2009年2月27日金曜日

新嘉手納爆音控訴審で国に56億円の賠償命令

 今日、嘉手納基地の飛行差し止めと爆音の被害補償を求めた裁判の控訴審判決が言い渡されました。

 飛行差し止めはみとめられませんでしたが、爆音の被害をみとめ、国に56億円の賠償命令が出されました。

この判決言い渡しの事前集会が12時から開かれましたが、日本共産党を代表して私が連帯の挨拶をしました。
次が挨拶の要旨です。

 「原告団、弁護団のみなさん、大変ごくろさまで。
 日本共産党を代表して連帯の挨拶を述べたいと思います。

 日米両政府は、口を開けば、沖縄県民の負担軽減と言い続けてきました。

 しかし、この間の実態は、嘉手納基地の爆音はますますひどくなっているという実態が、県議会の中でも明らかにされてきました。

 「心臓を突き刺す、殺人的な爆音」、これは自民党議員が嘉手納の爆音を表現した言葉です。

 まさに、この「心臓を突き刺す、殺人的な爆音」が、保守・革新、子供、大人、お年寄り、一切関係なく襲いかかっています。

 さる戦争で、沖縄は、本土防衛のための時間稼ぎの捨石作戦の捨石にされました。

 戦後は、国体を守るために、米軍占領下の捨石にされました。

 復帰後も、米軍基地の75%も押しつける、基地の島へと捨石にされ続けています。

 さらに、静かな夜を返してほしい、当たり前の普通の生活をしたいという住民の訴えに対して、これを、これを受任限度の範囲内というのか。これはまさに、住民、県民を人間扱いしない捨石にする暴挙であり絶対に許せません。

政府は、私たち沖縄県民が、捨石にされつづけられても黙っていると思ったら大間違いです。

私たちにも、誇りがあります。子供たちや孫たちを守る勇気があります。

静かな夜をかえせ、「心臓を突き刺す、殺人的な爆音」をなくせ、これは、誰が見ても当たり前の願いです。

いまこそ、岩をも溶かす、熱い県民のエネルギーを結集して、必ず勝利しましょう。

日本共産党もみなさんと力を合わせて全力でがんばります」



2009年2月25日水曜日

大琉球島航海記

バジル・ホールの「大琉球島航海記」をやっと探して読むことができた。

市立図書館など貸出禁止になっていたために、図書館にこもって読む気にもなれなかったので長い間の懸案事項の一つだった。

このほど、ある場所で発見!

うれしくなって早速読んでみた。

朝鮮半島から琉球にかけての航海と島民との出会いや、身振り手振りでのやり取りや、朝鮮や琉球の人々が、外国人をいかに警戒しているかなどが細かく記されている。

そして、当時の琉球の人々の生活や社会構成などがある程度理解できるようである。

この本で面白いのは、当時の琉球側の記録も記されているが、そこでは「阿蘭陀船」「阿蘭陀人」となっていることである。当時の琉球では外国人はみんな阿蘭陀と表現したのであろう。
 この阿蘭陀というのは、私たちが小さいころに父母などからも昔はみな外国人のことを「オランダー」と言っていいたことをよく聞かされていただけに、この記録をみて、何かを発見したような気がした。

 蛇足だが、私たちが小さいころは、外国人はみんな「アメリカー」と呼んでいた。沖縄にいる外国人はアメリカ人だけであったことと、外人のことをすべて「アメリカー」と思っていたということからみても、当時の琉球の人々の「阿蘭陀」はとても微笑ましいものだと思う。
 
 さらに、バジル・ホールは「吾々は一切の武器を見なかった。島民はつねに武器なぞはないと、はっきりいっていた」と書いている。
 昔から、いくさを好まない平和を熱望している島だったのである。

 また、この本の中で、「オランダー」と琉球人のやり取りの中で、琉球がいかに大きいところか、宮廷まで千里もあるので行くのにはすごい時間がかかる等々のやり取りの場面が出てくるが、これが実に面白い。というのも、このくだりを読んでいるときに、首里の御茶屋御殿のことをすぐに思い出したからである。御茶屋御殿は、首里の高台から与那原から南風原、大里、東風平、豊見城、那覇と広大な大地が一望できる。まるで大陸のような錯覚を覚える場所である。当時の首里王府は、中国の使者をここでもてなし、琉球がいかに大きな国であるかを示したかったということを聞いていたからである。なるほど、昔の人の知恵というか、国を守るための苦心が伺えるようである。
 しかし、この千里云々は、「オランダー」一行にはすぐにばれていたことを知らなかったようである。

 さて、この本では、バジル・ホール一行は、1816年2月に英国を出発し、朝鮮を経て、9月14日、伊江島近海を通って、9月15日に琉球に到着している。
 今から190年以上も前の話である。
 

2009年2月24日火曜日

むなしい・・・「県としては粘り強く日米両政府に・・・」

県議会での基地問題での知事や公室長のおきまりの答弁がある。

「県としましては、日米両政府に粘り強く基地負担の軽減を訴えている」

��年365日繰り返している沖縄県政の言葉です。

仲井真県政は、安保容認、辺野古への基地建設推進の立場です。

アメリカからは、沖縄への基地存続の一番の理解者と写っているのでしょう。

だから、演習や爆音被害が増大しようがおかまいなし。

だって、アメリカにとってよき理解者がいるのだから・・・・!

県議会の答弁を聞くたびにそう思います。

早く、アメリカ言いなりの政治そのものを変えたいものです。

そのためにも日本共産党を大きくしなくてはと思います。

2009年2月23日月曜日

何とかならないかな・・・アメリカべったりの沖縄県政

代表質問も終わり、今日から一般質問が始まりました。

いま、世界でもアメリカべったりからの脱却が進んでいるのに、沖縄の仲井真県政は、相変わらずアメリカべったり。

安保賛成、新基地建設推進、グアム協定も賛成・・・。

自立した考えがまるでない!

答弁を聞いていてほんとうにそう思います。

日米両政府にものをいうことができない・・・。

こんな政治は早くかえましょう。

議場にいてつくずく思います。

2009年2月22日日曜日

郵政民営化の正体・・・

「かんぽの宿」の売却問題・・・。

多くの国民が怒っています。

沖縄でも、郵政民営化で売却された土地のことに怒りが広がっています。

八重瀬町の約1万平方メートルの土地が、千円で売却された。坪千円ではありません、全部で千円。

そして、それを4900万円で転売。

こんどはかんぽの宿をオリックスに一括払い下げが大問題に・・・。

そのうらに米証券のメリルリンチがアドバイーザーとして動き、6億円もらうことになっていたと・・・。

まさに、国民の財産を食い物にするもの・・・。

郵政民営化すれば、何もかもうまくいくといって前の衆院選挙で大宣伝した自民党でしたが、

その改革の正体がみえてきたのではないでしょうか。

詳しくは、今日の赤旗日曜版をご覧ください。


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2009年2月21日土曜日

グアム協定反対、辺野古基地建設をやめさせよう

グアムへの基地建設協定について、昨日の代表質問でも取り上げました。 
 
基地の機能強化、安保条約問題など取り上げましたが、グアム協定については下記の通りです。

 「グアムの基地建設協定は、米軍再編のパッケージの押しつけを協定に書き込むことで拘束力を持たせ、日米合意を強引に押し付けるものです。去年、沖縄県議会は、新基地建設反対の決議と意見書を可決しました。この沖縄県民の意思を踏みにじる暴挙です。また、この協定は、アメリカが、グアムをハワイや沖縄と並ぶ、あらたな米軍の戦略拠点にするというものです。沖縄の負担軽減を口実にして、それとは関係のないアンダーセン空軍基地やアプラ湾の基盤整備も予算に計上されています。日本政府の「日本の負担は沖縄の海兵隊の移転に伴い施設整備に限定する」というこれまでの説明を覆すもので、米軍基地強化のため、国民の税金を他国の基地建設にまでつぎ込むものであり、絶対に許されないものです。これは実質上の安保条約の大改悪ではないか。知事はキッパリと反対すべきです。知事の見解を求めます。」


 昨日の昼間は、グアム協定反対の緊急県民集会があり参加しました。




 また、昨日は、アメリカ下院軍事委員会のメンバーが知事訪問のため県庁にきました。その際、野党の議員団そろって去年の辺野古移設反対の県議会決議を渡しました。

 グアム協定についての日本共産党や国会での動きは下記をクリックしてください。

昨日の代表質問の赤旗記事

グアム協定についての日本共産党の見解

 赤旗記事 

笠井議員の国会質問


2009年2月20日金曜日

代表質問、無事終了しました。

代表質問、無事終了しました。

基地問題から構造改革の転換、雇用の問題など、日本共産党の主張を展開し、知事に質問しました。

夕方の沖縄タイムス、琉球新報も一面で取り上げています。




沖縄タイムス



琉球新報







2009年2月19日木曜日

明日、代表質問

明日、代表質問です。

県議会で初めての代表質問にたちます。

今日も、いままで準備に追われていました。

明日の10時です。

答弁をのぞいて38分です。

がんばります。

2009年2月18日水曜日

構造改革路線の破綻示す出来事

麻生総理が郵政民営化に反対だったとのべ、小泉前首相がこれに反論していることが報道されている。

ほんとに怒りがこみ上げてくる。

小泉前首相は、いまの日本の貧困と格差社会作り出してきた「小泉構造改革路線」なるものへの反省はひとかけらもないようだ。

��005年の衆院選挙で自民党のマニフェストで「郵政民営化は、すべての改革の本丸だ」「暮らし、外交、社会保障がよくなる」大宣伝した。

これが真っ赤な嘘だったことはもはや明確である。

「暮らし、外交、社会保障がよくなる」どころか、貧困と格差は広がり、福祉、社会保障の崩壊、雇用の崩壊、農業の崩壊などが急速に進行している。

各地で、その見直しの声が出始めている。構造改革の旗手を自認していた中谷巌一橋大名誉教授も「資本主義はなぜ自壊したのか」という本のなかで、構造改革の失敗を書いている。

テレビで、小泉前首相が発言するたびに、腹が立つ。

このような国民犠牲の政治を早く変えたいものである。



2009年2月17日火曜日

明日から県議会代表質問がはじまります。

明日から県議会の各党の代表質問がはじまります。

激動の年を想像させるように出来事が続いています。

グアムの基地建設協定の締結、麻生内閣の支持率が1割を切る、首相の郵政問題での発言、中川大臣の辞任問題などなど、どれも自公政治の転換こそ必要との中身である。

この政治の転換めざし、日本共産党の躍進のために頑張ろうと闘志も湧いてくる。

さて、代表質問の準備も、毎日いろんな事件が起こり、あれもこれもと追加することが増えてしまい、制限時間の文字数をとっくにオーバーしてしまった。

今度は、書いたものをいかにして削るのかで苦労している。

代表質問は20日(金)の午前10時です。

2009年2月16日月曜日

グアム基地建設協定反対の世論を急いで広げよう

明日、アメリカのクリントン国務長官が来日して、日本の外務大臣と「グアム基地建設協定」締結することが報道されている。

とんでもないことである。

この協定は、そもそも、日本国民の税金で、アメリカの領土に基地を建設するというものである。

さらに、今回の協定では、いままでの沖縄県民の負担軽減などといいながら、普天間基地の移設の部隊の兵隊の宿舎であったり、司令施設を作るといっていたが、これさえ重大問題だが、なんと、今度は、飛行場や港まで建設してあげるというもので、沖縄県民の負担軽減ということを「だし」にして、一気に基地の建設を日本国民の税金で行うという、2重にも3重にも5重にも許し難いものである。

さらに、この協定は、普天間基地の代わりの基地として、沖縄県民が反対している辺野古に作るということを明記するというのもので、基地の押しつけそのものである。

この協定は、条約と同じ性格をもつものであり、このようなことは断じて許せない。

自公の政治が国民から見放される前に、駆け込みで条約を結ぶ意図もあるといわれている。

ほんとに許せないものである。

県議会でも代表質問で取り上げるが、沖縄県民の反対の声を急いで大きくすることが求められている。

麻生内閣の支持率が10%を切ったという。

自公の政治を転換し、平和で基地のない、暮らしと福祉、教育、医療が大事にされる政治にするために、日本共産党の躍進がいまこそ必要だと思っている。

2009年2月14日土曜日

見納め満開桜

心にゆとりがないと、きれいな花も目にとまらない。

すこしづつぽかぽか陽気になり出したと感じはじめるころ、家の後ろの桜はとっくに咲き終わり緑の葉が芽吹き始めている。

出張続きだったのと議会対策等で追われていたので、いつも見ているはずの桜も満開を見過ごしていたのだろう。

しかし、東側の宮城さんの家の桜は、珍しく満開である。

近くのさくらはとっくに時期をおえ葉桜になんなんとしているのに、どういう訳だろうといぶかりながら、カメラを向けると、そこにはメジロが何羽も身をよせさえずっていた。

やはり、季節の移り変わりや、木々や鳥たちの変化を感じるようなゆとりがもてるように務めなければならないと思いつつ、数回シャッターをきった。

メジロのさえずりが心地よく聞こえた。


2009年2月13日金曜日

代表質問通告を提出、質問は2月20日(金)午前10時に決まりました。

2月沖縄県議会の代表質問に立つことになりました。

2月20日(金)午前10時です。

持ち時間は、答弁を除いて38分です。

今日の正午が発言通告の締め切りでした。

質問の柱は以下の通り。

�� 「構造改革路線」からの転換を

�� 雇用、くらし、福祉、教育を守る充実させることについて
  
�� 無駄な大型公共事業中心から、環境を大切にした政策への転嫁を

�� 基地のない平和な沖縄めざして

�� 不発弾事故と不発弾問題について国の責任の明確化について

�� 沖縄縦貫鉄道の導入建設について


通告の全文はこちらをクリックしてください。

2009年2月12日木曜日

民主団体との県政懇談会

日本共産党県議団と、民主団体との県政への要望を聞く懇談会が開催されました。

日常的に県民の暮らし、福祉、教育、医療を守り充実させるために頑張っている団体だけに要望もたくさん出されました。

県議会の代表質問や一般質問、委員会等で取り上げていくうえでとても参考になりました。

県民の要求実現にがんばっていきます。


2009年2月11日水曜日

代表質問の締め切りが明後日です

代表質問の質問通告締め切りが明後日の正午なので、その準備に追われています。

今日も、公休日ですが、朝から団会議、質問準備にねじり鉢巻き状態です。

基地の問題から、雇用問題、暮らし、福祉、教育など質問したいことは山ほどありますが、時間が限られているので、どれを絞るのかに苦労しています。

がんばります。




2009年2月10日火曜日

2月議会はじまる

今日から2月議会が始まります。

会期は3月25日までです。

今日は知事の所信表明演説がありました。

来週から代表質問、一般質問と続きます。

この議会は私が日本共産党を代表して代表質問にたちます。38分です。

その準備に追われています。

また、県議会は予算特別委員会方式です。

私も今回、特別委員会に入ります。

とても忙しくなります。

初めての代表質問、予算特別委員会ですが全力でがんばります。

2009年2月9日月曜日

明日から2月議会

明日から2月県議会が開会されます。

今日は、議案説明が行われました。

その後、重要案件についての勉強会や陳情者の説明会など8時すぎまで会議が続きました。

あまりにも朝から会議が連続し、少々、疲れ気味にもなります。
でもまだ開会もしないうちから根をあげてはいけませんね。

がんばります。

2009年2月8日日曜日

浦添市議選挙2人当選、ニシメ候補トップ当選、アイ子候補13位

浦添市長選挙と市議選挙の結果。

市長選挙は現職が当選。

日本共産党の西平氏は前回の倍以上の6402票を獲得。

市議選挙(定数30、立候補36)は、新人のニシメ健候補が2769票でトップ当選。5期目への挑戦の比嘉アイ子氏が1620票で13位で当選。

ご支援いただいたみなさんありがとうございました。

それは日焼けです

昨日は、浦添市議選挙で日本共産党の女性候補の応援で、朝から夕方まで宣伝カーで訴えた。

��月の初旬だというのにぽかぽか陽気なのはいいが、太陽の日差しが顔をさしてくる。

顔がひりひりして日焼けしているだろうことは自分でもわかるほどの暑さである。

そこまではいいのだが、晩の新年のつどいに参加したら、あるご婦人から「すでにウサガッテいるの(もうお酒のんでいるの?)」といわれて辟易してしまった。

「そんなに朱いですか」と返事したが、私の日焼けはどうも酒やけ(酒酔い)と同じようないろになるらしい。

それは困ったものだと思いつつも、どんな対策があるのかかいもく検討もつかない。

挨拶のときに、「これは酒焼けではなく街頭演説の日焼けです」と前置したが、さてどうしたもであろうか。



2009年2月7日土曜日

5人姉妹のおどりにほのぼの気分

今日、市会議員の我如古一郎地域の新春の集いがありました。

浦添市長・市議選挙の応援から駆けつけました。

集いでは、後援会員の娘さんたち5人姉妹による踊りが大好評。

かわいらしい踊りにやんやの拍手喝采。

ほのぼのとした気分になりました。


2009年2月6日金曜日

沖縄県民を代表して「基地なくせ」の声を浦添であげてほしい

激戦の浦添市長、市議選挙は明後日投票日です。

アメリカの新しい政権に対して、「基地はいらない」「米軍基地を撤去せよ」の沖縄県民の声を届けることが重要な時です。

そのときに行われる浦添の選挙で、基地なくせ、撤去の公約を堂々と掲げている日本共産党の市長候補、市議候補が勝利することが、県民の声を届ける確かな力になります。

また、自公の国民いじめの政治を変えていくためにも、市政でも、県政でも、国政での一貫して筋をとおしてがんばっている日本共産党をのばすことこそ、確かな力になります。

今日も一日、そのことを訴えてきました。

残された時間、必死で訴えて必ず勝利しましょう。

2009年2月5日木曜日

浦添市長選挙で日本共産党の勝利を

浦添市長選挙が今度の日曜日投票です。

日本共産党は、那覇軍港の浦添移設に反対し、キャンプキンザーの撤去を掲げています。

他の候補は軍港移設賛成、基地の県内たらい回し容認派。

暮らしの問題でも、他の候補は、自公政治推進派です。

日本共産党の勝利を勝ち取りたいものです。



2009年2月4日水曜日

ある仙人の死

私をいつも励ましてくれていたSさんが急死した。

��4歳だった。

以前に脳梗塞で倒れられて半身に麻痺が残っていたが、障害者用の電気スクーターで買い物にも出かけていた。

選挙でも不自由な体を押して応援に駆けつけてきてくれた。

いまの戦争を憎み、自民党政治を喝破し、日本共産党の躍進を願っていた。

そして私を励ましてくれた。

白いひげを長く伸ばし、世の中の不条理を説き、豪放磊落に笑う姿から、私たちの間ではいつしか「S仙人」と呼ぶようになっていた。

そのS仙人が、私は出張に急逝したとのことを帰って聞かされた。

出張の前には、電気スクーターにのったS仙人と出会い、会話も交わしたばかりだったのにと信じられない思いである。

昨日、初七日だったので焼香に伺ったが、気分が悪いといって床について、翌日の朝には冷たくなっていたという。

奥さんの「いい死に方ですよ」との言葉が唯一の救いの声に聞こえた。

まさに仙人のような旅立ちのようである。

S仙人の励ましの声を忘れずにがんばりますと遺影に誓ってきた。

合掌。

2009年2月3日火曜日

誤字

急いでいるとついついチェックをしないままブログの登録をしてしまい、読者から誤字を指摘されたり、後で自分で気がついたりと恥ずかしい思いをたびたびしている。

今日も、不発弾の処理と書くべきところを勝利と書いてしまって、読者から「選挙で勝利したい気持ちが強すぎることは重々承知しているがこれは誤字ですよ」と笑いながらの指摘があった。

なるほど、ワープロのキーボードならではの処理と勝利の間違いである。キーボードの「U」の一つを多く打ってしまうと「処理」が「勝利」になってしまう。

便利な機械が思わぬ誤字を生み出してしまう。

しかし、これはいいわけにしかならない。

とどのつまり正確にキーボードを操作していないだけなのだ。

ご指摘をいただきましたSさん、ありがとうございました。

もっと正確に打てるように修行します。

不発弾処理の避難半径の縮小が実現したときの記事

市議会議員時代に、2002年6月議会で、不発弾処理について取り上げてきました。

国の責任での処理を求めると同時に、沖縄県内での不発弾処理が他府県の倍以上の避難半径になっている事実を初めて指摘し、安全な処理方法を確立して避難半径を縮小し、市民負担を軽減するよう提案してきました。

翌年には安全な処理方法と避難半径の縮小が実現しました。

この時の議会での質問と、この提案が実現したときの、記事を掲載します。

ぜひご覧ください。

引き続き、国の責任による探査、発見、処理の実現にがんばります。

那覇市議会(当時)での不発弾に関する質問

 

縦6メートルの処理壕と周囲をライナプレートという鉄板で覆った
新しい処理方式。これにより避難半径が半分に縮小された。
写真、処理壕底の右側にあるのが艦砲弾の不発弾。

2003年の赤旗記事はこちらをクリック

2003年沖縄民報の記事

2009年2月2日月曜日

臨時県議会で、不発弾処理に関する意見書を全会一致で採択

1月14日に糸満市で起きた不発弾爆発事故に関して、今日県議会は臨時議会を開催して、国の責任を明確にして対処するように意見書を全会一致で採択しました。

��、意見書では、国の責任において速やかに完全補償を行うこと。
��、不発弾等の爆発事故においては、新たな補償制度の創設など、国の責任において対応すること。
��、県内の不発弾の発見、および処理にかかる費用に関しては公共、民間を問わず国の負担とすること。
��、不発弾探査基準見直して、民間工事を含め、時期探査の義務づけ、探査等の徹底

などを求めています。

日本共産党はこれまで一貫して不発弾の発見、処理に関しては、戦争を起こした国の責任で行うように求めてきました。

私も、市議会時代から、このことを一貫して取り上げ、政府要請にも毎年のように行ってきました。

また、不発弾処理二関しては、安全な方法をとりながら避難半径を縮小して、市民の負担を軽減するように提言してきました。
この避難半径の問題では、この提言を受け、新しい処理壕方式がとられて避難半径が半分に縮小されました。

引き続き、国の責任による不発弾の発見、処理の実現にがんばります。

糸満市での不発弾爆発での老人ホームの被害はここをクリックして動画でご覧ください。

2009年2月1日日曜日

新春のつどい

昨日と今日は新春の集いが続きました。

昨日は、午前が御茶屋御殿復元期生会の新春の集いでした。

すばらしい歌三線と宮里朝光先生の講話に改めて琉球文化のすばらしさを実感しました。

午後は医療生協首里支部の新春の集い。

今日は、午前中は浦添市長選挙、市議選挙での日本共産党候補の出発式に参加。

午後からは、医療生真和志支部の新春の集いを皮切りに、儀保町自治会の新年会、末吉町の合同成年祝いとお祝いが続きました。

それぞれが、今年の健康と繁栄、長寿を祈念したものでした。

出張続きで時間に追われ、心にもゆとりがなくなっているときだっただけに、和やかな気分になりました。

また、みんなから元気をもらってがんばります。




御茶屋御殿復元期生会の宮里朝光先生と。ちなみに先生は中学の時の恩師です。



末吉町の成年祝い。四つ竹の琉球舞踊にうっとり。