2009年2月25日水曜日

大琉球島航海記

バジル・ホールの「大琉球島航海記」をやっと探して読むことができた。

市立図書館など貸出禁止になっていたために、図書館にこもって読む気にもなれなかったので長い間の懸案事項の一つだった。

このほど、ある場所で発見!

うれしくなって早速読んでみた。

朝鮮半島から琉球にかけての航海と島民との出会いや、身振り手振りでのやり取りや、朝鮮や琉球の人々が、外国人をいかに警戒しているかなどが細かく記されている。

そして、当時の琉球の人々の生活や社会構成などがある程度理解できるようである。

この本で面白いのは、当時の琉球側の記録も記されているが、そこでは「阿蘭陀船」「阿蘭陀人」となっていることである。当時の琉球では外国人はみんな阿蘭陀と表現したのであろう。
 この阿蘭陀というのは、私たちが小さいころに父母などからも昔はみな外国人のことを「オランダー」と言っていいたことをよく聞かされていただけに、この記録をみて、何かを発見したような気がした。

 蛇足だが、私たちが小さいころは、外国人はみんな「アメリカー」と呼んでいた。沖縄にいる外国人はアメリカ人だけであったことと、外人のことをすべて「アメリカー」と思っていたということからみても、当時の琉球の人々の「阿蘭陀」はとても微笑ましいものだと思う。
 
 さらに、バジル・ホールは「吾々は一切の武器を見なかった。島民はつねに武器なぞはないと、はっきりいっていた」と書いている。
 昔から、いくさを好まない平和を熱望している島だったのである。

 また、この本の中で、「オランダー」と琉球人のやり取りの中で、琉球がいかに大きいところか、宮廷まで千里もあるので行くのにはすごい時間がかかる等々のやり取りの場面が出てくるが、これが実に面白い。というのも、このくだりを読んでいるときに、首里の御茶屋御殿のことをすぐに思い出したからである。御茶屋御殿は、首里の高台から与那原から南風原、大里、東風平、豊見城、那覇と広大な大地が一望できる。まるで大陸のような錯覚を覚える場所である。当時の首里王府は、中国の使者をここでもてなし、琉球がいかに大きな国であるかを示したかったということを聞いていたからである。なるほど、昔の人の知恵というか、国を守るための苦心が伺えるようである。
 しかし、この千里云々は、「オランダー」一行にはすぐにばれていたことを知らなかったようである。

 さて、この本では、バジル・ホール一行は、1816年2月に英国を出発し、朝鮮を経て、9月14日、伊江島近海を通って、9月15日に琉球に到着している。
 今から190年以上も前の話である。
 

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