琉球王朝時代の迎賓館に相当するもので、中国の冊奉使や在藩奉行などを招いて祝宴を開いたのが御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)である。
沖縄戦で焼失した貴重な文化遺産の一つである。
この復元をめざして復元期成会が結成され運動を行っている。
現在、国・県・市でワーキングチームもできて、遺構調査も終わり復元へ動き出している。
私は、戦争をおこした国の責任で復元すべきだとこれまでも議会で取り上げてきた。
今日は、その新春の集いだった。
会長の宮里朝光先生は、私の中学校の恩師にもあたる。
戦禍のあと首里に帰ったら、すべてががれきになり、焼けた木だけがたっていて、声も出ず涙をながすのみだった。着るものもなく、庭などをほって埋めてあったものも米兵に略奪され、何も残っていなかった。サンシン(三味線)が2丁だけ見つかったので、広場に小屋をつくりサンシンをひいて生き残った人々と励ましあった。そして、散逸した文化財を拾い集めたと語っていた。
先生は、琉球文化がどんどん失われていくことに憂いを覚えているという。
毎年の新春の集いでの、貴重な琉球の文化を後世に伝えようとがんばっておられる先生の話を聞くたびに、うちなーんちゅ(沖縄人)の誇りを強く感じるときでもある。
先生が元気なうちに復元を実現したいものである。
下に、写真を掲載します。
写真の次の動画は、この集いでの琉球の祝儀舞踊の一つである、「かぎやで風」です。ご堪能ください。
御茶屋御殿前景
唯一残った、石造獅子
宮里先生と
琉球国という、一つの独立国としての文化を持つみなさんの歴史を想いました。
返信削除江戸時代、薩摩藩にくみしかれ、
そして明治から昭和へと、この国に併合され、
捨て石にされた誇りある民族としての沖縄の歴史。
木も草も焼かれた祖国を前に、どんな思いでおられたか、
赤嶺衆院議員の先日の切々たる国会質問につながるみなさんの悔しさと怒りと哀しみを感じました。
優雅で美しい舞踊と音楽です。
たたかいを好まない沖縄に今こそ平和を返さねばと、心から思います。
短いけれど、素晴らしい映像をありがとうございます。