2007年7月31日火曜日

やっと自宅の台風被害のテレビアンテナを修理

今日は、県庁前で朝8時から比嘉瑞己市議と2人で、出勤途中の働く仲間に宣伝カーから、参院選へのご支援への、引き続く、日本共産党へのご支援を訴えました。

10時からは市議団の会議。

1時から、臨時議会の議案説明。

その後、2件の市民からの相談のために対応。
市の課長との電話でのやりとりや、現場調査などに追われました。

一段落して、夕方から、先の台風4号で家のテレビアンテナが倒れて、テレビが見られないほどでしたが、やっと修理しました。
友人のSさんに手伝ってもらいました。
とは言っても、屋根にのぼり、折れたパイプの代わりに新たな鉄の棒をたてたり、ドリルで穴を開けたりと、実際には、ほとんどすべてをSさんが行い、私は支えるたり、道具を渡したりしただけで、手伝ったのは私だったのかもしれません。

いずれにしても、久しぶりに普通に写るテレビを見ると、すごくきれいに見えます。

2007年7月30日月曜日

前向きな変化。次の勝利へ向かってさっそく始動。

参院選挙が終わった。
7月26日のブログで「「『歴史は巨大な頁をめくった』といえるような勝利を」と書いた。

戦後続いた自民党政治の歴史的大敗という点では「歴史は巨大な頁をめくった」といえる結果かもしれない。

沖縄においても糸数けいこさんの大勝利。沖縄県民の良識を発揮した。
「憲法改悪」、「教科書検定」、「新基地押しつけ」、「消えた年金」、「住民税大増税」、「政治と金」、「閣僚の国民軽視発言」などなどあきれるほどの安倍内閣の暴走で、これまでの自公支持者からも糸数けい子さんへの多くの支持が寄せられた。

しかし、その自民党政治への真正面からの対決者としての日本共産党は議席をのばせず逆に後退した。きわめて残念な結果である。
私たちの力不足である。

志位委員長は、「自民、公明の政治では日本の前途は立ちいかないと国民が判断した。前向きの変化のプロセス、新しい時代が始まった」とコメントした。

歴史の進歩は常に複雑な螺旋状の過程をたどる。
今回の結果が、私たちが訴えてきた「安倍政権の暴走にストップ」の国民の審判であることは揺るぎない事実である。

この歴史的な自公の敗北を、「前向きの変化」につなげられるか、今後の私たちのがんばりにかかっている。

勝利と後退という狭間のなかではあるが、落胆している暇はない。
次の勝利に向って、早速、今日の朝、ご支援へのお礼をお込めて儀保十字路の定例の早朝宣伝を行いました。
ご支援いただいたみなさんに心から感謝したい。

2007年7月26日木曜日

「歴史は巨大な頁をめくった」といえるような勝利を

日本共産党のた宮本顕治元議長が亡くなった。

宮本百合子は、日本の侵略戦争が無条件降伏に終わった八月十五日のことを小説「播州平野」のなかで、
「日本中が、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音もなくめくったのであった」と書いている。
現代の私たちには、想像もできないような戦前の軍国主義時代の過酷な弾圧のもとで十二年間も投獄されながらも、一貫して侵略戦争反対、反戦・平和を貫き通してきた宮本顕治元議長。

私が、宮本顕治委員長(当時)をはじめてお会いしたのが、1972年7月20日の沖縄人民党創立25周年記念式典だったと思う。当時は、人民党員でも、共産党員でもなかったが、叔父の関係で、手伝いをしていただけであったが、握手をした。
がっちりした温厚な人柄のような印象をもったと記憶している。
十二年間も投獄されていたとは知るよしもなかった。

その後、入党してからは、宮本顕治委員長の若いときに書いた「敗北の文学」や様々な論文などを学習してきた。

私は、今、多くの同世代の党員達が行っているであろうように、本棚から、宮本顕治元議長の著作を取り出して頁をめくっている。その中の、『明日への展望にたって』(上)の「政治の焦点と明日への展望―序に代えて」の中で、元議長は、

「科学的社会主義の原則的な歴史的展望の立場によって明日をみることが、ゆるがない展望への土台である。私自身、戦前の暗黒の十二年間の獄中生活で、日本全体が野蛮な天皇制専制と軍国主義支配の牢獄と化した時代に、私を確固として支えたものは科学的社会主義の『知』であった。それこそ、暗黒と非情の日々の闇を通して、ファシズムの国際的敗北、日本の天皇制専制と侵略戦争の挫折とあ敗北への展望を揺るぎないものにしていた。
近来、私が請われて色紙によく書く言葉―『知は力』は、十二年間の獄中生活の実感に根ざしたものである」と述べている。

どんな逆境のなかでも未来を見通す確固とした信念と科学的展望を持った生き方。
私たちが、そうありたいと願い、めざしてきた生き方である。
まさに私にとって、青春時代から今日につながる生き方に大きな影響を与えた歴史上の人物という存在である。
その宮本顕治元議長の訃報は、「歴史は巨大な頁をめくった」という思いである。

しかし、決して落胆はしていない。
日本共産党の先人達の意志を私たちは確固として受け継いで、今日の時代に発展させていく責任を私たちは果たさなくてはならないと思うのである。

特に、今度の参院選は、日本共産党の存在意義のかかったたたかいである。
「歴史は巨大な頁をめくった」といえるような勝利を勝ち取るために、残された時間、奮闘しようと決意しているところである。

2007年7月25日水曜日

アスベスト除去は万全に。市に申し入れ。

7月25日、水曜日です。
今日は、比例カーで儀保十字路で朝の訴え。
10時からは、全国いっせい総決起集会にCS放送で参加しました。
昨日、県庁前で訴えていた志位和夫委員長が訴えていました。
とてもまねできないような超人的なスケジュールですね。
志位和夫委員長に負けないようにがんばりましょう。

朝の決起集会の最中に携帯電話のアラームが振動。
ある市民からの訴えでした。

旭橋再開発事業で、現在、建物を解体中だが、アスベストがあるようだが、心配だとの電話でした。
アスベストはガンを誘発する危険な物質で、国の法律でも解体は厳重な管理のもとで行われなければならないものです。

その事業は、国や県、市の補助金も出ているので、早速、市の都市計画部長に緊急の申し入れを行うことにしました。

1時半からの緊急の申し入れ。
私と、古堅市議が参加。

市は、業者から、保健所や労働基準監督署へ届出済であり、規定通りに実施されているとの説明がありました。

私たちは、アスベストは危険な物質。規定通りに届けられているということだけにしないで、完全に、飛散しないようなことになっているか、市としても万全の注意を払うように申し入れました。

引き続き、市民が安心できるように注意を払っていきたいと思っています。


向う側、左から渡久地修、古堅市議、手前、左から2人目が都市計画部長

2007年7月24日火曜日

志位和夫委員長と並んで訴え

パレット久茂地前の街頭演説。
志位和夫委員長、伊波洋一宜野湾市長も応援に駆けつけ、約800人。
自公の消えた年金、増税に怒りが広がっています。

私たちは宣伝カーのまわりで横断幕を掲げて手振りを行いました。
演説が始まるまでの寸暇を惜しんで、志位和夫委員長も飛び入りで私たちと一緒に並んで手振り、車からの声援に応えました。

道行く車からも、増税、消えた年金、憲法改悪などへの怒りと、政治を今度こそ変えてほしいとの期待がひしひしと伝わって来ました。
 

 
左から西銘浦添市議、志位和夫委員長、渡久地修、

2007年7月22日日曜日

横断歩道の設置を。赤嶺政賢衆院議員と現場調査

昨日は、参院選挙の休憩時間の合間をぬって、国道330号線古島インターチェンジへの横断歩道設置の要望調査を行いました。

330号線を浦添方面から那覇向けに、首里や安謝方面行く際に、インターチェンジを左折し支線に入るところに、横断歩道を設置してほしいとの要望が地域のみなさんから以前から出され、那覇市議会でも取り上げてきました。

末吉団地や地域のみなさんが、モノレール古島駅や古島などに行く際に、この支線を渡れば直線で近道ですが、ここがガードレールでふさがれているため、遠回りをせざるをえない状況になっているとのことです。
そのため、ガードレールをまたいで渡る人や、スカートの女性などは、団地入り口付近から車道をあるいて駅に向うなど危険との話でした。

今回は、赤嶺政賢衆議院議員と一緒に再度調査を行い、近々、南部国道事務所から状況説明を受ける予定です。

また、330号線の歩道拡幅工事の際に、新垣さんの住宅が陥没し、当時修復されたとのことですが、現在も陥没が進行しているとの訴えも受けました。
この問題も、南部国道事務所から状況説明を受けることにしています。

赤嶺政賢衆院議員とも連携しながら要求実現、解決に向けがんばって行きたいと思います。

右から渡久地修、赤嶺政賢衆院議員


  
    陥没の状況を説明する新垣さん

2007年7月20日金曜日

フールのある沖縄そば屋

昨日、学校調査の帰りに比嘉瑞己議員と事務局の屋嘉君とともに、首里末吉町の末吉も森にある沖縄そば屋「しむじょう」で、沖縄そばを食べてきました。
新垣さんの古住宅を改修し、たしか去年開店したそうで、店の主人の両親は以前から知っていますが、そばを食すのは今回が初めてでした。

ソーキそばの大が750円でした。麺は沖縄でいま流行の亀浜製麺所の麺で、つゆは濃厚な鰹だしで、おいしくいただきました。
沖縄そば屋として、かなり有名なようで、観光客をはじめ、店内はいっぱいです。庭にもテーブルがあり、そこも客がかなりいます。

しかし、ここの「しむじょう」は、そばもおいしいですが、この建造物が、国の登録有形文化財に指定されていることを訪れる人は知っているでしょうか。

登録有形文化財に指定されているのは、「新垣家住宅主屋」「ヒンプン」「石垣」「フール」「東池」「南池」となっています。
「しむじょう」は、琉球王府時代の屋敷、家屋の制限令が廃止される(明治36年、1903年)前後の時代の「富農」の屋敷のありようをよく伝えているといいます。
そばを食べたあとに、王府時代の「富農」の屋敷のたたずまいを見学するのもおすすめです。

また、沖縄でも版画界では有名な安仁屋政汎(アニヤマサヒロ)氏の版画が店の中に展示されているのも注目してほしいですね。

さて、下の写真は、3連の大規模なフール(豚小屋と便所を兼ねたもの)です。
人糞は豚のいい餌になったといいます。
そばを食べたあと、フールで用をたすのもいいかもしれません。勇気のある方は、お店にご相談してみてはいかがでしょうか。

ちなみに「しむじょう」という名は、新垣家の屋号だそうです。

「しむじょう」は、沖縄県那覇市首里末吉町2-124-1
電話は、098-884-1933


3連のフール(豚小屋と便所を兼ねた施設)

2007年7月19日木曜日

すべての学校・教室にクーラーの設置を。松島中と城西小を視察。

沖縄の暑い夏。
学校の教室の温度は、最高で35度から36度にまで上がります。
こども達は、ぐったりして、集中力に欠けます。

私は、この実態を議会で示して、すべての学校、教室にクーラーをと提案し、その実現にがんばってきました。
教育長、市長も順次設置していくことを約束しました。

これまでに、市内の705の学級数のうち339の学級(48,1%)に設置されました。

今日、今年の夏から設置、稼働している、松島中学校と城西小学校を視察してきました。

松島中学校は、3年生の教室に設置され、生徒達は「気持ちよく勉強できる」「集中できる」と喜んでいました。逆に、まだの2年生の教室に行くと、「暑くて勉強どころではない」「集中できない」と早期設置をこども達から訴えられました。

城西小学校でも、これまで一番暑い教室に設置されましたが、設置された学年は喜んでいましたが、まだの教室のこども達は汗だくになると言っていました。先生からも、早くすべての教室に設置してほしいとの切実な声が寄せられました。

元気で勉強しているこども達を見るのはいいものです。
このこども達のために、もっとがんばらないといけないという気持ちになります。

現在は、一番暑い教室からの設置になっていますが、こども達は成長を待ってくれません。
一日も早く、すべての教室への設置に全力でがんばります。

また、城西小学校では、そのほかの様々な要求が学校側から寄せられました。
その解決に、さっそく取り組んでいます。
 

 
     クーラーの入った、松島中学校と城西小学校の授業風景

2007年7月18日水曜日

真の安全保障とは。新潟県中越沖地震発生について思う

新潟県中越沖地震で多数の死傷者が出た。
被害が広がらないか心配だ。
災害の規模が桁違いとはいえ、沖縄も台風4号の被害を受けたばかりであり、けして他人事ではない。

日本は世界有数の地震国である。地震は必ずやってくる。
これに備えることこそ、国が真っ先にやるべき国民の命を守る真の安全保障政策でなければならないのではと思う。

在日米軍の再編に国民の税金3兆円をつぎ込むという。グアムという他国の領土に日本国民の税金8千億円を投入して、米軍基地をつくってやるという。
なんのために・・・?
日本の安全保障のためと、政府は言うのだろう。

米軍のために国民の税金を注ぎ込む「思いやり予算」、あるいは、予算規模でも世界有数の軍事大国になった日本の軍事費。

日本の安全保障のために、政府が真っ先にやらなければならないの、地震対策、災害対策にもっと力をいれることである。

米軍への「思いやり予算」、軍事費を削って、地震対策、災害対策費に思い切って回すことが求められていると思う。

2007年7月16日月曜日

台風被害

台風の被害は日を追うごとに増えてきます。
今日、金城町のラジオ体操に参加しましたが、広場は一面の倒れたり折れた木々でいっぱい。
町内では、大木が倒れ車2台がつぶれたなどの話が出されました。
定例のコーヒータイムも今日は中止になりました。

今日に至っても道路などの木々の後片付けは終わっていません。
今週いっぱいかかるかもしれません。

本土でも多くの被害がでましたが、その心配をしている時に、今度は、新潟と長野で大きな地震のニュースです。
大きな被害が出ているようで心配です。

今日は、国政、県政、市政報告会があり、赤嶺政賢衆院議員、前田県議と一緒に、私、渡久地修が報告。
教科書検定問題、国保交付金の国の算定ミスの問題などについて報告しました。


金城町の広場。散乱している折れた木々

2007年7月15日日曜日

日本共産党創立85周年記念日

今日7月15日は、日本共産党の党創立85年目の記念すべき日です。
1922年の今日、結成されました。
戦前の軍国主義の時代に、侵略戦争に命がけで反対してたたかい抜いた不屈の歴史が、今の日本の情勢の中で生き生きと輝きを増しています。

「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦も軍の関与はなかった」、そして、沖縄戦での「集団自決への軍の関与」もなかったといいはる、今の安倍政権。
「戦争のできる国づくり」への暴走に国民は憂慮と深い危惧の念を抱きはじめています。

党創立85年の日に、憲法をまもり、平和で豊かな沖縄への決意を新たにしています。

2007年7月14日土曜日

台風一過。

台風がやっと通り過ぎました。警報が解除されましたが、そのあとが大変です。
昨日の巨木の倒壊、今日もその対策に追われました。市の消防や防災室の担当者の話によると、那覇市内で今度の台風の一番大きな被害といってもいいほどのものだそうです。
どのようにするかまだ先行きが見えません。

今日は、朝早くから、地主さんや家主さんをはじめ家族が総出で、昨日消防隊が切り落とした枝の片付けに追われました。
私たちの家族も総出動しました。
枝といっても、ちょっけい30センチメートルもあるようなものもあり一筋縄ではいきません。
知り合いからチェーンソウを借りてきて、なれない手つきで汗を流しました。
黙々とただ黙々と片付けるだけ。
何とか昼過ぎには、一定のめどがつきましたが、ヘトヘトになってしまいました。
こども達には、人が困っているときには、みんなで助け合うことが大事だよと言い聞かせ、参加してもらいました。

巨木が倒れた家は、立ち入り禁止の黄色いテープが張られました。
一日も早く解決して、日常の生活を取り戻さないといけません。

今日、計画していた日本共産党演説会は、そういう事情で延期になりました。
多くの人が、台風の後片付けに追われているでしょう。

それにしても、全国の被害が心配です。
被害が広がらないように祈らずにはいられません。


2007年7月13日金曜日

台風4号で巨木倒壊。

台風が直撃しました。
今回は、被害状況を調査した段階では、大雨が伴っていないぶんだけ、土砂災害や水害などは起こっていませんでした。
ところが、昼過ぎに、近所の家に巨木が倒壊。幸いけが人は出ませんでしたが、あの大きな木が倒壊するのかと思うような大きさです。
それだけ突風がすごかったのでしょう。今回は、突風の被害が多いようです。

相談を受け、すぐに市の防災室や消防に連絡。
消防に来てもらいましたが、幹のまわりが7メートル近くもあるような大木です。
消防職員も幹まわりを計測してびっくり。

手をつけられるような状況でもなく、なすすべもないとただ呆然と見つめるだけでしたが、さすがに災害対策の専門家は違います。
このままでは、家が木の重さでつぶされる恐れや、さらに風の力で、隣の家まで倒れるかもしれないと判断するやいなや、てきぱきと指示をだし、あっという間に、消防隊が次々と到着し倒壊した木の枝をェーンソウーを使って切り落とすなどの緊急対策をしてくれました。

風の力、自然の力のすごさを思い知らされました。

同時に、台風が吹き荒れている現場でありながら、瞬時に判断を下して的確な対策をとることの一部始終を現場で見ていて頼もしく思いました。
市民の生命、財産を守るのが消防の使命とはいえ、一人一人が二次災害を起こさないように気をつけつつ、一つ一つの動作を声をかけながら、危険な仕事を一生懸命に遂行している姿は感動的でもあります。

私は市議会の総務委員会に属しているため、予算や議案の審議では、いつも消防と防災室の強化を訴え続けてきました。特に消防については、「人員の確保」「最新の機材の確保」「日常的な訓練」の3つが大事と思っています。

聞くところによると、防災室や消防の職員をはじめ、市の対策本部のみなさんは、昨日から一睡もせずに、出動の連続だとのことでした。
大変ご苦労さんです。
二次災害に遭わないようにくれぐれも気をつけながら、市民の安全のためにがんばってください。

7メートル近くの巨木の幹をどのように撤去するかという難題がのこっていますが、親身に相談にのって、防災室や関係機関の助言なども受けながら解決していかなければならないと思っています。

台風4号が、本土直撃で被害が心配されます。重大な災害にならないように祈っています。



2007年7月12日木曜日

横断歩道と信号機の設置を交渉

今日は、松川地域のみなさんと横断歩道の設置について、那覇市当局と現場で交渉を行いました。、区画整理によって道路が大幅に拡張整備されましたが、横断歩道が設置されていないために、地域のみなさんは、いつもひやひやしながら道路を横断しています。

地域の城間さんは2、3日前に横断中にやがて車にひかれそうになる恐怖を味わったといいます。足に障害があるため遠くにある横断歩道まで行くのは事実上不可能です。

相談を受け、今日の交渉となりました。
市当局からは、道路整備に関わっている道路管理部の副部長と技幹らが参加、市民協同推進課からは課長らが参加しました。

実際に遠くの横断歩道まで歩いていく迂回コースを実体験。
私たちの横断歩道と押しボタン式信号機の設置要求に、副部長らも、これは大変。ぜひここには横断歩道が必要。しかし、坂道のため、押しボタン式の信号機と併せて設置する必要があるのではとの見解を述べていました。

しかし、横断歩道と信号機の設置が必要との認識は一致したが、これは、県の公安委員会の管轄なので、市として要望していきたいとの回答でした。
実現までがんばります。



2007年7月11日水曜日

セミの異変。その4

セミの異変について、これまで何回か書いてきたが、今日やっとセミが一斉に鳴き出した。
心配していたが、これで一安心。
これから本格的な夏の到来である。

それにしても、我が家のまわりだけでなく、いろんなところで今日一斉に本格的に鳴き出すというのだから自然とはほんとに不思議ななものである。

昨日、夜の10時頃、我が家の玄関先の洗濯ロープにしがみついて羽化しているセミを妻が見つけた。
羽が緑色をしている。まだ乾いていないようで柔らかく見える。
写真にとっておいた。

翌日の今朝5時半頃見てみると、まだしがみついているが、羽は黒っぽくなり、堅くなっているように見える。昨日の晩の体制とは幾分違うように思える。ちょっと横向きになっているように見えるのだが。
カメラのフラッシュにも驚きもせずじっとしている。まだ飛び立つ準備ができていないのだろう。

定例のおはよう宣伝を終えて、8時半すぎに戻ってみると、もう姿は見えなかった。

今朝は、一斉にセミの鳴声が聞こえる。
いつものような喧噪である。
昨日は、玄関先のセミのように一斉に羽化したのだろう。
自然とはほんとに不思議なものだとつくづく思い知らされる出来事である。



  羽化直後         

2007年7月10日火曜日

外務省沖縄事務所、那覇防衛施設局に抗議の申し入れ

今日、午後、赤嶺政賢衆院議員らと、「与那国への米艦船の入港に断固抗議し、民間港への入港に反対する申し入れ」と「東村へのヘリパット建設の中止を求める申し入れ」を外務省沖縄事務所、那覇防衛施設局に対して行って来ました。
麻生太郎外務大臣、小池百合子防衛大臣に文書で申し入れました。

外務省沖縄事務所では、重家俊範沖縄担当大使が、那覇防衛施設局では、佐藤勉那覇防衛施設局長がそれぞれ対応しました。

赤嶺衆院議員は、昨日明らかになった北部訓練場での米軍の枯れ葉剤によるダイオキシン汚染について対応をただしました。
外務省の重家大使は、「重大な報道である」とし、防衛施設局長も「可能な限り事実関係を公表し、県民の不安を解消するようにつとめる」と述べましたが、具体的なことは、米軍に照会しているとの答弁に終始しました。

与那国への入港についても、外務省の大使は、全国で行われており問題ないとの態度でした。

また、ヘリパット建設についても、防衛施設局長も、中央政府の政策を現地で実施するのが自分たちの任務だといって、あくまでも建設を強行する姿勢を変えませんでした。

外務省沖縄事務所にしても、那覇防衛施設局にしても、沖縄県民の方を向いて仕事をしているのではなく、米軍、アメリカの方を向いて仕事をしていることがはっきりしました。


左から、渡久地修那覇市議団長、前田ふみ子比例候補、赤嶺政賢衆院議員、前田政明県議、嘉陽宗儀県議。外務省沖縄事務所にて


那覇防衛施設局にて、


2007年7月9日月曜日

赤ばなあ 暑くなるほど 咲き誇る 燃えて示そう 沖縄の心

参院選の告示まであとわずか。
糸数けいこさんと日本共産党の勝利のために「必死にがんばらねば」と自分に言い聞かせながら、日々がんばっています。

でも、暑い・・・、あつい・・・、とにかくあつい・・・。
おはよう宣伝の朝7時半の太陽さえ、顔に突き刺してくるような強烈な日差し。
それが、日中となると半端な暑さではないですね。
後援会員や支持者みなさんとのあいさつも、「あついですね」、「ほんとにあついね」から始まります。
バイクで回っているだけでも暑さのためにヘトヘトになってしまいます。

そんなときに支持者のMさん宅に咲いていたのが、この真っ赤な「赤ばなー」です。
「仏桑華(ぶっそうげ)」とも「ハイビスカス」とも呼ばれていますが、鮮やかな赤が強烈な太陽をものともせずに咲き誇っている姿は、私は、やっぱり「赤ばなー」がいいなと思っています。

鮮やかな赤に魅せられて、思わずバイクのエンジンを止めてパチリ、パチリ。
この花びらが丸いのはたぶん外来種でしょうか、私たちの小さい頃からあった在来種はギザギザしていると思います。

「仏桑華 そこには咲くな そこは基地
ながくれないは 沖縄のもの」

この詩は、かつての日本共産党衆議院議員の山原健次郎さんが嘉手納基地の中に咲いている赤ばなーを見て詠んだそうですが、思わず口ずさんでいました。

山原健次郎さんをまねて一句。

「赤ばなあ 暑くなるほど 咲き誇る
燃えて示そう 沖縄の心」

さあ!、負けてはいられません。エンジンをかけて次の場所へ・・・。


 

 

2007年7月8日日曜日

カウンターが始めて100を記録

ブログを開設して一ヶ月たちました。
どうなることかと心配していまいましたが、気負わず、続けることが肝心との思いで、毎日キーボードに向っています。
そして昨日、はじめて、一日のアクセスカウンターが100件に達しました。
それも、ちょうど100です。不思議ですね。

一日100のカウンターというのは、ランキングを見ていると少ない方でしょうが、私にしてみれば、大変なことです。
この間、最高が99で、次が97,96など出ている時がありましたが、その後53へと落ち、また回復してきましたが、やっぱり、96とか98などで止まっていました。

これからも、自分の思いや、私たちにしかできないような沖縄の政治の実態などを発信し続けようと思ってはいます。応援よろしくお願いします。
みなさん、ご意見などをコメントやあるいはメールでお気軽にお寄せください。

メールアドレス t-osamu@aqua.plala.or.jp

2007年7月7日土曜日

琉球王朝時代の御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)の復元へ、10周年の集い

今日、首里の城南小学校の体育館で御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)復元期成会10周年、御茶屋御殿復元・促進の集いがあり参加しました。

御茶屋御殿は、現在の城南小学校の南隣にある首里カトリック教会がある地に、戦前まであった琉球王朝の建物です。

琉球の外交と文化をつかさどる御殿であったそうで、首里城で正式の会見をした外国使節は、御茶屋御殿で案内され供応接待されたそうです。
首里城とともに戦争で焼け落ちました。

その御茶屋御殿を復元しようと、期成会ができて10年目ということと、復元への明るい兆しが見え始めたとのことで今日の催しなりました。
毎年、新春の集いには参加していますが、いつも琉球の一流の歌三線、踊りなどが演じられるので、うっとりとしてしまいます。
かつて琉球王朝時代には、このようなすばらしい歌三線、踊りなどで中国の冊封使などを歓待したのだろうとう思うと悠久の歴史の流れを感じさせてくれます。

写真左は、「かぎやで風」。右は「かせかけ」。




「集団自決」検定意見の撤回求める請願が国会で不採択になった理由は?

沖縄戦での軍の命令による「集団自決」の検定意見の撤回を求める意見書が、県議会と41のすべての市町村議会で可決され沖縄県民の総意が示されました。これは、保守・革新を問わず、自民、公明、民主、共産、社民のすべての政党が賛成しています。

ところが、同じ内容の請願が、参議院文教科学委員会で不採択になったとの報道に接し、国政と県政、市政で同じ政党が活動しているのに、なぜ?、という疑問が当然出てきます。
なぜでしょう?

この疑問が解けたのは、昨日、7月6日付のしんぶん「赤旗」でした。
次のように報道しています。

「集団自決」検定意見
撤回求める請願
参院委で不採択
共産党は採択主張

二〇〇八年度から使用する高校日本史教科書の沖縄戦の強制集団死(「集団自決」)に関する記述から、日本軍の関与を削除させた検定意見の撤回と記述の回復を求める請願は五日、参院委文教科学委員会で不採択となりました。
委員会に先立つ参院文教科学委員会理事会で、自民、公明両党が「保留」を主張したためです。日本共産党の井上さとし議員は「沖縄ではすべての自治体で意見書が上がっている。採択すべきだ」と主張。民主は「与党が保留なら一致しないので、保留であろう」と述べました。
検定意見の撤回は、沖縄県議会と県下四十一市町村のすべてで意見書が可決されるなど、「県民の総意」になっています。


と報道しています。

なるほど、不採択になった理由がよく分かりました。
沖縄では、県民の世論に押されて意見書を採択。
しかし・・・、県民の目の届かない国会では・・・「保留」?。
「保留」ってなに?・・・。結局、請願の採択に賛成ではないということになりませんか。
沖縄県民の総意に背を向けることになりませんか。
どの党が県民の願いに本当に応えきれる政党なのかが、よく分かる一幕ではないでしょうか。

2007年7月6日金曜日

働きアリに負けないで、がんばりましょう

アリの働きぶりは並大抵ではない。だから働きアリという名前がついたのかもしれない。それに力持ちだ。
今朝、事務所へ出かけるために、オートバイのエンジンをかけて走らそうとしたら、クマゼミの羽が動いているのが目にとまった。風に吹かれているのかと思いきや、それにしては動きがおかしい。オートバイから降りて見てみると、アリが一匹、くわえて一生懸命になって運んでいる。
羽の大きさはというと、そのありの何十倍にもなるであろう。いくら羽だからと言っても、相当の重量になるはずである。
自分に置き換えたらいくらの重さのものを運んでいることになるのか。畳を2ないし3枚ほど担いでいることになるのであろうか。そんなことを考えてしまうと、アリという生き物にも敬意を払わないといけないのかもしれない。
写真に収めたつもりだが、羽の大きさとその先端にいるアリの大きさがあまりにも違いすぎるので、アリの姿があまり見えない。まあ、それぐらいの物を運んでいたということです。
さあ、このアリに負けずに、今日も仕事にがんばろう。

2007年7月5日木曜日

珍客・タイワンシロガシラ

私の事務所で、暑い中、ヒイヒイいいながら参院選のビラの仕分けやらなにやらに追われていた時に珍客が現われた。
いつの間にか来たのか、どこから来たのか知らないが、事務所の天井のパイプに止まっている。
頭に白い印のついた鳥だ。

部屋の中を飛び回り、いっこうに出て行こうとしない。困ったもんだ。
何という鳥だろうと聞いたら、農業をいとなんでいる支部長が、タイワンシロガシラだという。
沖縄の農家からは、作物を荒らす害鳥ということになっているらしい。

そういえば、だいぶ前になるが、今は引退した嘉数進さんという先輩議員が、タイワンシロガシラの対策で質問したことがあったが、その時の当局の答弁が、この害鳥は台湾からやってきたといって、日本ではタイワンシロガシラと言われていますが、台湾では、ニホンシロガシラと呼ばれているということを言ったものだから議場は爆笑の渦になったこともあったことを思い出した。

天井についている扇風機に止まったシロガシラは、なにか昆虫をくわえているようだ。
捕らえようとしてもすばしこく飛びまわり、捕らえられるものではない。それではと、写真で捕る(撮る)ことにした。

事務所から抜け出すことができずに死んでしまわないかと心配していたが、いつの間にか飽きたのか、姿は見えなくなった。

沖縄の教科書検定撤回要求を国が拒否。安倍内閣に参院選でノーの審判を

沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍の強制、関与、誘導などが教科書から、文科省の検定によって削除・修正されたことにたいして、私たち那覇市議会は真っ先に撤回お求める意見書の採択を5月7日に決め、同15日に臨時議会を開催し、全会一致で可決した。

沖縄のすべての市町村議会が同意見書を可決。県議会も可決した。これは、沖縄県民の総意である。

昨日、この沖縄県民の総意を受け、県、県議会、県市長会、県市議会議長会、県町村会、県町村議長会の6団体が、国に、撤回を求めた。今回の要請は県民の願いを実現するための当然の行動である。

ところが、国は、この沖縄県民の願いを踏みにじり、撤回要求を拒否した。
悲惨な体験を沖縄県民は強いられたが、62年たった今日、こんどは安倍内閣によって、精神的な再びあのような悲惨な体験を強いるものにほかならない。

悲惨な体験を今日までずっと背負いつづけた体験者の心は癒されるばかりか、その傷跡をかきむしり続けている国=安倍内閣には、沖縄の心、長崎の心、広島の心が通じないということが、今回の事態と、久間発言で明確に示された。この安倍内閣、自公政権にキッパリとノーの審判をこんどの参院選挙で示すことこそ、いま沖縄県民に求められていると思う。

2007年7月4日水曜日

孤独死問題についてNHKが特集番組を放送予定

��月15日、那覇市議会本会議の個人質問で、私はお年寄りの孤独死防止について取り上げました。
今年度(4~5月)の2ヶ月間だけで、すでに6人の方が、孤独死して1日以上たってから発見されてい実態が判明しました。
この対策のために、私は、乳酸菌飲料などを届けながら安否確認を行う方法などを提案しました。
この安否確認は、県内では宜野湾市や浦添市などで実施され、全国でも多くのところが実施して効果をあげているそうです。
残念ながら、那覇市は私のこの提案にはいつものように予算がないといって消極的で、他の方法で行うとの趣旨の答弁でした。

この質問は、その日の夕刊に、「沖縄タイムス、琉球新報の両紙に記事が載りました。

その記事を見たのかどうかは知りませんが、、孤独死の問題について、数日後、NHKの記者が取材に来ました。
孤独死問題はいま大きな社会問題となりつつあります。これから一人暮らしのお年寄りがますます増えてくる傾向にあるので、社会全体としてこの問題を考える必要があるとの趣旨で特集番組を報道したいとのことでした。

取材を受けていて、孤独死をなくしたいという記者の熱い意気込みが感じられましたので、私が持っている資料なども提供し、協力させていただきました。
「ハイサイ・HNKニュース610」という番組で、7月19日に放送予定だそうです。
多くの人に見てもらい、この問題を市民みんなで考える機械になればと思います。

私も、今後とも孤独死をなくす(ために全力でがんばります。
みなさんからの提案もぜひ、メールやコメントなどでお寄せください。

メールは
t-osamu@aqua.plala.or.jp


2007年7月3日火曜日

ゴールデンシャワー

ゴールデンシャワーが満開です。
各地で見られます。
この写真は、真嘉比の遊水池公園に咲いているゴールデンシャワーです。
強い太陽の光を浴びて、金色に光って見えました。
太陽の逆光を受けながらシャッターをきって見ました。

  



オオバナサルスベリが満開

毎週月曜日、私の地元の儀保十字路でおはよう宣伝を行っていますが、そこの十字路の街路樹のオオバナサルスベリが満開の花を咲かせています。
すがすがしい気分になります。

実は、この街路樹も県の道路整備の際に、ばっさりと切られる運命にあったようですが、近所の方々の熱意で残されることになったそうです。以前に、そのことを近所のMさんから伺ったことがあります。
実は、Mさんの前の植樹帯も、道路整備の際に残すことになっていましたが、実際に工事が始まると消えてなくなってしまいました。
私に、相談があり、沖縄県の南部土木事務所と交渉しましたが、いっこうに聞く耳をもたず。それで上級の県土木部と交渉し、やっと植樹帯が元通りになったいきさつがありました。

現在、その植樹帯は、Mさんが丹精をこめている木々で緑が豊かです。
地域方々の、緑を増やしたいという思いを、このオオバナサルスベリの満開の花は示しているのです。

久間大臣辞任・・・。しかし、安倍総理の任命責任はどうなるの?

久間防衛大臣が辞任したそうですね。
当然です。
全国で怒り沸騰。しかし・・・。
安倍総理は、罷免、更迭しなかったですね。
任命責任が問われています。
こんな発言をした人に、「厳重注意」ですまそうとしたのですから。
このような政権には、日本の舵取りは任せられないのでは。
7月の選挙で、きっぱりと自公にノーを。
一貫して平和な日本めざしがんばっている日本共産党をもっと伸ばしたいですね。

2007年7月2日月曜日

一県民からの感想を紹介。ありがとうございました。

私のホームページの動画を見た県民から次のようなメールが来ましたので紹介します。

「教科書問題と平和行政について の個人質問8分15秒間 聞き惚れてしまいました。
格調高い内容と、情熱と迫力がありました。
那覇市の教育長も全県の市町村教育長協会の会長と聞いていますから、緊急理事会を招集して、真っ先に声明文をだすべきでしたね。
この件については、教育界がもっと機敏に、もっと力強く発言するべきだと思っています。
応援しています。健康にはくれぐれも じゅうぶん気をつけてください。」

一県民より

ありがとうございます。
沖縄戦の筆舌に尽くしがたい悲惨さを到底伝えきれているものではありません。
それでも、沖縄県民の平和への想い、私の平和への想いが、少しでも伝わればと思っています。
一人でも多くの方に見てもらいたいですね。

【動画】教科書検定問題と平和行政について渡久地修の質問、市長の答弁。こちらをクリックしてください。

7月2日午前0時、カウンター1000突破

本日、7月2日、午前0時ちょうど、カウンターが1000を突破しました。
ブログ開始から25日目でした。
本日から、さらに進化するようがんばります。後で、1000突破特集でも考えます。
とりあえず、眠いのでおやすみなさい。

2007年7月1日日曜日

白いゴーヤー(ニガウリ)、ホワイトゴーヤー

みなさん、沖縄ではニガウリのことをゴーヤーと呼んでいます。
ゴーヤーって緑色で、ぶつぶつでニガイ。これをすぐ連想しますよね。
白いゴーヤー、ホワイトゴーヤーを見たことがありますか。
実は、今日それに出会ったんです。

赤旗読者のKさん宅でです。Kさんのツツジの栽培とゴーヤーの栽培はお見事です。
毎年、春のツツジはいろんな種類の花が楽しめます。
また、ゴーヤーも毎年夏には、棚にいっぱい実っています。赤旗日曜版の集金の際にはいつも話が弾みます。

ところが、今回目にしたのが、この白いゴーヤー、ホワイトゴーヤーです。ゴーヤー棚に数本実っています。
突然変異なら一本ぐらいでしょうが、いくつもぶら下がっているということは、本マモンの白ゴーヤー、ホワイトゴーヤーです。



写真を見てください。見事なホワイトゴーヤーです。
Aさんに聞いたら、こんな種類とのこと。話しているうちに、「もっていって食べてごらんと」といって、もぎってくれました。
ついでに普通の緑色のゴーヤーもいただきました。



自宅に帰って、並べてみるとまるで別の野菜のようですね。



包丁で切ってみると、このようになりました。



スライスして、生で味わってみました。
どちらも、ほんの少々ニガイだけで、どちらかというと甘さがあります。私には、色以外は区別がつきません。
娘は、緑色がニガイといいますが。
Aさん、ごちそうさまでした。

みなさん、これから夏本番です。
夏ばてにはゴーヤーが一番ですよ。

久間防衛大臣の、原爆投下「しょうがない」発言は許せない

久間防衛大臣の暴言に抗議の声が広がっている。
安倍総理は問題視しない考えのようである。
一体この内閣は、日本が世界で最初に被爆し、多大な犠牲者を出したことを知っているののだろうか。また、核兵器は、非人道兵器、大量破壊兵器の最たるもので、国際法にも違反するものであるということも知っているのだろうか、と疑いたくなる。
きっと知らないのだろう。いや知っていながら意識的に発言しているのかもしれない。
この「しょうがない」発言の一番最後の文章をよく読んで見てほしい。
「国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはありえるのかなということも頭に入れながら考えなければいけない」と述べている。
「そういうことも選択としてはありえる」と明確にアメリカの原爆投下を正当化しているのではないだろうか。
被爆国日本の大臣としては絶対に許せない発言ではないだろうか。また、それを問題視しない総理大臣も同じように許せないのではないだろうか。

教育基本法の改悪、憲法改悪推進法の制定、沖縄戦の歴史の歪曲、従軍慰安婦問題での歴史の歪曲・・・・・等々、一連の暴走を始めた安倍内閣の元ででた発言である。
この戦争のできる国づくりへの暴走を今くい止めなければならない。それができるのは、参院選挙での国民の審判ではないだろうか。
たしかな野党・日本共産党の躍進こそ暴走をくい止める確かな力だと訴えたい。