2007年10月2日火曜日

「那覇市決議で火」・・・日経新聞が教科書検定問題で報道

29日の11万人の県民大会が政府を突き動かしつつある。

そんな中、9月30日の日本経済新聞に興味深い記事が掲載された。

那覇市議会でこの問題に取り組んできたものの一人として感慨深いものがあったので、その記事の前半部分を紹介したいと思う。
以下が記事。

抗議、「島ぐるみ」に
那覇市決議で火
行政・教育トップ動く

文部科学省が検定結果を公表したのが半年前の3月30日。しばらくは、沖縄県内でも感心は低く4月22日の参院補選でも争点にならなかった。仲井真弘多知事は4月の段階では、日本軍の関与の有無について「断定することは難しい」と文科省と同様の見解を述べ、それが県内で問題視されることもなかった。

 空気が変わりはじめたのは那覇市議会が検定意見の撤回を求める決議をした5月中旬以降。地元の2紙が抗議の記事を連日掲載する中で、全41市町村議会が撤回要求の意見書を次々と可決し、県議会も同調した。(以下略)


 那覇市議会は、いち早く撤回を求める意見書を可決し、また、6月議会開会中は、検定前の本と検定後の本の展示会を議会として開催し、世論喚起に努めてきた。

 ちなみにこの記事のコピーを届けてくれたのは自民党会派の幹部である。
 
 教科書検定が新聞で報道されてすぐその日に、臨時議会の開催と抗議と撤回要求の意見書をと動いたものの一人として、「お互いにがんばったかいがあったな」「県都の議会として、大きなきっかけの役割を果たすことが出来たな」と労をねぎらいあった。

 最初の意見書採択だっただけに、いろいろな苦労があったが、県民の立場で一致に向けてがんばった。那覇市民の良識と世論の後押しが全会一致へと結びついたと思う。
久高将光議長(当時・8月に交代)はじめ各会派の議員のみなさん、及び関係者と那覇市民に敬意を表するものである。
 
 私たちは、党派を超えて、撤回までがんばろうと誓い合った。

 県民大会は、様々な関係者のなみなみならない努力と一人一人の県民の思いが実ったものであり、特に、「集団自決」の生き残りの方々が重たい口を開き新たな証言を始めたことなどが大きな成功の要因であろうと思う。

 那覇市議会の一員として、今回の県民の大きなたたかいの一助になれて光栄に思う。

 沖縄県民は、これからも一致団結してがんばって行きたいものである。



2 件のコメント:

  1.  今回の沖縄県民の運動はすばらしいです。ぼくも11万人のひとりとして,参加しました。大きなうねりとなって,会場に押し寄せる人々を見て,胸が熱くなりました。
     その運動の火付け役が修くんたちだったのは,初めて知りました。
     ほこりに思うところです。
     今後の動きも見つめていきたいものです。

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  2. こんどのたたかいは、沖縄県民の一人一人がそれぞれの持ち場持ち場でがんばった結果です。
    これからさらに大きく広げていきましょう。

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