2011年12月31日土曜日

守衛室で新年を迎える段ボール箱/激動の年から希望の年へ

2011年、激動の年も大みそかを迎えた。

3月11日の東日本大地震j当日、私はケビンメア発言に抗議するために東京のアメリカ大使館に向かう途中で遭遇し、震度5強という激しい揺れ、揺れ動く巨大ビル群れ、恐怖におののく人々の中にいた。

アメリカ大使館も中には入れず、退去命令が出ていると大使館員が言っていたが、当日は地震の揺れで建物が危ないからだろうと思っていたが、今振り返って考えると、福島第一原子力発電所の爆発での退去命令だったのだろうと思っている。


復旧、復興に少しでも力になりたい、そんな思いで5月末に県議団とともにボランティアで宮城県石巻市に行き、9月末には息子と再び行ってきた。
現場は想像を絶する惨状だった。沖縄戦もjこんな状況だったのかというのがまず頭に浮かんだ。

日本共産党の救援センターに、全国からやってくるボランティア、次々と送られてくる支援物資に、一縷の希望が見えた思いだった。

沖縄での支援をはじめ、息の長い支援になるだろうが、引き続き強めていこうと思っている。

そんな中に会っても、沖縄では巨額の思いやり予算が米軍につぎ込まれ、巨額の予算で辺野古の海を埋め立て、米軍に提供しようという動きが今年も続いてきた。

御用納めの12月28日の未明に、沖縄防衛局は、辺野古埋め立てのための環境影響評価書を、県庁の守衛室に押しかけ段ボール箱を16個投げ込んでいった。
受付もせず、段ボール箱には、何も書かれていない。まさに不審物そのものだ。
県民の目がよっぽど怖かったのだろう、こそこそと未明に来ただけでなく、あわてふためき数箱はほうりこむことすらできずに退散したという。
なんと、防衛局長が陣頭指揮をとっていたという。

今、県民の間では、このこそこそ劇がどこでも話題になっている。あまりにも恥ずかしい、情けない姿だという言うのが100%共通していると言っていい。

県民の総意より、対米公約を優先した、アメリカいいなりの政治もここまで落ちぶれてしまった姿を県民にさらけ出した事件であった。

正義と道理がどこにあるのか。県民の総意を踏みにじり、基地を押し付けようとしている日米両政府の恥ずべき姿の象徴として、この段ボールは守衛室で新年を迎えるようとしている。

2012年、激動の年から、未来を切り開く年が明けようとしている。

この1年の県民のたたかいはまさに正念場だ。5月末の県議選挙が決定的な場になるだろう。

日米両政府にきっぱりともののいえる政党、日米安保条約をなくして、対等平等の日米友好条約を結ぼうと提起している日本共産党の前進こそ、県民の総意を日べき両政府に届ける確かな力になると確信している。

渡久地修も再選に全力をあげる。

多くのみなさんのなお一層のご支援を訴えて激動の年を締めくくりたい。



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