2007年12月31日月曜日

今年最後の日。

今日はいよいよ大晦日。

ゆっくり家の掃除などしたいのだが、それもままならない。

最後の日が月曜日とあって、朝6時半には金城町のラジオ体操、7時半からは儀保十字路の朝立ち宣伝の日である。大晦日だからと言って休むわけにはいかない。

儀保十字路はさすがに行き交う車は極端に少なくなっているが、それでも一生懸命に手を振り続ける。

がんばれと声もかけられる。

この間、毎月曜日、儀保十字路の朝立ち宣伝を行なってきた。出張と休みの日以外は欠かしたことがない。

今日は、そのお礼を中心にマイクから訴え、来年の協力をお願いした。

地域のみなさんに支えられてこそ、このような朝の訴えが続けられるのである。

ありがたいことだと感謝しつつ、来年、必ず勝利をと決意を固めている所である。

今年もありがとうございました。

例年もよろしく。

2007年12月30日日曜日

寒さが身にしみます

今日はこの冬一番の寒さ。

外に出ると風が吹き一段と寒さが身にし、お年寄りに会うと「ヒークナティヤー」(寒くなったねー)から会話が始まり、若い人もブルブルふるえている。

こんな寒い日には、最近、自公の那覇市政が生活保護の冬季加算の廃止を提案したことに改めて思い起こし、心の芯までガタガタとふるえてくるような気になる。

この寒さでも、生活困窮者は我慢しなさい、沖縄は亜熱帯地方だから、夏と同じ生活様式でいいという態度に、弱者に冷たい自公市政だと改めて知らされた思いがする。

県は、那覇市政の冬季加算廃止の手案を受けたが、県としては他の市へアンケートも行なった結果、この制度は必要との結論に達したという。

当たり前である。

自公市政にないのは、お金ではなく、弱者を思いやる心、市民を思いやる心がないのである。

天気予報によると明日はもっと寒くなると言う。

天気の寒さより、冬季加算廃止を提案したという自公市政の冷たさが身にしみるようである。

2007年12月29日土曜日

沖縄県民は団結してがんばろう

今朝の新聞、県民大会実行委員会が年明け早々に文科省に、教科書検定意見の撤回と「日本軍の強制」の記述の復活をめざして要請することになったとの記事が載った。

多くの県民が当然のことと受け止めたに違いない。

政府、文科省は沖縄県民の団結をおそれて分断策をはかってきているようだが、それに乗せられてはいけない。

今回の決定を「まあまあのでき」とか「これで矛を収めよう」などとの一部の人達のことが新聞に載っていたが、それこそ相手の思うつぼ。

今回の事件は、歴史の事実を正しく後世に伝えるかどうか。真実を正しく書くかどうか、であり、これに「まあまあ」などあってはならないと思う。

県民は一致団結して頑張り抜くべきである。

私もがんばります。

2007年12月28日金曜日

那覇市議会の仕事納め式

今日、那覇市議会の仕事納め式が4時半からあり参加しました。

議長あいさつのあと、各会派代表が挨拶。日本共産党市議団からは私が挨拶しました。

私は、今年は、これまでの3期11年間の議員活動のなかでも一番の激動の年だったこと。

そして、その年を与野党の枠を超えてがんばってきた画期的なことが3つあるとして、

一つは、教科書検定問題が起きて、すぐに那覇市議会が動き決議をあげ、それが全県にひろがるきっかけをつくった。

2つめには、6月の検定本展示会を議会を行なったこと。これは、地方自治の歴史の中で初めての出来事ではないか。

3つめは、国の国保交付金の算定ミス問題で、超党派で要請団を派遣し、国にその補填を約束させたこと。これは、2月議会での国保の値上げについての大論争がその出発点だったこと等をのべ、

市民のために、大いに議論すべきは議論し、市民ために一致点で行動するときは大いに進めるという那覇市議会の歴史のなかでも特筆すべきとしだった。

また、来年はさらに激動の年となるでしょう。お互い全力でがんばろう。

と挨拶しました。

教科書から「軍の強制」削除。緊急抗議集会

昨日、文科省が教科書から「軍の強制」を削除した問題で、緊急抗議集会が開催されました。

約700名が参加し怒りを表明。

あの戦争を美化、正当化する勢力の策動は断じて許せません。

私たちは、あくまでも検定意見の撤回と記述の回復めざして団結して頑張ります。




国場430番地付近の坂道に大雨対策の横断側溝実現

国場430番地付近の急な坂道に横断側溝が実現した。

これは、7月の大雨で、大量の水がこの道に流れ込み、下手の民家の塀を崩壊させたもので、8月17日にこの対策を市に求めていたものです。

急な坂道のため、特殊加工されたグレーチングが設置され、水が流れ落ちる仕組みになっていました。

先週の大雨時にも早速を効果を発揮したとのことでした。


寒川町の急な坂の石畳道に手すりの設置工事始まる

昨日、寒川町の市道寒川2号線に手すりの設置工事が始まりました。

これは、先月の11月26日に死闘交渉していたものが実ったものです。

石畳道でもあるため、教育委員会文化財課との調整に時間がかかったようです。

急な坂道で、また石畳が痛んでいる場所もあり大変危険でしたが、これで少しは安心できます。

引き続き、根本的な整備にがんばります。


金城、寒川町の間を走るいろは坂にカーブミラー設置実現

昨日、赤丸宗通りと金城ダム通りをつなぐいろは坂にカーブミラーが設置されました。

急カーブで見通しが悪く大変危険でした。

近くの住むSさんからの要請を受けて市と交渉していたものです。


首里リュウボウ前の歩道に安全策

昨日、首里りゅうぼう前の道路拡張予定の市道で、工事が中断しているため、通行人が低いブロック塀に謝って足をかけて転んでいるとの話しがあり、早速、古堅茂治市議と一緒に市と交渉。

市は、「これは危ない。明日にも安全策を設置する」と約束。


左から古堅市議、渡久地修市議

県立病院センター前の道路冠水で、県・市と交渉

昨日、先週の金曜日の大雨で、県立病院センター前の県道がまたまた冠水し、一時通行不能になった問題で、県・市と交渉。

��月の大雨のときにも同様のことがおこり、市に改善を申し入れていた。その後、市と、県は、排水路の浚渫と、暗渠の浚渫、新たな排水溝の設置などを行なった。

ところが、今回の大雨では、この排水溝が木の葉っぱなどでふさがれて機能しなかったという。

今回の事態をうけ、県南部土木事務所、市の上下水道局と交渉。新たな排水溝を設置することなった。

また、抜本的な対策を急いで検討するとのことだった。

この交渉には、外間久子県議も同行してもらった。


昨日は風邪のためブログ休みました。

不覚にも、風邪をひいたようです。

籍がひどく、そのため体中の筋肉がメキメキときしんで痛いです。

昨日は、雨の中、朝立ち宣伝、県、市とも交渉、緊急抗議集会などに追われて体が冷えたのでしょうか。

大事をとって、早めに休んだためにブログの更新が抜けてしまいました。

それもでも、今日も、朝立ち宣伝は何とかこなしましたが、早めに直そうと思っています。

みなさんも気をつけてください。

2007年12月26日水曜日

教科書検定意見の撤回を。これが県民の願いです

文科省が、教科書検定意見の問題で、軍の強制の明記を認めない決定を出した。

教科書会社が訂正申請した日本軍の強制が削除されたり、薄められたりしたことなど断じて許せない。
ましてや、検定意見が撤回されなかったことは絶対に許せないことである。

日本軍の関与があったという記述など、沖縄県民と国民の大きな世論に押されて復活したものがあるという部分もあるが、それですまされるものではない。
文科省は、あくまでも日本軍の命令を否定しているのである。

日本軍による命令、強制、誘導、関与なしに集団自決など起こりえなかったのは歴史的事実である。このことは、この間の生き残りの方々の証言でも明らかである。

あの戦争は正しかったとする侵略戦争に無反省の政治の帰結である。

憲法9条を変えて、再び戦争のできる日本をつくろうとする動きと不離一体のものである。

私たち沖縄県民は、このような企みを断じて許さないだろう。

再度、教科書検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で決議

那覇市議会は、昨日の最終本会議で「教科書検定に関する意見書」を全会一致で可決しました。

��月15日に決議しましたが、文科省が、県民の声を無視し、軍の強制を薄めるようにとの「指針」を出したということへの事態を受けて、日本共産党市議団が、議会運営委員会に再度の決議を提案していたものです。

以下がその全文です。


教科書検定に関する意見書

去る9月29日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が、沖縄県知事、沖縄県議会議長、那覇市長及び県内41全市町村議会をはじめ、県民が一体となり、復帰後最大の県民の参加で開かれ、文部科学省による沖縄戦の歴史の歪曲に抗議し、その実相を正しく継承していかなければならないという熱い思いのこもった大会となった。
旧日本軍の関与が削除されたことを機に、これまで証言をためらっていた戦争体験者の方々から、沖縄戦に関する新たな証言が相次いでいる。
当市議会は、復帰35周年の5月15日、沖縄戦における「集団自決」が、日本軍による命令・強制・誘導等なしに、起こりえなかったことは紛れもない事実であり、そのことがゆがめられることは、悲惨な地上戦を体験し、筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられてきた沖縄県民にとって、到底容認できるものではない。沖縄戦の歴史を正しく伝え、悲惨な戦争が再び起こることがないようにするためにも、今回の検定意見が速やかに撤回されるよう意見書を提出した。
しかし、文部科学省は、那覇市民、沖縄県民の沖縄戦における「集団自決(集団死)」の実相、体験を無視し、教科書会社による訂正申請に対し、再度の書き直し「指針」を伝えたことが明らかになった。
この「指針」に示された内容は、「沖縄戦の事実を正しく伝えてほしい」との市民・県民の思いに応えるものでなく、軍の強制をあいまいにするもので到底容認できるものではない。
よって、文部科学省は、「沖縄戦の事実を歪曲してはいけない」との市民・県民の声を真摯に受け止め、速やかに検定意見を撤回し、記述を回復されるよう、再度強く要請する。

以上、地方自治法第99条の規定により、意見書を提出する。

平成19年(2007年)12月25日
那 覇 市 議 会 

あて先  衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣、文部科学大臣   

2007年12月25日火曜日

面白いの発見、ブログランキング

多またまブログランキングというものを見つけた。

芸能人など有名人のブログのランキングで、そこに政治家という欄があったのでのぞいてみた。

すると私のブログもランキング入りしていた。

当初は30位ぐらいだったが、次第にあがり10位、8位になり、昨日はとうとう5位になった。

面白いものだと見ていたら、昨日の一瞬だが4位になった。不思議なものだと考えているうちに今朝みてみると5位になっていた。

ちなみに、政治家の部の1位が東国原宮崎県知事である。これはうなずける。ずっと順を追ってみてみると、有名に国会議員、政党党首なども出てくるので、そういうなかでの5位とは、なかなか解せないことではあるが、いずれにしても、多くの方がこのブログをみて、私や、日本共産党のことについて少しでも理解できることに役立てば幸いである。

昨日まで3連休で、今日出勤して、このブログをチェックする役所の職員の方々もいらっしゃるでしょう。おはようございます。

まず、このランキングも興味津々でのぞいてみてください。

こちらをクリックしてください。


2007年12月24日月曜日

今日一日の出来事

今日は、振替え休日。

でも、私たちには休みはなし。

朝6時半、金城町のラジオ体操に参加。

��時半、儀保十字路での街頭演説前の掃き掃除。ポイ捨てタバコがいっぱい。

��時45分から手振り宣伝。8時過ぎからマイクでの訴え。休日なので車はいつもの半分以下。

��時45分、朝食。

��時、パソコンで事務整理。

��0時、新婚旅行に出かける娘夫婦を見送る。いってらっしゃーい。

��1時、相談者と面談。その後、市議会へ。途中で弁当を買う。

��2時半、弁当を食べる。

��2時45分、明日の本会議の総務委員長報告の打ち合わせ。

��時、党市議団会議、明日の打ち合わせ。5時近くまでかかる。

��時半帰宅。雨。

��時、妻はビラ配布へ。

晩は、母の葬式のお礼状発送のため、住所未記入の方々の整理など追われる。

明日の最終本会議が終われば、いよいよ本格的に県議選の勝利へ向けて動くことになります。

みなさんのご支援をお願いします。

2007年12月23日日曜日

赤嶺政賢衆院議員と街頭宣伝

今日、3時半から赤嶺政賢衆院議員と街頭宣伝。

年金の公約違反問題など、市民の怒りと日本共産党への期待が伝わってきました。




御茶屋御殿復元期生会の懇親会

御茶屋御殿の復元期生会の総会が開催され、その後の懇親会に招待され参加しました。

琉球王朝時代の文化の中心となった御茶屋御殿は戦禍で消失。首里城ともにその復元は長年の悲願でした。

復元期生会が出来て11年目とのことです。

「会長の宮里朝光先生は、私の中学校時代の恩師でもあります。今年、奥さんが他界したばかりですが、悲しみを乗り越えて、復元のために尽力されていることに感動を覚えます。先生をはじめ期生会のみなさんのご奮闘は必ず、県民を動かし、政府を動かし、復元へと実って行くでしょう。戦禍で消失した沖縄の文化遺産の復元と後世に伝えていくことは私たちの大きな使命です。戦前の文化遺産を実際にご覧になり、接してきた方々が元気なうちに、御茶屋御殿の復元を実現し、さらに、中城御殿、円覚寺の復元へとつなげていきましょう」と挨拶しました。



右から、浜比嘉先生、渡久地修、宮里朝光会長、桑江義直事務局長



2007年12月22日土曜日

娘が結婚しました。

今日、娘の結婚式でした。

��時半から、教会で結婚式を挙げ、7時から披露宴でした。

景色のいい教会でした。披露宴も、娘と彼氏が自分達で企画したようで、娘の受け持っているクラスのビデオレターや、友人・職場代表挨拶など、どれも心温まるもので、和やかな暖かい結婚式だったと思います。

昨日のブログに、「娘は、弟に『父さんは結婚式で泣くはずよ』と言ってたという。私は、『絶対に泣かないよ。泣くのは母さんだよ』と言ったが、明日はどうなるのだろう」と書きましたが、果たしてどうだったのでしょうか・・・・?

みなさんの想像にお任せします。


教会での式を終えて。


新郎新婦と渡久地修(右)、渡久地栄子(左)


和代と記念撮影


受付に飾られた、娘の担任のクラスの子どもたちからの
和代先生の絵のプレゼント

沖縄協同病院の新病院建設起工式

わったー病院・・・、沖縄協同病院の新しい病院建設の起工式が今日、建設現場の隣の古蔵中学校体育館で盛大に行なわれました。

組合員、職員など体育館いっぱいの参加者が、新しい病院建設を喜び合いました。

場所は、現在の協同病院の川向いの那覇市古波蔵で、床面積も今の倍になるとのことです。

みんなでぜひ立派な病院の建設を実現させたいものです。


起工式の幕開けの模様。


会場で

2007年12月21日金曜日

明日、娘の結婚式

明日、娘が結婚する。

「寂しくなりますね」といろんな方から言われるが、どうなのだろうか。

あまり忙しいくてそういうことを考えているゆとりがなかたということもできるが、逆に、息子が一人増えるのだと思っているのかもしれない。

娘は、親に頼らずに自分たちで結婚するのだといって、式やら披露宴やら、彼氏とすべて相談しながら自分たちで行なっている。親の出番はないようだ。ありがたいことだ。

娘が小さい頃は体が弱く、高校を卒業するまでも、将来どうなるのだろうと親心にも心配したものである。

ところがどうだろう、今は、小学校で子どもたちを教えているのだから親ながらも感心してしまう。

去年の小学校のクラスの子どもたちと親たちが公民館を借りて、結婚式をやってくれたようである。今年の小学校の子どもたちは明日の結婚式でビデオ出演するといって先日録画撮りをすませたという。

娘は、弟に「父さんは結婚式で泣くはずよ」と言ってたという。

私は、「絶対に泣かないよ。泣くのは母さんだよ」と言ったが、明日はどうなるのだろう。


2007年12月20日木曜日

国保過小交付金問題、年度内に解決へ。厚生労働大臣が明言

国保の国の算定ミスによる過小交付金問題で、那覇市議会は、安慶田j光男議長を団長に全会派の代表による要請団を派遣、今日、朝から精力的に政府と国会に要請行動を展開しました。

日本共産党市議団からは、渡久地修市議団長が参加。

午前中は、県選出の国会議員をはじめ、衆院、参院の議長に要請。

国会開会中のため、議員本人と会えたのは、島尻安伊子、糸数慶子参院議員、下地幹夫、嘉数知賢、仲村政治衆院議員。
日本共産党の赤嶺政賢衆院議員と照屋寛徳、西銘恒三郎、安次富修衆院議員、山内徳信、喜名昌吉参院議員らは本会議などのため秘書が対応しました。

��1時半からは、総理官邸で岩城光英内閣官房副長官に要請。

官房副長官は、「急ピッチで法整備を進めている」「なんとか解決したい」と発言。

「急ピッチで進めているとのことですが、それは今年度内に行なうと理解していいですか」との私の質問にも、「はい、年度内ということです」と明言しました。

午後は、桝添厚生労働大臣に要請。

これには、別件で上京していた翁長那覇市長も合流。

大臣は、この問題は「きちっと責任をもって解決する」と約束しました。

この過小交付金の額は、那覇市で約5億5千万円、全県で11億円余になります。



  総理官邸で。2列目右端が渡久地修


  総理官邸内の官房副長官室。机の前が岩城官房副長官


右から桝添厚生労働大臣、翁長那覇市長、安慶田議長、
左から2人目が渡久地修


 糸数慶子参院議員と


総理官邸前の銀杏の紅葉


東京からの発信

今、東京の都市センターホテルです。

昨日、政府要請のために到着しましたが。

夕食を食べてホテルに帰るとき、コンビにで那覇市長と偶然に会いました。

こんなこともあるものですね。


2007年12月19日水曜日

国保特別交付金算定ミスによる過小交付金問題で政府要請へ

今日、12月定例会の委員会審議が終了しました。

このあと、昼の飛行機で東京へ。

国民健康保険の特別調整交付金の国による算定ミスによって、那覇市に同交付金がこれまでに5億5千万円あまりになっている問題で、早急に那覇市に交付するように那覇市議会の代表として政府要請に行ってきます。

明日、1日中関係機関、国会議員などに要請行動を行い、明日の最終便で帰る予定です。

2007年12月18日火曜日

おもろまちの市有地売却について、陳情審査

今日、那覇市議会総務委員会で、おもろまちの市有地売却で、136㍍の超高層マンションが建てられることについて、これに反対している住民からの陳情審査が行なわれました。

市役所が建設されるからと土地を購入し家を建てた住民、、あるいはマンションを購入した方々にとっては、切実な問題です。

反対署名も1万2千人が集まったとのこと。

市は、この声に誠実に応えるべきです。



陳情審査の模様。こちら側が陳情人。向う側左が渡久地修委員長

2007年12月17日月曜日

那覇市議会、12月議会の個人質問が終わり、明日から委員会審議。

那覇市議会の12月定例会の代表・個人質問が今日で終了しました。

明日からは2日間の日程で委員会審議です。

今日、これまで、那覇市当局は、日本共産党市議団が無駄使いと指摘していた、企業が行なう旭橋駅周辺再開発への補助金はやめよ、補助金への市の起債の充当は違法との指摘に、これまでは、問題ないと突っぱねてきていましたが、日本共産党の大城朝助議員の質問に、市のミスであることをはじめて認め、当銘副市長が謝罪しました。

補助金に起債を充てるのは違法と、これまで何度指摘しても居直り続けていましたが、11月に日本共産党市議団が総務省や国土交通省との聞き取りや、県からの聞き取りなどで、市のミスがハッキリしてきたものです。

市は、猛省すべきです。


2007年12月16日日曜日

日本共産党南部地区党会議が行なわれました

今日、日本共産党沖縄県南部地区党会議が開かれました。

規約に基づく一年に一度の会議です。

一年間の活動方針と、新しい地区委員を選出しました。

私は引き続き南部地区の副委員長を務めることになりました。

この会議では、今の自公政治のもと、県民のくらしがますます大変になっている実態がだされました。同時に、国民が立ち上がれば政治を変えることができることができるということも示されました。

そして、日本共産党のがんばりが特に求められていることがこもごも語られ、来年の県議選挙の勝利、解散総選挙の勝利に向けて決意を固めあいました。

2007年12月15日土曜日

銀色に輝くサトウキビ畑

今日、外間久子さんと街頭演説に出かけた。

仲井真という地域で、那覇市にしては珍しく、丘陵のなかにサトウキビ畑が広がっていた。

そのサトウキビ畑の真ん中に宣伝カーを入れ演説をした。

演説をしているそばはサトウキビしか見えない。頬をサトウキビの葉がこする。

背丈より高い位置に、銀色に輝くサトウキビの穂が揺れている。

西の空からは、曇り空ではあるけれでも、それでもまぶしい太陽が降り注ぐ。

銀色の穂がさらに輝いている。

外間久子さんの演説の途中ではあるが、サトウキビの穂に魅せられて何枚か写真をとった。

このような景色はめったにみられない。

曇り空の日に輝く銀色の穂。那覇市内での景色である。


脳ドックの結果

一月ほど前にうけた脳ドックの結果についての説明が今日ありました。

一月も近くもかかるのですね。

心配していましたが、結果は正常でした。一安心。

健康は不摂生が一番の大敵なようですが、いざ実行となるとなかなか難しいかも・・・?

それでも、健康が一番、がんばりましょう。


2007年12月14日金曜日

沖縄クレジット・サラ金被害をなくす会の定期総会

今日、沖縄クレジット・サラ金被害をなくす会の第12回定期総会があり参加しました。

長い運動の結果、去年12月には、貸金規制法の改正をかちとり、グレーゾーン金利の撤廃(あと2年後)をさせるなどの大きな前進の中での総会でした。

過払い金返還でも大きな前進がありましたが、それでも被害者はまだまだたくさんいます。

この方々の救済と、さらに高金利のない社会へ、根本的には貧困をなくすことが大事だと痛感しました。


2007年12月13日木曜日

外間久子県議が沖縄衆院一区に出馬表明

解散総選挙が予想されているもとで、日本共産党沖縄県委員会は、今日、記者会見を行い、赤嶺政賢衆院議員は比例単独候補とし、一区に外間久子さんを擁立することを発表しました。

今の自公の弱い者いじめの政治のもと、外間久子さんの出馬は、政治を変えたいと願う県民の期待に応えるもので、勝利するために全力でがんばらなければなりません。

自公の政治があまりにもひどく、その被害を一番受けているのがこの沖縄であり、外間久子さんの勝利への条件は十分にあります。

また、比例代表選挙でも九州・沖縄での2議席の確保にも大きな展望を切りひらくものとなります。

個人質問が終わりました

今日、個人質問を行ないました。

新都心の那覇市有地の売却を本土企業に行なおうとしていることを追及。

首里からの景観も壊されてしまうことについてただしたところ、市当局は、首里からの景観のシュミレーションも行なわないのに、景観は壊れないなどと強弁。

市長にいたっては、逆に、超高層ビルが建つことが、首里から那覇市の経済発展の展望を見ることができるなどと、開き直った発言に終始。

都市計画マスタープランにある「首里八景からの眺望を守り保全する」ということはまったく無視し、首里からの景観が壊されることにはお構いなしの姿勢で、首里の住民への説明会も必要ないとの態度で、ほんとに住民不在、本土企業優先がありありでした。


2007年12月12日水曜日

明日、12月議会の個人質問です

明日、個人質問の日です。

おもろまちへの、超高層マンションの問題などを取り上げます。

本土資本への売却ありき、市民置き去りのやり方がありありです。

がんばって質問を展開したいと思っています。

2007年12月11日火曜日

新基地建設反対の緊急集会

今日、夕方6時から、新基地建設を白紙撤回せよと緊急集会とデモが行なわれ参加しました。

明日、普天間代替施設移設協議会が開催されるとのことで、仲井真県知事がほんの少しの修正で、基地の建設を認めるとの動きから、これに反対し、白紙撤回を求める抗議集会でした。

集会後、牧志まででも行進しました。

議会の代表質問の日で、5時近くまで本会議が続き、その後、団会議や明日の対策などに追われましたが、何とか参加することができ、最後まで参加し、普天間基地は早期返還せよなどとアピールしました。


2007年12月10日月曜日

個人質問の発言通告提出

今日、個人質問の発言通告の締め切り日でした。

質問の日は、13日の木曜日です。
通告は以下の通りです。

��、日豪EPA協定について

政府・農水省は、日本共産党赤嶺政賢衆院議員と那覇市議団の政府交渉で沖縄のサトウキビ、パインを除外すると明言した。間髪を入れずに、市長会としても、県、関係団体と一緒に、同協定を締結しないように再度、政府に要請すべきである。

��、おもろまちの那覇市有地売却と超高層ビル建設を中止し、住環境を守り、那覇市の景観を守ることについて、

��1)那覇市に超高層ビルが乱立し始めているが、80メートル以上の建築物が現在いくらあり、計画はいくつあるのか。ほとんどが本土資本ではないのか。
世界遺産、景観法、市の景観条例、市都市計画マスタープランの趣旨に反するのではないか。無秩序な乱開発を防ぐためにも、高さの制限が必要であり、景観審議会にかけるべきである。見解を問う。    

��2)まちづくりについて、都市計画マスタープランの上位法である、第3次総合計画と、今回提案している次期那覇市基本構想のなかでは、どのように位置づけ、どのような手法を書いてあるのか。

��3)首里金城町・当蔵町の景観条例の目的、位置づけと、住民合意まで何年、何回、話し合いをもったか。今回、おもろまち住民とは何年、何回かけて話し合ったのか。
   また、市の都市計画審議会と県からの意見についてどう対応するのか。住民合意ができるまで凍結すべきである。

��4)市の都市計画マスタ-プランでは、首里の景観形成方針をどのように位置づけているか。
新都心の庁舎予定地に計画されている超高層マンションが建設されたら、首里からの景観は台無しになってしまう。首里城、雨乞御獄、虎瀬公園、観音堂からの景観はどうなるか、図で示してもらいたい。
また、首里の住民への説明は何回行ったのか。歴史と伝統を守るために努力、協力してきた首里の住民の意思は無視してもいいという立場か。世界遺産の首里城や、首里からの景観は壊されてもいいという立場なのか。

��、小中学校のクーラー設置事業の促進について

��1)普通教室へのクーラーの設置について、これまでの整備状況と、こども達の感想、現場の状況について伺う。
また、日本共産党市議団は、クーラーの維持費も当然、国庫で負担すべきと、去年に続き今年も政府に要請してきた。文科省の担当者も、クーラー設置の必要性を認め、沖縄の教室の暑い実態について調査することを「前向きに検討する」と約束した。
市としても、国に対し、夏場の暑い教室の実態調査を求めることと、維持費の国庫負担を要請すべきである。

��2)本員は、初当選以来一貫してクーラー設置を提案し、市長も「市長も清水の舞台から飛び降りる覚悟で」と5カ年計画での設置を約束したが、今年はその最終年度であるがまだ半分も残っている。それを、企画部が査定して中止するとのことだがとんでもない。こども達への約束を守れ。市長の答弁を求める。


2007年12月9日日曜日

日本共産党演説会

昨日8日、那覇市民会館で日本共産党演説会が開催され多くの党員、後援会員、支持者、市民が参加しました。

来年6月の県議選挙の6人の候補者が勢揃いして決意表明。私も3分という限られた時間でしたが、一生懸命になんとしても勝利をかちとらせてくださいと決意と支持を訴えました。

田村貴昭衆院比例代表候補、赤嶺政賢衆院議員が、今の政治の動向と国民生活について詳しく解明しました。


訴える渡久地修候補


教育シンポジウム

昨日、那覇市の与儀小学校で、「沖縄の子どもたちに豊かな学力を」と題した教育シンポジウムがありました。

沖教祖那覇支部、沖縄子ども研究会、沖縄県民間教育研究団体連絡会などが共催したもので、多くの父母、教師、関係者が参加していました。

全国一斉学力テストに唯一参加しなかった、愛知県犬山市の教育関係者の中嶋哲彦名古屋大教授の講演がありました。

その後、教師、保護者、大学教授らのシンポジウムが行なわれましたが、学力テストの問題点、子どものの本当の学ぶ喜びとはなんだろうなど、考えさせられるとても時機にかなった催しでした。

沖縄の教育行政に関わる方々にも大いに参考になるものでした。


2007年12月8日土曜日

街宣中にFA18ホーネットが爆音まき散らし頭上を飛行

昨日、新都心で田村比例候補と街宣中に、米軍機が2機編隊で爆音をまき散らし頭上を飛行していきました。

ちょうど、F15戦闘機の欠陥問題と撤去、即応訓練の即時中止を訴えていたところでした。

��A18ホーネットだと思われますが、マイクの音もかき消され中断するるほどでした。

米軍の傍若無人ぶりはひどいものがあります。

まるで沖縄を未だに植民地と思っているのでしょう。そして、それに対して、何一つ抗議や中止の申し入れのできない日本政府に怒りを覚えます。

こんな米軍いいなり、アメリカいいなりの今の自公政治は早く変えていきましょう。

昨日の写真が、衆院沖縄分室から送られてきましたが、それに、このホーネットの写真もあったので、怒りを込めて紹介します。



田村候補と、マイクで訴える渡久地修。安里で。



街宣中にFA18ホーネットが飛行。爆音で一時中断。右上に2機が写っている。新都心で。


2007年12月7日金曜日

田村貴昭衆院比例候補と街頭演説

今日、朝の7時半から首里の汀良十字路で朝立ち宣伝。

10時からは、九州比例ブロックの田村貴昭衆院比例代表候補とともに街頭から日本共産党の躍進を訴えました。

安里、おもろまち、古島と訴えて回りました。

私は、教科書検定意見を撤回せよ、欠陥機であるF15戦闘機は直ちに撤去せよ、新都心への超高層マンションの建設そ進める本土資本に那覇市の土地を売却するなと訴えました。

田村候補は、アメリカいいなり政治、大企業いいなりの政治を告発、弱い者いじめのj自公政治の転換を訴えました。

多くの市民の手を振っての激励がありました。

2007年12月6日木曜日

インフルエンザ予防接種

��2月議会も始まり、めまぐるしい日々です。

今日も、朝の街頭宣伝、外間久子さんと安里で行ないました。

午前中は団会議、午後2時過ぎからは、代表質問の当局の聞き取りでした。

その合間を縫って、インフルエンザの予防接種をはじめて受けました。

今年はインフルエンザが大流行するとの話しもあり、また、こんなときにインフルエンザにかかったら大変と思って受けました。

費用は自己負担でした。

これから、来年の県議選挙の勝利に向けてがんばらないといけません。

みなさんも、くれぐれも健康には気をつけてください。

2007年12月5日水曜日

首里金城町の側溝設置交渉

昨日、首里金城町の住民から電話があり、自宅前の市道に水がたまり出入りできないとの苦情がありました。

早速、現場調査、市と交渉。

側溝の設置、工事中の安全蓋の取り替えなどをすぐに行なうことになりました。


12月議会、昨日から開会

昨日、12月那覇市議会が開会しました。

市立保育所の廃止や、病院の独立行政法人への移行に向けて職員の身分を移す議案、住環境と景観を破壊する巨大ビルの建設へとつながる市の土地を本土資本に売り渡す議案などが出されています。

住民のくらしと福祉をまもるためのがんばりが求められています。



写真は、総務委員長として決算審査の報告

嘉手納基地への米軍攻撃機の大挙飛来と即応訓練に抗議、中止をもとめる

今日、日本共産党沖縄県委員会として、那覇防衛局と外務省沖縄事務所に抗議と中止を求めてきました。

岩国基地から30機の戦闘機が大挙飛来、空軍と海兵隊が合同の即応訓練を強行。

基地周辺では大変な爆音に。

基地負担軽減といいながら、新たな基地の強化負担の増加になっています。

防衛局も外務省も米軍いいなりに終始していました。私は防衛局と外務省自らが調査をするように追及。

防衛局は嘉手納防衛局の職員を派遣し調査と報告を約束しました。

外務省でも担当者が、調査と報告を約束しました。

また、外務省では、負担が増加していると認めました。

最近の米軍の傍若無人ぶりは目に余るものがあります。

米軍の植民地意識と、日本政府が、きちんと抗議と中止を求めない姿勢に一番の原因があるのではないでしょうか。

アメリカいいなりの政治の転換が求められています。


手前、右から3人目が渡久地修。12月5日、那覇防衛局

2007年12月3日月曜日

瀬長亀次郎の演説の魅力とは

瀬長亀次郎生誕百年記念、講演と文化の夕べが浦添市で開催された。

赤嶺政賢衆院議員の挨拶のあと、演劇集団FECのコント「お笑いカメジロー」が繰り広げられた。

瀬長亀次郎を知らない世代のコントだけに、どういうものになるのか興味があったが、笑いと風刺ありで楽しかったが、やはり世代の相違は否めなかった。もっと若い世代の感覚を学ばなければならないかもしれない。

比屋根照夫先生の講演は、これまで私の中にあった、瀬長亀次郎の演説の魅力、大衆を引きつけたものは何かという疑問にこたえるものだった。

瀬長亀次郎の演説は、沖縄の方言を使い、痛烈に的を批判し人々を引きつけた。

それは、テレビ、ラジオのない時代に、その演説会が教育の場であり、情報伝達の場であった。

県民の沖縄戦の体験、米軍統治の不法、不理に対する怒り、その現実を瀬長亀次郎が代弁していた。

時代の苦悩を引き受けて、瀬長亀次郎の体験と共有し、瀬長亀次郎に託した時代だった。

比屋根先生の話はなるほどとうなずくものだった。

今日は貴重な話しを聞いた想いである。

私も、県民の声を代弁できるように、瀬長亀次郎の演説に学ばないといけない。

2007年12月2日日曜日

おめでとう。那覇マラソン、息子が完走。

今日、那覇マラソンだった。

息子が初出場。見事に完走した。

��時間57分だったとのことである。

42.195キロの距離を走覇するのは大変なことだと思う。

私も、過去に5回出場し、3回完走したことがあるので、その大変さは分かっているつもりである。

フルマラソンを完走するには、毎日の練習が欠かせない。

私も、以前は毎日と言うほどジョギングを行なっていた。

毎日10キロ。

しかし、運動神経の鈍い私は、ペースはものすごく遅い。

しかし、そんな私でも、毎日、1年も練習を重ねると、フルマラソンにも出場出来るようになっていた。

私の場合は、5時間14分ほどだったと記憶している。

毎日、ジョギングしないと落ち着かなくなるほどで、おかげで体力にも少しは自信をもてるようになったが、ここ最近は、忙しいことを理由に走ることがなくなってしまった。

ジョギングをしている人を見ると、自分も走りたくなり、うらやましく思いながら、またはじめようと何度も決意だけはするが、実行できないでいる。

息子の那覇マラソン出場をまた一つのきっかけにして、ジョギングを始めようかと思っているが、はたしてできるだろうか。

もう一度、那覇マラソンに出場する日が来るのだろうか。

2007年12月1日土曜日

上原亀一郎さん逝く

上原亀一郎さんが昨日亡くなりました。

米軍占領時代に瀬長亀次郎さんらとともに、祖国復帰運動の先頭にたった闘士で、糸満市長、立法院議員、県議会議員などをつとめました。

演説や会議での発言などは亀一郎節と称され、「アメリカ帝国主義の日本・沖縄支配と日本独占資本の沖縄食い荒らし」を徹底的に看破してきました。

いま、アメリカいいなり、大企業いいなりの政治をただす大きな激動の情勢の時期に、亀一郎さんを失ったのは残念でなりません。

しかし、その亀一郎節は、私たちが引き継いでいきます。

亀一郎さんのご冥福をお祈りいたします。

合掌。