��2月8日投票の衆院議員選挙で、瀬長亀次郎さんの選挙の手伝いをしてくれと叔父の仲松庸全さんに頼まれたのがきっかけだった。
当時は、運転免許を持っている人が少なかったせいで、18歳で免許を取得していた私は貴重な存在だった。
約1ヶ月間を事務所に泊まり込んで手伝った。
その時のいろんな方々との出会い―社会発展のためにがんばる人々との出会いは衝撃的で新鮮だった。
その時が、その後の民青同盟の専従、日本共産党の専従、日本共産党の議員として活動の原点ともいえる。
その時の写真が見つかった。
当時、沖縄人民党の機関誌「人民」の若者対談にも出席していろいろと語っているが、その新聞も見つかった。
当時19歳であった渡久地修青年の対談を読んで見ると実に興味深い。それは次に紹介する。
あれから35年。
初心を忘れずにこれからもがんばる決意である。
当選のばんざい写真。中央瀬長さんの一番後列が渡久地修青年(1972年12月8日)
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