2008年8月29日金曜日

メガネ屋は老いを覚る場?

今日もまたメガネを忘れた。

どうしよもない奴だと自分を罵ってみても後の祭り。

若いつもりでも確実に齢をかさねている現実から逃げることができないのか。

はじめてメガネを作ってもらったのが今から3、4年前である。老眼というメガネにいささか違和感を覚えながらも、細かな資料に目を通したり、新聞や書を読むのには欠かせない存在になっていたが、遠くを見たり車の運転などには何の支障もないし、運転免許の切り替えも別段気にすることもなかったせいもあって、特に家を出る時に必ずメガネを携行するということが未だに身についていないのである。

議会などで、資料に目を通す段になると忘れたことに地団駄を踏むのである。

そういうこともあって、メガネ屋さんでつくってもらったメガネとは別に、いざ忘れた時のためにと100円のメガネをあと2つほど買い置きして、議会に置いたり事務所に置いたりとしてみたが、これらのメガネを今度はポケットに入れて持ち帰ってしまい、家には3つ、議会にはなしということになってしまっているのである。

どうしようもないと嘆いているのである。

ところで、一昨日、メガネ屋さんに行って新しいメガネを作ってもらうことにした。

今のものが3、4年経っているので度が合わなくなったのか、最近、目が疲れてくることが多々見うけられるので、思い切っていってみた。

メガネ屋さんの検査を小一時間ばかり受けた。丸の上下左右にかけた部分を、右、上、下、左と言いながらそれを繰り返し、自分に合うレンズが出来上がった。

メガネ屋さんとは不思議なところだとその時思った。

今までこんなものだと思っていた新聞などの活字が鮮やかに目に映るではないか。これには「おおー」と感動する。

と同時に、老眼が進行していることを覚らされるのである。

メガネ屋さんの店長に「メガネ屋とは老いを自覚する場なのですね」と聞いてみたが、彼は笑って何も答えなかった。

そして、一週間後に出来上がりますと告げられた。

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