2007年11月29日木曜日

寒くなってきましたが、自公市政の方がもっと寒く感じます。

今日、北風も強く雨も降り一気に寒くなってきました。
「寒くなりましたね」が挨拶になってきました。

特にオートバイに乗っていると寒さが一段と身にしみます。

でも、その寒さより、那覇市政が生活保護世帯の冬季加算は沖縄にはいらないといって、政府に廃止を要請したということの方が、さらに寒さと冷たさを感じさせます。

生活保護世帯の方々は、寒さも我慢しなさいというのでしょうか。

マッチ売りの少女が、寒くて凍えそうな中でマッチをともして暖かくなろうとした物語を想いおこしてしまいます。

弱い者や市民に冷たい今の自公市政から暖かい市政への転換が求められています。

2007年11月28日水曜日

後期高齢者医療制度は凍結、中止を

昨日の沖縄の後期高齢者医療制度議会は、保険料を決定した。
一人あたり年間61,805円もの保険料である。

年金から天引きするというまさにお年寄りいじめの制度である。

これまで、度重なるお年寄りへの負担の押しつけや病院からの追い出し。

自公政治のお年寄りいじめもついにここまで来たかということになる。

日本共産党の3人の後期高齢者医療議員は反対し、凍結、中止を求めたが、賛成多数で強行されたという。

この制度は、政府さえも凍結を言い出す始末のものであり、中止しかない。

もっと国民の世論に訴えていくことが重要だと思う。

2007年11月27日火曜日

沖縄、那覇の農業について考えさせられた1日

今日、那覇市農業委員会が開催されました。

その中で、11月15日、16日の日本共産党沖縄議員団の政府交渉のなかの農水省との交渉につて報告しました。

農水省が日豪EPA協定で、沖縄のサトウキビやパインなどが壊滅的打撃を受けるという認識を示し、サトウキビ、パインを協定品目から除外するという姿勢は譲らないと明確に述べたことを報告。

そして、それで安心というわけにはいかない、もっと、農協や農業委員会、県や市町村がいったいとなって、EPA締結反対の声を広げていくことの重要性を訴えました。

その後、事務局から、衝撃的な報告がありました。

那覇市農業委員会を廃止するという市の方針が示されたのです。

なんと、沖縄の農業、那覇市の農業について、肝心の市がそういうことでどうなるのでしょう。

私は、即座に、存続を強く訴えましたが、参加した農業委員の全員が存続すべきとの立場です。

那覇市政は、沖縄や那覇市の農業を発展させる展望の施策も姿勢もないのかと悲しくなる出来事でした。

2007年11月26日月曜日

寒川町の急な坂の石畳道に手すりの設置交渉

首里寒川町の市道で急坂の石畳道に手すりの設置の交渉を行ないました。

これまでも幾人かが転んでいる場所で、手すりの設置が求められています。

市も設置の必要性を認め、早速手配を行なうことになりました。

2007年11月25日日曜日

日本平和大会in沖縄、キャンプシュワブ基地包囲行動

今日、日本平和大会in沖縄の最終日、キャンプシュワブ基地の包囲行動が行なわれました。

日米両政府があくまでも辺野古に新基地を押しつけようとしているもと、絶対に基地の建設はさせないと、

全国と沖縄からの参加者1300人が手をつないで、基地の金網の1,3キロを包囲しました。

海外代表も参加して、基地に向かって「新基地建設反対」などのシュプレキコールと、手をつないだ人間の鎖とウェイブを2回にわたって行ないました。

人間の鎖行動では、海外代表も挨拶、また、「辺野古のオジー」こと嘉陽宗義さん85歳も、辺野古のみなさんと一緒に参加し挨拶し、参加者とともに最後までたたかおうと連帯を深めました。



キャンプシュワブ基地の第一ゲート前。
「米軍海兵隊施設、無断に立ち入ることは出来ません。違反者は日本国の法律によって罰せられます。」の看板が。



嘉陽宗義さんらと一緒に新基地建設反対のシュヒレキコールを行なう


人間の鎖でキャンプシュワブ基地を包囲。
左から、渡久地修、嘉陽宗義さん、赤嶺政賢衆院議員



嘉陽宗義さんを囲んで
後ろ左から、渡久地修那覇市議団長、西銘純恵浦添市議、
真栄里保県常任、嘉陽宗儀県議、玉城のぶ子元県議

2007年11月24日土曜日

後期高齢者医療制度に不安の声

今日は、半日支持者訪問を行ないました。

多くの方から後期高齢者医療制度について、不安の声が出されました。

��5歳以上のお年寄りから保険料を強制的に取り立てることなど、少しずつしられるようになっているようです。

こんなお年寄りいじめの制度は中止させましょうと訴えてきました。

その中で3人の方が日曜版を購読してくれました。

2007年11月23日金曜日

弱い者いじめの自公那覇市政の正体みたり

今朝の沖縄タイムスのトップ記事見て怒りを覚えている人は多いと思う。

生活保護の「冬季加算」という制度を廃止を要請と報道された。

生活保護は憲法25条の「国民の最低限度の生活を営む権利」の保証として、最後のセーフティーネットの役割を果たしている。

その冬季加算は冬場の暖房費などを保証するものだが、沖縄は年中暖かいのでいらないといって、なんと那覇市から国に要請したとある。

最初は、国が廃止を言ってきたと思ったが、那覇市の方から要請したとのことである。

許せないことである。

自公の翁長市政は、これまでも福祉や教育の予算を削ってきた、来年度に向けても、さらに福祉、教育の予算を削ることを明らかにしている。

そして、今回の那覇市からの生活保護の冬季加算の廃止要請。

自公・翁長市政の弱い者いじめの姿勢がありありである。

一方では、企業の行なう旭橋再開発事業に市の予算26億円も補助するとか、船のこない大型な港湾開発に補助するとか、また、建設事業の落札率の問題などは逆に高止まりになっている傾向がある。

弱い者いじめをやめさせ、本土大企業や企業優先の政治から、市民優先の政治への転換が求められていると思う。

勤労感謝の日

今日は勤労感謝の日。公休日です。

公休日は逆に私たちにとっては一番忙しい日となります。
今日は、朝、母の告別式のお礼状の文案作成。その後は儀保町への挨拶回り。終わったのが1時半です。

昼食はを15分ですませ、2時から赤嶺政賢衆院議員との街頭演説のため合流地点へ急行。

��時半まで街宣。やっぱり今の自公政治に県民の怒りが高まっているのか、反応があります。

これから、4時半開始の平和大会へ行ってきます。

その後、同期会のちょっと早い忘年会です。

なかなか息つく暇もないですが、勝利めざしてがんばります。

2007年11月22日木曜日

認可保育園の園長会のみなさん方から要請をうけ懇談

今日午前10時から2時間にわたって、那覇市の認可保育園の園長会から要請をうけ懇談しました。

那覇市が、施設整備補助金や運営助成金の継続、特別保育事業への補助の充実など様々な要求が出され懇談しました。

那覇市が、一律の予算カットを行ない、それが子どもたちの分野にまで及び、保育に大きな支障を来している実態が浮き彫りになりました。

日本共産党市議団は、このような福祉予算の一律カットに反対して、子育て支援の充実に全力でがんばります。


園長会のみなさんと懇談。向う側左から2人目が渡久地修

日本共産党沖縄議員団の政府要請行動の成果を那覇市長に報告

 日本共産党沖縄県委員会、議員団の18人は、11月15・16日、赤嶺政賢衆院議員、内閣府、厚生労働省、国土交通省、文部科学省、防衛省、外務省、農林水産省、財務省に対して、55項目の県民の切実な問題について要請、交渉を行ない、政府側から、いろいろな貴重な答弁を引き出しましたが、この要請行動の成果を那覇市の行政にも生かしてもらおうと、今日、午後2時半から那覇市に対して報告を行ないました。

対応した当銘芳二副市長は、「ご苦労様でした。この報告はきちんと市長に伝えます」と述べました。

渡久地修市議団長の報告の骨子は以下の通りです。

��、 防衛、外務省には、普天間基地の撤去、辺野古や東村への新たな基地の建設をやめるように強く要請してきました。

��、 内閣府は、カジノについては、「刑法に触れ、法的に禁止されている。沖縄振興特別措置法にもなじまない」と明言しました。

��、 財務省には、庶民増税と消費税増税の中止を要請しました。

��、 厚労省では、国保交付金算定ミスによる県内自治体への過小交付額は、時効などつけずに全額交付すべきとの要請に、「厚労省としては、全額交付する方向で法制局と調整する」と答弁しました。
母子家庭の児童扶養手当の削減をやめるようにとの要請には、「就労支援が十分でない中での削減は大きな影響を与えるので手直しが必要」と認めました。
認可外保育園への給食費への支援と、固定資産税の非課税を強く要請しました。
後期高齢者医療制度と療養病床削減の中止を強く要請しました。

��、 農水省では、「日豪のEPA協定で沖縄のサトウキビやパイナップルなどは壊滅的打撃を被る。この認識を持っているのか。協定は締結すべきでない」との追及に、担当者は「壊滅的打撃を与えるという認識はわれわれも一緒。農水省としても(関税撤廃品目から)除外を求めるという姿勢は譲らない」と明確に答弁。
このことは、翌日17日の琉球新報が一面トップ記事で報道しました。

��、 文科省では、「歴史の事実を書くのが教科書ではないか」「証言者がうそを言っていると思っているのか」との追及に、「事実を書くのが教科書です」「証言者がうそを言っているとは思わない」と答弁しました。
「検定意見は撤回せよ」と強く求めてきました。
学校クーラーの維持費の補助について、「夏場の教室が35度、36度になり、授業への集中力が欠け、体にも悪い。ぜひ実態の調査に来てもらいたい」との要請に、「前向きに検討する」と約束。

��、 国土交通省では、戦争中の特殊地下壕の埋め戻し事業については、200万円以下にも積極的に対応する約束。災害支援法では、台風11号・12号も適用すると回答しました。


左から2人目が渡久地修、3人目が当銘副市長

ブルーインパルスの曲芸飛行に反対を―那覇市に申し入れ

今日、日本共産党那覇市議団は、「航空自衛隊那覇基地の航空祭における、ブルーインパルスの誘致及び飛行中止について」を翁長雄志那覇市長に対して申し入れを行いました。
対応した當銘芳二副市長は「ブルーインパルスの飛行は編隊飛行のみと聞いている。那覇基地は民間住宅地とも近接しており、これまで市長も明確に反対の立場を表明しており、曲芸飛行について容認できないと申し入れをしたところだ」と答えました。
私は、「これまで那覇市議会では那覇空港の早期民間専用化を求める意見書を全会一致で再三採択している。那覇市の立場も民間専用化であり立場は明確だ。ブルーインパルスの誘致及び飛行そのものに反対すべき」と強く申し入れを行いました。


2007年11月21日水曜日

脳ドック検査

今日、脳ドック検査を受けてきました。

はじめてMRIという検査機械の中に入りました。

ヘッドホンをつけていますが、すごい音が伝わってきます。

でもよく聞いてみると、ロックバンドのベースやらドラムのリズムのようにも聞こえます。

検査技師の方から、気分が悪くなったらこのボタンを押してください。その代わり、絶対の動かないで、瞬きも禁物ですと言われていたので、緊張して目をつむっていましたが、ロックバンドのリズムと思えば、まあ、乗り切れるものだと思いました。

検査が終わって、5種類ぐらいの音でしたね、どこから出ているのですかなどと尋ねてみたら、5種類の映像を撮っているので、音も5種類ですといわれました。

いずれにしてもホットしています。

しかし、検査結果は後日と言うことなので、安心していいかどうかはしばらくお預けのようです。

2007年11月20日火曜日

脳出血かとパニックに。おっちょこちょいの笑えない話

先日の出張のおり、高校時代の同期生と同じモノレールに乗り合わせることになった。

お互いに健康の話しに及ぶと、以前に脳内出血をおこして救急車で運ばれる羽目になった話しを空港まで聞かされた。
気をつけないといけないと分かれたが、まさか自分がそんな目に遭うとは思ってもいない。

��日後、ホテルから国会の赤嶺衆院議員の部屋へ行き、そこで資料に目を通そうとしたときだったと思うが、メガネをポケットから出してかけてみるといつもはハッキリ見えるのだが、逆にぼやけて見える。外して、またかけてもやっぱりぼやけてしまう。どうしたことか・・・。

何度やっても同じで、逆にぼやけてしまう。

その時に、一瞬、モノレールの同期生の話を思い出した。

これが、脳出血か、脳溢血かと、一瞬パニックになりそうになった。

念のために、メガネを拭いてみよと外して、右目のレンズ拭き、左目のレンズを拭こうとしたら、何時もと違って、レンズがあまりにも透明すぎるではないか。

不思議に思いながら、手をやると、なんと、レンズがない。

パニックの理由がやっと分かった。とたんに、力が抜け、われながら自分のおっちょこちょいぶりにあきれて笑ってしまった。

脳出血、脳溢血ではなかったのだ。片方のレンズがないから余計にぼやけてしまうのである。

一安心。

ところが、どうしよう。大事な政府交渉がこれでは大変だ。近くに百均はないし、国会のメガネやに問い合わせると3000円すると言うし、さて、どうしよう、どうしよう。

うろたえていると、赤嶺衆院議員が貴重なアドバイス・・・。

「なんで、メガネなしで行けばいいんじゃないの」・・・。

そうだよ、それでいいんだよと開き直って、交渉にのぞんだ。

幸い、細かな数字の資料などを見るような場面もなく、1.5なので、少々のものはメガネなしでも何とか事足りた。

ホテルに、念のために掃除の方に、床にレンズが落ちているかもしれないので注意してほしいと伝言してあったが、戻ってみると机の上に大事そうにおかれていた。

ほっとすると同時にわれながら、おっちょこちょいぶりに改めてあきれながら、フロントに、ありがとうとお礼の電話をいれた。

明日は、国保のくじであたった、初めての脳ドック検診です。

脳に異常がないように、待ち時間を過ごすための本と、両目のレンズの入ったメガネを忘れずにもっていかなければと思っています。



2007年11月19日月曜日

うれしい電話

今日の夕方、上間にお住まいのOさんから電話がありました。

たしか、10月11日だったと思うが、道路の横断側溝が壊れて車の通るたびにものすごい音がして眠れないという相談を受け、翌12日に市と改善の交渉を行なっていたものである。

その時は、応急措置をしてもらい、音はおさまったが、その後3週間ほどして、本格的な工事が終わっていた。

その電話は、お礼を言うのが遅くなってすみません、ほんとうにありがとうというものだった。

このようなお礼の電話をいただくとほんとにうれしくなる。今では静かに眠れるとのことである。

だんなが、老健施設に入所しているようで、介護の大変なようで、自身も週2回はデイケアに通っているとのことである。

それでも、私に、「健康が一番だから体に気をつけてよ」と気遣ってくれるのは本当にありがたい思いがする。

Oさんの心優しい言葉が何よりの励みになります。

12月議会の議案説明

今日、朝の10時から12月議会の議案説明がありました。

5時近くまでかかりましたが、市民生活や市政のあり方についての重要な議案だけに、説明もしっかりと受けなければなりません。

いろいろこ議会までに勉強する課題も多く、これから12月議会に向けてまた忙しくなりそうです。

2007年11月18日日曜日

学校クーラー維持費で政府要請。調査を前向きに検討を約束

16日の文科省との交渉で、学校クーラーの維持費への補助についても、去年も交渉しましたが、今回は大きな前進をかちとりました。

それは、沖縄の学校では夏場の室温が35度、36度になります。子どもたちが集中力がなくなり、めまい、吐き気など健康にも悪いという実態についてぜひ調査しほしいと去年、要望していましたが、そのことを質したところ、「調査していないとのことでした」。

今回、その実態を改めて示し、那覇市のクーラー維持費で年間9500万円もかかることなどを訴え、ぜひ、沖縄の子どもたちのおかれている環境を調査に来てほしいと再度要請しました。

これに対し、今回は、担当者は、「自分も鹿児島の出身であり、暑さについてよく知っているつもりであるが、要望は前向きに検討したい」と答弁しました。

クーラー維持費の補助の実現にも全力でがんばります。

「証言者がうそを言っているとは思わない」――党県委員会の政府要請で文科省の担当者が答弁

11月15日、16日の日本共産党沖縄県委員会と議員団の政府交渉で、文部科学省では、教科書検定の撤回と沖縄の小中学校のクーラーの維持費への国の補助の実現、戦後の混乱期に学校用地として接収した借用学校用地の買収事業へ国の補助を行なうことなど求めてきました。

教科書検定問題では、約50分間にわたって担当者とやりとりが続きました。

沖縄戦の悲惨な実態について、糸満市では一家全滅した世帯が約400世帯と言われている実態などや、浦添市議の比嘉愛子さんが、軍から渡された手榴弾で一家7人が自決しようと円陣をくんで爆発させよとしたが不発に終わったために現在生きているjという、自身の夫の話しを涙ながらに訴えました。

これには出席していた担当者ら2人も涙を浮かべていました。

私は、「教科書は、歴史の事実を事実として書く物ではないか。私たち県民は、事実を書いてほしいといっているだけであって、これが政治介入というのか」と言うことと、「新たな集団自決の被害者や生き証人が現われて証言しているが、この証言がうそを言っていると思うのか」と問いただしました。

担当者は、「あくまでも、歴史の事実を書くのが教科書です」と答弁。

また、「新たな証言者が出てきていることも承知している。この人達がうそを言っているとは思っていません」と明言しました。

「だったら、検定意見がやっぱり違っていたということだ。撤回すべきだ」と追求しましたが、

「事務方なので、これ以上のことはコメントできない」と答弁不能になりました。

県民大会実行委員会の政府要請行動にも参加しましたが、その時は残念ながら、文科省との交渉には人数の制限があって文科省の交渉には参加できずにいましたが、今回、教科書検定を所管している文科省の担当者と約50分間のやりとりで、それでも時間は足りなかったですが、重要な答弁を引き出せたと思っています。

検定意見撤回へさらにたたかいをつよめていきましょう。


2007年11月17日土曜日

「日豪EPA協定、サトウキビ・パイナップは除外に」。「沖縄農業に壊滅的打撃」と農水省が見解・・・共産党県委員会の政府要請に答弁

11月15日、16日両日の日本共産党沖縄県委員会、日本共産党沖縄地方議員団の政府要請行動が行なわれました。

赤嶺政賢衆院議員、田村貴明党九州沖縄ブロック比例候補、県議団、市町村議員団の計18人(団長・嘉陽宗儀県議、副団長・渡久地修那覇市議団長・県議予定候補)が参加しました。

総務省、内閣府、厚生労働省、国土交通省、文部科学省、防衛省、外務省、農林水産省、財務省の9つの省に対して、55項目の当面の差し迫った問題について要請、交渉を行ないました。

それぞれ、貴重名成果がありましたが、昨日16日の4時半過ぎから記者会見を行ないました。

私・渡久地修が報告しましたが、その中の日豪EPA問題について今朝の琉球新報が1面トップ6段抜きで大きく報道しています。

以下後段部分を抜粋

「共産党県委員会の渡久地修市議らは十六日、衆院第一議員会館で農水省の担当者にたいして『サトウキビやパイナップルなどの沖縄農業に壊滅的打撃を与えるEPA協定は締結すべきでない』と要請した。
 これに対し担当者は『(沖縄農業に打撃を与えるという認識は)われわれも同じだ。農水省としても(関税撤廃品目から)除外を求めるという姿勢は譲らない」と答えた。
 県試算によると、サトウキビなど四品目の関税が撤廃された場合の影響額は二百二十九億円(生産額)にに達する」

と報道しています。

農水省の生産局特産振興課の課長補佐や生産専門官、国際局の担当者などは、私の質問にも、明確に「沖縄の農業に壊滅的打撃を与えるという認識は農水省も一緒」と明言し、「除外を求める姿勢は譲らない」と答えました。

私は、繰り返し確認し、このことを沖縄に帰って「農水省の見解として報告してもいいですね」と問いにも、「よろしいです」と答えました。

しかし、この問題は、これで安心といえるものでないことは明らかです。

EPA協定締結反対の声をさらに大きく広げ、沖縄や日本の農業を守るためにがんばることが重要になっています。

ぜひ、今朝の琉球新報を見てください。

他の要請項目でも貴重な成果がありましたが、別の紙面にします。

政府要請行動から今、帰任

日本共産党沖縄県委員会と、日本共産党沖縄地方議員団の政府要請行動が15日~16日に行なわれました。

いろんな成果がありました。その報告は後日。

最終便の出発が遅れ、11時25分着の予定が12時前に延びてしまい、今さっき12時45分に自宅に着きました。

原因は、使用機の羽田空港着の遅れです。

他の空港から、羽田に来て、すぐに沖縄に飛び立つという仕組みになっているようで、その間はわずか30分ほどではなかったかと思います。

あまりにも、効率のみを優先しているようで、機体の点検、整備など大丈夫なのかなと不安になりました。

大量輸送機がこんなことでいいのかと疑問に思いながらの不安な空の旅でした。

2007年11月13日火曜日

あるご婦人からの手紙

今日団地にお住まいのKさんから手紙が届きました。

ほんとにうれしい激励の手紙でした。

日頃、演説をしても、聞いている人はいるのかなと思ったりすることもありますが、やっぱり聞いている人はいるんだと勇気づけられました。

Kさん、ありがとうございます。

本人にお礼を述べ、了解を得て匿名という条件で紹介します。

「前略、
お元気ですか。
去った28日には参加することが出来なくて申し訳ございません。
久子さんのあとつぎと云うことで喜んで居ます。
頑張ってください。
選挙の折りに、マイクを握るのは当たり前のこと・・・・
その後のおさむさんに何時も感動して居ります。
すべての選挙の勝敗は別としてお一人でマイクを握って、お礼を述べて居りますおさむさんに頭が下がる思いです。
おさむさんだけですよ・・・
ベランダから良く見える場所なので手を振って応援して居ります。
おさむさんならきっと県民のために頑張れると思います。
何時もお一人で頑張っておられる姿の目にしておりますので・・・」

追伸として、「長生きするのもこわい世の中になって参りました」と今のお年寄りいじめの政治を告発しています。

お年寄りいじめ、国民いじめの政治を転換するためにも、日本共産党のがんばりが求められていると思います。

これからも、みなさんのご支援を受けてさらに全力でがんばります。

Kさん、お手紙ありがとうございました。

2007年11月12日月曜日

心ない不法投棄

廃家電の不法投棄が絶えない。

首里金城町の芸大研究棟まえの市道に、ゴミとなった洗濯機、テレビなどが不法に投棄されていた。

かれこれ3ヶ月ほどになると思う。

不法投棄禁止の看板が側に立っている。

いつになったら撤去されるかと日々注目していたが、しびれを切らし、市の道路管理課と交渉した。

自治会の副会長も同行してもらった。

ゴミは、その場ですぐに撤去してもらったが、こういう大通りに堂々と投棄していく市民がいることに、怒りを通り越して悲しくなってしまう。

ここは首里城や守礼門の近くである。「守礼の邦」、「守礼の民」とはこの程度のことかと疑われてしまう。

幸いに、すぐに撤去してもらったが、また投棄されないか心配である。

プランターをおいて花を植えれば投棄はなくなる等の話し合いをやったが、実に悲しい話しである。

街の美化のために一生懸命に努力している人々もいっぱいいる。

ゴミやたばこのポイ捨て、不法投棄はやらないという最低限の当たり前のルール(常識)は守ってほしいものである。


 

2007年11月11日日曜日

大盛況の瀬長亀次郎生誕百年記念展

今日は、我が沖縄の誇り、民族の英雄、瀬長亀次郎生誕百年記念展の最終日だった。

行政視察のための出張やらがかさなってやっと今日見ることが出来た。

すごい人だかりで、それだけでもとてもうれしい気分になった。

特に若い人が目立つ。なぜなのだろうか。

会場では、はじめて目にする物がほとんどである。

瀬長亀次郎のことはよく知っているつもりでいたが、改めてその偉大さを教えられた。

瀬長さんと一緒に活動したことのある来場者は、それぞれが、瀬長さんとの自分との関わりを自慢にし、かつ誇りにしていることが表情からありありと伺える。

そういう私も、「瀬長さんの運転手を一時期やっていたよ」と娘の千尋さんに話したりしているのである。

��日の初日から、展示品が増えているとのことだった。

参観者が、この資料があったよとか、写真などを届けてくれているそうである。

その中には、沖縄人民党の創立大会の案内状というこれまで見つからなかった第一級の資料まで届けられたという。

また、瀬長さんが刑務所から出所するときの、歴史的な写真が残っているが、手を挙げて大衆に応えている瀬長さんのそばでほほえんでいる刑務官が写っているが、この写真は、瀬長さんとフミさんの表情もそうだが、この刑務官の表情もとても印象的であるが、その刑務官が、これは私ですと尋ねてきたというのだから驚きである。

まさに、記念展にふさわしい出会いである。このことを、長年秘書をやってきた、佐次田勉氏が興奮したように説明していた。

瀬長さんは、弾圧に屈せずにたたかった英雄である。そして、今日の展示会を見て知ったのだが、とても几帳面な人だったと思う。当時の物を靴、ネクタイ、時計などなどをきちんと保管していたようである。日記も、几帳面だったことが文字を通して伺えるようである。

刑務所から出てきたときの背広まで残っており、展示されていた。

受付の人に聞いたら2000人を超えた参観者だろうとのことである。

今、瀬長亀次郎のように、不正や悪政に対して、たたかわなければならない。そういう意思の表れだと思う。

「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ」

瀬長さんが板きれに書いた言葉が飾られていたが、いま、その意志とたたかいは確実に後世に引き継がれている。

私もその一員としてがんばらなければとの思いを強くした。

瀬長さんの刑務所からの出所の写真とそのときつけていた背広をバックに、千尋さんと記念写真をとった。

その意志を引き継ぎがんばる決意をこめて・・・。



千尋さんの後ろに出所時につけていた背広

2007年11月10日土曜日

従兄弟の義父のお別れ会

今日、従兄弟の義父の「お別れ会」(あえて葬儀とは言っていないようだ)があった。

郷土歴史家としても有名な方であったが、「お別れ会」も氏の人柄が偲ばれるものだった。

まず、新聞には「11月8日午後8時37分91歳の天命を終えることができました 皆様のお力添えを頂き本人の望んだ一生だったと思います 本人の意志により献体をいたしましたので当日は本人の眉毛と髭にてお骨の代わりとさせて頂きます お別れ会にご出席を賜れば幸いに存じます」と書かれている。

「お別れ会」が読谷村だったので、地理に不案内なことと、工事のための渋滞も重なって、会場に着いたのが終了時間の15分前になってしまったが、会場についたら、いつもの葬儀の雰囲気と違っていることに、一瞬とまどってしまった。

友人または知人らしき人のお別れの話しが終わったところであったが、私が焼香する頃には、もう一人の友人の方が、氏との出会いや歴史家としての師事していたことなどを話していた。

こんな「お別れ会」もあるものだと思っていると、最後に、氏の二女の婿である私の従兄弟の挨拶の番となった。

従兄弟は、ギターを持って現われた。「葬儀にギターとは」と、とまどいを覚えたが、すぐにその疑問は解消された。

従兄弟は、「氏は、なにごとも型にはまらず、人生を楽しく生きてきた・・・」云々と話していたように記憶しているが、たぶんそれに近いようなことを言っていたと思う。

そして、そんな義父のこと歌で紹介しますと言って、次の歌をみんなの前で歌った。

会が終わり、従兄弟に、「すばらしい歌だったので、歌詞をいただけないか?、ブログで紹介したい」と申し入れたら快く渡してくれた。次がのその歌詞である。

さだまさしの、「雨やどり」という歌を知っているだろうか。その替え歌である。

菊の花で囲まれた祭壇の前で、髭を生やした従兄弟が、義父の死について歌っている姿を想像しながら、「雨やどり」の曲にのって次の詩を読んでほしい。



「『古典を読むんだよ』が あなたの 口癖だった
論語に聖書、徒然草、歎異抄
この長い年月をよみつがれたんだから
すばらしいにきまっているではないか

目が悪くなり、文字も見えなく 本が読めなくても、
古本屋に連れていけば、その日はご機嫌で
ほんの表紙をながめ、目次をながめては
ずっとにこにこで笑顔が耐えなかった

目が見えなくても、耳があるではないか
その気になれば どうでも学べるんだよと
テープレコーダーにラジオやテレビの市民講座
食後のぼくの日課は読み聞かせ

よく見ておけよ、これが老いというもものさ
献体に尊厳死、自分の告別式
冷静にいつも死を見つめていて
自分の死さえ他人事だった

寝たきりになっても 家で介護ができ
自宅で老衰死は 幸せだったと思う

いろんなことを教えられました
心から言いたい ありがとう」


正直に生き、欲もなく、ひたすら学問に生きた、氏の人柄、歌っている従兄弟の人柄が偲ばれる会だった。

無心、正直、一生懸命、わずかな時間のなかで氏から学んだことは多いような気がする。

合掌。



今、帰ってきました

現在、10日の午前0時18分です。

今、出張から帰ってきたばかりです。

出張先のホテルのPCで、ブログの更新を行なおうとしたら、アカウント名とパスワードを混同してしまい、更新できませんでした。

すみません。

この間、日本の政治は小沢民主党党首の辞任劇で混乱していましたが、あの騒動の裏にある、国民の政治を変えたいという大きな流れと、今までの自民党流のアメリカいいなり、大企業いいなりの政治の避けがたい矛盾に、もっと目を向けることが大事ではないでしょうか。

明日から、またがんばります。

2007年11月4日日曜日

明日から行政視察です

明日から行政視察に行ってきます。

今回は、会派ごとの視察になります。

金曜日まで強行スケジュールですが、全国の先進じ事例を勉強して、那覇市政に反映させるようにがんばってきます。

そのため、毎日のブログの更新が出来るのか分かりませんが、その節はご容赦ください。

あぜん!・・・。小沢民主党党首辞任表明

昨日の、大連立の話しにもあきれたが、今日、小沢党首が辞任の記者会見を行なったという。

これには、さすがにあぜんとしてします。

いったい何があったのだろうか。何か表には出ていない何かがあるのだろうか。

とにかく理解できない不可解な出来ごとである。

ハッキリしているのは、参院選で示された民意に添った動きでないことは明らかである。

民意を無視した、数あわせの論理で行動すると、必ず国民から批判を受けるであろう。

行き詰まった自民党。参院で第一党となった民主党。

だが、いずれも、国民の願いに応えることが出来ずに、今までの自民党政治の延長線上にいる限り、根本的な政治の転換は望めそうにない。

国民本位の政治の転換を求めて、私たち日本共産党ががんばらないといけないと痛感する出来事である。

2007年11月3日土曜日

自民と民主の大連立?

自民党と民主党の党首会談が行なわれ、自民党の福田総理から民主党の小沢党首に連立の呼びかけがされたとの報道が今朝の新聞のトップとなっている。

今の自公政治が行き詰まっていることを示している。

沖縄県民の視線から見ても、あまりにも異常な・アメリカいいなり、大企業いいなり、戦前回帰の政治に、ワジワジー(カンカン、怒りを表す沖縄方言)している。

そのワジワジーの結果が先の参院選の自公の大敗北だと思う。

その、国民・県民いじめの自公の政治路線を反省し転換をせずに突き進もうとすればするほど、このような連立の話しになってくるのであろう。

国民の暮らしや・平和を守るためにどうするかではなく、旧態依然とした数あわせ、多数派工作。

これでは、政治は変わらない。

主権者は国民である。主権者である国民が声を上げれば政治は動かせる。

このことを参院選挙の結果と、沖縄県民の島ぐるみのたたかいは示していると思う。

自民党から連立を呼びかけられた民主党もとどのつまりは、中身では自民党と対して変わらないと言うことを見事に証明してしまった出来事である。

自公の異常なアメリカいいなり、大企業いいなりの政治を転換する勢力が大きくなることが今必要と思う。

日本共産党は、そのためにがんばらなければならない。

今朝の新聞を見ての第一感想です。

2007年11月2日金曜日

ヒメコバチ被害対策で市に緊急申し入れ

昨日発見したヒメコバチの被害にあったデイゴの木は、今日の午前中には伐採・撤去が行なわれました。

伐採された木は、ボロボロの状態で、造園業の方の話しでは、倒木の危険があったとのことでした。

その方の話だと、この通りのデイゴ並木をはじめ、市内のほぼすべてのデイゴの木がヒメコバチの被害にあっているとのことで、薬剤散布しか対策がないとのこと。

しかし、それも有効かどうかは疑問であるとのことで、今のところなかなか対策が見つかっていないとのことでした。

党市議団としては、今朝の事態を重視し、さっそく、午前11時から、緊急に當銘副市長に申し入れを行ないました。

申し入れは、市内のデイゴの被害状況についての至急調査、把握すること。

市としての、対策を至急検討することについて申し入れました。

當銘市長は、県とも連携しながら対策を取ることを約束しました。



左から2番目が渡久地修、3番目が當銘副市長

2007年11月1日木曜日

ヒメコバチの被害

役所の駐車場に車を入れるときに、一本のデイゴの木が無惨な姿をさらしている。

皮がベロンとむけ、それも皮の繊維だけがだらりとぶら下がっている。

昨日まではまったく気がつかなかったが、1日でこんな姿になるのだろうか。これは病気に間違いない。

このままだと倒木のおそれがある。そうなると、通行人や車に危害を及ぼすことになる。

すぐに、管財課に直行し、これこれしかじかと話すと、すぐに見に行きますとのことだった。

管財課の職員は、「これは病気だと思います」「危険なので伐採した方がいい」とのことで道路管理課に通報したとのことだった。

夕方、同課から電話があり、ヒメコバチによる被害だとのこと。危険なため明日にも伐採するという。

ヒメコバチとは、辞典によるとハチの一種で、デイゴの歯に卵を産み、瘤をつくって成長を阻害するとのことである。

沖縄の北部をはじめ各地で大きな被害に遭っているとのことである。

那覇市の街路樹はデイゴの木が多いが、いったいどうなるのだろう。

至急の対策が求められている。

 
皮のむけたデイゴの木