お別れ会」が読谷村だったので、地理に不案内なことと、工事のための渋滞も重なって、会場に着いたのが終了時間の15分前になってしまったが、会場についたら、いつもの葬儀の雰囲気と違っていることに、一瞬とまどってしまった。

友人または知人らしき人のお別れの話しが終わったところであったが、私が焼香する頃には、もう一人の友人の方が、氏との出会いや歴史家としての師事していたことなどを話していた。

こんな「お別れ会」もあるものだと思っていると、最後に、氏の二女の婿である私の従兄弟の挨拶の番となった。

従兄弟は、ギターを持って現われた。「葬儀にギターとは」と、とまどいを覚えたが、すぐにその疑問は解消された。

従兄弟は、「氏は、なにごとも型にはまらず、人生を楽しく生きてきた・・・」云々と話していたように記憶しているが、たぶんそれに近いようなことを言っていたと思う。

そして、そんな義父のこと歌で紹介しますと言って、次の歌をみんなの前で歌った。

会が終わり、従兄弟に、「すばらしい歌だったので、歌詞をいただけないか?、ブログで紹介したい」と申し入れたら快く渡してくれた。次がのその歌詞である。

さだまさしの、「雨やどり」という歌を知っているだろうか。その替え歌である。

菊の花で囲まれた祭壇の前で、髭を生やした従兄弟が、義父の死について歌っている姿を想像しながら、「雨やどり」の曲にのって次の詩を読んでほしい。



「『古典を読むんだよ』が あなたの 口癖だった
論語に聖書、徒然草、歎異抄
この長い年月をよみつがれたんだから
すばらしいにきまっているではないか

目が悪くなり、文字も見えなく 本が読めなくても、
古本屋に連れていけば、その日はご機嫌で
ほんの表紙をながめ、目次をながめては
ずっとにこにこで笑顔が耐えなかった

目が見えなくても、耳があるではないか
その気になれば どうでも学べるんだよと
テープレコーダーにラジオやテレビの市民講座
食後のぼくの日課は読み聞かせ

よく見ておけよ、これが老いというもものさ
献体に尊厳死、自分の告別式
冷静にいつも死を見つめていて
自分の死さえ他人事だった

寝たきりになっても 家で介護ができ
自宅で老衰死は 幸せだったと思う

いろんなことを教えられました
心から言いたい ありがとう」


正直に生き、欲もなく、ひたすら学問に生きた、氏の人柄、歌っている従兄弟の人柄が偲ばれる会だった。

無心、正直、一生懸命、わずかな時間のなかで氏から学んだことは多いような気がする。

合掌。



2 件のコメント:

  1. 修くん,昨日は激務の中,舅のお別れの会に参列いただきありがとう。そしてこのようにブログでの紹介,ありがとう。
     このように書いてくれて,型破りのお別れの会だったが,理解してもらったんだと思い,とてもうれしく思います。
    ��一カ所修正,元の歌は,さだまさしの「雨やどり」です)
     舅は,あなたのことも気にして,あなたが市議に当選したときはとても喜んでいました。
     最近,替え歌にこっていて,あれこれ作っています。あなたの集まりのときにも,あなたの歌を作って披露したいなあと思う。あなたの許可があればだが。
     次のような替え歌も作った。(「替え歌を作った」というより「メロディののせてみた」という表現でいいか)
    「日本国憲法9条」(四季のうた)
    http://book.geocities.yahoo.co.jp/gl/selfyoji2511/view/20071030
    「日本国憲法25条」(若者たち)http://book.geocities.yahoo.co.jp/gl/selfyoji2511/view/20071102/1193967844

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  2. 型破りの葬式かどうかは、参列者の個々の判断によるでしょう。
    確かに、今までにない式であることは確かだと思います。
    しかし、故人と遺族のみなさんの人柄と人生に対する考え方がにじみ出ていたのではないでしょうか。
    本来、「告別式」とはこういうものだと思います。
    多くのことを学びました。

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