2009年9月13日日曜日

戦争遺骨収拾現場を赤嶺衆院議員と調査

赤嶺政賢衆院議員と伊礼一美西原町議らと一緒に、西原町幸地の遺骨収拾現場を調査しました。

私は先週に続いて2度目です。

テレビ局や新聞社も来ていました。

記者やカメラのクルーもこの5人の遺骨には衝撃を受けていました。

また、この壕を上に上った原野を高江洲さんに案内してもらいましたが、驚いたことに、約4メートル間隔で米軍の艦砲射撃でできた穴があいています。

この艦砲の穴の周辺で10体の遺骨を発見したといいます。

鉄の暴風との表現を聞いていましたが、すさまじさに背筋が凍りつきます。

戦後64年、沖縄戦の傷は消えていません。

また幸地は愛媛県の部隊が陣地を構えていたとのことです。

遺骨収拾にあたっている、ガマフヤーの具志堅さんや高江洲さんらは、愛媛出身の兵隊ではないかとのことで、何とか遺族を捜したいと願っていました。

私自信が初体験でしたが、戦争の悲惨さを伝える場所だけに、多くの若者たちにその残忍さをぜひ体感してもらいたいものです。

そのことについて、西原町議会、県議会、国会で取り上げていくことを話し合いました。

早く遺族を捜して、供養してあげるとともに、再び戦争を繰り返さないために、その残忍さ、悲劇を後世に伝えるために、レプリカなどでこの現場の状況を保存する必要があると思っています。県議会で提案したいと思っています。





4体の遺骨(あと一体は、少し離れていて、カメラには入っていません)



艦砲射撃でできた穴に立つ渡久地県議。この周辺で野ざらしの遺骨が10体見つかったそうです。

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