2010年10月26日火曜日

平和は私の原点/イハ洋一の歩みから

昨日の事務所開きで、司会が一号ビラのイハ洋一さんの歩みの部分を読み上げたところ、参加者に大きな感銘を与えました。
その部分を紹介します。

イハ洋一さんに政治家としての原点をうかがいました。

平和は私の原点 

 私は1952年、宜野湾市で生まれました。ことし58歳です。
 96年、宜野湾市の職員から県議会にでたのが、政治家への第一歩でした。
 沖縄の基地問題を解決して、新しい沖縄をめざしたいという思い、子どもたちの未来にもっと光をあててあげたいという思いからでした。
 県議会では、文教厚生委員会に所属し、自民・公明の県政が廃止しようとした県立病院・看護学校の存続、「戦争資料館」につくりかえようとした県立平和祈念資料館問題解決の先頭に立ちました。

訪米直訴、国会で証言

 2003年、みんなにおされて県議から宜野湾市長選に立候補し、初当選しました。
 市長になって、すぐに取り組んだのが普天間基地問題です。3度の訪米要請行動を展開し、国会では、安保委員会や外務委員会で、県民の声を伝えました。
  私は、「基地をなくしたい」と願う県民のみなさんと、つねに行動をともにしてきました。普天間基地の閉鎖・返還、県内移設反対は、いまや県民の総意になりました。
 この県民の総意をかならず実現したいとつよく決意しています。

母の苦労みて育つ

 私の母は沖縄戦の生き残りです。家族9人のうち7人が戦争で亡くなりました。
 母は従軍看護婦として沖縄戦にかりだされ、最後は、手りゅう弾で自決をはかりました。米軍に助けられ一命をとりとめましたが、片目を失いました。
 私は、母子家庭に育ち、幼いころから、母の苦労を見て育ちました。母は62歳で亡くなりました。
 私には、大学生と中学生の子どもがいます。すべての子どもたちに平和な沖縄、笑顔でくらせる沖縄を手渡してあげたい、私のつよい思いです。

新しい沖縄へ

 県民のみなさん、いまの県政をチェンジして、平和で豊かな新しい沖縄をつくろうではありませんか。そのために、みんなで力をあわせましょう。
 あなたのお力をおかしください。
 イハ洋一は全力でがんばります。

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