2008年3月16日日曜日

定年退職者のあいさつに感動

先日の13日で、2月議会の委員会審査が終了した。

那覇市議会は分割付託方式なので、2月の予算審査の各常任委員会では、所管するすべての課から個別に新年度予算の説明を受け質疑を行なう。

主に課長が説明し質疑に答え、必要な場合は、副部長、部長が答弁する。それでも答弁が十分でない場合は、後日、総括質疑で副部長の出番となる。

さて、そんな委員会審査だが、2月議会では毎年のように各課の審査のあと、定年退職、勧奨退職者のあいさつを受ける慣例になっている。

私が委員長を務める総務委員会の所管する部・課でも、今年も数名の退職者がいた。

今回の退職者のほとんどは、沖縄が本土に復帰した年の前後に採用された方々である。

��5年ないしは37年間務めたとあいさつしていたが、復帰後の那覇の激動の時代を市の行政の中心にいた人達の話だけに、いろんな苦労が伝わってきてついつい感激してしまう。

たとえば、米軍から返還された、小禄の金城地区、小禄南地区、与儀、天久・上之屋(現在の新都心)などの区画整理や再開発にずっと関わってきた参事、また、琉海ビル跡(?)陥没事件、ひめゆり通りの大火災などの災害のほとんどに関わってきた副消防長のあいさつなどは、まさに市の波乱の歴史を聞いているようで感激する。まさに市の生き字引的な存在である。

たんたんと、言葉すくなにあいさつされた方々も、感慨深そうだった。

平良市政の時に復帰が実現し、その後、親泊市政、翁長市政と続いてきたが、市長の政治的立場の評価の違いはあったにしても、激動の時代、波乱の時代を支え、市の発展の裏にはこのような職員達がいたことを私たちは決して忘れてはならない。

他の3つ委員会での退職者のあいさつを聞くことはできなかったが、長い間ご苦労様でした。

この本土復帰前後から今日までの出来事は、米軍の植民地支配から日本国憲法と日本の法律が適用された社会への転換という、沖縄と日本の歴史にとっても記録しておくべき重要な出来事である。

この激動、波乱の時代を那覇市役所という行政の中心にいた方々は、その変遷を現場で目の当たりにしている方々である。

ぜひ、その時々に、どのような将来の那覇市像を描いてきたのか、そのためにどのような苦闘を重ね乗り越えてきたのか。そのことを是非、後世に残してほしいものである。

今後のご活躍をご祈念申し上げます。



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