2007年10月21日日曜日

戦後処理はまだ終わっていない。

今日、朝8時から住民約1500人を非難させての不発弾の現地処理が行なわれた。

米軍の航空機から投下された250キロ爆弾で、信管がついていて大変危険だという。

こういう、恐ろしいものすぐ近くに62年間も過ごしていたのだからぞっとする。

避難は8時から始まったが、現地本部で状況を見ていたが、かなりの交通混雑だったようだ。モノレールも不発弾での交通制限は初めてである。

避難が完了し、不発弾の処理にかかろうとしたときに、平良のバス停や儀保交差点に人がいるのが確認されたりで、作業はたびたび中断した。

こういう大規模な住民を避難させての作業がいかに困難かがよく分かる出来事である。

不発弾の処理は自衛隊の101不発弾処理隊によって行なわれた。

��時15分に不発弾の処理を開始。手動で信管抜き取りにかかっているようで、8分の1ずつ信管を回し、あるいは4分の1ずつ信管を慎重に回していく作業が無線で伝えられてくる。
緊張が走る。

��時間余をかけて、信管抜き取り、10時27分に無事終了。

250キロ爆弾の弾頭と弾底の信管2個が抜き取られた。

沖縄戦は、鉄の暴風と表現されているように、無数の砲弾、爆弾が打ち込まれた。今なおかず多くの不発弾が毎年発見される。残された不発弾の処理にはあと100年かかると言われている。

これだけでも異常なのに、その費用まで半分を那覇市がなどの自治体が負担させられているのはどう見ても納得できない。

沖縄の戦後はまだ終わっていない。

戦後処理として、国の責任で行なうべきである。改めてこのことを強く思いました。


 
    101処理隊から説明を受ける。右下が250キロ不発弾。     深さ6㍍の穴と処理後の不発弾


             運び出される不発弾         抜き取られた信管。少しの衝撃でも爆発するとのこと

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