2011年9月11日日曜日

大震災発生から半年目の想い

3月11日2時46分、その時私は東京の財務省での要請を終えてアメリカ大使館に向かおうとしていた。

ビルを出る直前にトイレで用を足しているときに、緊急地震速報が聞こえてきた。

最初は訓練と思ってゆっくりしていたが、そのうち揺れがきてだんだんと大きな揺れになり、これは大変なことになったと直感した。

ビルを飛び出す職員らに遭遇。

地震ですかと声をかけても誰も返事をせずに飛び出していった。

財務省のビルを出ると、私たちに同行していた沖縄の記者や同僚議員らが、渡久地さんあれといって指さす先をみると、巨大なビルが大きく揺れていた。

地面が揺れ、巨大なビルが揺れ恐怖が襲ってきた。

震度5強、初めて体験する大地震だった。

この地震が、まさか東北地方で大津波を引き起こしているとはその時は全く分からなかった。

第2波の地震に襲われた時、歩道でワンセグのテレビ中継を見ていた会社員らの映像をそばから覗いた時、信じられない映像が流されていた。

あれから半年がたった。

犠牲になられてみなさんと被災者の方々に、心からのお悔やみと大見舞いをあらためて申し上げます。

先ほど2時46分に自宅で黙とうを捧げました。

あっという間に半年がたった。

私は、5月にボランティアで石巻市に支援に行ったが、先日9月1日から4日まで再び石巻市に息子と一緒に再びボランティア支援に行った。

復旧、復興の兆しはまだまだ見えなかった。

かてて加えて、復旧、復興に福島原子力発電の原発事故がさらに暗い影を落としている。

国民の安全より、安全神話を振りまき、利潤第一主義の原子力行政、アメリカ言いなり、大企業中心の自民党流政治がもたらしたものである。

いまこそ、戦後続いてきた、アメリカ言いなり、大企業中心の政治を大本から変えなければならないと痛感している。

多くの被災者が苦しみを抱えて、再起へ動き始めていることをいろんなマスコミが伝えている。

これからも現地への支援をはじめ、この沖縄からの支援、沖縄での支援の強化のためにがんばろう、そして何よりも、国民のくらし福祉中心、防災優先の政治への転換を求めてがんばらければと思っている。

これから、被災地支援と政治の転換を街頭から訴えてきます。

合掌。




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