2008年6月30日月曜日

高江・座り込み1周年

昨日、東村高江のヘリパット建設反対の座り込み1周年の報告会に参加してきました。

貸し切りバスで3時間ほどかけていきましたが、350人が参加していました。

粘り強いたたかいと確実に支援の輪が広がっているようでした。

��50人ほどの高江の集落を6か所のヘリパット基地が取り囲むことになるとのことです。

すごい騒音と墜落の恐怖、戦争の訓練・・・・。

なぜ、日本政府はこんなことを許すのでしょうか?

県もなぜ許すのでしょうか。

この率直な疑問を多くの人に広げて行きたいと思います。



2008年6月29日日曜日

那覇市長選挙で4党が合意し、調印。

��1月の那覇市長選挙で、日本共産党、社民党県連、民主党県連、社大党の4党と、予定候補の平良長政氏は「那覇市長選挙に臨む政治姿勢と基本政策」に合意し昨日、調印式が行われ私も立ち会いました。


政治姿勢のなかでは、「4党共闘と『政治姿勢と基本政策』を堅持してたたかいます」「沖縄に過重な基地負担を強いる日米安保体制をあらため、真の日米友好関係をめざします」、また、「カジノの那覇市への導入に反対します」と明記しています。

基本政策のなかでは、憲法9条を守ることや、新基地建設反対、後期高齢者医療制度の廃止をもとめることなどが明記されています。


4党と予定候補者の調印式2列目右端が渡久地修


調印書

2008年6月28日土曜日

「無言館」沖縄展

「無言館」の沖縄での展示会が明日までなので急いで見に行った。

去年、長野県に出張に行った折にぜひ見たいと思っていたが果たせなかったので、やっと願いがかなった。

何を期待していたのか定かではないが、一つひとつの展示されている絵の前に行くとそこで立ち尽く、絵そのものから命の重みが伝わり、どのような思いでこの絵を描いていたのだろうかとの思いにかられてしまう。

ひとつひとつに命があり、希望があり、それが断たれたのかと思うと不条理を恨まざるを得なくなる。


この写真は無言館の展示と併設して行われた沖縄の画家たちの絵の展示室。
絵の配置や明るさなど無言館の展示室とは対照的でした。
��無言館の展示は不許可になったが、この展示室は許可されました)

ニューギニア、ムッシュ島で 27歳で戦死した、高橋良松さんの絵の説明には
「召集令状が来た日、良松は『最後の見納めだから』といって大好きな観音埼の風景を写生に行った。『寄せてはかえす波のすがたがまるで哀れな自分の運命のよう、自分は生きて帰ってこられるのかしら』。良松のスケッチ帖はそんな言葉で終わっていた」と書かれていた。
近藤隆定の絵は、長野県の小諸の烏帽子岳を描いたものだった。24歳で戦死しているが、その場所が、沖縄の首里末吉町付近と書かれていたので、この青年は、末吉町の山並みや那覇、慶良間諸島を見ながらふるさとを思っていたのかと思うと、しばらくはその絵の前を離れることができなかった。
近藤隆定の遺品である「死亡告知書」には、「独立迫撃砲第四中隊 陸軍兵長 近藤隆定 
右は 二十年五月十日 沖縄本島首里末吉町付近の戦闘で戦死せられましたので、お知らせします」と書かれていた。
「終戦後、生家に届けられた白木の棺には、隆定の名を書いた一枚の紙切れがぽつんとは入っていただけだった」と説明板には記されていた。
「無言館」館主の窪島誠一郎氏は、「無言館」沖縄展に寄せて・もう一つのあいさつの中で、
「いったい私はどういう気持で、『無言館』をつくったのは、一口にいえば、私は自分の知らぬところで彼らの絵が消えてゆくのが怕わかったのだ。かれらの絵の消滅を容認することは、どこかで自分に不都合なもの、詳らかにしたくないものをひそかに処分する後ろめたさにも似ていた。自分がこれまで愛してきた『生きている画家』のためにも、そうした『生きられなかった画家』の絵からけっして眼をそらしてはならないと思った。いや、画家たちのためではなく、今『生きている自分』のためにも眼をそらしてはならないと思った」と書いてあった。
「眼をそらしてはならない」・・・。
私はその言葉にいざなわれるように、残念ながら、無言館の展示模様の写真の許可は得られなかったが、急いでペンを取り出し、このあいさつ文の一部や、いくつかの絵の説明を筆写した。
一人でも多くの人に伝えようと思ったからである。
この無言館に展示されている絵は、風景であったり、自画像であったりで、戦争の絵はまったくない。
それもそのはずで、画家たちが体験した戦争の絵を描こうにも描くことはできなかったのである。
このことが、かえってこれらの絵から戦争の酷さと命の重みが伝わってくるのであろう。
      

2008年6月27日金曜日

世界一危険な普天間基地の実態

今日、伊波宜野湾市長から世界一危険な普天間吉の実態について説明を受けました。

航空機の進入路や場周経路の真下に、学校、病院、住宅だどがびっしり。

米軍の安全基準でもこんなところに基地はあってはならないことになっているようです。

なぜ普天間基地が存在するのか?

それは日本政府が米軍の安全基準などを無視し、黙認しているからでしょうか。

ほんとに許せないことです。



写真は宜野湾市の提供です。

伊波宜野湾市長から普天間基地の撤去について聞く

今日、世界一危険な普天間基地の実態と撤去に向けた今後の取り組みなどについて、宜野湾市長から説明を受けました。

伊波市長自らが2時間近く説明し、意見を交換しました。

普天間基地が世界一危険なものであること、米軍の安全基準でも、進入路などの真下に、学校や病院、住宅などはあってはならないことが明確に決められているにも関わらず、普天間基地ではそれが無視されていることなどの説明を受けました。

国会、県議会などでの今後の取り組み方などについて意見を交換しました。


右端が伊波市長、左はしが渡久地修、県議団

2008年6月26日木曜日

沖縄県議会6月議会開会。野党から正副議長を選出。

今日、沖縄県議会6月定例議会が開会しました。

朝、応召手続きのあと女性職員からバッチをつけてもらいました。

テレビカメラやカメラのフラッシュを浴びていささか緊張しました。

初日の本会議では、正副議長の選挙が行われ、議長に野党から高嶺善伸議員、副議長に同じく野党から玉城義和議員を選出しました。

また、沖縄県監査委員に共産党の嘉陽宗儀議員を選出しました。

その後の常任委員会の委員長選出の結果、共産党の玉城ノブ子議員が経済労働委員会委員長に、西銘純恵議員が文教厚生副委員長に選出されました。

与野党逆転した県議会で、県民要求実現、基地をなくしていくために、県民と団結してがんばっていきます。



本会議終了後の撮影で。緊張しているためか疲れ顔になっています。
選挙中の日焼けはなかなかとれません。


県民要求実現へ、民主団体と懇談

昨日、6月議会前の民主団体との懇談会を開催しました。

共産党が県議会で5人に躍進したもとでの最初の懇談会でした。

各団体の代表は、日本共産党の躍進を喜び、要求実現への大きな力になる。これから大きな運動を起こそうとの感想などが出され、早速、いろんな要求が出されました。

これらの中身も含め、6月県議会で大いに反映させていきたいと思っています。


2008年6月24日火曜日

議員部屋が決まりました

沖縄県議会は議員の個室があります。

たぶん全国では沖縄だけではないでしょうか。

これは立法院時代の名残のようです。

今日、これまでの任期の方々の引き渡しがあり、新しい県議の割り当個室に入りました。

これから4年間、この個室を拠点に活動することになると思います。

これまで、那覇市議会で追求していた資料などを運び、これから県政ではどのように追求していこうかなどと、早速思いを巡らせました。

これからもがんばります。

電話も入っていますが、明日以降に正式決まり次第お知らせします。

ご支援をよろしくお願いします。


2008年6月23日月曜日

ヤンバルの森の林道建設と階伐・伐採の中止を要請

今日、党県議団はヤンバルも森の林道建設と階伐・伐採の中止を求めて、県知事に要請を行いました。

県からは、安里副知事と農林水産部長らが対応しました。

��6日に、赤嶺政賢衆院議員と党県議団でヤンバルの森を調査し目撃してきたことに基づいて、ヤンバルも自然・森を破壊している北部地域新計画に基づく林道工事と森林の階伐、伐採を直ちに中止することを強く求めました。



私たちは、調査した写真などを示しながら、山が丸ごと階伐され無惨な姿になっている実態を示し、これが県の認可の下に行われていることを厳しく指摘し、直ちに中止しないと、取り返しのつかないことになると迫りました。
しかし、部長などは、これは必要な事業であるとの見解を表明、階伐も山全体からするとわずか数%にすぎないと述べるなど、引き続き進める考えを表明していました。
私は、木を伐採して木材に使うなどという目的などではなく、とにかく木を伐採し、その後に植林をすれば国からの補助金がもらえるということが目的になっているのではないかと指摘。
また、奥川の源流が階伐され、山肌がむき出しになっている実態、そして、伐採して赤土流出の原因を作り出しておきながら、赤土流出防止のために、伐採した木を積んでいるという理不尽なことが行われていることを指摘。
こういうことを県が進めていることについて、県民から大きな批判は免れないとし、即刻中止すべきと強く求めました。
今度の県議会で、代表質問、一般質問などでも追求していくことにしています。
貴重なヤンバルの自然を守ることは全県民的な課題だと思います。

慰霊の日に誓う

戦後63回目の慰霊の日でした。

��0数万余の尊い命を奪った沖縄戦の組織的な戦闘が終わったとされる日です。

赤嶺政賢衆院議員らと一緒に、沖縄全戦没者追悼式に参列し、健児の塔と魂魄の塔で献花、焼香してきました。


追悼式


健児の塔で、手を合わせる、右から渡久地修、赤嶺政賢衆院議員、玉城のぶ子


魂魄の塔

沖縄全戦没者追悼式には、福田首相も参列し挨拶していましたが、集団自決問題、基地問題など、沖縄県民の平和の願い応えるものにはほど遠いように聞こえました。
河野衆院議長が「私たちは、軍が沖縄の住民の方々の安全が第一に考えていたわけではない、という疑念からも目をそらせてはならない」「国家の指導部が戦争の早期終結をはかることができなかったことが、沖縄の大きな犠牲を生んだいきさつを考えると、日本の政治がこの解決に全力を傾けるべきことは自明のこと」と述べていたことが、わずかながらも印象に残りました。
歴史の真実を後生に伝え、基地のない平和な沖縄にするためにもがんばらなければと決意を新たにしました。

とぐち修励ます集いに260人

とぐち修jはげます集いが開催されました。
首里農協ホールには、選挙戦をがんばった260人余が参加しました。
とぐち修の勝利を祝うとともに、予想される解散総選挙での外間久子さんの勝利と、比例代表での、日本共産党の躍進を誓い合いました。


2008年6月21日土曜日

資本主義は漂流している―ある社長のつぶやき

選挙結果を受けて、ある会社社長は、「今、資本主義そのものが狂い始めている。世界を投棄マネーが支配している世の中は狂っている」。日本も官僚などの支配が横行している。

いま、それをチェックできるのは日本共産党だけだ、がんばってほしい。

と激励されました。

投棄マネーや資本主義のものが漂流しているというのは、赤旗の主張そのものだといいましたが、まさに、世界や歴史の流れの本質をまじめに見極めようとすると、そのことが見えてくるのでしょう。

私たちももっと勉強して、がんばらないといけないなと痛感した日でした。

2008年6月20日金曜日

県議団、新しい部屋へ引っ越し

県議選挙で3議席から5議席に躍進をし、県議会で野党第2会派となりました。

その結果、県議会の議員団の控え室も従来の部屋より大きめな部屋が割り当てられました。

今日はその引っ越し作業が行われました。

��人の県議をはじめ支部からの応援など16人が荷物の引っ越しに汗を流しました。

これだけの人が手伝ってくれたおかげで午前中には完了しました。

新しい部屋は従来よりかなり広く、団会議をはじめ、県民の陳情なども多くの人がきても対応できそうな広さです。

��年後にはさらに県議を増やしていきたいものです。

明日は早速、新しい部屋で団会議です。


引っ越し作業中の新しい部屋で

2008年6月19日木曜日

破壊の進むヤンバルの森

��6日にヤンバルの森の調査を行いましたが、世界遺産登録の出ている貴重な森で、今、根こそぎ伐採の階伐が至る所で進行していました。

それも、国の補助金を受けた県の事業などでこういうことが起こっているということが問題です。

また、木を伐採するための目的だけで林道の建設が進められ、川や沢が分断され埋め立てられていました。

以前の清流が至るところで姿を消していました。

ノグチゲラの巣の根本まで林道工事でコンクリートで固められています。

伐採された木はどうなっているのでしょうか。木材として使われていいるのか・・・・?。

どうもそうではないようです。

��0年も100年もかけて育った貴重なイジュの木、イタジイの木、沖縄ウラジオカシの木などが、チップ材にされるとのことですが、現場には、伐採した地面の赤土流失を防ぐ目的のために無造作に積まれていました。あまりにも無惨でした。

何のための伐採か?

県民全体で考える必要があります。

この貴重な自然を守れ、緊急の課題になっています。



至る所で一切がっさいすべて伐採。階伐が行われた山。



木を切って、その木で赤土流出防止のためにといって積んである。切らなければ赤土流出の心配もないのに?



これも赤土流出防止のためといって野積みされた伐採木。ここは奥川の源流とのことでした。大雨の時は奥川が赤土でそまったそうです。



��0年から50年は育つのにかかるかもしれません。同じく奥川の源流。



ノグチゲラの巣がこの木の上にあります。そのそばを伐採のための林道を建設しています。
ハブが上らないようにビニールシートで根本を覆い、環境に配慮していいるとのことです・・・?・・・?



林道を森のど真ん中に作ったため、風の通り道になり、潮風で木が枯れているとのことでした。

2008年6月18日水曜日

新しい県議団の構成決まる

日本共産党沖縄県議団の新しい団構成が決まりました。

団長・嘉陽宗儀、副団長・玉城のぶ子、幹事長・前田政明、政調会長・渡久地修、会計責任者・西銘純恵

5人が一致団結してがんばります。

新しい県議の任期は6月25日からです。


2008年6月17日火曜日

健康に気をつけて、がんばります。

激しい選挙線でした。

前哨戦を含めると約一カ年間、一日も休みなしで早朝から晩まで全力疾走でした。

投票後、気が緩んだのか、少々疲れ気味で目眩がする気がしたので血液検査や尿検査などを行いました。

血液検査は結果まで時間がかかるというので、電話で報告を受けましたが、先生いわく、「異常なし、少々疲れているのかもしれませんね」といわれました。

その報告でいっぺんに疲れが吹っ飛びました。

早速、夕方からまた街頭宣伝に出かけました。

選挙後、みなさんからいわれるのは、「おめでとう」のあと、「健康が第一ですからね、くれぐれも健康には気をつけて」と必ずいわれます。

とてもありがたいお言葉です。

よくかみしめて、「みんなの代表」、「みんなの議席」。このことを自覚してがんばります。

2008年6月16日月曜日

貴重なやんばるの森の破壊に衝撃

今日、赤嶺政賢衆院議員と5人の沖縄県議団の合同の「林道建設によるやんばるの森の自然破壊」の調査を行いました。

やんばるの森を自然破壊から守るためにがんばり続けている玉城さん、小嶺さん、平良さんらに案内をしてもらい詳しく説明を受けました。

造林などの名の下に、世界でも貴重なやんばるの森が次次に伐採され丸裸にされています。

そして、そのための林道がどんどん造られようとしています。

その建設のため、川や沢が埋め立てられ、やんばるの森が切り倒されていました。

目的や必要性、経済効果などまったく度外視したやりかたで、国からの補助金を受け取るためだけやっているようなもので、土木工事を行うためのものであるのでは疑わざるを得ないようなひどいものです。

県民の知らないところでどんどんと進むやんばるの森の自然破壊。

なんとしても食い止め、貴重なやんばるの自然を守らなければなりません。

また、無駄な予算はけずって、福祉や教育に回すべきです。


貴重なやんばるの森



一木一草なくなった、見るも無惨なはげ山状態が至る所に

2008年6月15日日曜日

辺野古のおじーこと嘉陽宗義さん、とぐち修勝利を喜ぶ

原水爆禁止国民平和大行進に参加するために出発地である辺野古の座り込み闘争現場にいくと、辺野古のおじーこと嘉陽宗義さんがいました。

元気いっぱいで、県議選挙での日本共産党の躍進を大変喜んでいました。

とぐち修の勝利も喜んでくれて、がっちりと握手をかわし、新基地建設を絶対に許せない決意を固めあいました。


左から、通し行進者のゆりさん、嘉陽宗義さん、赤嶺衆院議員、とぐち修

原水爆禁止国民平和大行進、辺野古を出発

第50回目の原水爆禁止国民平和大行進の沖縄コースが今朝辺野古を出発しました。

多くの参加者が元気よくスタートしました。

出発式では、辺野古で座り込みを続ける辺野古のおじぃこと、嘉陽宗義さんが激励の挨拶。

県議選挙で日本共産党が躍進したことを大変よろこんでいて、次は衆院選挙で勝利しようと呼びかけていました。

平和行進団は、暑い中を広島に向け出発。


2008年6月14日土曜日

後期高齢者医療制度の廃止を求める座り込み行動

昨日、2時から6時まで、県庁前広場で、後期高齢者医療制度の廃止を求める座り込み行動に参加しました。

先の県議選挙では、これが大きな争点になり、県民は明確に廃止の審判を下しました。

参加者はこのことに確信をもって、廃止に向けてがんばる決意を固め合いました。

国会では、野党4党提出の廃止法案が参院で可決しました。

ところが、衆院では、提出した民主党、社民党、国民新党が出席ボイコット戦術にでていて、審議がストップしています。

日本共産党は、廃止に向けて徹底した審議を要求しています。

廃止法案の趣旨説明などを行うよう要求していますが、実現していないようです。

自分たちが法案を提出し、その法案の審議をボイコットするなんて、いったいどういうことでしょうか。


核兵器廃絶、基地なくせの昼休みデモ

毎週金曜日の昼休みで行われている「核兵器廃絶を求める昼休みデモ」に5人がそろって参加しました。

基地をなせとがんばる日本共産党が3議席から5議席に躍進したことを大いに喜んでいました。

県議会でも米軍基地撤去の勢力が多数になるようにがんばります。




2008年6月13日金曜日

辺野古の海上でエンジントラブル?

��1日、辺野古の新基地建設予定海域を調査。

アオサンゴ群などをぐるっと回っている最中に突然エンジントラブル。

どうなるかと思いきや、そこは大丈夫。

大西さんや具志堅さんらが、すぐに座り込みテントの仲間に連絡をとり、ゴムボートが救出(?)に。

ゴムボートは、船よりも海面にきわめて近い。

「貴重な体験だ」などとのんきなことを話していたら、水しぶきを思い切り浴びてしまい、下着までびしょびしょ。

帽子を忘れたことや、着替えを準備した方がよかったなど、次回への教訓にもなりました。


水しぶきをさけるのに必死の私たちと、平然とした船長の顔が対照的です。

2008年6月12日木曜日

当選証書の交付式

当選証書の交付式が今朝、県庁の4階講堂で行われました。

当選した48人に当選証書が交付されました。

「県民の付託を受けたこと厳粛に自覚し」との選管委員長は挨拶の中で述べていました。

常に初心にかえって全力でがんばります。

女性後援会から花束をもらいました。

ありがとう。


2008年6月11日水曜日

新基地建設反対運動の現場を激励、調査

今朝は、県議で当選した5人がそろって、新基地建設の反対運動を行っている現場を調査し、座り込みなどを行っている住民を激励してきました。

朝6時に出発。

金武町のキャンプハンセンゲート前で都市型戦闘訓練施設建設反対の抗議行動に参加。
基地に向かっって「米軍基地を撤去」などの唱和を行いました。



辺野古では、座り込みの住民を激励のあと、船で埋め立て予定地を視察。

世界有数といわれる貴重なアオ珊瑚群などの海域を始め、埋め立て予定海域などを見て回りました。



ヘリパット建設に反対して1年近くも座り込みを続けている東村・高江でも、住民を激励、調査を行いました。






2008年6月10日火曜日

明日から始動

今日、選管から12日に当選証書の交付式を行うとのFAXが届きました。

当選したものの、忙しいせいか、なかなかまだ実感がわいてきていませんが、新聞記事などを通して見る限りでも、共産党の5議席への躍進と与野党逆転が、自公県政や政府に衝撃を与えていることが日を追うごとに伝わってきます。

��議席への躍進。

この重みを実感するのは、これからでしょう。

早速、明日から始動します。

その模様は明日報告します。

2008年6月9日月曜日

ブログ開設1周年

このブログを開設したのが去年の6月7日です。
満1周年も迎えました。
いろいろ苦労もありますが、なんとかこの1年、基本的に毎日更新でがんばってきました。
��月8日投票の県議選挙で当選しましたので、心気一転して、あらたな県議としてのブログになるように心がけていきたいと思います。

ご支援をよろしくお願いします。

選挙期間中のYouTubeでのインタビュー放映です

選挙期間中に、「沖縄県明るい選挙推進青年会」のとぐち修へのインタビューがYouTubeで放映されています。
下記のURLをクリックすればご覧になれます。
紹介する約束でしたが、選挙期間中は、候補者のブログ書き込みは禁止のため、紹介できませんでした。

http://jp.youtube.com/watch?v=oGBNkH_yXns

全力でがんばります。5人が勢揃い

今朝、午前10時半に当選した5人が勢揃い。

県民にご支持・ご支援のお礼を述べるとともに、公約実現への街頭からの訴えを行いました。


一番左は赤嶺政賢衆院議員



左から、嘉陽宗義(沖縄市区)、玉城ノブ子(糸満市区)、
前田政明(那覇市区)、西銘すみえ(浦添市区)、渡久地修(那覇市区)

当選の生放送インタビュー

当選が決まった直後、ラジオのインタビューがありました。

はじめての生出演です。

スタジオのアナウンサー、解説者とのやり取りでしたが、当確が出たあととあって、声も大きくなりがちでした。

当選万歳! 共産党5議席に

8日投開票の沖縄県議選挙で、私・とぐち修は、8583票を獲得し、7位で当選しました。

共産党は、3議席から5議席に躍進。議案提案権、代表質問権を獲得しました。

みなさんのご支援に心から感謝申し上げます。