2007年7月26日木曜日

「歴史は巨大な頁をめくった」といえるような勝利を

日本共産党のた宮本顕治元議長が亡くなった。

宮本百合子は、日本の侵略戦争が無条件降伏に終わった八月十五日のことを小説「播州平野」のなかで、
「日本中が、森閑として声をのんでいる間に、歴史はその巨大な頁を音もなくめくったのであった」と書いている。
現代の私たちには、想像もできないような戦前の軍国主義時代の過酷な弾圧のもとで十二年間も投獄されながらも、一貫して侵略戦争反対、反戦・平和を貫き通してきた宮本顕治元議長。

私が、宮本顕治委員長(当時)をはじめてお会いしたのが、1972年7月20日の沖縄人民党創立25周年記念式典だったと思う。当時は、人民党員でも、共産党員でもなかったが、叔父の関係で、手伝いをしていただけであったが、握手をした。
がっちりした温厚な人柄のような印象をもったと記憶している。
十二年間も投獄されていたとは知るよしもなかった。

その後、入党してからは、宮本顕治委員長の若いときに書いた「敗北の文学」や様々な論文などを学習してきた。

私は、今、多くの同世代の党員達が行っているであろうように、本棚から、宮本顕治元議長の著作を取り出して頁をめくっている。その中の、『明日への展望にたって』(上)の「政治の焦点と明日への展望―序に代えて」の中で、元議長は、

「科学的社会主義の原則的な歴史的展望の立場によって明日をみることが、ゆるがない展望への土台である。私自身、戦前の暗黒の十二年間の獄中生活で、日本全体が野蛮な天皇制専制と軍国主義支配の牢獄と化した時代に、私を確固として支えたものは科学的社会主義の『知』であった。それこそ、暗黒と非情の日々の闇を通して、ファシズムの国際的敗北、日本の天皇制専制と侵略戦争の挫折とあ敗北への展望を揺るぎないものにしていた。
近来、私が請われて色紙によく書く言葉―『知は力』は、十二年間の獄中生活の実感に根ざしたものである」と述べている。

どんな逆境のなかでも未来を見通す確固とした信念と科学的展望を持った生き方。
私たちが、そうありたいと願い、めざしてきた生き方である。
まさに私にとって、青春時代から今日につながる生き方に大きな影響を与えた歴史上の人物という存在である。
その宮本顕治元議長の訃報は、「歴史は巨大な頁をめくった」という思いである。

しかし、決して落胆はしていない。
日本共産党の先人達の意志を私たちは確固として受け継いで、今日の時代に発展させていく責任を私たちは果たさなくてはならないと思うのである。

特に、今度の参院選は、日本共産党の存在意義のかかったたたかいである。
「歴史は巨大な頁をめくった」といえるような勝利を勝ち取るために、残された時間、奮闘しようと決意しているところである。

2 件のコメント:

  1. 「宮本賢治議長」は「宮本顕治議長」の誤りです。歴史に名を残す偉大な方であることは間違いありません。私も尊敬しています。

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  2. ご指摘ありがとうございました。
    氏の足跡にも学び、歴史の進歩にともにがんばりましょう。

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