1月3日の金城町の成人式で、平和ガイドの吉嶺全一さんが氏の名刺を差し出した。
その名刺には、沖縄戦末期の摩文仁が丘の写真が刷り込まれていた。
現在の摩文仁の丘は、平和の磯や各県の慰霊碑が立ち並んでいて、緑に囲まれている。
ところがこの写真では、一木一草生えていない、焼け野が原である。
話には聞いていたが、衝撃的な写真である。
氏は当時13歳で、この地まで逃げ惑い、本当に恐ろしい体験をしたという。
空、海、陸からの砲弾の雨、ナパーム弾、焼夷弾、ガソリン等によって、あらゆるものが焼き尽くされたという。
戦争を知らない世代にはなかなか想像できない世界であるが、この一枚の静かに見える写真だが、そこで地獄絵図が展開されていたと思うとぞっとする。
戦争を絶対に繰り返してはならない。
そのためにも、戦争につながる米軍基地は一刻も早く撤去させなければならない。
一枚の名刺の写真は静かに訴えている。
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