2011年6月30日木曜日

明日、一般質問

明日、一般質問です。

準備に追われています。

2時前後になる予定です。


2011年6月29日水曜日

今日から代表質問。渡久地修の一般質問は7月1日です。

沖縄県議会は今日、明日と代表質問です。

一般質問は明後日からです。

渡久地修の一般質問は明後日、7月1日の5番目です。

その準備に追われています。

質問通告を再度掲載します。


2011年沖縄県議会6月定例議会一般質問通告
                               日本共産党・渡久地修

1、基地問題について
(1) 米軍が沖縄にいすわる理由は、沖縄を守るためや、抑止力でもなく、思いやり予算など、在日米軍基地維持費の70%を日本政府が負担していて、米本国に基地を置いているより日本・沖縄に置いていた方が安上がりだからである。思いやり予算をなくせば、沖縄からも米軍は出ていくだろう。思いやり予算を削って震災救援に回すべきである。知事の見解を問う。
(2) 最近の米国議会や米国内での沖縄の基地問題での議論や世論についての知事の認識を問う。
(3) 基地押しつけをはね返すためにも、知事の行動が注目されている。知事は県民の立場から積極的な行動を行うべきであると思うが具体的な計画を伺う。これまで、米国や日本本土の新聞への意見広告を提起してきたが、いつ実行するのか。また、知事、県議会議長が呼びかけて抗議の座り込みなどを行ったらどうか。
(4) 基地の押しつけや、日米地位協定で県民の人権が踏みにじられ、犠牲になっていることを国連人権委員会に県として提訴して、世界に訴えるべきである。
(5) オスプレイが危険と言われている理由と、普天間基地に配備されたらどうなるのか。
         
2、震災支援問題と沖縄の防災について
 (1) 東日本大震災への支援と被災者への対応について
  ① 今後の被災地支援と、沖縄への避難者の対応について
 ② 福島からの避難者が増える傾向にあるというが対応について
 
(2)防災意識の向上と地域防災計画の見直し及び緊急課題について
  ① 沖縄県庁をはじめとした行政及び県民の防災意識についての現状認識と今後の課題について
  ② 今回の大震災から、現行の沖縄県地域防災計画の不備な点と見直しが求められている点について
③ 緊急地震速報が沖縄の公共施設、学校などで整備されていないのは重大ではないか。急いで整備する必要があるのではないか。
  ④ 防災行政無線(同報系)の整備状況、特に、海岸線、河川沿いなどで住民が住み働いている場所をどれだけカバーしているのか。整備を急ぐべきである。
  ⑤ 海抜表示と避難経路、避難訓練について

(3)消防士の増員について
  ① 沖縄の消防士の国指針による必要数と現在の配置数と割合、全国順位。不足人数は何人か。これで災害時に県民の命の安全を守れるのか。消防士を指針どおり確保すべきである。
  ② 消防士の震災派遣時の手当がついていないのはなぜか。手当をつけるべきではないか。
  ③ 防災ヘリの導入を以前に提起したが、その後の検討状況について問う

(4)、警察行政について
  ① 災害地派遣とその後の警察官のメンタルケア、災害派遣時の手当について
  ② 警察官の定数と現状
  ③ 首里交番についての県議会での陳情採択どおりに現地建て替えすべきである。

3、やんばるの山の皆伐を中止し、それに代わる雇用の確保及び別な視点での雇用創出の推進について
 (1) 県は皆伐を中止し自然を守り、自然と共生した雇用の場の確保に全力をあげるべきである
 (2) 学校給食やホテル、飲食業などの食器に地元木材を活用した琉球漆器を使用すれば大きな経済効果、雇用効果があると提起してきた。見解と推進状況を伺う。
 (3) マングースーの駆除は地元に委託して地元雇用につなげてはどうか。
(4) 地元雇用で、ヤンバルテナガコガネなど野生生物の密猟取り締まりなどを強化すべきではないか。
  (5) やんばる地域の遊休農地・耕作放棄地の面積と対策について。植林を行うことは可能か。 
遊休農地・耕作放棄に、ハンノキ、ゲットウ等の薬用成分、機能性成分などを含んだ有用樹種や、ウラジロエノキなどの早生木などを植樹し活用することによって、経済効果、雇用効果が期待できるのではないか。そのことによって、現在の天然林を皆伐しなくても済むようになるが、見解を問う。
 (6) やんばるの森には薬用などに活用できるような菌類、植物などが豊富だと言われているが、その研究にもっと力を入れるべきではないか。
 (7) 国立公園に指定し、世界自然遺産に登録し、その維持管理を地元に引き受けてもらうことが大きな経済効果と雇用につながるのではないか。
 (8) 水源基金の廃止の方向だが、内容を改めて、水源と涵養林の保護、地元の雇用などを目的とした基金に発展させるべきではないか。
    
4、県は全島緑化運動を提唱しながら、県道の街路樹帯などをコンクリートで固め、街路樹を丸がりにしていることに県民から強い疑問と批判の声が出ている。除草などを失業対策事業などで行い雇用の場にすべきではないか。全島緑化県民運動推進会議会長、沖縄県産業雇用拡大県民運動推進本部本部長の知事の見解を問う。

5、わが党の代表質問に関連して

2011年6月28日火曜日

朝立ち宣伝に飲み物の差し入れ

久しぶりの安里交差点での朝立ち宣伝。

自転車で出かけ、宣伝を開始。

手を振ったり、合図をしてくれる方やがんばってと声をかけるかたもいた。

その中で、がんばってと飲み物を差し入れて方がいた。

同期生だった。

思わぬところでの出会いだ。

演説中だったので、話すこともできなかったが、ありがたいものだ。

日米地位協定の改定、普天間基地の無条件撤去、辺野古移設・県内移設反対、思いやり予算を削って被災地支援にまわせ。

演説にも力が入る。

2011年6月27日月曜日

6月議会一般質問の通告内容

今日の12時に一般質問の通告が締め切られました。

今度の議会は、日米合意で辺野古へのV字型滑走路の建設を日米で合意した問題や、オスプレイの配備などの基地問題から、震災問題などが大きな焦点になると思います。

私もこれらの問題を中心に質問を行います。

質問は7月1日(金)の5番目、2時半前後のスタートになる予定です。

質問通告の内容は下記をクリックしてください。

質問通告全文

2011年6月25日土曜日

不平等な日米地位協定を許さない抗議集会(動画)

2011年1月12日に、成人式のために帰省中だった青年の運転する車に、対向車線に突っ込んできた米軍属の運転する車が正面衝突、青年が死亡した。
この事故で軍属の男性は、自動車運転過失致死罪で送検されたが、帰宅途中に起こした事故は「公務中」とのことで、日本は裁判権を行使できないとして那覇地検は不起訴処分に。
またしても、日米地位協定によって沖縄県民の人権が踏みにじられた。

今日、この不平等な日米地位協定を許さない抗議集会が開催された。

6人の国会議員、19人の県会議員、中部地区の多くの市町村長、市町村議員、多くの県民が参加した。

その模様の一部を映像でお伝えします。

與儀功貴君を失った、母親、友人らの悲しみ、県民の悲しみ、怒りをぜひ共有し、日米地位協定の海底を求める署名運動にも協力してただきたいものです。



2011年6月24日金曜日

党沖縄県議団と宮城県議団の出会いが赤旗「潮流」に紹介される

日本共産党沖縄県議団が5月30日から宮城県石巻での支援活動に行った時、宮城県議団と意見交換しましたが、その時の模様が昨日の赤旗「潮流」に紹介されています。

多くの人に読んでもらいたいと思い転載しました。

私たちの支援活動が、苦しんでいるみなさんの励ましになりお役にたてたのであれば嬉しいです。

さらに、支援を強化してい行きます。




5月23日、赤旗

そばを食べての後悔話

県議会がはじまり、来週の月曜日が一般質問の締切日だ。

今度の一般質問の調査ために、やんばるまで行くことになった。

質問には現場での調査は欠かせない。

大変有意義な調査になったが、行く途中で名護の有名なそば屋さんでそばを食べることになった。

「大そば」と「小そば」があり、以前の通り、「大」を注文したら、なぜか食べるのに苦労した。量が多いのだ。

いつもなら難なく食べきれるのに、やっぱり「小」にすべきだったねと同行のM氏に語りながら後悔した。

同行のM氏も量が多いようで「小」にすればよかったと、なんとソーキと三枚肉を三枚も残すというのだ。

いくらなんでも、そばのソーキと三枚肉を残してはバチがあたるよと、頂戴した。

自分の「大」でも食べすぎなのに、M氏のソーキと三枚肉まではやっぱり欲が深すぎたのかもしれない。

後悔先に立たず。

げっぷ!

次からそばは「中」か「小」にしようと思っている。

みなさんもご注意を。

2011年6月23日木曜日

平和への誓い/沖縄全戦没者追悼式に参加(動画)

慰霊の日の今日、沖縄全戦没者追悼式に参加しました。

菅総理大臣も参加していましたが、昨日、日米閣僚協議で沖縄の辺野古にV字型の滑走路を持つ新基地建設で合意をしておきながら、平然と沖縄の負担軽減に取り組むといってのける無神経ぶりにあきれ果てました。語る言葉もないとはこのことでしょう。

知事の平和宣言、衆院議長、県議会議長のあいさつは、それなりに今の沖縄の状況を表しているように思えましたので、動画に取り込みました。

中学生の平和の詩の朗読も参加者の涙を誘っていました。

15分弱の動画をご覧ください。



2011年6月22日水曜日

台風被害の救済支援を経労委で申し入れ

沖縄県議会の経済労働委員会(玉城ノブ子委員長・共産)は先日、台風2号で甚大な被害を受けた伊江島の葉タバコ栽培農家や今帰仁村の農家などを調査してきましたが、今日、その結果をもとに沖縄県に対して、農家救済の支援について申し入れを行いました。

県からは上原副知事が対応しました。

申し入れ項目は以下の通りです。

1、無担保・無保証人、無利子・低金利の融資制度をつくること

2、資材、燃料費等必要経費への支援策を講じること

3、借入金の返済猶予及び利子補給を行うこと

4、台風2号関連被害として国・公庫等に支援を求めること
5、沖縄型共済制度を創設すること

6、輸送コストを軽減すること

7、強化ビニールハウスの支援を拡充すること






従属者の異常な姿

昨日の日米外務・防衛担当閣僚の協議、いわゆる2プラス2というものが開かれ、米普天間飛行場の代替施設として、名護市辺野古の海を埋め立てV字型滑走路を造ることを決定したという。

選挙の時には、普天間基地は最低でも県外と公約しながら、さっさとそれを投げ捨て、今回は、自公政権時代のV字型に臆面もなく回帰した。

両政府の閣僚は、「同盟の深化」と言っているよだが、これは日本の「従属の深化」にほかならない。

日本である沖縄県民の総意を平気で踏みにじり、アメリカの言うことはなんでも聞く。

なぜ、アメリカには何も言えないのだろうか。

まさに、従属者の姿そのものである。

沖縄県民は決して従属者に屈服はしない。

決して自分対は占領者だと思い込んでいる米軍にも屈服しない。

普天間基地の県内移設に反対し、無条件撤去へのたたかいはさらに強まっていくだろう。

従属の根源になっている日米安保条約をなくして、対等平等の日米関係の構築をめざすたたかいに発展するだろう。

そのためにも、来年の県議選挙をはじめ、国政選挙でも、従属的な政治を進めてきた自民党、それを引き継いでいる民主党にノーの審判をくだし、安保条約廃棄でがんばっている日本共産党を伸ばすことが重要だと思っている。

このことが、基地のない沖縄への決定的な力になるだろう。





2011年6月21日火曜日

今日、6月議会開会

今日、沖縄県議会の6月議会がはじまります。

政府が辺野古へのV字型滑走路を建設することを正式に沖縄県に通告し、MV22オスプレイも普天間基地に配備するということを通告するなど、県民を無視し基地建設を強行しようとしているもとで議会になります。

この押し付けを跳ね返す議会にしなければなりません。

また、東日本大震災から3カ月が経過したもとで、被災地と被災者支援、沖縄の防災対策なども大きな焦点になると思います。

全力でがんばります。

2011年6月20日月曜日

被災地支援ボランティア報告会

昨日、日本共産党沖縄県委員会主催の被災地支援のボランティア報告会がありました。

県議団からは、私が20分間の全体的な報告をパワーポイントを使って写真、映像なども交えながら報告。

その後、5人の県議・予定候補らが報告しました。

会場は父の日にもかかわらず210人余が参加しました。

今後の支援活動の強化を誓いあいました。



報告する渡久地修



沖縄タイムス 6月20日


2011年6月19日日曜日

被災地支援活動の「記者のメモ」が反響

一昨日、沖縄タイムスに「支援物資輸送の再開を」との見出しで「記者のメモ」欄に記事が掲載された。

この記事が結構読まれているようで、昨日も、いろんなところから「被災地はどうでしたか?」「やっぱり大変だったでしょう」「いまだに物資が届いていないないなんて」などと声をかけられた。

多くの県民が心を痛めていることの表れである。

沖縄でも支援をさらに強めましょう。

同時に、政府はもっと早く被災者に寄り添った対策をとるべきだと声をあげていきましょう。

記者のメモを再掲載します。




沖縄タイムス 6月17日

2011年6月18日土曜日

赤嶺衆院議員と街頭から訴え

今日、赤嶺政賢衆院議員と一緒に街頭から訴えました。

普天間基地の辺野古移設、V字滑走路、オスプレイの配備などに抗議し、県民の団結したたたかいを訴えました。

さらに、3か月となった東日本大震災への救援の強化を、現地での支援活動を報告しながら訴えました。

道行く車などから多くの声援が送られました。




左がとぐち修、右は赤嶺衆院議員

2011年6月17日金曜日

支援物資輸送の再開を/記者のメモ

5月30日から6月3日まで、被災地支援ボランティア活動と調査、政府要請に行って来た。

その状況を6月9日、県副知事に報告するとともに、支援の強化と沖縄の防災対策の強化について申し入れを行った。

その時のやり取りの一部が沖縄タイムスの記者のメモで取り上げられた。

以下が、記者のメモです。支援をさらに強めましょう。




沖縄タイムス 6/17

2011年6月16日木曜日

オスプレイ配備反対で県議会がただちに行動を/議長に申し入れ

日米両政府が沖縄の普天間基地にオスプレイを来年度中に配備すると通告した問題で、日本共産党県議団は今日、高嶺議長にただちに反対の行動を起こすべきと申し入れを行いました。

申し入れでは、これまでもオスプレイの配備は問題なっていたが、政府は正式には聞いていないという立場を繰り返してきた。今回、防衛大臣が正式に通告してきており、県議会として看過できない重大問題であり、ただちに反対の意思表示を行い行動すべきである。そのために議長として各会派に呼び掛けるように申し入れました。

議長も、オスプレイの配備やいっこうに進展しない地米地位協定改定問題など見過ごすことはできないので、申し入れの趣旨は全く同感であり対応したいと述べました。

日米両政府の基地押しつけを県民全体で跳ね返したいきましょう。


2011年6月15日水曜日

台風被害調査

県議会経済労働委員会で台風2号の調査に行きました。

葉タバコが壊滅的打撃を受けた伊江島の圃場を調査、農家から実態について聞きました。

収穫前の5月の台風では過去最大規模でこんな全滅状態は初めてとのこと。

猛烈な風と塩害でなぎ倒され、すきこまれた無残な姿でした。

JTとの契約栽培なので、このような災害の時には一定の基準で見舞金が支払われるようですが、借金の返済や運転資金の確保などに不安を訴えていました。

今帰仁村では、国や県などの補助を受けて台風対策を強化したマンゴーやスイカ、メロンなどのビニールハウスを調査。

台風対策として太いパイプで補強したハウスや、最初から太いパイプで設置したハウスなどは今度の台風の強風にも絶えていました。

また、風からビニールをまもるために網でハウスを覆ったり、なかの作物をまもるために、ハウスのなかに網を覆ったりしたことによってなかのマンゴーなど全く被害を受けていいませんでした。

その一方で、従来の細いパイプのハウスは多くが風によって壊されており、中のメロンなどの作物も全滅していました。

沖縄は台風常襲地帯です。

台風に耐えられるようなハウスの普及、そして、露地栽培などの作物などをはじめ、災害の時の沖縄型の共済制度の創設の重要性を感じました




葉タバコ農家から被害状況の説明を受ける。左がとぐち修

2011年6月14日火曜日

次期沖縄振興計画について副知事に質す

次期沖縄振興計画について、副知事を招いての「沖縄振興特別委員会」が開催されました。

私は、基本的な問題でいくつか質問。

一つは、基地誘致との引き換えの振興策であってはならないと県の基本姿勢について質問、また、国頭村安波区での普天間基地の誘致と引き換えの振興策について県の見解を問いただしました。

副知事は、基地誘致と引き換えの振興であってはならないとし、また、安波区の問題はどこからこのような話が出てきたのか分からないのでコメントしようがないと不快感を表明。

二つ目には、防衛大臣が、県の国際救援拠点の誘致を打ち出していることに便乗して、下地島空港に自衛隊を配備して、米軍とも災害救助などの訓練を行うことを表明していることについて、県は軍事利用を認めるべきではないとして県の見解を問いました。

副知事は、県が想定しているのは、NPOの災害救援組織であり、軍事利用を予定していないとの答弁でした。

三つ目は、衆議院の沖縄北方特別委員会が最近まで開催されなかった問題で、6月1日にやっと開催されたが、もっと国会の場で堂々と議論すべきであり、県としても委員会での議論を活発にすべきだと申し入れるべきではないかと質問。

副知事もその通りと答弁でした。

2011年6月13日月曜日

オスプレイ配備反対、沖縄から米軍基地の撤去を

【後日追加】7月1日にオスプレイの危険な実態、アメリカ議会下院での公聴会議事録などを使って明らかにした質問を動画でアップしています。ご覧ください。

臆面もなく民主党の北沢防衛大臣が来県し、オスプレイの配備を通告するようだ。

アメリカ政府・日本州の大臣なのだろう。

アメリカいいなりで、アメリカの言うことはなんでも聞く。

沖縄県民の願いに耳を傾けたことは一度もない。

アメリカ以上に、沖縄への基地押しつけに一生懸命だ。

主権国家だということわすれ、アメリカに従属する日本政府の態度は恥ずかしい限りだ。

沖縄県民は、絶対にオスプレイの配備を許さない。

普天間基地の県内移設も許さない。

すべての米軍基地を撤去せよ。

大きなたたかいを展開していこう。


2011年6月11日土曜日

「沖縄の航空政策を考えるジンポジウム」に参加

今日、航空労組連絡会の「沖縄の航空政策を考えるシンポジウム」がありました。

離島県である沖縄の交通施策を考えるシンポでした。

次期振興計画の議論が進められているもとでの時期を得たシンポでした。

国民の交通権の保障という観点からもっと深める必要があると思います。

さらに、沖縄全体が旧国鉄、今のJRの鉄道政策がまったくない沖縄だからこそ、この交通権に対してもっと大きな声をあげていくことが求められているでしょう。

国、県の政策としての航空運賃の低減を図っていくことが求められています。


オスプレイの配備、安波への基地誘致の動き/県民の願いを踏みにじる動きに怒り

お金と引き換えに、基地を誘致しようという動きに県内から怒りが上がっている。

安波区が政府と誘致について交渉すると決めたと報道がなされたが、これを主導してきた政治家たちの存在が取りざたされている。

普天間基地の県内移設反対が県民の総意であるにもかかわらず、これに分断を持ち込む。

喜ぶのは日米両政府であることは明らかである。

そしてオスプレイの普天間基地の配備の発表。

このままでは普天間基地は基地の固定化されるぞと言わんばかりの脅迫的なやり方。

辺野古や県内移設を認めよとの動きに断固ノーの声をあげよう。


2011年6月10日金曜日

県への申し入れの新聞記事

昨日の党県議団の申し入れについての新聞記事を掲載します。



沖縄タイムス 6月10日



琉球新報 6月10日



赤旗 6月10日

2011年6月9日木曜日

沖縄県に、被災地での支援活動の報告と、支援強化と沖縄の防災体制の緊急対策を申し入れ

日本共産党県議団は、5月30日から6月3日までの、東日本大震災被災地での支援活動と調査、及び政府要請行動を行ってきました。

今日は、その支援活動の報告とともに、今後の沖縄県としての支援の強化と、沖縄県での防災対策の緊急に強化すべき点などについて申し入れを行いました。

県からは与世田兼稔副知事が対応しました。

以下が申し入れの項目です。

1、被災地への食料、衣服、生活用品などの支援を、現地とよく相談してさらに強化すること。

2、沖縄に避難してきた被災者を励ますとともに、団地、民間アパートなどの仮設住宅入居者に、一日1500円の食費、諸経費1人当たり1000円を支給するなど  災害救助法に則った支援を行うこと。

3、沖縄は地震、津波が来ないという誤った安全神話を払しょくし、防災意識の強化を急ぐことともに、沖縄県地域防災計画を早期に見直すこと。

4、当面、各地での海抜表示、津波警報発令時に、避難すべき近くの高台やビル等の確認及び、避難経路などの周知徹底を急ぐこと。県庁や県議会棟などを津  波避難ビルに指定するなど出来るところから急いで行うこと。

5、海岸沿いの小中学校、幼稚園、保育園、高校など、緊急の避難訓練を実施すること。

6、防災行政無線の整備を緊急に進めること

7、沖縄は、国が定めた消防士の数2826人に対して、不足している1326人の消防士の増員配置を市町村と協力して急ぐこと。消防の災害派遣に際しての条例等の必要な整備を行うこと。

8、大津波、大地震、液状化など検証もされてもいない、且つ、自然破壊につながる泡瀬干潟の埋め立て中止すること。

副知事は、8の泡瀬干潟の埋め立て中止を求めたものについてはコメントを控えさせていただきたいと述べましたが、他の申し入れについては前向きに検討することを約束しました。

また、被災地支援についても実情をもっと把握し、共産党県議団とも連携もしてできるものはぜひやりたい。息の長い支援になるが県として最善を尽くしたいと述べました。


申し入れ全文(PDF)



支援活動の模様を報告し、申し入れの内容を説明する渡久地修。左が副知事

2011年6月8日水曜日

被災地での支援活動を報告/石川支部主催の演説会

昨日、日本共産党石川市支部主催の演説会が開催され多くの市民が参加しました。

2人の市会議員の報告の後、私が、東日本大震災の被災地支援で、宮城県石巻市や女川町などに行ってきたことを報告。

被害状況や被災地での被災者の置かれている現状、ボランティア活動の報告などを、映像や写真などを交えながら報告。

また、この3カ年間の日本共産党県議団の活動についても報告しました。

参加者からは、「現地の状況がつぶさに報告された。支援を強化しなければと思った」「県議団の活躍は頼もしい」との声が寄せられました。


2011年6月7日火曜日

消防士をめざす若者からメール

5月26日の琉球新報記者席に、県内の消防士が国が必要と定めた数の約半分の1500人しか配置されていなく、1326人が不足していることを指摘し続け、消防士の増員を訴え続けている渡久地修県議と紹介された。

この記事を読んだ、消防士をめざして救急救命士の資格もある若者から、「消防士の増員を」とのメールが届いた。

消防士の不足は、県民の命と安全を守る防災行政の後退につながり、若者たちの夢と希望を構造改革、行革の名のもとで奪い取ってしまうことにもつながる。

消防士の増員は、県民の生命、財産を守る確かな力である。

そして、若者たちの夢と希望を応援することにもつながる。

東日本大震災の教訓からも、消防士の国の定めた必要数の確保は絶対に実現させたいものでる。

まったく面識のないが、以下、若者からのメールを紹介します。

「私は、県外の専門学校で救急救命士を取得し、消防士を目指しております。

救急救命士の資格を一番発揮できる仕事は消防です。

しかし、沖縄県の消防職員(救急救命士)の採用は少なすぎると思います。

私以外にも救急救命士を取得したものの、県内の消防で働けていない人はたくさんいます。

消防で働きたい、救急救命士として頑張っていきたい気持ちは誰にも負けません!やる気はとてもあります!

消防職員(救急救命士)の採用を増やして下さい。」

がんばりましょう。


琉球新報「記者席」の記事


2011年6月6日月曜日

台風2号による農作物被害への支援強化を県に申し入れ

日本共産党県委員会と県議団は、今度の台風2号によって農作物の被害が大きなものになっている状況の中で、その支援の強化を申し入れました。

今度の台風は、風が強かったことと、雨がなく塩害がひどくなったこと、収穫期の5月に襲来したことなどが被害を大きくしました。

県の調査でも被害額は、約65億円に上るなど過去2番目の被害額になっています。

・農作物被害救済への支援を緊急にとること ・無担保無保証人、無利子・低金利の融資を行うこと ・借入金の返済猶予を金融機関等に申し入れること ・ビニールハウスの補修、種子購入等再生産に必要な支援策を講じること ・公庫のセーフティーネット資金の活用など国に支援を求めること ・農家で働く雇用者n仕事を保障すること ・台風被害農作物等の価格保証制度を含む支援策を確立すること

などを求めました。

対応した又吉公室長は、過去2番目の多きな被害になった。県としては補正予算も含めて必要な支援策を行って行きたいと述べました。




申し入れ



全滅した伊江島の葉タバコ


被災地ボランティア支援活動報告に多くの人が涙

6月3日に沖縄に帰ってきた。

被災地の現状を少しでも多くの人に伝えようと、ビデオ、写真などをパワーポイントで編集。

4日には2か所で、今日も朝1っ個所で現地の状況報告を行った。

人数は10人~20人と少ないが、一人でも多くの方々に見てもらおうと思っている。

参加者は胸を痛め涙を流す人もいる。

沖縄戦で廃墟と化した65年前の戦争とダブって、その痛みをわがことのように受け止めているのだろう。

支援活動をもっと強めなくてはならない。

明日は、石川市で演説会で報告する。

一方、国会、永田町では、被災地の国民が苦しんでいるの、自民や民主などは、総理に辞めろ辞めない、うそつき、ペテン師等のののしりあい。

こんなしている時ではない。

怒りはますばかりである。

2011年6月5日日曜日

国会は何をしているのか、怒り沸騰。

管内閣の不信任決議を出す出さないから、やめるやめないの泥仕合、はてはペテン師、うそつきの罵り合い。

被災地での支援活動をしていて痛感したのは、政府は何をしているのかという怒りだった。

支援物資を届けに来ましたとハンドマイクで呼びかけると、どこからともなく多くの方々がやってくる。

米、野菜などの食料品から、トイレットペーパー、衣類など瞬く間に無くなってしまう。

全部流されて何もない、助かった、ありがとうと声をかけていく被災地のみなさん。

今なおこういう国民が被災地にたくさんいるのに、なぜ政府は、支援物資を急いで届けないのか、いや届けようとしないのかと思う。

がれきの撤去、家の片づけ、修復作業、一軒の家に20人ほどのボランティアが総がかりで従事してきたが、周りには、その何百倍、何万倍の住宅がある。

そして事業所が被災して失業した方もこの作業に従事していて、これからの仕事、生活の見通しは全くないと話していた。

やるべき仕事の量は山のようにあり、仕事を探している人々もいっぱいいる。

なぜ政府は、このような失業した方々を日当でもいいし、時給でもいいし、雇ってこのような復旧の仕事に従事させないのか。

政府がその気になってこそ、復旧への見通しも切り開かれるのだ。

そんな被災地の声をよそに、やめろ、やめないの泥仕合。

原発も、それを推進してきたのは自民党政権だった、それを受け継いだのは民主党政権だ。

自らの責任を棚に上げ、被災地をそっちのけにした、不信任劇は、国民の反発を買っている。

沖縄に帰ってきてからもこのことを各地でいわれた。

日本共産党国会議員団は、やめろ、やめないの泥仕合に組みせず、堂々と被災者の声を届けて、その立場から、今国が為すべきは何なのかを追及、明らかにし、被災地に必要な措置求め、協力すべきは協力している。

日本共産党は、被災地に災害救援センターを独自に設けて、全国からの支援物資を集め、届け、現地でのボランティアを募り、支援活動を強化している。

民主、自民などの党略的な騒動を見るにつけ、日本共産党をもっと大きくしなければと痛感する日々である。

2011年6月4日土曜日

行ってよかった/横田有史、遠藤いくこ党宮城県議のブログを見て

 私たち日本共産党県議団が、宮城県に支援活動で行ってきましたが、そのことについて、遠藤いくこ県議と横田有史県議が自身のブログに思いをつづっています。
 
 私たちが現地に行くことによって、苦難の中でがんばっている日本共産党員や多くの人々を少しでも励ますことができたなら幸いです。

 これから長いたたかいになるでしょうが、力をあわせていきましょう。

 以下は、宮城県の日本共産党・遠藤いくこ県議のブログから転載しました。


2011年5月30日(月曜日)

想いがつながる、痛みがわかる 

 5月に入り、各県の地方議員の方が、ボランティアや調査で来て下さっています。

 沖縄県議団も、被災地支援ボランティアと調査ではるばる来てくれました。乗り継いできた疲れも見せず、沖縄県としての震災対応に関する申し入れや取り組みの報告を受け、遠い沖縄県での被災地を憂い避難者受け入れに奔走する県行政と党の姿に触れて、目頭が熱くなりました。

 そのうえ団長のかようさんは、「沖縄には被災地と通じるものがある」と話されました。「沖縄は鉄の暴風といわれるすさまじい戦争でたくさんの犠牲を出して焼き尽くされた。その後米軍は、県民を収容所に閉じ込めて奪いつくした。戸籍がない、登記簿謄本がないということを、沖縄は戦争で体験している。県民はその体験と今回の震災の惨状を重ね合わせて、心を痛めている。」そして「思いがつながる」「痛みがわかる」と話されました。私は、この数十日こらえていた涙が一気に噴出して、人前で泣いてしまいました。

 沖縄に来る方はその理由に「海沿い」を挙げるそうです。慣れ親しんだ海がそばにあることの切ないほどの愛着を、沖縄タイムスは報じていました。石巻や南相馬からの避難者の声が載っていました。

 明日は早々から石巻に向かうとの事、作業服も手袋も防塵マスクもすべて担いでの強行日程です。来てくれて本当にありがとう。そしてどうぞ気をつけて。


以下は、横田有史県議のブログから転載


2011年5月30日(月曜日)

沖縄県会議員5名全員を含む6名が、沖縄県を代表して「支援」策の調査に来県。明日から石巻でボランテェア活動へ・・・。

 台風が吹き荒れる中、夕刻に沖縄県議5名と候補1名の6名が来仙。

 県委員会7階の現地対策本部で、本部役員の太田・水戸両氏とともに、意見交換。

 沖縄の共産党県議団の「可能なあらゆる支援を沖縄県の全力を挙げて推進しよう」と言う提案を、県は全面的に受け止め、「宮城県からの避難者だけでも、既に114世帯254名を迎えた」との事。

 被災者の救援の為には、何の惜しみもなく全力を挙げたいという沖縄県。

 その意を受けて、ボランテェアを買って出ながら、ニーズの調査に来県して頂いた県議団です。本当に感謝の思いでいっぱいです。
 
 『津波被害で“まっさら”になった被災地に、財界・ゼネコンの為の絵を描こうとしている復興計画』と言う私の話に対して、沖縄県議団長がズバリ指摘しました。・・・『米軍の艦砲射撃で壊滅した沖縄を、自由に線引きして占領した米軍と全く同じではないか・・・。』

 遠藤県議はその話を、感動の涙で受け止め、“沖縄の重い歴史”と“東日本大震災の被災の展開”を奇しくも重ね合わせることになった、意見交換会でした。

 沖縄と宮城・東日本の“復興への熱き連帯の糸”が結ばれた、『歴史的出会いの日』と言ったら、オーバーなのだろうか。・・・・・本当に有難う御座います。




泡瀬干潟埋め立て中止、沖縄の菊栽培農家支援、遺伝子組み換えのパパイア問題などで政府要請

昨日、日本共産党県議団は赤嶺政賢衆院議員とともに政府要請行動を行いました。

泡瀬干潟埋め立ての中止を内閣府の園田政務官に要請、その後、内閣府の担当と交渉。

東日本大震災の影響で沖縄の菊栽培農家が大打撃を受けている問題では、最初に厚生労働省の担当官に、雇用調整助成金が菊栽培農家のパート労働者にも適用されるよう要件緩和を求めました。

農水省には、菊栽培農家が受けた被害の補償を求め、また、菊の価格安定化制度の創設御を求めて交渉。

さらに、農水省では、沖縄で優良品種としてして栽培されてきた台農5号というパパイアが、遺伝子組み換え作物であることが国の調査で判明し、全部伐採、出荷停止になっている問題で。伐採された分や出荷停止になった分の被害補償を国に求めました。そして、ハワイで開発された遺伝子組み換えのパパイアが輸入解禁に向けて動き出していることを批判し、中止を求めました。




政務官に、泡瀬干潟の中止を要請


厚労省担当官に、雇用調整助成金が菊栽培農家のパート労働者にも適用されるよう要件緩和を求めて交渉。




2011年6月3日金曜日

液状化の浦安市で調査

昨日は、宮城県から千葉県の浦安市に移動。

3月11日の大地震で起こった液状化について、地元の元木市議の案内で被害状況を調査しました。

傾いた家、陥没した道路や波打った道路、傾いた堤防など、埋立地の液状化の恐ろしさを痛感しました。

タクシーの運転手が、たまたま沖縄出身の上原さんでしたが、当時は、運転中で道路が波打って恐ろしかったと語っていました。

平坦な道路が今でも波打ち、同じ高さだったビルの玄関から50センチあるいは1メートルほど全体が陥没しています。

傾いた家も多く、すでに解体し、更地になった場所もあります。

去年建てたビルで、近々解体することになっている所もありました。

傾いた家をジャッキアップして修復している現場も見せてもらいました。

2000万円ほどの費用がかかるとのことでした。

元木市議の家も傾いたいました。






大きく傾いた堤防



ジャッキアップしている現場


2011年6月2日木曜日

被災者宅の、れき撤去、泥だし、家屋の修理/現地からの報告

昨日は、終日、被災宅のがれき撤去、泥だし、家屋の修理の支援活動に参加しました。

朝6時に仙台市を出発、石巻市の日本共産党災害救援センターへ。

全国からの支援食料などを、小袋に仕分けする作業を手伝う。

8時半、全国からのボランティアが「食糧・物資のお届け隊」と「がれき撤去・泥出し隊」にそれぞれ配置され出発。

県議団は、がれき撤去と泥出し作業につくことになり、全労連や民主団体で構成する「災害対策連絡会議」(略称・災対連)のボランティアと合流。

被災地から、泥出し、引っ越しなど様々な依頼が寄せられているという。

私たちが向かったのは、市内の建売住宅街。

一面が無残な姿。

依頼のあったのは車いす生活のKさんの住宅。

9時、現場着。

2階建てだが、一階の天井まで水が襲来したという。

かろうじて2階に避難して一命をとりとめたという。

周辺の平屋建物の方々は犠牲になり、この路地だけでも6人が亡くなったという。

目の前に、2人が亡くなった平屋の住宅が・・・。

Kさん宅の車庫、庭、玄関はいたるところから流れ着いた、大型タイヤ、冷蔵庫などがれきと泥の山。

修繕すれば、住めるとのことで、帰宅を決意したという。

それにしても、どこから手をつけていいのか全く分からないような惨状。

Kさんや、応援に来た兄弟も呆然としている。

これで立ち直れるのかとの一抹の不安に駆られる。

支援隊は、20人ほどだが、がれき撤去と、一階の水浸しになった壁はがし、床はがし、床下の泥出しの2班に分かれて作業開始。

延々とがれき撤去。

私は、嘉陽団長と他の10人ほどと壁はがし作業に。

バールを持ってなれない作業で、骨組みは傷をつけてはいけないので神経も使う。

高い場所も、腰掛けや机に上っての作業でけがをしないように気をつけないといけない。

壁は石工ボードが主で埃が目に入らないようにゴーグルをつけての作業だ。

断熱材も使用されているので、吸い込まないように細心の注意が必要。

3時ごろまでかかって、壁はがしはめどがついた。

床はがしも台所からかかった。

床下は、5センチほどの泥がたまっている。

ヘドロ、重油などが混じっているといい、匂いも鼻をつく。

住宅再建には、この泥の撤去が必要である。

泥は、スコップで書き出していたが、粘土のようになっていたので、手でそのまますくった方が効率的だった。

4時にその日の作業は終了。

翌日また、他の支援の人々で作業に来るという。

周りには、このような仕事がいっぱいある。

政府はいったい何をしていいるのかと怒りがこみ上げてくる。

今日、作業従事している、Kさんの親戚か友人なのか定かではないが、その方も失業しているという。

このような地元の人々を、政府として、がれき撤去、泥出し作業などで雇用すべきである。

そうしてこそ、再建への意欲も、希望も出てくるというものである。

玄関先、車庫、庭のがれきはきれいに撤去され、壁はがしも終了。

呆然としていたKさんたちにも少しばかり笑顔が見えた。

これからの再建、復興に、ほのかな希望の光が見えたのであればうれしいなと思いつつ現場を後にした。

日本共産党の災害支援センターも、この高さまで津波が押し寄せた。


出発前のボランティアの振り分けと打ち合わせ


がれき撤去作業


壁はがし作業に従事。修復するので、骨組みは傷をつけないように注意。右が渡久地修


高いところはけがをしないように慎重に。


石工ボードが主だが、水にぬれて痛んでいる。


床をはがして床下のヘドロを撤去。真ん中が渡久地修


休憩中




2011年6月1日水曜日

これは現実なのか、被災地の状況に絶句/現地からの報告

これは本当に現実なのか。

こんなことがあっていのか。

一瞬で日常が奪われた人々の生活。

ここで多くの人の命が消えた。

石巻市、女川町の被災地の現実はなかなか受け入れきれないほどの惨状だ。

声も出ない。

ただただ涙するだけ・・・。

日本の国の総力をあげて救援にもっと力を・・・。

政府は何をしているのか・・・怒りも出てくる。

日本共産党の震災救援センターでは、全国からボランティアが忙しそうに動いている。

若い仲間たちの元気よく動く姿に励まされる。

私たちも、地元の水沢市議や、東京、宮崎、神奈川をはじめ全国からのボランティアと一緒に、トラックに支援物資を積んで被災地での支援活動を行った。



震災前のきれいな街並みの写真が公園に掲示されていた。



きれいな街並みが一瞬で消えた。



ここには住宅が建ち並んでいたという。



津波の破壊力のすさまじさ。


このおもちゃで遊んでいた子はどうなったのだろうか。



日本共産党震災支援センターに沖縄からの黒糖、サーターアンダギーを届ける。



すべてが流されたという。
野菜、コメなどの食糧、日用品など全国からの物資を被災地で届ける。
ハンドマイクで呼びかけると、すぐに多くの人々が出てくる。