小さいころから育った地域だけに親しみはひとしおだ。
首里城の南殿には戦前、首里博物館があって(今日の管理センターの説明では北殿にあったという)、母・敏子が戦争時まで勤めていたところと聞いているので、なおさら感慨深いものがある。
大城立祐さんの「琉球処分」や最近のテンペストという小説の舞台である首里城と見下ろす城下町で、薩摩や中国との狭間で揺れ動く琉球の姿が浮かんでくるようだ。
しかし、この国は戦をしない国だったことが、この首里城をみてもよくわかる。
日本各地のお城はどれも戦のための城で、いたるところに敵から守るための備えがあるがこの首里城にはこういった備えがまるでない。
平和外交の国だったのだ。
現在の日本国憲法9条を先取りした国だったのではないかと、案内してくれたOさんと話し合った。
ウナー(御庭)での「舞への誘い」という古典舞踊などがあったが、「かぎやでぃ風」「かせかけ」「上り口説」などなどを観賞していると、戦に頼らず平和外交で国難を乗り切ってきた先人たちの営みが伝わって来るような気がした。
正殿二階御差床(ウサスカ)
復元された南殿(戦前首里博物館があり、母・敏子が勤めていた。北殿との話もあり調査します)
「かせかけ」の舞
首里城の遺構。正殿の地下にありガラス越しに見える。世界遺産に登録されているのは地上の建物と思っている人も多いが、登録されているのはこの遺産群です。
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