2010年6月30日水曜日

51年前の今日、宮森小学校に米軍機が墜落

51年前の6月30日の朝、石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍機が墜落し、児童11名、民間人6人の17人が死亡した。のちに後遺症で無くなった児童を含め18人にのぼる。

このような事件を絶対に繰り返してはならない。

先日、県議会の代表質問でこの事件と、現在も墜落の危険にさらされて、米軍機墜落を想定した避難訓練が、沖縄の小中学校の6校で行われていることについて2月議会に続き再度取り上げた。

宮森小学校墜落時の状況を当時の先生たちの証言を議場で紹介した。

��年1組の当時29歳の先生の証言から

「・・・、そしたら2年生が教室から、火をかぶった子供たちがねすね、飛び出してくるんです。髪の毛が燃え洋服が燃え、全部燃え尽きて最後にパンツの紐が燃えている。2人、3人と転がっているんですよ。私はなすすべもなく・・・。」

��年3組の当時34歳の先生の証言から

「2階からおりたとき、私の目に映った光景はまるで地獄、これが、この光景が宮森小学校の校庭なのか。まるで夢を見ているような状況。教室が燃えている。2年生の教室である。その前の通っていると教頭先生がオーオーと泣いている。燃えている2年生の教室の中から洋服も燃え、髪も燃え、全身炎の塊なった子供が飛び出してきたんですよ。私はびっくりして、ワァーとその火を消そうと、その子に触れましたら、彼女の背中の皮膚がズルズルと剥けて私の手にくっついているのです。
 私はその子を抱き上げました。2年生ですからできました。『だれかいませんか、この子を助けてください、誰かいませんかー』と叫んでいてどうしていいかわからない状態。・・・」

当時の37歳の教頭先生は

「安全であるべき学校にジェット機が墜落するということは到底考えられません。日本国内は勿論、世界のどこの国にもないと思います。ところが沖縄県の宮森小学校には地楽したんです。」

との証言には胸が張り裂ける思いです。

この悲劇を絶対に繰り返させてはならない。

しかし現実には、普天間k地をはじめ、学校の上空や周辺を米軍は平気で低空飛行している。

今月の22日には普天間小学校で米軍機墜落を想定した避難訓練が行われたが、その頭上を米軍機が低空飛行し、避難訓練の先生の声も米軍機nかき消された。

アメリカ本国、ヨーロッパでは絶対にあり得ない事態がこの沖縄で行われている。

絶対に許されない。

ただちに飛行を中止ずべきであり、日本政府と沖縄県は飛行禁止を通告すべきである。

今こそ、全国民が普天間基地の無条件撤去の声をあげてほしいものだ。

宮森小学校事件から51年目の日に改めて訴えるものである。



子供たちの上空を低空飛行する米軍機 6月22日 普天間第2小学校



6月22日



避難訓練の最中にも米軍機が低空飛行で上空を飛び先生の声は聞こえない。
6月22日の避難訓練

飛行中止を通告せよと迫った質問をご覧ください。(動画)

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