2007年9月30日日曜日

末吉町の十五夜祭、伝統の獅子舞

昨日、県民大会後、首里末吉町の十五夜祭に、今年も参加しました。

毎年恒例の伝統行事で、市の指定無形文化財の「シーシケーラシ」(獅子舞)の演舞が行なわれました。

末吉町では、獅子は町の守り神です。

本獅子は、町の公民館にまつられていて、この日の十五夜の時にしか演舞しません。

日頃の祭りなどには、本獅子を模した、2番獅子や若獅子、子ども獅子などが演舞を行ないます。

それほど、末吉町にとっては大事な祭りになっています。

今年も、西原町の獅子や、浦添の勢理客の獅子も友情出演するなど、年々盛んになっています。






復帰後最大規模の県民大会に

昨日の県民大会は、人、人、人の11万6千人の県民が参加しました。

復帰後最大規模の大会となりました。

私たちのバスも超満員のぎゅうぎゅうづめで、80人を超える人が乗りました。

93歳の宮城さん、89歳の外間さんら戦争体験者も、いてもたっても居られないと、きつい体にムチ打って参加しました。
また、私たちのバスには、座間味村での集団自決の遺族の方も参加されました。

政府には、沖縄県民の心の叫び、20万の尊い命が奪われた、この大地の叫びが聞こえないのでしょうか。

再び戦世(いくさゆ)をくりかえすな、私たちはこの声を叫び続けるでしょう。

そして、歴史の正しい真実を後世に語り継いでいくために、これからも県民一丸となってたたかい続けるでしょう。

それが、今に生きる私たち大人達の責任であり、沖縄県民の責任・使命だからです。


 
 
11万6千人の大会 

 
 
左から、渡久地、市田書記局長、赤嶺衆院議員  


渡久地、宮城さん(93歳)、外間さん(89歳)


   



2007年9月29日土曜日

速報、県民大会に12万人

教科書検定意見の撤回を求める県民大会から、今、帰ってきたところです。

12万人が参加しました。


今日、県民大会です

今日、県民大会です。

朝から、バスへの乗車希望の電話がひっきりなしです。

心苦しいのですが、「満員なので、路線バスや自家用車で、指定駐車場まで行ってシャトルバスの利用を」と話しています。

沖縄県民の怒りと熱い思いがすでに今日の朝から伝わってきています。

2007年9月28日金曜日

医療生協真和志支部の観月会

医療生協真和志支部の観月会があり参加しました。

挨拶の後、国からの国民健康保険交付金の算定ミス問題について説明してほしいとの要望があり説明しました。

国保税の値上げで、一人当たりの保険税が沖縄一高くなったこと、一般会計からの繰り入れが宜野湾市などと比較しても、那覇市は極端に少ないことなどを話すと、みんな驚きます。

国保税を引き下げるための繰り入れを、なぜ宜野湾市並に出来ないのでしょうか。

結局、「ないのはお金ではなくで市民を思いやる心」ではないでしょうかとの話しには、その通りとの相づちがあがりました。

丸いお月さんも顔を出し、司会者の指名により、二見情話を三線の生演奏で歌う羽目になりました。


明日、県民大会

今日は、赤嶺政賢衆院議員、古堅茂治市議とともに、石嶺団地など各団地で明日の県民大会への参加を呼びかける街頭演説を行ないました。

手を振る人など多くの市民の関心の高さが伝わってきます。

配車したバスは各地で満員で断るほどです。

明日はなんとしても成功させましょう。


左から、渡久地修、赤嶺衆院議員、古堅市議

県民大会成功へ市長先頭にビラ配布、参加呼びかけ

昨日、夕方5時半から、教科書検定の意見撤回を求める県民大会への参加呼びかけ行動が行なわれました。

市長、議長を先頭に、多くの議員、市の部長らが参加し、ビラ配布を行ないながら参加を呼びかけました。

明日の県民大会を必ず成功させ、検定意見を撤回させましょう。


ビラ配布前の集会、挨拶する市長。前列中央が渡久地修

2007年9月27日木曜日

9月議会終わる

9月定例議会が今日、閉会しました。

今度の議会は、参院選後初の議会であるとともに、8月11日の豪雨災害、8月20日の那覇空港での中華航空機爆発炎上事故の直後の議会でした。

また、私にとっては、総務常任委員長として迎える初めての議会でもありました。

さらに、来年の県議選挙の予定候補に決定し、9月15日に母が亡くなるという思わぬ事態に遭遇するなど、ほんとにあわただしい中での議会でもありました。

そういう中にあっても、代表質問、個人質問、総務委員会運営など、すべての議会活動に全力をあげてきました。

質問のなかでは、教科書検定問題で市長が国に撤回を求めると明言したことをはじめ、多重債務問題での市への対策本部の設置、子どもの医療の中学校までの拡大などで、市長をはじめ市当局の前向きな答弁をひきだしました。

いつでもどこでも一生懸命。
さらにがんばります。


最終本会議での委員長報告

2007年9月26日水曜日

沖縄県民がそろって声をあげれば政府を動かすことができる

沖縄県民がそろって声をあげれば政府を動かすことができる。

これは、不可能といわれた日本復帰を実現したことでも示されている。

今回の、教科書検定意見の撤回も沖縄県民がこぞって声をあげている。

��1のすべての市町村と県議会で抗議と撤回を求める意見書が採択された。

沖縄県民の声を無視し続けた政府だが、ここにきて「県民大会の状況を注視している」という閣僚の発言が報道されが、いつまでも県民の声を無視し続ける訳にはいかなくなったのだろう。

私たちは、このような発言の一つ一つに一喜一憂はしない。あくまでも、教科書検定意見の撤回を実現するまで、一致団結して頑張らなければならない。

なぜなら、この問題は、過去の問題ではなく未来の問題であるからである。

これからの日本や沖縄を背負ってたつ子どもたちに、歴史の真実を伝え、再び戦争という過ちをくりかえさせないためのたたかいだからである。

子どもたちが学ぶ教科書で歴史がねじ曲げられ、間違った戦争観をおしえこまれるようなことは絶対にしてはならない。

真実を子どもたちに伝えるために、今の大人達は、検定意見の撤回へ、責任を果たさなければならない。

��2年前に命を落とした、県民の先人達への責任でもある。

��月29日は、家族そろって宜野湾市海浜公園の県民大会に行きましょう。

今日は、街頭からもそのことを訴えてきました。

2007年9月25日火曜日

教科書検定意見撤回を求める県民大会の那覇市実行委員会が結成される

今日、午前11時から9月29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会:那覇市実行委員会」の結成が行われ、日本共産党市議団は全議員が参加しました。
実行委員会には、次の21団体が参加するこれまでにない県民ぐるみ大きなうねりとなっています。
実行委員会には、那覇市、那覇市議会、那覇市教育委員会、那覇市観光協会、(社)那覇青年会議所、那覇市連合遺族会、那覇市小学校校長会、那覇市中学校校長会、那覇市国際交流市民の会、那覇市医師会、那覇市自治会長会連合会、那覇市文化協会、那覇市子ども育成連絡協議会、那覇市青年団体連絡会、那覇市青少年健全育成市民会議、那覇市婦人連合会、那覇市老人クラブ連合会、市民憲章推進協議会、(社)那覇市身体障害者福祉協会、那覇市社会福祉協議会、那覇市母子寡婦福祉会の21団体が参加しました。
実行委員長には、翁長雄志那覇市長、副実行委員長には、安慶田光男那覇市議会議長を選出。
市民への参加呼びかけを発表しました。
また、那覇市実行委員会では、当日バス10台を配車することも決めました。

私たち日本共産党も、「那覇市実行委員会の結成」と、「多くの市民が参加できるようにバスの配車を」とを市議会議長に一貫して求めてきていました。
また、党独自にも、街頭からの参加呼びかけや那覇市配車のバスへの参加呼びかけや、独自のバス配車など、県民大会の成功に全力でがんばっています。
多くのみなさんの参加を心から呼びかけます。


中央左から2番目が渡久地修

2007年9月24日月曜日

首里東・南地域の後援会の観月会

首里東・南地域の観月会がありました。

大勢の後援会員が参加しました。

自民党総裁選挙が、民意とかけ離れていることなどが話されました。

外間久子県議、古堅茂治市議と私、渡久地修が挨拶し、来年の県議選挙勝利への決意を固めあいました。




2007年9月23日日曜日

ガンバルおじさんバンド

おじさんバンド「エブリウェイズ」のコンサートがあるといって誘われて行ってきました。

同期のGさんとかの一生懸命なバンドを見ているとうらやましくなります。

一つのことに一生懸命に打ち込んでいる姿は感動的です。

楽しいひとときでした。


赤嶺政賢衆院議員と街頭宣伝

昨日の昼、赤嶺政賢衆院議員と街頭宣伝を行いました。

安倍首相の無責任な政権放り出しの問題は、アメリカ言いなり政治、大企業言いなり政治、靖国派政治のでは、日本の平和と国民の暮らしを守ることが出来ないと指摘。根本的な自公政治の転換を訴えました。


左から、赤嶺衆院議員、渡久地修、我如古市議

2007年9月21日金曜日

9月定例会の委員会審議終わる

昨日と今日、9月定例会の委員会審議でした。

総務常任委員会では、9月補正予算が大きな議案でした。

日本共産党は、9月議会の補正予算委は、去年、一昨年と修正案を提案してきていましたが、今回は修正案の提案は見送りました。


地方財政法は、剰余金は2分の1を下回らない額を基金などに積み立てることを義務づけていますが、翁長市政は、この間、2分の1を大幅に超えるなど剰余金のほとんどを積み立てに回してきていました。

去年、一昨年は、積立額は最小限の50%にとどめ、残りの50%は、小学校のプール管理補助員の復活など、市民の切実な願いに応えたものに予算を回せと修正案を提案していたものです。

ところが今回の補正予算では、市当局の提案が、私たちが主張していた50%にとどめています。そして残りは、12月以降の補正財源として未処分金として留保されているため、市民の切実な願いに応える予算に回される道の切りひらかれています。

また、日本共産党の代表質問と、私の個人質問でも、子どもの医療費を通院で5歳まで、入院で中学卒業まで拡大するように求めたことに対して、翁長市長が前向きな答弁を行い、その拡大の可能性が切りひらかれてきました。

市当局が残りの決算剰余金を、ほんとうに私たちが主張しているように使うのか、それともまた残りをほとんど基金に回すのか、それは12月議会に先送りされたことになります。

私たちは、子どもの医療費の拡大など、市民の願い実現に回すように主張してこれからもがんばります。


2007年9月20日木曜日

母の告別式でのお礼のあいさつ

本日は、忙しいところ、故・渡久地敏子の葬儀にご参列いただきまして心から感謝申し上げます。
遺族を代表して、一言お礼のご挨拶を申し上げさせていただきます。

母は、9月14日、金曜日の台風11号が吹き荒れている、午後9時頃、心肺が停止した状態で、入所していた老健施設から救急病院に搬送されました。
心臓は一時回復しましたが、よく9月15日の午前8時47分に、静かに息を引き取りました。
89歳で生涯を閉じました。

あまりにも突然で、母との最後の話もできませんでした。
「親孝行したいときは親はなし」。無念でなりません。
しかし、ほんとに安らかに気持ちよさそうに眠っているような表情で、旅立っていったのが、何よりの救いです。

母は、尋常高等小学校、国民学校を卒業、奉公に出され、そこでは辛い仕事に耐えたそうです。その後、県の教育会の昭和会館につとめ、首里城内にあった郷土博物館に勤めたそうです。
1945年の沖縄戦では、同世代のみなさんと同様の悲惨な体験を味わっています。その時の、艦砲射撃の爆弾で、頭、顔に負傷して、傷跡が残っていました。

戦後は、避難民の集まった石川で区の婦人会長も勤め戦後の復興、避難民の支援にも力を尽くしたと聞いています。首里に帰ってからは、首里市役所の産業課に勤務したようですが、結婚を機に退職し、寒川町で渡久地商店を営みはじめました。

私たち兄弟には、この渡久地商店での記憶が鮮明に残っています。
夜明け前から農連市場に買い出しに行ったこと、米や石油の量り売り、台風時には、隣近所の方々が、嵐のなか、缶詰やロウソクなどを買いに来たことなど、いろんなことが思い出されます。
母は、お店に来るお客さんのことを常に気遣い、お店を閉めることは滅多にありませんでした。

母には、このお店が生き甲斐だったと思います。そういう意味では、母と私たち家族は寒川町をはじめ、地域のみなさんに支えられて来ました。

母は、とても我慢強く、寡黙な人でした。
生活が苦しくても、いろんな困難にあっても、愚痴一つ言わずに、とにかく黙々と一生懸命に働き、生き抜いて、渡久地商店を守り、家庭のことにとがんばっていました。

そんな母でしたが、生き甲斐だった渡久地商店も、スーパーや大型店の相次ぐ出店などにより、客足はどんどん少なくなっていきました。
そして、11年前に父・朝助が他界してからは、寡黙な母が、さらに寡黙になっていくようになり、数年前に渡久地商店50年余の歴史に幕を閉じました。

母と渡久地商店の歴史は、沖縄の戦前、戦後の歴史と、世相の変遷をよく表しているように思われてなりません。

母は、この地で生まれ、この地で、生き、そしてこの地で渡久地商店を営むことができて幸せだったと思います。また、私たち家族はそんな母を誇りに思っています。

長年にわたり、母を支えてくださいましたみなさんに、心から御礼を申し上げるものです。

私たちは、悲惨な戦争を生き抜き、戦後の米軍占領下の苦難な歴史を生き抜いてきた、母をはじめ、先人達の生き様を、こども達や孫達に正しく伝えていくために、そして、母・渡久地敏子の、一生懸命に生き抜いてきた姿に学んで、これから、それぞれの分野で社会に貢献できるようにがんばっていきたいと思っています。

みなさんの、母にお寄せいただきました、ご厚情を遺族にもお寄せいただきますよう、心からお願い申し上げまして、遺族を代表してのごあいさつといたします。
本日は誠にありがとうございました。

母の告別式

今日は、午前10時から総務常任委員会でした。

総務委員長とての任務をはたし、午後4時からは母の告別式でした。

直前に大雨が降りましたが、幸いに4時には雨もあがって一安心しました。

告別式にご参列いただいたみなさん、弔電などをいただいたみなさん、心から感謝申し上げます。

2007年9月19日水曜日

子どもの医療費無料化の拡大の質問に、市長が前向きな答弁

本日、本会議での個人質問を行いました。

子どもの医療費の無料化を、入院で中学校卒業まで、通院で5歳まで拡大するように、来年の1月あるいは来年度からの実施を求めました。

これに対して、翁長那覇市長は、

「議員のご指摘の乳幼児の医療無料化というものは、就学前の医療無料化、あるいはまたさらに中学まで延ばしていくというようなことについては、大変重要なことだと受け止めておりますので、那覇市のそういった子供の政策に関するものの予算も洗い直しながら、これはやはり一歩一歩進めていくことが大切でありますから、それを財政状況も勘案しながら、ある意味で県都那覇市としてのあり方も踏まえて、これから考えていきたいと思います」と前向きな答弁を行いました。

また、多重債務問題について

これまで求めてきた、多重債務についての市としての勉強会などが、教育委員会や市長部局で行われ、一定の取り組みの改善がされているとの答弁がありましたが、那覇市は全国一のサラ金取り立ての被害を受けている市民が多い市であること。市民の実態からして那覇市の取り組みは不十分だとして、

政府の「多重債務問題解決プログラム」の要請を市として直ちに対策会議を持って討議すること。

「多重債務対策本部」と市として設置することなどを求めました。

當銘副市長は、対策会議を直ちに開催すること、対策本部の設置も検討することを約束しました。

さらに、国の算定ミスによる国保未交付金が返還された場合は、国保税の引き下げに使うようにとの質問に、部長は、未交付金の額が最大で6億円になるとして、引き下げに使うかどうかは「総合的に判断する」と答弁しました。


2007年9月18日火曜日

明日、個人質問です

明日は、個人質問の日です。

一生懸命にがんばります。

地球が悲鳴をあげている

東北地方での観測史上最高の豪雨災害のことがニュースで報道された。
まさに、」地球温暖化の影響であることは疑いない。

この沖縄でも、突然の台風の発生。
沖縄近海で発生し、すぐに沖縄を襲う。今までにない事態である。

いま、地球が悲鳴をあげている。
そのことが日々の異常な出来事で証明されている。

今すぐ対策を取らないと、ほんとに地球は狂ってしまうだろう。

今すぐ、地球温暖化対策を。これは、人類の生存をかけたたたかいになってきている。

儲けのためなら何をしてもいいという、「後は野となれ山となれ」の利潤第一主義の資本主義社会では解決出来ない状況になっているのではないだろうか。

人類の生存をかけた取り組みが今求められている思う。


2007年9月17日月曜日

自民党総裁選報道に異議あり

��時のテレビのニュースを見ると、自民党の総裁選での候補者の街頭演説会の模様がこれでもかこれでもか流されている。
衆院で自民党と公明党が多数なので、自民党の総裁が日本の総理大臣になることがほとんど確実なのは分かるが、その報道ぶりは異常だと言わざるをいえない。

この前の、参院選挙では、自公の政治は、国民からノーの審判を突きつけられて、大敗したのである。

このことをマスコミは忘れたかのようなフィーバーぶりである。

国民も、冷静にテレビを見、新聞を見る必要がある。

小泉時代の、郵政民営化に賛成か反対かといったような、そして、改革勢力か、抵抗勢力かといったような、踏み絵をせまり、世論が誘導されていったことを、国民もマスコミも忘れてはならない。常に冷静に、自分の目で確かめ、自分の耳で確かめ、自分で判断できる力をつけなければならない。

マスコミの報道も、国民が冷静に判断できるような情報を公平、公正、中立で報道すべきである。

福田か麻生かというせまり方や、自民党か民主党かといったような、視聴率で受けるような、短絡的な報道のやり方に私は疑問を持っている。

今回の、参院選挙は、自民党議員などの「政治と金」の問題、大臣などの失言などだけで、自公は大敗したのではない。
これまでの弱肉強食の構造改革路線、アメリカいいなり政治、戦前回帰の政治などが国民からきびしい審判を受けたのである。

自民党という一政党の描く戦略に踊らされることなく、直近の国民の自公政治ノーの審判を示した参院選の結果をふまえた、公平、公正、中立の報道をマスコミは行うべきと思うが、みなさんはどのように思っているでしょうか。

2007年9月16日日曜日

母の告別式は20日(木)の4時から5時まで

母・敏子の告別式は、9月20日(木)の4時から5時の間、首里観音堂で執り行うことになりました。


衆院を解散し、国民の真を問うべきである

大雨のよ災害の発生、中華航空機の爆発炎上事故、議会での代表質問などに忙殺され、さらに、台風11号の襲来・・・・あわただしい日々のなか、安倍首相が突然政権を投げだした。

さかんに安倍首相の病気説を自民党筋は流している。

私は、安倍さんの病気ではなく、自民党政治そのものの病気が、私たちが思っている異常に救いがたいほど深刻で、末期症状にいったっていると思っている。

第一の病気は、アメリカ言いなり病。

第2は、大企業言いなり病。

第3は、「60数年前の戦争は、正しかった」という、憲法9条改訂をねらう戦前回帰病。

この3つの病気がかなり進行し、国民もこの病気に気がつき始めたと思っている。

先の参院選挙は、この3つの病気をなおしてほしいという国民の審判だと思う。

このことを知らない自民党には、もはや政治を任すことは出来ない。

早く、衆院を解散し、国民に真を問うべきである。

2007年9月15日土曜日

母敏子、突然にそして静かに逝く

台風11号が突然発生し、沖縄を暴風に巻き込んだ昨日の晩、入所していた施設から救急病院に搬送されたという電話が入った。

呼吸が停止し、心臓マッサージで何とか心臓は鼓動を始めたが、脈拍は弱いまま時間だけが過ぎていった。

突然のことではあったが、12時間後には静かに息をひきとった。

数え年で89歳。

私の父、敏子の夫を11年前に亡くしてから、急に寡黙になっていった母だったが、それほど中のいい夫婦だったのだろう。

戦前は、首里城の北殿にあった博物館に勤めていたという母。

62年前の沖縄戦でも戦場をさまよった母。

戦後は、沖縄の女たちみんなが苦労したのと同じように、苦労を重ねてきた母。

刺身屋、マチヤグヮー・渡久地商店などを営んできた母。

まじめに一生懸命に生きてきた母。

結局私は、親孝行を何一つしてやれなかった。

「親孝行、したいときには親はなし」。

悔いだけが残る。

でも、一生懸命にがんばり続けること、それが、母や父への一番の孝行になるのだろうと言い聞かせて、これからも頑張っていきたいと思う。

2007年9月14日金曜日

甘い香りに振り返ると「下がり花」が

下がり花

インターネットで調べると、「サガリバナ(下がり花)は、夜8時ごろから咲き出し、翌朝には落花してしまう、はかない花」と書かれています。

市役所の入り口の側の街路に咲いていました。

市議会で代表質問、個人質問と論戦を展開し、心も何かしらゆとりがないような感じがしていいるときに見つけたのが、この下がり花です。

頭の中は、議会での論戦のことで、あれこれ考えを巡らせながら歩いているとき、ふと甘い香りがして振り返ると、きれいな花がさがっていました。

あ、下がり花かとそのまま通り過ぎ、何歩ほど歩いたのでしょうか。

「あ~、精神的ゆとりがないのだな~」と我に返り、「こういうときこそ、心にゆとりがないといけなのだ」と、後戻りして、携帯電話の写真機能で撮ったのがこの写真です。

甘い香りに誘われてハチが一匹、蜜を吸っているのでしょうか、花と戯れていました。

「常に心にゆとりを」・・・反省を込めて!


那覇市役所入り口横のコミュニュティ-道路で見られます






2007年9月13日木曜日

19日に個人質問。今日発言通告締め切り

��, 財政問題について
��1) 06年度決算剰余金の額と2000年度以降の推移について問う。
また、今年度の財政調整基金と減債基金への積立てを最終的に前年度と同率にした場合、その額と基金の残高はいくらになるか。さらに2000年度以降の推移について問う。
��2) 那覇港の11号埠頭以降の埋め立て・開発に伴う、国、県、市の負担額について
��3) 2006年12月議会で、入札の改善で落札額の差が6億円となっていると答弁していたが、去年と今年度はいくらの改善になったか、あるいは負担が増えたのか。

��、子どもの医療費無料化問題
   市長は、我が党の代表質問に対して「乳幼児医療費助成制度の問題につきましては、方向性というものは、やっぱり義務教育の過程までいってしかるべきと思っている」、「毎年、毎年、それにいつも注目をしながら、・・・・丁寧に是正をしていくと、そういう方向性で考えてみたい」と述べた。
来年度から、市独自の無料化の拡大を図るべきである。
   その際、最低限、宜野湾市と同様な制度は行うべきである。

��、サラ金、多重債務問題について
  (1)市の窓口への担当の配置や、多重債務者への支援をこれまで求めてきた。
2006年の12月議会では、當銘助役は「かかわりのある部課で勉強会の形で早速発足をさせて検討したい」と答弁したが、どのように対応し、どのような体制になったか。また、もっと強化するべきである。
  (2)サラ金に頼らないように、生活資金の貸出制度等をもうけている全国の事例を
問う。また、那覇市でもこのような制度は必要ではないか。

��、国の国民健康保険交付金算定ミス問題について
  (1)国の国保交付金の過去の過小交付が全額交付された場合、那覇市の額と沖縄全県の市町村の合計額はいくらか。
 (2)未交付金の返還額は、全額、国保税の引き下げに使うべきである。
  (3)ミスを発見し、国に対して堂々と指摘し訂正させた市の職員の今回の行動は、行政への信頼回復及び市の国保財政への貢献として高く評価できると思うが市長の見解を伺う。
     今後も、ミスや誤りなどに気がついた時は、相手がどこであれ、キッパリと指摘できるように全庁的に、職員への教育・啓発・徹底と、そういう職場環境・気風を作るべきだと思うが、今回の教訓を含め市長の見解を伺う。

2007年9月12日水曜日

教科書検定、政府に撤回を求める・・・市長が答弁

本日、日本共産党を代表して質問を行いました。

その中で、31万市民の代表として、教科書検定の撤回を明確に求めよとの私の質問に対し、
市長は、政府に撤回を求めると答弁しました。

詳細は後日報告します。

また、8月11日の災害支援について、市の対応についてただし、国民健康保険税の引き下げを求めました。


2007年9月11日火曜日

明日、代表質問です

明日、代表質問です。

朝10時からです。

最初に比嘉瑞己議員、その次と私・渡久地修です。

傍聴出来る方はお願いします。

晩6時から、OCNテレビで録画中継されます。

首里博物館横の側溝の土砂撤去が終わりました。

昨日、首里博物館余横の市道の側溝が土砂で埋まり、道路冠水の原因になっているとして、その撤去を求めて市と交渉していました。

今日、早速、撤去作業が行われ、午前中には終わりました。

これで、道路冠水もかなり緩和できると、自治会長をはじめ住民のみなさんは喜んでいます。


撤去作業の様子

松城中横の私道のガードレール設置工事始まる

今年の1月26日に交渉していた、松島中学校の西側の私道の通学路の整備が先週からはじまりました。

この私道は、側溝までの2メートル以上の落差があり、ガードレールも設置されていないために、これまでに、自転車に乗った子どもが落ちたり、近くの住民の車も落ちたりしていたとのことです。

近くのMさんから相談を受け、1月26日に、市と教育委員会などと交渉していました。
交渉の結果、私道であるために、私道整備補助金を活用しての整備となりました。

このほど、地主の了解などがえられ、工事がはじまりました。

これで、安心できます。

 
1月26日の交渉。右側が崖のようになっている
 
 
工事がはじまりました。

2007年9月10日月曜日

沖縄戦の真実を判決に!。岩波裁判沖縄出張法廷支援集会に参加

大阪地方裁判所で係属中の旧日本軍の守備隊長及びその遺族が、大江健三郎氏及び岩波書店を名誉毀損等で訴えた沖縄戦「集団自決」・強制集団死に関する裁判の沖縄出張法廷が今日開かれました。

今日の出張法廷では、「集団自決」の体験者として金城重明氏が証言。

法廷の開始前に、裁判所前で支援集会がひらかれました。雨のなか多くの支援者が駆けつけ、金城重明氏を激励、裁判所まで一緒に歩いて見送りました。

その後、4時半から報告集会。

��時間にわたって証言した金城重明氏は、疲れた体にもかかわらず、参加者に報告していました。

��2年前、自らの手で家族、身内に手をかけて死に追いやった苦しみ、苦悩を証言。

渡嘉敷では、329人の住民が死んだ。しかし、命令を出した、軍隊は全員生き残った。
この悲劇は軍隊がいる所で起こった。軍隊のいない島では起こっていない。
日本軍の存在なしには起こりえない、と話し、

この「62年間苦しんできた」と苦しい胸の内を吐露していました。

そして、「過去を消すことは、現在をなくすこと。未来を見えなくすること」と、教科書検定を厳しく糾弾していました。

私たちには、つらく、悲しい生き証人の方々の証言に、真正面から向き合い、この歴史の真実を、後世に正しく伝えていく責任があるのではないでしょうか。

重たい口を開き始めた、体験者の方々の、「再び戦争をくりかえしてはいけない」、この思いに応えて、教科書検定撤回、憲法9条改悪を許さない、大きなたたかいに全力をあげなければならないと改めて決意しました。

 
 
事前の支援集会 
 

  金城重明氏(左)、右後ろが渡久地修   


 報告集会で報告する証言者の金城重明氏


当蔵1・2丁目の市道の側溝の土砂撤去、改修を要請

県道の側溝の改修を要請していたところ、「市道側の側溝が土砂で埋まり、道路冠水の原因になっているので、土砂の早期撤去を」との要請があり、すぐに市土木管理事務所に連絡。

職員に現場を確認してもらい、土砂の撤去を要請しました。

また、2丁目では、側溝が壊れ、子どもが足をつっこんでしまう箇所があり、直ちに改修してもらうことになりました。

この要請にも、自治会長さんらが参加しました。

           
 
土砂でつまった側溝
 
 
 
子どもの足がすっぽり入ってしまう

旧首里博物館前の側溝の改修で、県南部土木事務所交渉

りゅうたん通り、旧博物館館前の側溝の蓋が割れ、鉄筋がむきだし状態。子どもたちが足を取られたりと危険だと、住民から相談がありました。

今日、早速、県南部土木事務所の職員と現場で交渉。これには、自治会長さんや地域の皆さんが参加しました。

県も危険であることを確認。急いで維持管理の部署に連絡して、改修したいとのことでした。

 

2007年9月9日日曜日

大雨洪水警報が解除されますように。てるてる坊主をさげましょう。

今日、大雨洪水警報が出されました。

また、浸水被害が心配です。

この10年間で、浸水問題を解決してきた地域はたくさんありますが、まだの所もあります。また、都市化が進んでいるために、新たに被害が出てくる地域もあります。

今日も、夜半まで、気の抜けない時間になりそうです。

市の防災室も、職員が泊まり込みの待機だそうです。

今朝の、大雨時から、上下水道局の部長、副部長らも、河川やこれまでのはんらん地域を警戒見回りに行ったそうです。

ご苦労様です。

私たちが小学校のころ、遠足などのある日の前日などに雨が降ると、「明日天気にな~れ」とてるてる坊主をつくって祈ったものでした。
あのときほど、雨の天気を恨んだことはなかったでしょう。

市議になって、大雨の日が一番いやな日で、天気を恨むようになっています。

今日も、これから、一刻も早く大雨洪水警報が解除されるようにと、てるてる坊主を下げてみたいと思います。


「てるてる坊主」ってこんな感じでしたよね?

2007年9月8日土曜日

土砂流入対策、9月3日の交渉が実現

先日の9月3日に、真地の地すべり区域の土砂流入問題で、市と交渉しましたが、一昨日、市の応急措置が実施されました。

土砂流入対策として、土のう130体が積まれ、また、側溝には2カ所、グーレーチングに交換されました。
これにより、道路などへの流入はある程度防げると思います。

報告を受け、早速現場を確認しました。グレーチングは当初の交渉時には3カ所の設置予定だったことや、一番雨水の流れの多いところに設置されていいないことなどを、あらためて市に連絡。すぐに対応したいとのことでした。

また、昨日には、道路建設部の副部長らから、根本的な解決策などについて、県とのやりとりについて、住民代表と一緒に説明をうけました。

それによると、県は本格的な工事を進め完成間近まできていたが、最後の排水路の部分で地主の了解が得られず、そのままになっているとのことでした。

このことについて、再度、市として県に要望することや、住民の皆さんから、県に急いで陳情を行うことになりました。


  土のうとグレーチング

2007年9月7日金曜日

12日に代表質問。

��月議会の日本共産党の代表質問は12日です。
今回は、私と比嘉瑞紀議員が行います。

今日、その通告の締め切り日でした。

2時前にに通告を提出。
その後は、担当課の職員による聞き取りです。

この聞き取りが、きわめて重要です。
これをおろそかにすると、質問の趣旨が十分に伝わっていなくて、かけ離れた答弁になることもあります。
そういう意味においては、質問がうまくいくかどうかの大半はここで決まってしまうとも言えます。

まさに、質問者と答弁者側の真剣勝負はここから始まっているのです。

今日も、2人分の聞き取りで約3時間。
終わる頃にはかなりの体力を消耗しています。

今度の、私の代表質問は以下の通りです。
12日の午前10時です。

渡久地修の代表質問。

��、教科書検定問題について
��1)教科書検定で、沖縄戦での日本軍の命令、強制、誘導、関与による集団自決(強制集団死)の削除の撤回を沖縄県民は求めているが政府は拒否をしている。
市長は、31万市民の代表として、今回の教科書検定の撤回を求めることを明確に表明し、撤回のためのあらゆる努力、行動をすべきである。
また、県民大会の成功のため、市民や市職員への参加の呼びかけを行うべきである。
 (2)6月議会で提起した、戦争記録体験の記録収集を急いで具体化すべきである。
    
��、 国保税問題
��1)2006年度決算での、県内11市の一人あたりの国保税額と順位、一人あたりの政策的繰
入額と順位はどのようになっているか。
��2)国の国保未交付金問題について、国の対応と那覇市の今後の対応について問う。
��3)今年度から国保税を引き上げたが、6月議会では「引き上げは妥当だった」と答弁して
いるが、今でも妥当だったと考えているのか。値下げすべきではないか。
��4) 他県では県から市町村国保への補助を行っている。沖縄県に強く求めるべきではないか。また、年金未納者から、国民健康保険手帳を取り上げることはやらないとことを明確にせよ。
      
��、防災行政について
 (1)安里川氾濫の原因及び被害拡大は、蔡温橋の工事によるものではないか。工事によって川の断面はいくら小さくなったことになるか。このことは、4月にも指摘されていたのではないか。被災者の立場にたって市長としても県に対して災害補償すべきと意見をいうべきではないか。
��2)全国的に市独自の災害支援制度などもうけている自治体もあるが状況を伺う。那覇市も
災害支援制度を創設すべきである。
今回の災害で、店舗など大きな被害を受けたが、那覇市の「小口資金融資制度」や、「見舞金制度」などが十分対応できていないことが明らかになった。
    那覇市小口融資制度と見舞金制度に「市長が特に認めたとき」条項を加え、今回の災害から適用できるようにすべきである。
 (3)被災者への窓口の一本化がなされていないことが、被災者救済の上で大きな障害となっている。市の防災体制の見直しが必要である。
 (4)安謝川上流、古島1丁目の浸水の解決へ、暗渠の拡幅工事を2008年にはじめるとの答弁だったが、進捗状況を問う。また、松川、古島の浸水は真嘉比遊水池の機能見直しと河川改修、市の区画整理事業においての対応も必要と思うが、見解を問う。
         



2007年9月6日木曜日

新基地建設許せない。県庁前座り込み行動

「辺野古新基地建設ありきのアセス方法書を撤回せよ」、「高江ヘリパット建設をやめよ。県庁前座り込み行動」が、安保廃棄沖縄県統一連の主催で行われています。

今日の昼間、市議団が議会対策の合間をぬって参加しました。
9月というのに、座っているだけで汗が出てくる暑さです。

先の参院選挙で、私たち日本共産党と糸数けいこ革新候補は、新基地建設反対、高江へのヘリパット建設反対を訴え続けてきました。選挙の結果は、糸数候補が自公候補に12万票の大差をつけて勝利しました。

新基地建設ノー、ヘリパット建設ノーの審判は明確に下されましたが、政府は県民の声を無視して、あくまでも新基地を押しつけようとしています。
絶対に許せません。

世論を高めて、基地押しつけを跳ね返し、県民の基地ノーの願い、平和への願いに挑戦する、自公政府にノーの審判を次の総選挙で突きつけていきましょう。




2007年9月5日水曜日

議長が、9月29日の教科書検定の撤回を求める県民大会への市民の参加を呼びかけ

那覇市議会9月定例会が今日からはじまりました。
冒頭に、議長が、市民みなさんへの、9月29日の教科書検定の撤回を求める県民大会への参加を呼びかけました。

安慶田議長の呼びかけは次の通りです。

「来る9月29日に開催が予定されております「教科書検定意見 撤回を求める 県民大会」についての 本市議会の対応について でありますが、去る8月28日開催の議会運営委員会において協議をいたしました結果、那覇市議会として 議員全員(ぜんいん)が同県民大会へ参加すること の確認が 全会一致で なされております。
本市議会においては、去る5月15日に「教科書検定に関する意見書」を全会一致で可決し、いち早く、検定前・検定後の教科書の展示会を開催したところであり、同県民大会を成功させるためにも、議員全員のご参加をお願い いたしたいと思います。
また、市民の皆様におかれましては、同県民大会の趣旨にご賛同いただき、多くの市民の皆様が 同(どう)県民大会へご参加されますことを お願い申し上げます」

多くのみなさんの参加を心からお願いします。




那覇空港利用航空機の安全対策を求める意見書を全会一致で採択

本日、那覇市議会9月定例会が開催され、冒頭に、「那覇空港利用航空機の安全対策を求める意見書」を全会一致で採択しました。

先月、8月20日に中華航空機が爆発炎上した重大な事故について、那覇市議会として国に対策を求めています。

私も市議会の総務委員長として、その事故の翌日に、総務委員会を開催し那覇市消防本部から事故の状況と防災体制の状況、初動体制の状況などの説明を受けました。また、24日には総務委員会として現場を視察をおこなってきました。
今回の意見書採択にも全力をあげてきました。

航空機事故は、大きな死亡事故につながるだけに、何よりも安全対策に万全を期さなければなりません。

最近の規制緩和で、航空機整備が下請け会社に回されたりと、なおざりにされている記事を読むたびに、今後の安全対策が危惧されます。

日本共産党は、航空機の安全のためにこれからも全力でがんばります。


 総務委員会の現場視察(8/24) 
 
    

 マスコミの取材を受ける(8/24)


2007年9月4日火曜日

知っていましたか。那覇市の水道水って意外とおいしいんだって!

みなさん、水道水って「マズイ!」というイメージをお持ちでないでしょうか。

特に那覇市の水道水にはそういうイメージがつきまとっていると思います。

ところが、意外や意外。
那覇市の水道水っておいしいんだそうです。

今日、現場視察の帰りに上下水道局を訪ねました。

部長室で、出てきたのが、ペットボトルにはいった水道水でした。

「那覇市のおいしい水道水」という銘柄です。「塩素除去済」と赤丸に白抜きで書かれています。

飲んでみると、冷たくて確かに「おいしい」し、あるいは、「おいしい気がします」。

水道局だけあって、水の話になると、部長に副部長まで加わって「流ちょう」になってきます。

この那覇市の水道水は、これまで女性週刊誌でも数回、取り上げられ、「おいしさランキング」では、ダントツの上位だった(部長談)とのことでした。

今日、見せられたのが、女性セブン11号(3月8日発売)の記事で、「全国 水道局ブランド水 飲み比べ」という記事でした。

「すっきりおいしい水道水」「西原浄水場の水道水から塩素を除去。口当たりまろやか」「常温でもおいしく飲めそう。飽きのこない味わい」と書かれています。

那覇市の水道水は「マズイ」と思っていたあなた(?)。この機会に、今一度、見つめ直して見たらいかがでしょうか。

「冷やして飲めば、他のペットボトルにも負けませんよ」(副部長談)と、自信たっぷりでした。

私も、今日から水道水を冷やして飲むことにしましょう。
経済的にも、その方が助かるかもしれませんね。

ちなみに、この那覇市の水道水は現在非売品だそうです。

いろんなイベントの時に提供しているそうです。

お問い合わせは、那覇市上下水道局 098ー941ー7801にどうぞ。


女性セブンの記事のコピーと那覇市の水道水





8月31日の交渉について、国道事務所が早速調査に入る。

国道330号線の歩道拡幅の影響で地盤沈下していると思われるAさん宅の件で、8月31日に赤嶺政賢衆院議員と一緒に南部国道事務所長と交渉を行っていました。

今日、早速、国道事務所の職員と委託を受けた調査会社のみなさんがAさん宅を訪れ、調査の方法などについて説明がありました。

Aさんと国道事務所から立ち会いを依頼され一緒に説明を受けました。

国道事務所としては、建物や地盤の現状をしっかりと把握した上で対策を講じたいとのことでした。

県立医療センター前の道路冠水の解消へ再度交渉。改善の方向性が見えてきました。

昨日紹介した、県立南部医療センター前の道路冠水の件で、今日は、市上下水道部長、副
部長らと現場を確認しながら、対策について交渉を再度行いました。
我如古一郎市議と地元のIさんも参加しました。

排水路の土砂が浚渫されていますが、下流側の整備を求めました部長らは、今年度で調査・設計したいとのことですが、応急措置として、排水路の幅を広げ、流れやすいように改善することを約束しました。

また、下水道管のマンホールを一つひとつ開けて確認して回りました。
その結果、県道の下を横断している大中小の3本の暗渠のうちの中の暗渠に、側溝や道路の表面水がうまくつながっていなくて、北側の一番大きな暗渠に集中し、大雨の時は容量を超えているの可能性が分かりました。

側溝と道路の表面水が中の暗渠に流れるようにすれば、冠水はかなり改善されると思われます。

県道なので、上下水道局として、急いで県と交渉し、一刻も早く改善したいとのことでした。


左から上下水道部長、渡久地修、副部長


 
右から部長、かがんでいるのが副部長

2007年9月3日月曜日

8月20日の道路冠水解消の交渉での、土砂の浚渫が実現

真地の県立南部医療センター前の県道が大雨で冠水する問題で、8月20日に現場で、上下水道部長や市土木事務所長らと交渉を行いました。
その時、県道したの暗渠をふさいでいた市の排水路の土砂は急いで浚渫するとの回答でした。

8月30日には、土砂の浚渫が終わりましたとの連絡がありました。

今日、雨も降っていましたので早速状況を確認してきました。

土砂が撤去され、暗渠からは水が流れていました。しかし、下流側が未整備のため、流れがまだまだ不十分です。

県道の暗渠の断面拡大を含め、解決までがんばります。

 
 
8月20日の交渉
 

               浚渫が終わった市の排水路と暗渠

地すべり対策で現場調査

「地すべりの危険がある。先日の大雨の時も、大量の土砂が流れてきた。何とか対策を」と真地のNさんから昨日、相談を受けました。

早速、我如古一郎市議とともに、市の土木建築部の副部長らと連絡をとって、現場確認、対応について交渉を行いました。

市としては、市道に流れてくる雨水や土砂対策として、土嚢の設置、側溝へのグレーチング設置などの改善策をすぐ行うこと。また、市として、県に対して、地すべり危険区域としての対策を急いで申し入れることなどを確認しました。

地元のみなさんとも相談し、県に対する陳情など急いで対応していくことを話し合いました。


右から二人目が渡久地修市議団長

沖縄防衛局と外務省沖縄事務所に、F15戦闘機の未明離陸に抗議

先月8月28日未明に、F15戦闘機とKC10空中給油機が米本国に向け相次いで離陸。激しい爆音を巻き散らかしたことについて、沖縄防衛局と外務省沖縄事務所に抗議してきました。

いやはや、政府の人たちというのは沖縄県民の立場に立っているのか、それともアメリカ・米軍の立場に立っているのか、ほんとに腹のたつ対応でした。

特に外務省では、対応した副所長は、「大変深刻な問題」といって、沖縄県民の立場に立ったそぶりをみせながら、返す刀で、米軍は海側に向かって飛行するなど「それなりに配慮している」などと発言。「沖縄のみなさんにとっては不満でしょうが」といいながら、「国民の多数が日米安保条約を支持している」として、沖縄県民は我慢してくれと言わんばかり態度に終始していました。

「未明の爆音は住民の受忍限度を超えていると認識しているか」との問いに、防衛局の担当は超えていると認めましたが、外務省の副所長は、受忍限度にもいろいろあるので回答できないときわめて不誠実な態度でした。

また、8月30日の地元紙の朝刊に載った、嘉手納の屋良小学校での米軍機の墜落を想定した避難訓練につて、「こんな訓練をしなければならない学校が全国にあるのか。これぐらい危険にさらされていることを異常と思わないのか」と質しましたが、そんことが有ったことさえも知らないとのことでした。

結局、アメリカいいなり、米軍いいなりの政府の態度がありあり。
沖縄県民の立場にたった政府の出先機関ではなく、アメリカ、米軍が行動しやすいように県民を押さえる立場にいるのではとの思いを強くしました。
このような政治を変えましょう。
先の参院選挙のように、このような政治を変える大きなうねりを次の総選挙、県議選挙で示していきましょう。


外務省沖縄事務所で。左から真栄里県常任、渡久地修那覇市議団長、嘉陽県議、比嘉那覇市議

2007年9月2日日曜日

儀保町の敬老会。最高齢者は104歳。

私の住んでいる儀保町自治会の敬老会がありました。

��3歳以上の長寿の祝いを迎えられた方々が、140名余いらしゃるとのことです。

最高齢者は104歳の宮城さんだそうです。

沖縄のお年寄りのみなさんは、あの悲惨な戦争を体験し、戦後27ヵ年の米軍の植民地支配のなかで苦労し、子どもたちや孫達を育ててこられた方々です。

これからも、健康でさらに長寿をと祈って、自治会のみなさんみんなで祝いました。


糸数けいこ参院議員の激励会

先の参院選挙で見事勝利をした糸数けいこさんの激励会が、グランドキャッスルでありました。

自民・公明の安倍内閣の暴走にストップをかけた選挙戦だっただけに、この県民の意志を政府は重く受け止めるべきです。

民意に背き、相変わらず基地の押しつけの強行、教科書検定撤回の拒否など、県民の意志を無視し続けています。

これからも県民が力を合わせて政治を変えていこうと誓い合いました。

日本共産党を代表して赤嶺政賢衆院議員が挨拶しました。



  糸数けいこ参院議員      

 
赤嶺政賢衆院議員


 糸数さんと渡久地修


2007年9月1日土曜日

希望を感じた、若手作家のスライドショー

義理の甥が写真展を開催しているというので見に行った。

沖縄県立博物館・美術館開館記念プレイベントと銘打って、「島クトゥバで語る戦世」と若手作家スライドショーというもよおしものだった。

時間の都合で、若手作家のスライドショーを見たが、20代の若者達5人の意欲的な作品だった。

沖縄の自然と風土、生活、祭りなどに視点をあて、沖縄を見つめようとし、また、沖縄の現実に目を背けずに、その矛盾を発信しているように思えた作品だったと思う。

若い人たちが、いろんな視点で沖縄を真剣に見つめていることにふれると、沖縄の未来に希望が見えてくる気がしてくる。

これからも、いろいろな沖縄を見つめ発信してほしいものである。


最後に壇上から自己紹介していた若手作家のみなさん。
左から、新垣一也、山城知佳子、仲宗根香織、大屋玲奈、根間智子の各氏

純白の花、ドラゴンフルーツ。

よる10時頃帰宅すると、甘い香りが漂ってくる。
きっと家の裏手の方にある、宮城さんの植えたドラゴンフルーツの花からだろう。

香りに誘われる虫たちの気分になってちかづいてみると、白い花がいっぱい咲いている。

純白で、香りがほんのりと甘い。虫たちが魅了されるのも無理はない。

たった一夜だけ、大輪の花を咲かせ、翌日にはもうしぼんでいる。

そのあとは、真っ赤な実をつける。
最近は、フルーツとして人気を呼んでいる。

このドラゴンフルーツは、別名三角サボテンという。
僕は、中学校の頃、なぜだかサボテンに興味をもち、いろんな種類のサボテンを集め栽培していた。
その頃、この三角サボテンは、いろんなサボテンの接木の台木になっており、僕たちにとっては重宝なものだった。
この三角サボテンの実がフルーツとして美味しいとは、当時はまったく想像だにしなかった。

純白の花は当時からきれいと言うことは知っていかが、まさか実がなるとは思わなかった。
たぶんに、同じ三角サボテンでも、種類がちょっと違うのかもしれない。きっとそうなのだろうと自分で決めてかかっている。

心を癒される純白の花と、甘い香りだが、人々が寝静まったころに花を開かせるとは、汚れ多き人間に知られたくないのだろうか。

それとも、その香りに魅せられてやってくる人々だけでいいと思っているのだろうか。