2011年8月31日水曜日

杉並区の「沖縄タウン」を視察

昨日、羽田に到着後その足で東京都杉並区の「沖縄タウン」を視察。

沖縄を売り出しながら、商店街の活性化と振興をめざすユニークな取り組みを行っているところです。

その模様はテレビでも紹介されて注目されています。

杉並区の住宅街の中にある商店街で、周囲には東京ではなかなか見かけない路地が走っていて、郷愁を感じさせる街なみです。

この商店街は、一言でいえば沖縄の栄町の雰囲気です。

実際、タウンの設計の際には栄町にも調査に行ったとのことでした。

居酒屋などが中心にあり、肉屋さん、乾物屋さん、喫茶店、酒屋などなどが並んでいます。

それでも、どこの商店街とも同じように苦労しているようでした。

商店街の会長さんらとも懇談しました。

沖縄としていかにこの商店街を応援するか、そしてこの商店街を通して沖縄をいかにアピールするかなど知恵を出し合いました。




沖縄タウンのなかの居酒屋の前で



住宅街のなかの商店街

2011年8月30日火曜日

経済労働委員会の視察、その後、ボランティアで再び被災地へ

今日これから県議会経済労働委員会の視察に出発します。

震災で大きな影響を受けた菊栽培農家などの関係もあり、東京の大田市場など数か所を視察してきます。

視察終了後、私は1日から宮城県石巻市に再びボランティア支援活動に行ってきます。

5月30日から6月2日まで第一次として行ってきましたが、それに続くものです。

このボランテイア活動で、被災地への支援とともに、教訓の活かして、沖縄の支援の在り方、沖縄の防災体制の在り方など6月議会で質問、提案もしてきました。

特に、消防士が2826人必要なのに、実際の配置は1500人で53%、1326人不足していいることも明らかにして増員を求めてきました。

この提起は、県民の間、現場の方々からも共感が寄せられていますがぜひ実現させたいものです。

今回の2次ボランティアでは、今なおいろんな支援が求められていいるとのことですが、実際に支援活動に従事しながら、同時に、5ヶ月後の現状をこの目で確かめ、沖縄県としての支援の方向の探求、沖縄の防災体制についての教訓をな学んできたいと思います。

このブログの発信も思うようにできるかどうかわかりませんが、可能な限りの頑張りたいと思おいますのでご支援をお願いします。

それでは、行ってきます。

2011年8月29日月曜日

成人T細胞白血病(ATL)の対策強化を県に申し入れ

日本共産党県議団は今日、沖縄県に対して、ヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV)関連疾患の対策強化n申し入れを行いました。

ATLは発症すると悪政腫瘍の中でも最も治療の難しい疾患の一つ、いまだに治療薬もなく、発症後3カ月かた2年で年間1000人以上が命をなくしているとのことです。

感染者は全国で110万人と推定され、九州・沖縄で45・7%と多く確認され、特に沖縄で多いといわれています。

そのため、党県議団は、県としての実態調査、特別の対策などを求めました。

県からは与世田副知事と宮城福祉保健部長らが対応。

今、全妊婦健診を行っているので、年度内で調査結果を出して、必要な対策をとっていくと述べました。





2011年8月27日土曜日

苦手な買い物

先日のことである。家人から今日の晩御飯は自分で適当に食べていてと言われていたので、夜の9時前に会議の終了とともに近くのスーパーに惣菜か何かを買うつもりで立ち寄った。

惣菜コーナーの一角に握りずしが並べられていた。1000円ちょっとから500円前後の値札がパックに貼られている。同じスーパーの他の支店ではだいたい夜には何割引きとかと値引きされていて、時々そういったものを買ったりしていたが、まだそんな時間ではないのかなと考えながら、他の惣菜を見ていると、刺身などに店員が次々と半額やら何割引きなどの値引きのシールを貼っていた。これから握りすしコーナーに行くのかなと思いきや、案の定、握りすしコーナーで次々と値引きのシールを貼りだした。どれどれと、近寄っていくと半額とか、2割引きとかとシールが貼っている。これは安いのか、お買い得なのか、買った方がいいかどうかと躊躇していると、いきなり、数人の男性が入り口から入ってきて、迷うことなく握りすしのパックを次々と手にして行った。これはいかんと思い、チラシすしのパックに目をやるとこれもあっという間になくなってしまった。シールが貼られて2、3分以内、ある意味、瞬間的な出来事に戸惑ってしまった。

そして、結局はインスタントラーメンを買って帰った。

何割引きとのシールが貼られているのはよく見かけるが、その瞬間の出来事はあまり体験がないので、帰ってきた家人にこのことを話すと、この時間帯には、この値引き目当てで来る客が多いとのことで、別段珍しくないような出来事とのことである。

ゆっくりと品定めをしながらの買い物と瞬間的な買い物、僕にはどちらも不得手なのかもしれない。

2011年8月26日金曜日

キャンプキンザー基地内調査についての記者会見

今日、県議団として、キャンプキンザーの基地調査の記者会見を行いました。

県道建設のための一部土地の返還とそれに伴う進入路建設で、当初は基地内の郵便局がかかっていなかったにも関わらず、米軍の指示で道路建設の位置が変更されて、基地内の郵便局がひっかるようになり、県が移転補償して、別の場所に建設するということがはっきりしました。

記者経験では、西銘議員に対して県が回答した文書から、当初の図面、変更された道路の位置図面、県が米軍の指示によって変更されたという回答などを示して、その理不尽さを明らかにしました。

米軍が奪った土地は無条件で返すべきです。

2011年8月25日木曜日

ブログのアクセスが17万件に

このブログへのアクセスが今日で17万件を超えました。

いろんな事情で更新できない日もありますが、これからも毎日更新に努めていきたいと思います。

これからもご支援をよろしくお願いします。




首里城入り口にタクシー乗降り場の設置を

世界遺産でもある首里城は年間200万人の観光客が訪れますが、残念ながらその入り口にはタクシー乗降り場がありません。

そのために、入り口にタクシーが停車したりして、住民やアパート、教会への車の出入りに支障をきたし、トラブルにもなっているとのことです。

昨日、住民と一緒に、この問題の解決を、県土木部に要請しました。

県道及び県営公園の管理者として、周辺住民の出入りに支障をきたさないような、道路の改良等も含めて検討することと、根本的な解決としてのタクシー乗降り場の設置を要請しました。

県からは、土木統括官らが対応し、検討を約束しました。


2011年8月24日水曜日

キャンプキンザー(牧港補給基地)の基地内調査

昨日、日本共産党県議団は浦添市にある米軍キャンプキンザー基地(牧港補給基地)内の調査を行いました。

県道建設によるキャンプキンザーの一部基地用地の返還に伴って、基地への進入道路の建設が求められ、そのために基地内の郵便局が引っ掛かり、その郵便局の移転・建設を沖縄県が県民の税金から支出しようとしている問題での基地内現地調査でした。

そもそも戦争中に不当に奪った土地を返せというのに、その費用を補償せよ、その土地に立っている建物の補償を行えということも不当ならば、建物を移転・建築を地方自治体の沖縄県が支払うということも不当だとして共産党は県議会でも国会でも追及してきました。

今回の調査では、進入路建設はわざわざ郵便局をひっかける必要は全くないほど広々とした土地・空間が広がっているところで、ちょっと、進入路をずらせば済む問題であることも分かりました。

県の担当は、米軍の要請に基づきこの位置になったと明らかにしました。

裏を返せば、わざわざ郵便局がひっかっかるように進入路の位置をずらしたとしか思えないもので、普通の公共工事では考えられないやり方で、米軍は、古くなった建物を県民の税金で新しい建物を手に入れることになります。

県の担当は、郵便局の内部は確認していなく、機能についても米軍の言い分をそのまま聞いて、移転補償として建物を建てることになります。

古くなった郵便局が県民の税金で近代的な建物に代わる、ここにも米軍いいなりの政治の実態があらわれています。

退役軍人施設も戦後に建てられた、古ぼけたトタンのコンセット住宅がひっそりと立っていましたが、これに代わって浦添市が市民の税金で、鉄筋コンクリートの建物を建設していました。

思いやり予算の地方自治体版です。

異常なアメリカいいなりの実態が私たちのこの沖縄で進行しています。

キンザーの中は広々として、多くの倉庫群が整然と並んでいました。

世界へ展開する米軍の補給基地の実態に改めて怒りがわいてきました。

すべての米軍基地を返せ、異常なアメリカいいなりの政治を転換しましょう。




キャンプキンザーの入り口で

八重山でつくる会系の中学校教科書を選定/県民の願いに逆行、懸念と怒り広がる

昨日の八重山地区の中学校教科書図書選定委員会は、「歴史」は従来通りの教科書を選定したが、「公民」はつくる会系の育鵬者の教科書が採択された。

現場教員ら調査員が推薦した教科書の中にはこの教科書は入っていなかったとのことである。

加えて、これまでの選定制度を一人の養育長の主導で変更して、調査員の順位付を廃止し、また、選定も密室で非公開で行い、選定も無記名投票にするなど、最初からつくる会系の教科書選定ありきだったことがうかがえる。

この公民教科書の特徴は、「行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱」させると憲法14条の法の下の平等を攻撃、「戦後の日本と平和は自衛隊の存在とともに、アメリカ軍の抑止力に負うところも大きい」として、異常な沖縄の基地の実態を覆い隠しを子どもたちに基地の存在を認めさせようとういう狙いを持っている。

ときあたかも、この採択を主導している人物をぜひにと懇願して教育長に任命した石垣市長のもとで、八重山地域での自衛艦の民間港への入港や自衛隊の配備が着々と進められている。

今回の教科書選定は、これらの動きと連動したものであり、基地のない平和な沖縄をという県民の願いに逆行し、平和を脅かし、憲法改定、軍備増強、戦争賛美へと進んでいくものとの懸念が県民の間で広がっている。

2007年9月29日の教科書検定意見撤回を求めて11万人余が集まった県民大会の原点に戻って、今回の教科書選定は撤回すべきである。


2007年の県民大会を報道する当時の新聞


2011年8月23日火曜日

侵略戦争を美化し、歴史を歪曲する教科書の採択をゆるしてはならない

八重山地区の教科書採択協議会が今日の3時に開会されるとのことである。

まさか、あの地上戦・沖縄戦で幾多の人命が失われこの沖縄で、戦争を美化する教科書を採択しよとする動きが起ころうとは。

日本軍の命令・強制で集団強制死や強制疎開によるマラリアでの死亡など、体験者の話からしても歴史の事実である。

それをなかったことにしよう、そして、あの戦争は正しい戦争だったと、ゆがめて子どもたちに教え込もうとする勢力。

その狙いは何か。

憲法を否定し、再び戦争のできる日本につくりかえることである。

八重山で今回の動きも、このような全国的な動きに呼応した大きな狙いと連動したものであることを注視しなければならない。

戦後生まれが沖縄県民の80%となった。

戦争の悲惨な実態を子や孫たち、子子孫孫に正しく伝え、再び戦争を繰り返してはならない。

八重山で今起こっていることは、単なる一地方の問題ではない。

沖縄全体、日本全体の問題である。

沖縄中から、ゆがんだ教科書の採択は許されないとの声を急いであげるとともに、沖縄戦の実相を正しく伝えるためになお一層の努力をつくすことが求めっれている。

2011年8月22日月曜日

宮良作さんの長寿の祝い

前県議の宮良作さんの85歳の長寿のお祝いが昨日ありました。

出身の与那国島の方々や党関係者や宮良さんの交友関係者らがびっしりと詰めかけて大盛況でした。

与那国島の風習に則ったお祝いでした。

島に伝わる伝統芸能も披露されました。

宮良さんは、狛江市議も務め、沖縄人民党と日本共産党に合流をめざして、日本共産党沖縄県委員会準備会の事務局長も務め、合流後は、党県委員会の専従、日本共産党沖縄県議として活躍。

戦争マラリアの悲惨な実態を明らかにし、「忘れ石」の建立にも尽力されました。

まだまだ元気でこれからも活躍されるでしょう。




長寿を祝い、島の人たちが伝統の棒術を披露

2011年8月21日日曜日

そうめん流し

各自治会で盆踊りが行われていますが、昨日の首里山川町自治会の盆踊りでは、恒例のそうめん流しが行われていました。

多くの子どもたちがそうめんの流れてくる樋の前に並んで必死に箸ですくっていました。

下流の方までそうめんは行き渡らないのかと心配しましたが、途中からもそうめんを流していいるそうで、大丈夫ですとのことでした。

この子たちが大きくなったときにきっとこのそうめん流しのことを思い出すでしょうねと、私のそばに座っていた人と和やかに話し合いました。


2011年8月19日金曜日

沖縄戦の事実を歪曲し、侵略戦争を美化する教科書の採択は許されない

戦争の亡霊がまた蘇ってきたのか、ここにきて侵略戦争を美化する動きが八重山で起こっている。

八重山地区の中学校教科書の選定で、侵略戦争を美化し、沖縄戦の史実をゆがめる教科書を採択しようというたくらみが予断を許さない状況になっているようだ。

これまでの八重山地区の選定の在り方をまったく無視をして覆してまでこれらの教科書の採択へと突き進もうとしているとのことである。

ことは八重山だけの問題ではなく沖縄県民全体の問題である。

沖縄戦で20数万人、県民4人に1人が命を奪われ、日本軍の命令で集団自決(強制集団死)に追いやられた県民も多数いたことは歴史の事実である。

それをなかったかのように扱うことは到底許されない。

このような教科書を沖縄県の一部の地域であろうと採択することにたいして、沖縄県民として黙過できないことではないだろうか。

全県でこの動きに対して怒りと批判の声が上がっているのは当然である。

沖縄でまさか侵略戦争を美化した教科書が採択されることはないだろうと、たかをくくっていたら大変なことになる。

ゆがんだ教科書の採択は許されないとの声を急いで広げることが重要である。

そして、戦後生まれの世代が人口の80%を超えた今、改めて戦争の悲惨な実態を後世に引き継いでいく努力をますます強めて行かなければならない。

沖縄戦での「集団自決」、軍の関与認めた判決が確定・・・今年4月23日のブログと2007年のブログを参考のためご覧ください。




2011年8月18日木曜日

ネット回線の不具合

ネット回線の不具合で、午前中から今までネットが通じませんでした。

県議会事務局を通じて管理者に点検をしてもらったところ議会のハブ機能の故障が判明。

修理してやっと回線がつながり、ブログの更新を行おうと思っていましたが、生活相談の約束がありすぐに相談事務所に向かわなくてはなりません。

状況報告でブログの更新とします。

2011年8月17日水曜日

泡瀬の海と空とサンゴと工事車両

一昨日、泡瀬の干潟の調査に行ったが、そこにはきれいな海と空とサンゴがあった。

そして、きれいな海と空との間に飛び出た工事用桟橋が伸びていた。

きれいな海の上を覆った埋め立て地の上では台風で決壊した護岸の修復にユンボとダンプがせわしく動いていた。

覗きガラスから見る海底はサンゴが広がっていた。




台風で決壊した護岸を大急ぎで修復している工事車両



きれいな海に突き出ている護岸と仮バース



船上から陸地と青空を見る



覗きガラスから見えるサンゴの群落

2011年8月16日火曜日

泡瀬干潟、護岸決壊箇所と海域調査

昨日、泡瀬干潟の埋め立て海域を調査。

先の台風で、護岸が決壊している場所などを船で海上から見てきました。

ユンボが盛んに動いて決壊箇所を修復していました。

埋め立て海域周辺のサンゴの生息状態も海上と、直接海に入って調査しました。

そこは、サンゴと多くの貝などが生息している豊かな海が広がっていました。

この豊かな海を守ろう。

多くの県民の願いです。




海上から決壊箇所などを見て回る県議団



海上から覗きガラスでサンゴを見るとぐちおさむ。



海に入ってサンゴを見る。立っているところは砂地でサンゴ群落との境目



覗くガラスから見たサンゴ

2011年8月15日月曜日

66回目の終戦記念日

日本軍国主義がおこした侵略戦争で、多大な人が犠牲になった。

アジアでは2千万人、全国では310万人、沖縄では20万人余が亡くなったといわれている。

当時の「大本営発表」と今の原発の「安全神話」はまったく同質のように思えてならない。

侵略戦争に反対した日本共産党は、非国民として弾圧され、戦争に反対する声は圧殺されて国民を戦争へ戦争でと駆り出していった。

原発は安全だ安全だとまさに当時の大本営発表と同じように振りまき、原発に反対する日本共産党などの声をマスコミなどは無視をし、国会では2大政党制なるもので、原発賛成派だけの内輪の競争なるものを仕組んできた。

戦前も今日も日本共産党の訴えに真実があったことは歴史が証明している。

私たちは、今の日本を苦しめている、アメリカ言いなり、大企業・財界いいなりの政治を転換し、アメリカとも対等平等の関係を築き、国民こそ主人公の政治を実現するためにこれからもがんばり続ける。

66年目の終戦記念日に決意を新たにしましょう。

今日、早速街頭から訴えてきました。

2011年8月13日土曜日

将来はギタリストかピアニストか、楽しみな孫

孫のさわも一緒に妻の実家に旧盆の線香をあげに行った。

古いギターが置かれていたので、手にとってボロローンと弾くと、早速孫のさわが独り占めしてしまった。

体より大きなギターを抱えてボロローン。

将来はギタリストか?

そばにあったピアノを弾くとまたまた、さわが独り占め。

将来はピアニストか?

何にでも興味を占めす年頃。

楽しみだねと言いながらパチリと撮ったのがこの写真です。

写真を見るといかにも曲を奏でているように見えるから不思議ですね。




沖国大ヘリ墜落から7年

今日は、沖国大に米軍普天間基地のヘリが墜落したから7年目に当たる。

日米両政府は普天間基地の危険性除去などと言いながら、辺野古移設、県内移設を強行しようとし、県民の反対にあうと、今度は固定化と脅している。

絶対に許せない。

沖縄県民はいまや仲井真知事を含め、普天間基地の辺野古移設、県内移設は認めないというの総意となっている。

普天間基地は、即時運用停止すべき、危険な飛行機、ヘリなどは飛行を直ちに中止すべきである。

そして、普天間基地は閉鎖、撤去するしかない。

民主党政権はあくまでも辺野古移設を強行しようとし、自民党本部も辺野古移設を強行に迫っている。

このような中、辺野古移設、県内移設を断念させ、普天間基地の無条件撤去を掲げて奮闘している日本共産党を来年の県議選挙でさらに前進させることが特に重要になっている。

日本共産党への県民のご支援を訴えたい。

さわちゃんのウートートー

昨日は、旧盆の入り、ウンケーでした。

ご先祖の年に一度の里帰り。

1歳10か月になる孫のさわも、大きいじいちゃん、ばあちゃんに、よい子にしてくださいとウートートー。


2011年8月12日金曜日

旧盆の入り

今日は旧盆の入り、ご先祖様をお迎えするウンケーの日です。

これから、親戚の家を回って線香をあげてウートートーしてきます。

夕方からは長男宅の仏壇にお供えしてご先祖をお迎えしてきます。









2011年8月11日木曜日

街宣、申し入れ、シンポジュームと忙しい一日

忙しい一日です。

朝の街宣を終えで県議会へ直行。

9時半から、先の台風で地下ダム建設の影響で農地が冠水した糸満市の問題で、農水部長申し入れました。

11時からは、障害者の権利条例の水準を落とすことなく制定することを求める障害者団体の福祉部長への要請行動に参加。

1時半からは、民間戦争被害者の国家補償実現めざす集会に参加しました。



糸満の冠水問題でも申し入れ



障害者権利条例申し入れ



全民間戦争被害者の国家補償をめざす集会

2011年8月10日水曜日

「県内消防士増に燃える」/タイムス記者のメモ

沖縄タイムスの今日の「記者のメモ」に「県内消防士増に燃える」と題した記事が掲載されています。

以下紹介します。




沖縄タイムス8月10日

2011年8月9日火曜日

議会基本条例等検討委員会が開催されました

今日10時から、沖縄県議会議会基本条例等検討委員会が開催されました。

県の長期計画を議決することに関しては、与党の自民、公明から基本構想を議決対象にすべきで長期計画は対象にすべきでないとの意見が出て議論になりました。

長期計画というのはある意味では基本構想と同じ内容であるとの意見が出され、委員長がさらに各会派の認識を一致させるための意見交換を行うことになりました。

議会基本条例については、来年の2月制定に向けて最大の努力を行うことで一致しました。

2011年8月8日月曜日

赤嶺政賢衆院議員の国会質問と告別式

赤嶺政賢衆院議員の母親がなくなり告別式が今日執り行われると新聞にも報道されている。

11時半過ぎからの衆院予算委員会のテレビ放送をみると、その赤嶺政賢議員が質問している。

生放送だから当然国会にいることになる。

12時に終わってすぐに飛行機で駆けつけるのであろうが、それにしても大変な任務だなと思う。

母親の告別式の日でありながらも、沖縄県民にとっての大事な基地問題やオスプレイの配備の問題などを質問していた。

いかなる時でも県民から選ばれた議員としての任務をしっかりと果たしている赤嶺政賢衆院議員。

今日の質問はこのような中で行われていることを知ってもらいたいと思いあえて書きました。

2011年8月7日日曜日

台風のあと片づけ

とにかく速度の遅いゆっくりとした台風で、まる二日間も暴風域の中だった。

昨日、昼あとから選挙区内を回ってみたが、停電などは出ていたが、家屋の倒壊などといった、大きな被害はその時までは見られなかった。

夕方からは事務所の周りの片づけ、今日は、おろしてあったゴーヤー棚を元に戻し、家の周りの片づけ。

ゴーヤーも今度こそは確実に実をつけてほしいものだ。

さあ、これから、日曜版の配達御と、残りの議会だよりの配達に出かけます。

2011年8月6日土曜日

足元が暴風被害

昨日、暴風警報のなか、こういうときは、日ごろからの積み残しの仕事を片付けようと思って県議会に。

県議団の部屋のカギを開けてビックリ、カーペットが水浸し。

窓の閉め忘れかと思いきや、さにあらず。

どうも窓際の床から雨水がしみ込んできているようだ。

警備員の方に連絡したり、設備の方に来てもらったりとしてやっと原因を究明。

強く長引いた風雨によって、外側から滲みこんできていいるようだ。

簡単にいえば、コンクリートにひびが入っているのか、あるいは配管を伝わってきているのかのようだ。

この建物はそんなに古くないはずだのにと思いながら、暴風の治まるのを待つしかないようだ。

水を吸収させためにカーペットの上に新聞紙を引いてとりあえずの対策で撤収。

今朝、8時過ぎに念のために来てみたら、新聞紙は水を存分に吸い込んでいる。

濡れた新聞紙を片付けて、乾いたものに交換。

それにしても、まだ警報の中だ。

あまりにも遅い台風にも困ったもんだ。

これから自宅へ帰って、暴風一過の対策に。

2011年8月5日金曜日

台風対策2

今回の台風は速度がとてもゆっくりのようだ。

今朝、5時ごろ目が覚めるとトタンのバタバタする音が聞こえてきた。

風で飛ばされてきたのかと思いきや、隣の家の物置小屋のトタン屋根が今にも飛ばされそうになっている。上に置いてあった古タイヤは10メートルほど飛ばされて転がっている。かろうじて、一か所結ばれていいる針金と、木に引っ掛かって飛ばされずに済んでいいる。

急いで、隣の家の住人をおこして、針金で結んだり、空き地にあった角材を何本か借用してトタン屋根の上に渡して針金で縛りつけて補強した。

大したことはないと、たかをくくると大変なことになる。

自然の力は侮れない。

万全な対策が必要である。

以前、「古宇利島と台風」と題してのエッセイを書いたことがある。

その中では、私が幼いころ、トタン葺の家だったが、台風のたびに親父が万全な台風対策をとっていたことを書いた。

あの頃の台風対策は、自然の脅威を侮らずに、万全な対策をとっていたと思う。

この親父の台風対策の思いでは「古宇利島と台風」という拙書に収めてある。

まだ在庫があるので、入用な方はメールください。



2011年8月4日木曜日

台風対策

今年は台風の当たり年だ。

大型台風が繰り返し襲ってくる。

農作物の被害も過去最高となった。

本土での降雨による被害も甚大だ。

地球温暖化による異常気象だ。巷ではそういう話になる。

今度の台風も非常に勢力が大きいとのことである。

本島直撃と思われたが、西寄りに進路をとったために、それて行っているようだが、そうなると宮古、八重山が大変だ。

今年はゴーヤーを植えてから2度の台風でダメになり、やっと実をつけ始めたところだっただけに、またこの台風だ。

今度は、台風をなんとかしのがなければならない。

農協で暴風ネットを買ってきた。

緑のカーテンとなっているゴーヤ棚の上部をはずして寝かし、そのうえからネットをかぶせ、ブロックなどで隅を固定した。

これで大丈夫だろう。いや、大丈夫であってほしい。

今朝のテレビでは、東京をはじめ、全国で緑のカーテンとしてゴーヤーが大人気とのことである。

緑のカーテンから毎年1000個のゴーヤーを収穫しているという主婦も登場していた。

ゴーヤーという名前も定着し、夏バテに効く野菜として愛食されていることはいいことだ。

特に農作物への被害が出なければいいがと思いつつ、このブログを書いている。

2011年8月3日水曜日

「沖縄10・10大空襲、砲弾被害者の会」から要請

今日、「「沖縄10・10大空襲、砲弾被害者の会」が県議団に要請に訪れました。

さる沖縄戦での、民間の戦争被害者に対しても、戦争を起こした国の責任で補償すべきとの運動を起こして、国の救済新法の制定を求めています。

沖縄戦で、補償を受けられない戦争被害者が4万人にも上っているとのこと。

再び、絶対に戦争を起こしてはならない。

戦争の悲惨さを後世に伝えていく上でも大事なことです。

国会でも議員連盟も結成されたとのことです。

県議会でも後押し、一緒に取り組んでいきたいと思います


2011年8月1日月曜日

空の上から見る、泡瀬干潟、辺野古、徳之島

先日7月28日、視察と政府要請のため飛行機で東京に向かった。

その日の飛行機は、南向きに離陸し、糸満沖で向きを北に変えて沖縄本島の東側を飛んだ。

左側の窓に座っていたが、その日はよく晴れていて、雲の間から沖縄本島が鮮やかに見下ろせた。

窓の眺めに見とれていると、突然、泡瀬干潟の埋め立て海域が目に飛び込んできた。

あわてて、鞄からカメラを向けた。

絶好の撮影位置は逃したものの、どうにか写真に収めたのがこの一枚である。

次は辺野古新基地建設予定海域上空を飛ぶはずだと、目を凝らして収めた。

そして、鳩山前首相が普天間基地の移設先として名前をあげた徳之島が見えてきたので、こちらもパチリと収めた。

どちらも美しい海、自然豊かなところである。

このような美しい自然を壊そうとするなんて許せない。

この思いをこめて見てもらいたい。




泡瀬干潟の埋め立て地





徳之島