2008年10月16日木曜日

お年寄りの突然の訪問。戦争の悲惨さに身の震える思い。

昨日、私の議会居室に一人の高齢者が突然訪ねてきた。

党の市議からの紹介とのことだったが、パソコンのキーボードの手を止めて話を聞いた。

要件は、戦争中に爆弾で大けがして手術を受けたが、国の援護法の適用を受けて、障害年金がもらえるかもしれないとのことで、やっと当時手術をしてくれたお医者さんの息子の医者を探しあてて、傷病証明書を書いてもらった。ついては、一緒に援護課に行ってほしいとのことだった。

私は、他の日程を後回しにして、一緒に県の援護課に行った。

援護課では、職員が2人で話を聞いてくれたが、結論的には、援護法の適用は無理だろうとのことだった。

本人は、以前に相談に来た時に、証明書が必要と言われて、必至に手術をした医者を探しあるいたとのことで、だいぶショックを受けたようだった。

それでも、丁寧な説明にそれは理解したようだが、その時のその高齢者の方の話に、私を含め3人は身の毛のよだつ思いで、戦争の悲惨さに身を震わせた。

その高齢者は当時、4年か5年生だったというから10歳前頃だったのだろう。

戦争で追い立てられて逃げる途中で、爆弾に炸裂し、父母と兄は戦死したとのことで、自身も背骨に弾の破片が食い込んで、死体と一緒に何日間か寝かされたらしい。

戦後すぐに手術を受けたということだが、麻酔も効かずに背骨から破片を取りだす大手術だったという。本人お表現では、両手両足をひもで結ばれて、切り刻まれ、電気が髪の毛まではしり、髪の毛がピーンと張り裂けるほどの激痛だったという。

このような苦しみを追ってきたのに、国は何もしてくれないのかと悲しそうだった。

それだけでなく、今になって、あの後期高齢者という呼び方はなんだと怒り出した。

自分たちを、まるで社会の癌かダニ扱いしている。

死ねと言っているようなものだ。

年金からさっぴかれて、月に2万ちょっとしかないという。

私は、改めて後期高齢者医療制度が、戦争中、戦後と大変な苦しみと苦労を背負ってきた高齢者を悲しませていることに怒りがわいてきた。

このような高齢者をいたわりこそすれいじめる今の政治は変えなければならない。

この方は、生活保護の申請も必要になるだろうと思いつつ、私は、県の担当者に対して、援護法の適用は難しいかもしれないが、せめて、長年苦しみ、苦労してきたことを思う存分話してもらいよく聞いてほしいとお願いした。

0 件のコメント:

コメントを投稿