2008年8月31日日曜日

イメチェンしました?

今日の重大ニュース。

選挙後初めて床屋に行きました。

イメージチェンジしたつもりですがどうでしょうか。

あまり変わらないか(笑)。



一足早い敬老会

儀保町の敬老会が今日行われました。

那覇市でも一番早い取り組みだと思います。

9月中旬が一般的ですがなぜ早くなったのでしょうか。

聞くところによると、9月になるといろいろとかちあってしまうとのこと。

そういえば今日は例年より参加者が多いような気がしました。

今年、トシビーを迎えた方を代表してあいさつしたご婦人は、「後期高齢者という言葉に腹が立つ。私たちはまだまだ若いですよね。みなさんもっと長生きしましょう」と言っていました。

本当にそのとおりですね。




国保危機打開の学習会

昨日、「『医療制度改革』の国保財政への影響と国保危機打開」と題する学習会が、沖縄県社会保障推進協議会の主催で行われ参加しました。

講師は、日本共産党中央委員会の谷本諭氏で、国保のそもそもの仕組みから、後期高齢者医療制度が国保財政に与える影響などについて詳しく解明されました。

自公政治のもとで、貧困と格差が広がる中で、国保問題が国民的な焦点になってきています。

特に沖縄においては、滞納者が毎年のように増えて、県民の命と健康にかかわる問題になっています。

国保は、そもそも低所得者が多く、事業主負担がなく、その分を国が負担することでスタートした制度です。

最近のリストラや非正規の雇用の増大で、失業者や低所得者が増えて国保財政は圧迫する原因にもなっています。

また、国保財政を厳しくしている一番の原因が、国の負担金をどんどん削ってきたことです。

国保は社会保障の最後の砦。国の負担を元にもどすなど、国の手厚い支援が必要です。



2008年8月30日土曜日

沖縄民医連30周年記念レセプション

沖縄民医連の結成30周年記念レセプションが昨日の29日に行われました。

1970年12月に沖縄民主診療所が開設され、その後1976年に沖縄協同病院の開設、糸満協同診療所の開設と続き、1978年8月4日に沖縄民医連が結成されたとのことでした。

多くの関係者や県内医療関係者多数が参加するなど新たな発展を誓い合いました。

この中で、沖縄民医連30年の歩みと題して、スライドを使った仲西常雄さんの講演は大変感動的でした。

米軍占領下の中での県民の無権利状態の中での県民のたたかい、県民の命と健康を守るためにたちあがった民医連の運動などが簡潔にまとめられていて参加者の確信になりました。

今度は、すでにはじまっている新たらしい協同病院の建設と、北部への診療所建設と新たな発展へと進んでい行くことになります。

自公政治の医療切り捨てのもとでの民医連の活躍が期待されます。



乾杯の音頭をとる前沖縄医療生協理事長の新垣繁信氏



軽快な踊りを披露する沖縄県立芸大の学生

経済団体会議の原油高騰危機突破総決起大会に参加

原油や穀物などの高騰は県経済に深刻な打撃を与えているもとで、昨日、沖縄県経済30団体会議の「原油高騰経済危機突破総決起大会」が開催され、約4400人が参加し、日本共産党県議団からも私と玉城、西銘県議の3名が参加した。

大会の冒頭に、参加した国会議員と県議が紹介された。

「原油価格の高騰は、世界の投機資金が先物取引に集中した結果」「しかし、先の洞爺湖サミットにも見られるように世界の指導者たちは有効な対策を打ち出せなかった」「中小零細企業が大部分の県経済界の実情を訴え、(国や県の)政策に反映させなくてはならない」と経済団体会議の知念議長の怒りの挨拶ではじまった。

大会では、沖縄県漁業協同組合連合会、沖縄県農業協同組合中央会、沖縄県トラック協会、沖縄県ハイヤー・タクシー協会、沖縄県ホテル業界などの代表が「もう自助努力も限界を超えている」との怒りと、国、県などの緊急の支援策の必要性が表明された。

大会では以下の点を政府と県に求める決議が採択された。

��、県民生活の安定を図るため、燃油価格の高騰に対する必要な補てん措置を講ずること。

��、県内事業者に対する経営努力支援策としての税制及び金融措置を講ずること。

��、原油価格高騰の一因とも言われている国際投機資金の資源・商品市場への無秩序な流入を規制し、安定した国際金融市場の枠組みを世界各国間で協議し構築すること。

��、県民各位においては、県内事業者が永続的に活動できるよう原油価格高騰にともなう商品・サービス価格の適正な価格転嫁にご理解賜りたい。

私は、これまでも、先の6月議会での、県知事を本部長とする対策本部の設置や政府への原油価格高騰の対策を求める意見書を提案し、また、県議会経済労働委員会での県漁連、近海マグロ漁協、糸満漁協の調査・聞き取り、さらに、党として8月4日、5日に直接、政府への要請行動などを行ってきましたが、さらに、9月議会でも取り上げていきたいと思っています。

この問題は、全県民的な問題ですので、県議会あげて取り組めるように頑張りたいと思っています。



2008年8月29日金曜日

メガネ屋は老いを覚る場?

今日もまたメガネを忘れた。

どうしよもない奴だと自分を罵ってみても後の祭り。

若いつもりでも確実に齢をかさねている現実から逃げることができないのか。

はじめてメガネを作ってもらったのが今から3、4年前である。老眼というメガネにいささか違和感を覚えながらも、細かな資料に目を通したり、新聞や書を読むのには欠かせない存在になっていたが、遠くを見たり車の運転などには何の支障もないし、運転免許の切り替えも別段気にすることもなかったせいもあって、特に家を出る時に必ずメガネを携行するということが未だに身についていないのである。

議会などで、資料に目を通す段になると忘れたことに地団駄を踏むのである。

そういうこともあって、メガネ屋さんでつくってもらったメガネとは別に、いざ忘れた時のためにと100円のメガネをあと2つほど買い置きして、議会に置いたり事務所に置いたりとしてみたが、これらのメガネを今度はポケットに入れて持ち帰ってしまい、家には3つ、議会にはなしということになってしまっているのである。

どうしようもないと嘆いているのである。

ところで、一昨日、メガネ屋さんに行って新しいメガネを作ってもらうことにした。

今のものが3、4年経っているので度が合わなくなったのか、最近、目が疲れてくることが多々見うけられるので、思い切っていってみた。

メガネ屋さんの検査を小一時間ばかり受けた。丸の上下左右にかけた部分を、右、上、下、左と言いながらそれを繰り返し、自分に合うレンズが出来上がった。

メガネ屋さんとは不思議なところだとその時思った。

今までこんなものだと思っていた新聞などの活字が鮮やかに目に映るではないか。これには「おおー」と感動する。

と同時に、老眼が進行していることを覚らされるのである。

メガネ屋さんの店長に「メガネ屋とは老いを自覚する場なのですね」と聞いてみたが、彼は笑って何も答えなかった。

そして、一週間後に出来上がりますと告げられた。

2008年8月27日水曜日

30人学級実現などで沖教組と懇談

沖縄県教職員組合との教育懇談会に参加しました。

30人学級の早期実現、教職員の多忙化をなくす問題、臨時教員の正職員化などの様々な要求について懇談しました。

やがて始まる9月議会をはじめ、今後の議会活動でも要求の実現に頑張っていきたいと思っています。

2008年8月26日火曜日

ゴーヤーの花

季節遅れと思いながらも、ゴーヤーの苗を植えたのがひと月前の7月20日だった。

すでにその頃はゴーヤーの最盛期で、今頃植えても実はつかないと揶揄されてもいたが、いつも思いながら実行できなかった自分を呪いつつあえて植えた見たのだった。

窓のしたの固い地盤で、耕してもいない畑地でもない砂利が敷きつめられた地面に、つるはしで小さな穴を穿ち3つの苗を植えた。

東からの強烈な日照りが差し込みむクーラーのない部屋の窓をゴーヤーの葉が覆い、その蒸散作用で部屋が涼しくなり、実ったゴーヤージュースを飲みながら、読書にふけるということを想像しながら、「時期遅れのゴーヤーよ早く大きくなーれー」と時々水などかけてやっていた。

先日あたりから何やらつぼみらしきものがつきだしていたが一向に開花しないので、やはり時期遅れだったのかと諦めかけていたが、今朝、眩しい朝日に照らされて3つの黄色い花が咲いていた。

窓の日よけにはまだなっていないが、みずみずしい葉と眩しい花がたくましく感じられた。

つぼみもかなりつけているが、もっと花は咲くのだろうか、はたして実はつくのだろうか、最初のゴーヤーはチャンプルーにしようか、ジュースにしようか。

「捕らぬ狸の皮算用」に陥っているところである。




2008年8月25日月曜日

後期高齢者医療制度の廃止求める宣伝・署名活動に参加

沖縄県社会保障推進協議会による後期高齢者医療制度の廃止を求める宣伝・署名活動が行われ参加しました。

県庁前で宣伝カーから訴え、その後署名活動を行いました。

臨時国会が9月中旬に召集されるとのことですが、今度は衆院で、後期高齢者医療制度廃止法案を必ず可決させてほしいものです。

そのためにも、大きな世論の高まりと署名が大きな力になりますと訴えました。

社会保障推進協議会のメンバーが多数参加し、署名も集めました。

引き続きがんばっていきましょう。





2008年8月24日日曜日

党支部の辺野古激励行動

日本共産党首里西支部を中心とした辺野古の激励行動が行われました。

辺野古の座り込みの現場は初めてという方がほとんどで、マイクロバスいっぱいの25人が参加しました。

辺野古の現地では、座り込みテントを激励、反対協の安次富代表が挨拶し、具志堅徹反対協の副代表で党名護市議が、辺野古の基地建設をめぐる情勢を報告しました。

その後、砂浜に張り巡らされた鉄条網のすぐそばと、大浦湾まで移動して説明を受けました。

バスの中で集めた激励カンパは94歳の宮城さんが具志堅さんに手渡しました。

新しい基地の建設は絶対に許さないという世論を那覇でうんとひろげようと話しあいまながら帰路につきました。

ぜひ行きたちいう党員や後援会員も多くいましたが、バスの都合で断らざる得ないほどで、次回からは大型バスにする必要があると話していました。



テント村で座り込みに参加。具志堅名護市議から説明を受ける


鉄条網の向うは米軍基地。


座り込み現場で。



各地で盆踊り

夏も終わりに近づき、各地で盆踊りが行われています。

子どもたちにとっては来週から新学期です。(2学期制になったために実際は新学期とは言わないようですが、これまでの習慣からこの言葉が一番似合いそうなので、あえて新学期と書きました)

昨日は当蔵と鳥堀町の盆踊りに参加しました。

子どもたちのエイサーや踊り、空手演舞などは見ていてもほのぼのとさせられます。

地域の子どもたちを地域で育てる。

この地域力が最近弱まっていますが、これを何とか取り返していこうという、各自治会のみなさんの必至の努力が表れていて頼もしく感じました。

当蔵、鳥堀の両自治会のみなさんとも懇談し、さまざまな要求も寄せられました。

一緒に住みよいまちづくりに頑張っていきたいと思っています。



当蔵町の盆踊り


鳥堀町の盆踊りで、青年会のみなさんと

2008年8月23日土曜日

「抗議高齢者大会」

われわれは抗議高齢者だ」の怒りの表明に「そうだ」との声援が飛ぶ。

昨日の、後期高齢者医療制度の廃止を求める県民大会には、各地の老人クラブなどから1600人が参加していた。

高齢者がこれほど参加をし、県庁前から牧志公園までデモ行進するのはかなり大変なことである。

私の知り合いの94歳の宮城敬子さんも参加し、デモ行進まで行っていた。

「後期高齢者との名前に怒りで震えた」、「お年寄りは早く死ねということなのか」などなど、高齢者の怒りが爆発した大会だった。

私も、赤嶺衆院議員らと一緒に参加した。

首里からも老人会の方々が多数参加していたので、「一緒にがんばりましょう」と激励をした。

デモ行進では、杖をついて歩き、みんなから遅れながらも最後まで歩いていた高齢者もいた。

沖縄戦で生死をさまよい、肉親を失いながらかろうじて生き延び、終戦後はその悲しみを背負いながら必死で働き今日の日本・沖縄をきづいた方々を、今になって、75歳になったというだけで切り離し差別をするような後期高齢者医療制度は廃止しかない。

高齢者の怒りは、子供たちや孫たちの怒りにつながっていくだろう。

お年寄りが長生きして良かったといえる社会を作るために、自公の政治を変えるときである。







2008年8月22日金曜日

原潜の放射能漏れに抗議し、寄港中止を求める集会

原子力潜水艦の放射能漏れが発覚した。

沖縄のホワイトビーチにその原潜ヒューストンが寄港していた。

米軍は、放射能は微量だから人体に影響はないと、ひたすら安全だと繰り返し、日本の外務省は、アメリカが安全と言っているから安全だとオウム返しのようにいう。

沖縄県民の安全をどのように確保するか、県民の不安をどのように解消するか。

そこには、こんな態度は微塵も感じられない。

沖縄の海中には、このような原潜が蠢き、また、広大な海洋を米軍の訓練水域として海の基地を造り、豊富な漁場から漁民を追い出している。

いまだに沖縄を植民地とでも思っているのだろうか、また、いつまで日本政府はアメリカの目下の子分のような役割を演じ続けるのであろうか。

こんな自公の政治は早く終わらせたいものである。

原潜寄港を中止せよ。

沖縄から米軍基地を撤去せよ。

予想される総選挙で、このことも大きな争点にして、安保廃棄、日米友好条約の締結を訴える日本共産党を大きく伸ばすことが求められている.



デモ行進の先頭に立つ渡久地修と赤嶺政賢衆院議員


農家の悲鳴―沖縄農業経営危機突破生産者大会

午後4時を過ぎるというのに、じりじりとした太陽が肌を刺してくる。

やはり、カリユシウェアではなく長袖シャツで来るのだった。

周りには、帽子に「危機突破」と書いた鉢巻をまいた農家のみなさんがびっしりと座り、飼料や肥料、農薬、燃油等等の高騰の推移の説明をパンフを広げながらく喰いいるように見ている。

昨日、新都心の公園で開催された農家の大会は3000人が集まった。

サトウキビ農家代表、野菜・花卉・園芸農家代表、肉用牛農家代表、酪農家代表、養豚農家代表などが次々と意見を表明。

今の燃油や肥料、飼料、農薬なのど高騰で、生産費を賄えなくなっており、農家の自助努力の限界を超えている。今のままでは廃業で、子や孫に農家を受け継いでいくことなどできないとの悲痛な叫びが響く。

食糧自給率が国内で39%、沖縄県内では30%でサトウキビを除くとたったの6%だ。

主食のコメに至っては、沖縄の自給率は3%であり、世界的な食糧危機のもと震撼せざるを得ない。

今、日本、沖縄の農業を守ることは、食の安全と安定供給のためにも喫緊の課題である。

県内食糧自給率を当面50%に回復させる取り組みが求められている。

生産費が賄える価格保障制度、後継者育成のための所得保障制度がどうしても必要だ。

沖縄の第一次産業という土台をしっかりと新興、発展させてこそ、沖縄の経済の発展が望めるのである。

暑い太陽のもと、麦わら帽子の中でこんな思いをいっそう強くした。



大会参加者


玉城のぶ子県議(中央) 後ろの麦わら帽子が渡久地修県議

2008年8月19日火曜日

調査に追われています

昨日は、道州制の学習会。

今日は、振興計画の調べものと、勉強すべきものが多くて毎日追われています。

その合間を縫って生活相談活動もあります。

早く、県政全般について分かるように頑張らなければと思っています。

2008年8月18日月曜日

県内食糧自給率6%の衝撃

6月議会一般質問で、県内食糧自給率の向上問題を取り上げた。
その中で、県内の食糧自給率が30%でサトウキビを除くと6%であること、主食のコメは3%であるとの答弁があった。
これはその日のテレビや翌日の新聞でも取り上げられた。

先日、琉球新報の記者席に私が紹介され、改めてサトウキビを除くと6%,米は3%という記事がのった。
はじめて見た方もいるようで、かなりの衝撃を与えているようである。

党の県委員会事務所にも問い合わせがあり、これをブログで紹介した市議にも問い合わせがあるようで、また、大学の研究者からも問い合わせがあったとのことである。
とにかく、この数字には県民全体が改めてびっくりしていることだと思う。そして、この異常な自給率の低さを改善しなくてはならないと思うだろう。

今日、改めて県から資料を取り寄せたので紹介します。

その中で、2005年の県内食糧自給率(カロリーベース)は次の通りとなっています。

米     3%
小麦    0
大麦  0
裸麦  0
トウモロコシ、他 0

いも類  19%
でん粉   0
豆類     0
野菜類  28%
果実    20%
肉類    14%
鶏卵    22%
牛乳・乳製品  7%
魚介類     18%
海草類     145%
精糖       280%
含みつ糖  1493%
糖みつ       0
油脂類       0
みそ         0
しょうゆ      0
その他の食糧  0

合計       30%

となっている。

この合計から砂糖類を除くと、自給率は6%になる。


2008年8月17日日曜日

残念、浦添商業高校

浦添商業高校の甲子園が終わった。

前半のちょっとしたミスとエラーが相手の大量得点を許した。

あれよあれよという間の相手の波に乗った攻撃になすすべがなかった。

おそるべし高校野球。

しかし、その後の試合展開では浦添商業が勝っていた。

残念ながら、試合ではまけたが、互角の戦いだったと思う。

球児たちは自信と誇りをもってこれからもがんばってほしいものである。

2008年8月16日土曜日

米作り実践?、琉球新報―記者席

今日の琉球新報朝刊2面の記者席に、次の記事で登場しています。

米作り実践?

〇・・・「沖縄の産業振興は、第1次産業を抜きにしては語れない。そこに活路を見いだすべきだ」と語る渡久地修県議(共産)=写真。先の県議会で、県内のサトウキビを除く食糧自給率が6%との答弁にショックを受けた様子で「米に至っては3%。小さい時には田んぼも広がっていたのに」。これまでの国の政策を批判し「地産地消が進み、働き口も増える。そこにかじを切るべきだ」と持論を展開。「何とか米を復活できないか。自分で1坪の田んぼから始めるのもいいね」と実践を宣言?



この記事の反響は予想以上で、すでに共産党県委員会には当日の午前中だけでも、「県内の自給率がキビを除くと6%とは本当か?」「この資料はどこで調べたのか?」などの問い合わせが数件寄せられているとのこと。

世界的な食糧危機のもと、県内自給率の当面50%への回復は喫緊の課題です。そして、自給率向上と亜熱帯地方の特徴を生かした農水産業の振興で就業人口を大幅に増やし、県内の産業振興、失業率の改善につなげていきたいもです。

そこにこそ沖縄経済の発展方向があるのでは思っています。

浦添商業の素晴らしい試合に拍手

昨日の浦添商業と慶応の試合は、ハラハラドキドキの手に汗を握るいい試合だった。

最後の逆転の時には思わず「よっしゃ」大声をあげ手をたたいていた。

沖縄から手をたたく音が聞こえてくるようだった。

この試合で一番良かったことは、いつもは「控え」といわれている選手が大活躍したことではないだろうか。

先発の投手、そして、沖縄での大会を含めて、今大会初めての投手の、あの大ピンチの中、相手の大応援団のなかでの堂々とした投球は、見ている人々すべての驚きではなかっただろうか。

これは、浦添商の選手層の厚さなのだろうか、それとも、流れと勢いのった時の青年、子供たちのはかりしれない底力、エネルギーの爆発、可能性とでもいうのだろうか、それをみごとに示したものだった。

一人、エースの力だけでなく、全員で勝ち取った勝利。

それが、見ていてもすがすがしく堂々としたものだった。

多くの子供たちに夢を与えたいい試合だった。

次の準決勝戦も、のびのびと自分たちの持っているエンルギーと可能性を大いに発揮してほしいものである。

そして、ちょっとしたミスやエラーが思わぬ苦戦を強いられることに十分に注意をして勝利を勝ち取ってほしいと願っている。

2008年8月15日金曜日

「市民の願いが市政を動かす」―県立図書館で借りることができます

今年の初めに、「あけぼの出版」に、ある書店から渡久地修著の「市民の願いが市政を動かす」を5冊注文があった。

詳しく聞くと沖縄県立図書館の注文とのことだった。

今日、沖縄県立図書館を検索してみると、本館と宮古分館、八重山分館に蔵書として登録されていた。

貸出も可能である。

一人でも多くの人に読んでもらいたいものだ。

ついでに、「ほがらかに ちょっとするどくなのだ」というエッセイ集は、豊見城図書館で貸出されているので紹介しておきます。

終戦記念日、街頭から訴える

「悲惨な戦争を再び繰り返してはならないーー。その決意を固める日にしましょう」

��3回目の終戦記念日・8月15日の今日、朝立ち宣伝で鳥堀十字路で訴えた。

沖縄では国内唯一の地上戦が戦われ20数万の命が失われ、県民4人に1人が犠牲となった。全国では300万余の国民が命を失い、アジアでは2000万人以上の人命が失われたという。

おりしも今年は沖縄は旧盆とかさなっていて、今日は、ご先祖様が年に一度、現世に帰って来ていて、今晩、ウークイといって、来世に帰っていくことになっている。

私の父方の祖父母も、戦争で命をうしなっている。南部を逃げまどっているときに命をうしなったという。どこで死んだのか、たぶん具志頭あたりだということしかわからないという。

そういう県民がいっぱいいる。

戦争は絶対に繰り返したはならない。沖縄県民の切なる願いである。

去年、文科省が教科書検定で意見をつけて、戦争中に起きた集団自決(集団強制死)について、軍の命令がなかったといって、その記述を教科書から削除するという事件が起きた。

歴史の事実をねじまげて、あの戦争を正しい戦争として描き、子供たちに教えていこうという狙いがある。そして、その狙いは、憲法9条を変えて再び戦争のできる国づくりと一体のものであることを沖縄県民は肌で敏感に感じ取ったのである。

検定意見の撤回を求める県民大会には、復帰後最大の11万人が集まり、再び戦争を繰り返したはならないという県民の決意を示した。

今日のテレビでは、小泉前総理らが靖国神社に参拝したことを報じていた。

「渡久地議員!、盆の日もがんばっていますね。ところで胸の9のバッチは何ですか?」と出勤途中の市の職員が声をかけてきた。

「この9ですか。これは憲法9条です」と応えたが、小さな9のバッチも毎日つけることによって平和の思いを広げる確かな力になっている気がした。

再び戦争を繰り返してはならない。そのためにも憲法9条を守れ・・・粘り強い運動が求められている。

眩しくて暑く日差しに向いながらマイクで訴えた。

2008年8月14日木曜日

沖縄は今ビジー状態

沖縄は、今、旧盆の真っ最中。

明日が、メインのウ―クイである。

それに、北京オリンピック、高校野球と重なっている。

どちらも大事。

だから大変である。

浦添商ベスト8!

今日、甲子園での試合は、浦添商業がかってベスト8進出を果たした。

先日の試合と一転して、投手戦になった感がした。

今日の試合は、先日と違ってちょっと落ち着いて見ることができたような気がする。

明日の第2試合。がんばってほしいものである。

高校野球は勢いや流れに大きく左右されるので、ぜひ気をつけて自分たちの野球がやれるようにしてほしいものである。

明日は、沖縄は旧盆のウークイの日である。

里帰りをしているご先祖さんも一緒に応援するだろうから、鬼に金棒(浦商球児に金属バット)である。

がんばれ浦商、沖縄球児!

2008年8月13日水曜日

沖国大ヘリ墜落4周年の日

今日8月13日は、沖国大にヘリが墜落し、県民に恐怖を与えた日からちょうど4年目の日になります。

当時現場を見たときは、これでけが人が出なかったのが不思議なくらいの大事故で、奇跡中の奇跡と身震いする思いでした。

(墜落時の写真・宜野湾市のHPへ)

ヘリが墜落して迫ってくるときの職員や周辺の市民のみなさんの恐怖は想像を絶するものだったと思います。

日米両政府は普天間基地の危険性除去と口にしますが、なんと、この普天間基地には、岩国基地所属のFA18ホーネットが演習で飛来するのですから、本気で危険性除去を考えていないことがよくわかります。

私の住んでいる首里の上空も最近は爆音がひどくなっています。

昨日も今日も飛行機の爆音が轟いたいました。

こんなことがアメリカではないそうです。

こんなことが平気で行われていることに沖縄県民はもっと大きな抗議の声を上げていく必要があります。

ヘリ墜落から4周年、普天間基地は即時閉鎖すべきです。

それが一番の危険性除去の確かな保証です。

那覇市長選挙、タイラ長正氏の事務所開き

昨日、那覇市長選挙のタイラ長正氏の推薦母体「今こを那覇市政を変えよう、平和とくらしを守る市民の会」の結成総会と事務所開きが行われました。

日本共産党、社大党、社民党、民主党の4党代表、労働組合代表などが挨拶しました。

自公の政治に対する怒りと高まっているもとでの市長選挙になります。

この市長選挙を勝利し、予想される解散衆院選挙で日本共産党の躍進をめざしてがんばりたいと思っています。

2008年8月12日火曜日

沖縄県立中部病院を視察調査

今日、日本共産党県議団は県立中部病院の視察調査を行いました。

中部病院は、救命救急医療の中心的役割を果たし、沖縄の研修医制度の中核を担ってきたかけがえのない病院です。

今、県立病院が構造改革路線の下で、独立行政法人化や民間委譲の話が取りざたされ、県立病院としての存続が危ぶまれているのではないかとの不安が広がっています。

日本共産党は、公立病院の果たす役割の重要性、中部病院の果たしてきた役割と今後の役割から見ても、県立病院としての存続発展こそ必要と思っています。

その見地からの視察調査でした。

今、中部病院は、県の財政がないとのことで、必要な医療機器の購入、更新もできない深刻な実態がありました。

県民の命を守る最前線でのこのようなことがあってはならないと思います。

県立病院の存続と県民の医療の確保のために、今日の視察調査を踏まえて、9月議会でもガンバて行きたいと思っています。


右から玉城のぶ子、渡久地修県議、中部病院院長、看護師長、西銘純恵県議と検査技師

2008年8月11日月曜日

朝立ち宣伝に激励

県議選挙が終わってからも、朝立ち宣伝を週3回は行っている。

この朝立ち宣伝は、市議時代から選挙があろうがなかろうが毎週行っているものである。

今日は、儀保十字路で掃除をしてからの手ふりと朝の訴えだった。

夏休みなので、いつもよりはかなり交通量は少ないが、それでも多くの車が行き交う。

その中で手を振って行く人が先週よりも増えている感じである。それとも、私が気がつかなかったのだろうか。

今日は、沖縄国際大学にヘリが墜落して、明後日の13日で4年目になることを中心に訴えた。

先週の政府交渉の際、「政府も危険な飛行場と言いながら、岩国基地所属のFA18ホーネット艦載機が普天間基地に演習で飛来していることにたいして、中止をを求めることさえできないのか」ということをただしたが、外務省、防衛省は、「基地の運用は米軍に任せているのでいえない」ということだった。

アメリカに何も言うことのできない、日本政府のアメリカいいなりの姿勢を変えるためにも日本共産党を次の衆院選で躍進させてほしいということなどを訴えた。

8月は、原爆投下と核廃絶、沖国大へのヘリ墜落、終戦記念日など、基地のない平和な沖縄、日本を実現していく決意を固める月にしなければならないと思っている。

2008年8月10日日曜日

ひやひやした、浦添商業戦!

高校野球のだいご味、恐ろしさをまざまざと見せつけたのが今日の浦添商と千葉経済付属の試合だった。

浦添商が10点もとって7点差、まさか逆転はあり得ないとだれもが思っていただろう。

それがあっという間に6点を取られて1点差に。

あわや大逆転という流れになってしまった。

しかし、そこをしのいで3点差で勝った。

この試合はし浦添商の辛勝と思う。

それにしてもいい試合だった。

千葉経付属もよく頑張った。

高校野球での「流れ」をつかむこと、「流れ」にのること、そして「流れ」に乗ったら恐ろしいこと、「流れ」にのったらとてつもない大きな力を発揮すること、このことを知らされた試合だった。

次の試合、浦添商は今日の教訓を生かして頑張ってほしいと願っている。

2008年8月9日土曜日

「アメリカが安全というから安全だ」?-米原潜の入港拒否を

米原潜の放射能漏れ事故が大きな不安を呼び起こしている。

この問題で、8月4日の外務省との交渉のさい、私は、「私たちはいっさいの米原潜の入港を拒否せよという立場だが、日米安保を認める立場に立っている日本政府であっても、事故を起こした原潜や同型艦の安全性が確認されるまでは入港を拒否すべきではないか」と問いただしました。

ところが、外務省の回答はこれが本当の独立国、対等の国の態度かとあきれるものだった。

「放射能は極微量であり人体に影響はない」「アメリカが安全と言っている以上安全である」といったような発言が繰り返される。

アメリカが安全というから安全である

日本国政府としての独立心など微塵も感じられないものだった。

今日の新聞に、長崎県が米原潜の入港を拒否するという記事が載った。

戦後、どっぷりと浸かったアメリカいいなりの政治ーーーこれを異常と思わない今の自民党政治を今度こそ転換し、真の独立した日本の政治、外交を取り返す時に来ている。

予想される解散総選挙うで日本共産党を大きく躍進させることが大事だと痛感している。


2008年8月8日金曜日

ブログのアクセス5万件を超える

みなさん、お気づきになっていましたか。

今日で、ブログのアクセスが5万件を超えました。

いつも取り留めのないブログで、マンネリかもしれませんね。

最近は日々のアクセスが減ってきています。

日々、新鮮なブログにするための努力が求められていると思います。

沖縄から、暮らしを守れ、平和を守れ、基地をなくせの取り組みをもっともっと発信してい行きたいと思っています。

これからもよろしく。

コメントやメールもどんどんお寄せください。

2008年8月7日木曜日

政府要請行動について

日本共産党沖縄県委員会と党県議団。市町村議員団は、8月4日、5日の両日、県民の切実な要求の実現へ、政府要請と交渉を行いました。
 この行動には、赤嶺政賢衆院議員、仁比そうへい参院議員、田村貴昭衆院九州比例予定候補も参加。
 渡久地修県議は、党県議団の政調会長として先頭に立ちました。





厚生労働省、外務省、防衛省、農林水産省、経済産業省、文部科学省、内閣府、国土交通省、総務省と交渉しました。
 交渉の内容は、先の県議選挙の結果、県民の意思として示された、後期高齢者医療制度の廃止、辺野古への新基地建設反対をはじめ、原油高騰による経済的な打撃を受けている、漁業や農業への高騰分への直接補てん措置の実施、こどもの医療費の無料化制度を国として実施することなど県民の切実な38項目で行いました。
 この中で、米軍の訓練ための漁船の立ち入り制限水域について撤廃を求めました。この制限水域は豊富な漁場であり、漁が禁止されているため、水揚げに大きな影響が出ていること、また、漁場へむかうのに、制限水域があるため遠回り、迂回をよぎなくされており、燃油高騰のなか数倍の燃料費を費やさざるを得なくなっている漁民の実情を訴え、「漁民は、補償金はいらない、豊富な漁場を返してほしいと訴えている」と要請しました。防衛省は、「地方自治体等からその要請があれば、調査をし、日米合同委員会に提起することを検討する」と回答。農水省は「現地の状況もよく調査をし、防衛省に言うべきはこと言っていきたい」と回答しました。
 また、原油高騰分の直接補てんを省エネを取り組んでいる5人以上のグループというのは漁協単位も含めると回答するなど、大きな成果も勝ち取ってきました。

2008年8月6日水曜日

広島を繰り返すな

広島に原爆が投下され一瞬のうちに14万人以上の人が犠牲になった。

あれから63年たっても核軍拡競争は続いている。

人類を絶滅に追い込む残虐な核兵器はただちに廃絶すべきである。

8時15分、その時間に、儀保十字路の朝立ち宣伝で、核兵器廃絶を訴えた。

唯一の被爆国、日本は世界の核兵器廃絶の先頭に立つべきであるにもかかわらず、今だにアメリカいいなりである。

核抑止力の間違った政策を取り続けるアメリカと、このアメリカいいなりの自民党政治を早く変えていくことは、核廃絶の上でも大事だと思う。

ノーモア広島、ノーモア長崎、ノーモア沖縄。

核廃絶、平和な世界に。

私たちの運動は今こそ重要な時期に来ている。

がんばりましょう。

東京出張から今帰ってきました

4日、5日と政府交渉に行ってきました。

今日、国会での最後の会議が終わったのが午後6時、すぐに羽田空港に直行。

ところが、飛行機が約1時間の遅れ。

モノレールの最終便に間に合いませんでした。

ブログの更新の、翌日ということになってしまいました。

政府交渉は、5日の沖縄タイムス、琉球新報にも報道されていましたが、大きな成果もありました。

後ほど詳しく報告します。

今日は、とりあえずおやすみなさい。

2008年8月3日日曜日

出張のためブログの更新ができないかもね

2泊3日の日程で、先に書いたとおりに出張です。

更新ができないかもしれません。その時はご理解を。

ホテルのパソコンで更新ができればいいのですが・・・?

政府交渉に行ってきます。

今日4時すぎの飛行機で東京出張です。

日本共産党沖縄県委員会と党地方議員団の政府交渉が明日から2日間の予定で行われます。

明日は、厚生労働省、外務省、防衛省、農水省、経済産業省との交渉です。

後期高齢者医療制度の廃止、療養病床削減の中止、辺野古への新基地建設中止の問題をはじめ、原油高騰にたいする直接補てんを求めることなど20数項目の交渉になります。
朝10時から5時までびっしりの日程です。

2日目の火曜日は、文部科学省、国土交通省、内閣府、厚生労働省、環境省、総務省との交渉です。

30人学級、子供の医療費、学校クーラー、不発弾処理問題、糸満市の地下ダムもんだいなど20項目近くの交渉です。同じく10時から5時半までの予定です。

そして、最終便で帰る予定です。

強行スケジュールですが、沖縄県民の様々な要求40数項目とも、重要な課題ですので、全力で頑張ってきます。


2008年8月2日土曜日

やけどするような暑さ

今年の夏はとにかく暑い。

パソコンも調子を崩してしまった。

今日も、赤旗日曜版の配達にバイクで出かけたのはいいが、半そでのカリユシウェアーだったのがいけなかった。

照りつける陽射しにやけどしそうなほど痛い。

これは要注意。

そして、新聞では福田内閣の改造騒ぎ・・・。

おっと、騒いでいるのは本人立ちだけかも。

国民は騒がずに冷やかな目で見ているようである。

アメリカいいなり、財界いいなりの政治は変わらないでは、顔ぶれが変わっても中身は変わらないことを国民は感じているようだ。

その証拠に、新聞を見ると、米原子力潜水艦が放射能漏れを起こしていたという。

2週間も報告を放置していたという。

改造福田内閣は、アメリカの立場で処理するか、国民の立場で処理するか・・・?。

甲子園では、高校野球がはじまった。

球児たちがさわやかな感動的なたたかいを繰り広げるだろう。

国民の立場にたって、国民とともに歩む日本共産党の真の姿を多くの国民に知ってもらいたい。

この暑い夏、強い陽射しにも負けずに、大いに汗をかこうと思っている。