ラベル

2011年9月30日金曜日

2011年9月29日木曜日

代表質問のマスコミの報道から

昨日の日本共産党を代表しての質問について、テレビや新聞が報道していますので、順次掲載します。


9月28日のQABニュース


9月29日、沖縄タイムス


9月29日、琉球新報



9月29日 琉球新報


9月29日、赤旗

2011年9月28日水曜日

今日の代表質問の教科書問題を琉球朝日放送がニュースで配信

今日の代表質問の教科書問題を、琉球朝日放送がニュースで配信しています。

ぜひご覧ください。

http://www.qab.co.jp/news/2011092831071.html

代表質問終わりました。

日本共産党の代表質問は、今日午前10時から行われ、渡久地修が質問しました。

詳しい内容は後ほど映像でアップしたいと思います。


2011年9月27日火曜日

代表質問始まる

県議会は今日から各党・会派の代表質問がはじまりました。

今日は、自民党と社民党で、日本共産党の代表質問は明日です。

日本共産党からは私が代表して質問します。

質問の持ち時間は、答弁を除いて19分です。

明日の一番の午前10時です。

発言通告はこちらをクリックしてください。

2011年9月26日月曜日

2011年9月25日日曜日

おいしい沖縄そばの店

知人がそば屋を営んでいて、おいしいとの声を聞いて早速行ってみた。

その店は、那覇市のあけぼの町の路地のなかにあった。

「麺ずしょっぷ・すばる」というしゃれた名前だ。

値段も手ごろで高くはない。

店主曰く、「うちは高いものはないからねー」。

そーきそばを注文した。

580円。

麺は、何十種類のなかから店主がこだわって選んだという「与那原そば」だという。

透明感があり、腰があり、歯ごたえがあり、なかなかうまい。

汁は、とんこつベースで店主が毎日丹精込めて仕込んでいるという。

甘くておいしいので全部飲んでしまった。

一日限定30食だという。

売り切れ次第終了という。

そば好きの人は一度は食べてみてはいかがでしょうか。




そーきそばの並み。昼はジュウシーつき



すばるの地図です。

2011年9月23日金曜日

金城町敬老会に参加

金城町の敬老会があり参加しました。

かぎやで風からフルート演奏、方言での「ふる里」の歌もあり、楽しく、ほのぼのとした敬老会でした。

県立芸大の学生さんたちの「ふるさと」の曲のフルート演奏では、東北地方の津波でふる里が一瞬で奪われた姿が目に浮かび、涙が出そうになりました。

私は、あいさつの中で、東北地方へのボランティアでいったことを報告しながら、沖縄戦はこんなに悲惨な状況だったのではないかと、ダブって見えてただただ涙が流れるばかりだったと話し、このような廃墟の中から、戦後、必死になって取り組んでこられたみなさんがいたから今日の沖縄はある。お年寄りのみなさんは沖縄の宝です。いま、沖縄は人口の80%が戦後生まれで戦争を知らない世代です。沖縄戦の悲惨な実態と戦後の苦労を、子や孫たちに継承していけるように、これからももっともっと長生きして伝えていってください。私も、みなさんがたの苦労をきちんと受け継いで、また後世に伝えていくためにがんばります。というような趣旨のあいさつをしました。

東北地方に心をよせながら、基地のない沖縄、いのち、暮らし、福祉、防災優先の政治めざしてがんばろうとの決意を固めた日でもありました。





2011年9月22日木曜日

米大統領への挨拶のお土産に沖縄を差し出すのか

沖縄の県知事が、アメリカを訪問し、、普天間基地の移設問題について「県内41市町村の全首長及び県議会の全議員が県内移設に反対している」、「沖縄に海兵隊がまとまって存在しないといけない理由や役割等が明らかにされていない」と、直接、報告・発言した。

米国議会の要人にもあって同様な発言をしている。

ところが、同じころ米国を訪問した首相と外務大臣は、普天間基地を辺野古施設を実行することを約束している。

県民の代表たる県知事が、同じくアメリカで県内移設はまかりならんと報告、発言しているのに、日本の総理や外務大臣の態度は、アメリカ大統領への会談、挨拶のお土産に、沖縄県民の意向を踏みにじりアメリカに差し出した格好だ。

県民の怒りは収まらない。

日米両政府は、胆に銘じるべきである。

県内移設、辺野古移設は不可能だ。

普天間基地の閉鎖・撤去へ県民のあらたなたたかいがはじまるだろうことを。

2011年9月21日水曜日

9月議会代表質問の通告要旨

9月議会代表質問の通告が12時で締め切られました。
以下が私が行う質問の通告です。


1、米軍基地と自衛隊基地の強化に反対することについて

 (1)、今回の訪米で、普天間基地の移設問題について「県内41市町村の全首長及び県議会の全議員が県内移設に反対している」、「沖縄に海兵隊がまとまって存在しないといけない理由や役割等が明らかにされていない」と、日米首脳会談、外相会談を前に県民の声を知事が直接、報告・発信したことは大きな意義がある。
一方、新しく誕生した野田総理は、真っ先に、普天間基地の辺野古移設の日米合意を順守することをアメリカに約束し従属を誓い、さらに所信表明演説では、普天間基地の辺野古移設か固定化かの脅しをかけている。政府の姿勢は知事の立場と沖縄県民の願いを踏みにじる姿勢をあらわにしたもので断じて容認できないのではないか。知事は日米合意の撤回、辺野古移設・県内移設反対、普天間基地の早期閉鎖・撤去へ県民の一層の団結を呼びかけ、その先頭に立って奮闘されたい。決意を伺う。
 
(2)、アメリカは今巨額の財政赤字で苦しみ、上下両院議員らから沖縄の海兵隊撤退論、非現実論、在沖海兵隊の米帰還論などが出ている。また、国防次官が辺野古案変更も検討と報道されている。知事の認識を問う。また、今後、国連をはじめ世界と米国世論への働きかけをさらに強化すべきである。具体策を問う。

(3)、米国と日本本土での、沖縄の基地の実態を知らせ、普天間基地の早期閉鎖撤去、県内移設反対の、新聞広告、チラシ作製・配布などを繰り返し求めてきたが、実行段階ではないか。加えて、米上下両院の議員全員に対しての書簡を県知事名、あるいは全県の市町村長連名、県議会議長と全県議、市町村議長連名などで送り、沖縄側の意思をきっぱり示すべきである。

(4)、政府が年内に提出すると言っている環境アセスには、辺野古移設反対の立場で対応すべきである。また、辺野古の海の埋立申請に対して知事は明確に拒否すると県民に約束すべきではないか。

(5)、オスプレイ配備についての県の質問への政府の回答は、ますます配備による危険性が増幅しているのではないか。普天間基地の危険性除去のためにも、基地の即時運用停止を求めるべきではないか。

(6)、米軍掃海艇の与那国配備や、自衛隊の与那国や先島への配備についても、地元の世論調査でも反対が多数になっている。地元の人々は、軍事的な対応ではなく、平和的な交流、平和的な話し合いによる問題解決を望んでいるのではないか。米軍や自衛隊の先島への配備に反対すべきである。

 (7)、米軍が沖縄に枯れ葉剤を持ち込んだ事実はあるのか。県はきちんと調査、対応すべきである。

(8)、日米地位協定の改定が進まないのはなぜか。県民の人権と尊厳が踏みにじられ続けるのであれば、県庁への米軍の立ち入りを拒否するなど、知事は強い態度で臨むべきである。

2、教科書問題について

(1)、教科書改悪は戦争へつながることを戦前の歴史は示している。
1925年・治安維持法制定、1931年・満州事変、1933年・小学校1年の国定教科書の改悪、それまでの「ハナ、ハト、マメ、マス、ミノカサ」といった読本が「サイタ、サイタ、サクラガサイタ。ススメ、ススメ、ヘイタイススメ」になり、小学校唱歌が、「春の小川はさらさらいくよ」から「肩を並べて兄さんときょうも学校へいけるのは兵隊さんのおかげです。お国のためにたたかった兵隊さんのおかげです」に変わっていった。1938年・国家総動員法制定、1940年・大政翼賛会、1941年・真珠湾攻撃、太平洋戦争勃発、1944年・対馬丸の悲劇、1945年・沖縄戦。そして多くの命が奪われた。
愛国心、軍国主義教科書への改悪が戦争遂行政策と一体のものとして進められてきた歴史の事実、教訓を県知事及び県教育委員会はどのように認識しているか。
  また、戦後の教育基本法はこのような戦前の教育の反省の上に出発したのではないか。

(2)、今回の中学校、社会化の歴史教科書で、「日本軍の東南アジア占領について」、「沖縄戦と集団強制死・集団自決について」、「日本国憲法について」の3つの項目について、育鵬社と帝国書院の教科書では、それぞれどう書いてあるか。
    また、社会科公民教科書では、「男女平等について」、「沖縄の基地過重負担について」、「米軍の抑止力について」、「自衛隊について」の4つの項目について、育鵬社と東京書籍の教科書ではそれぞれどう書いてあるか。

 (3)、採択協議会では、推薦されていない育鵬社の教科書を採択されたのは、まさに、採択ありきだったことが浮き彫りになっている。県内の他の協議会で推薦されていない教科書が採択されたところがあるか。過去にはどうか。

 (4)、これまでの県教育委員会は、文部科学省の指導・助言・援助を仰ぎ調整のうえで、八重山地区への指導・助言・援助を進めてきたとのことだが、その経過について問う。

  (5)、ある政党本部の教育部会に、石垣市の教育長が参加し、また文科省や県の担当が呼ばれたことが報道されたが、多くの県民の間で、教育行政が特定の政党の圧力、政治介入によって歪められるのではとの危惧の念が広がっている。教育が政治介入や圧力でゆがめられてはならない。見解を問う。

(6)、八重山での教科書問題は、沖縄の米軍基地の機能強化、自衛隊の先島配備など軍事拠点化へ狙いと一体のものとして動いている。このような危険な動きに対して知事は警鐘を鳴らすべきではなないか。

3、東日本大震災への支援と沖縄の防災体制について

(1)、東日本大震災への現地への直接支援と沖縄での支援強化の今後の方向性について
 
(2)、沖縄の防災体制をどのように見直し、実行してきたか。

(3)、台風12号、15号による本土での空前の大雨災害、土砂災害が起こっている。同程度の雨量が沖縄で降ったら、どのような被害想定になるのか。過去の事例とも比較して対策の再検討、強化が必要である。

(4)、東日本大震災の教訓は、絆という言葉に象徴されているように、人々の連帯、社会的結びつきの重要性が見直され、これまでの自己責任の名のもとに、くらし・福祉を削減してきた構造改革・新自由主義路線から脱却し、くらし、福祉、防災優先の政治への転換が求められている。知事の見解を問う

4、県民のくらし・福祉優先の県政について

(1)、政府が進めてきた構造改革路線、自己責任論による弱肉強食の新自由主義路線によって、貧困と格差は広がり続けてきた。県内での実態について伺う
①、年収200万円未満の収入しかない県民数、世帯数、無年金者数、生活保護世帯数、非正規雇用者数などについて10年前との比較と対策について伺う
②、準要保護児童数の10年前と今日の比較。県民所得が全国最下位だが準要保護では全国比はどうか。受けられるべき児童が受けられていないのではないか。各市町村の受給要件に差があるのはなぜか。市町村の受給要件の実態と県の対応について。
   ③、自殺者数の10年前との比較、原因、対策について

 (3)、低所得者向けの公営団地を全国平均にするためにはあと2万戸の新増設が必要との2月議会での質問に、知事は「計画をつくって推進」と約束したが、「新たな計画の基本的な考え方」でどう位置づけ具体化しているか。

 (4)、災害弱者を生まないためにも特別養護老人ホームの増設は急務である。待機者の実態と増設計画について

 (5)、子どもの医療費無料化の年齢拡大について、6月議会のわが党の質問に、知事は「実務的に詰めている」と答弁したが、次年度から拡大すべきである。入院については中学校まで無料にすべきである。

 (6)、県民の命と健康を守る上で、国保税の引き下げは重要な課題である。そのための市町村への支援を県として行うべきである。

(7)、防災の中心である消防士の増員について次期振興計画で位置付けると先の議会で答弁したが、具体的にどのように位置付けて推進するか。
また、消防の広域化は政府の構造改革・行革路線のなかでの人減らしがねらいである。今、求められているのは、市町村消防の強化と消防士の指針通りの配置ではないか。

5、沖縄振興計画について

(1)、総理は所信表明演説で、普天間基地の辺野古移設と沖縄振興をリンクさせて述べている。基地押しつけと引き換えのリンクであってはならず、基地のない沖縄をめざすべきである。

(2)、沖縄振興予算が本土に還流する仕組みを改め、県内に蓄積・還流される仕組みを構築し、そのためにも、第一次産業はじめ県内企業、地場産業育成を大きな柱にすべきである。

(3)、箱物中心、公共工事中心の沖縄振興計画から、県民のくらし、福祉、教育、防災優先の振興計画にすべきである。

(4)、たとえは消防士の増員が国の行革方針で抑え込まれ、公営団地建設が、国の新規建設抑制の方針で抑え込まれるなど、沖縄振興計画の方針、目標が全国一律の政府の方針によって、その推進が抑制されることがないようにすべきである。そのための方策をどう考えているか。

6、戦後処理問題について

(1)、不発弾はあといくらあり、全部処理するのにあと何年かかるか。不発弾処理は戦争を起こした国の責任で行い、処理費用、避難にかかる費用も国が補償すべきである。

(2)、私は、那覇市議会時代に不発弾の現地処理時の避難半径が他県の2倍以上になっている事実を示して、縮小する技術の導入を提案、ライナプレート方式が2003年2月に導入され避難半径が半分に縮小された。当時から、一層の安全と住民の負担軽減のために、爆発に耐えられる容器の導入もできないかと提案していたが、最近、耐爆容器が開発されたと聞くが県の見解を伺う。この方式だと、5インチ艦砲弾の場合、避難半径は106メートルが30メートルに縮小できると言われているが、非難半径、面積、避難人口、経済的、社会的損出の比較はどうなるか。過去の事例と及び今回の南風原の不発弾処理時での比較はどうなるか示されたい。国に導入を求める考えはないか。

 (3)、戦争空襲被害者が国に国家賠償を求めて立ち上がっているが、県も支援すべきである。

7、泡瀬干潟の埋立中止について

 (1)、先の台風での堤防決壊によるサンゴ、藻場への影響はどうなっているか。

 (2)、新たに住民から泡瀬干潟の埋立中止を求めて裁判で提訴されているが見解を問う。

(3)、東日本大震災の大地震、大津波、液状化現象など全く考慮されていない無謀な計画であり、且つ、貴重な自然を破壊するものであり、埋め立ては中止すべきである。

8、原子力に代わる自然・再生エネルギーについて
 
(1)、原子力発電をゼロにというのは多くの国民の切実な願いになっている。沖縄からも原発からの脱却の声をあげるべきであると思うが知事の見解を問う。

(2)、沖縄の再生可能エネルギーの供給量が全国最下位、自給率、0.77%との調査結果があるが、太陽光発電、風力発電、小水力発電、太陽熱利用のそれぞれと、再生可能エネルギーの合計の年間供給量と供給全国順位、自給率全国順位、供給密度順位について伺う。
県の再生可能エネルギーへの取り組みが全国に比べて遅れていること示しているのではないか。今後どう強化していくのか。見解を問う。

(3)、太陽光発電の各家庭への普及への取り組みと課題について問う。また、小水力発電について、2年前の決算委員会で提案、質疑したが、その後の検討状況を問う

(4)、遊休農地・耕作放棄地をメガソーラー発電所への転換への取り組みが国や各地で始まっている。県内での可能性について問う。また、国頭村安波の遊休農地を基地にとのとんでもない話もあるが、ここにメガソーラー発電を誘致したら、どれだけの発電量と雇用の場の創出になるか。

2011年9月20日火曜日

明日、代表質問発言通告締め切り

県議会の9月議会の代表質問に私が立つことになりました。

明日がその通告の締め切りで、その準備に追われています。

明日の12時が締め切り時間です。

その後、お知らせします。

がんばります。

2011年9月19日月曜日

光に替えてみたけど

自宅の電話回線を光に替えませんかと、NTTからの電話で、工事費や月額料金も変わらず、通信速度は速いというので承諾してあったが、今朝その工事が済んだ。

PCの設定は自分でお願いしますというので、マニアルに従いキーをたたきうまくつながった。

問題は、通信速度が早いかどうかだが、PCがそもそも5年になるようなもので、それ自体が重たくなっているので、光の速さはどうも実感としてはまだ伝わらない。

早くなったような気もするし、そうでもなさそうな気がするし、定かなことはまだわからない。

速度を比較できるソフトがあって、あなたのPCは、光に替えたおかげで、これだけスピードが早くなりましたなどと示してくれたらもっといいのにと思う。

いずれにしても我が家もやっと光時代になったということだけは確かである。


2011年9月18日日曜日

台風の停滞で行事が軒並み中止、延期へ

今年は台風の当たり年。

この台風もずっと沖縄近海に居座り続けている。

風は今のところそんなに大きくないが、本島地方に今日来るのか、明日来るのか、あるいは明後日かというほど、動かないままだ。

その結果、昨日の末吉町の十五夜祭が延期になり、各地の敬老会も延期や中止となっている。

これから本当に接近するのか、雨は大丈夫かこの2、3日は心配が続くかもしれない。

困ったもんだ。

2011年9月16日金曜日

歪んだ教科書の採択は許してはならない

アメリカの掃海艇の八重山へ配備する動きが明らかになり、自衛隊の八重山や宮古などへの配備などの動きが活発化してきているなか、それと連動して、中学校の社会科教科書・公民に、米軍を抑止力として持ち上げ、自衛隊を賛美する教科書を採択させようとする策動が激しく展開されている。

石垣市の教育長が、これまでの採択へのルールをことごとく独断で変更し、さらに、調査員から推薦されていない育鵬社の公民を強引に押し通そうとしてきたことに端を発している。

石垣市の歴代教育長らをはじめ、PTA、父母、住民らが歪んだ教科書を子どもたちに渡してはならないと声をあげて立ち上がっている。

3市町の13人の教育委員全員が集まり、再協議して、育鵬社の教科書を不採択にし、東京書籍を採択した。

しかし、自民党本部の部会に石垣市の教育長が参加し、県の担当者が呼ばれたと報道されている。

県民の間からは、教育への政治の介入を許してはならないとの懸念と怒りの声が広がっている。

県民も住民も望んでいない歪んだ教科書を強引に押し付けようとする勢力の狙いを県民は決して許さないだろう。

県教育委員会もこのような政治的介入に屈服してはならない。

再び戦争を繰り返してはならない。

今日から県議会が始める。

この教科書問題も大きな焦点になるだろう。



2011年9月15日木曜日

議会基本条例素案に基地立ち入り調査を

昨日の議会基本条例検討委員会で、委員長素案が提案されましたが、それには米軍基地の事件事故などの場合の議会としての調査、対応などが明記されています。

日本共産党県議団としも要求し、私もこれまで委員会でも要求して来たもので、全国の74%の米軍基地が集中する沖縄でこそ、この議会の調査権などの確立が求められています。

このことに関しての、今日の琉球新報の記事を掲載します。


2011年9月14日水曜日

議会基本条例等検討委員会で議論

第8回議会基本条例等検討委員会が今日開催されました。

県の定める長期構想を議会の議決事件と定める条例については、与党の自民、公明会派が引き続き会派内の検討に時間が必要とのことでした。

議会基本条例については、素案が提案され、議論しました。

子の素案を各会派が持ち帰って検討すること。次回さらに検討を重ねることになりました。

2011年9月13日火曜日

ブログ見ているけど/友人からの連絡

一昨日、携帯へ友人の着信記録があったのでさっそく連絡をとった。

オサムーブログ見ているよとの声に嬉しくなったが、それはいいが、字が間違っているよとの指摘の連絡だった。

地震と書くべきを自身になっているという。

あわてて書くとそうなってしまう。

ありがとうとお礼を述べたが、ブログを読んでくれているだけでなく、誤字を指摘してくれるなど、ありがたいものだ。

ありがとう、これからもよろしく。

感謝。

2011年9月12日月曜日

予算・決算特別委員会の委員の差し替え実現へ、前向きに検討

沖縄県議会の議会運営委員会が今日開催されました。

9月議会の日程などを決め、議会後の決算委員会の設置を確認。

その決算委員を定数17人とすることも確認しましたが、2月議会前の議運で、予算委員会・決算委員会の委員の差し替えができるようにすべきと提案していましたが、その検討内容が報告されました。

その検討なのかで、議会運営委員会条例のように、委員の委員外議員を認めることで、差し替えが可能になるとのことで、事務局で、さらに条例の文言や、申し合わせ事項などを整理したうえで、各会派が今度の決算委員会から実現できるように持ち帰り検討することになりました。

審議を深めるうえで、議会改革の一環として実現させたいものです。

自宅のPCでツイッターにつながらない

自宅のPCでツイッターを開けようとしたら、「ジャバスクリプトが無効でツイッターが利用できません。有効にしてから再度読み込んでください」と自宅のPCは表示されツイッターが開かない。

ジャバスクリプトて何だろう?、有効にするにはどうすればいいのだろうと、検索してみると、いろんなサイトがあり、クリックすると、あなたPCのジャバスクリプトは有効ですと表示される。

困ったもんだ。

インターネットエクスプローラーですが修復の仕方の分かる方、教えてください。

2011年9月11日日曜日

大震災発生から半年目の想い

3月11日2時46分、その時私は東京の財務省での要請を終えてアメリカ大使館に向かおうとしていた。

ビルを出る直前にトイレで用を足しているときに、緊急地震速報が聞こえてきた。

最初は訓練と思ってゆっくりしていたが、そのうち揺れがきてだんだんと大きな揺れになり、これは大変なことになったと直感した。

ビルを飛び出す職員らに遭遇。

地震ですかと声をかけても誰も返事をせずに飛び出していった。

財務省のビルを出ると、私たちに同行していた沖縄の記者や同僚議員らが、渡久地さんあれといって指さす先をみると、巨大なビルが大きく揺れていた。

地面が揺れ、巨大なビルが揺れ恐怖が襲ってきた。

震度5強、初めて体験する大地震だった。

この地震が、まさか東北地方で大津波を引き起こしているとはその時は全く分からなかった。

第2波の地震に襲われた時、歩道でワンセグのテレビ中継を見ていた会社員らの映像をそばから覗いた時、信じられない映像が流されていた。

あれから半年がたった。

犠牲になられてみなさんと被災者の方々に、心からのお悔やみと大見舞いをあらためて申し上げます。

先ほど2時46分に自宅で黙とうを捧げました。

あっという間に半年がたった。

私は、5月にボランティアで石巻市に支援に行ったが、先日9月1日から4日まで再び石巻市に息子と一緒に再びボランティア支援に行った。

復旧、復興の兆しはまだまだ見えなかった。

かてて加えて、復旧、復興に福島原子力発電の原発事故がさらに暗い影を落としている。

国民の安全より、安全神話を振りまき、利潤第一主義の原子力行政、アメリカ言いなり、大企業中心の自民党流政治がもたらしたものである。

いまこそ、戦後続いてきた、アメリカ言いなり、大企業中心の政治を大本から変えなければならないと痛感している。

多くの被災者が苦しみを抱えて、再起へ動き始めていることをいろんなマスコミが伝えている。

これからも現地への支援をはじめ、この沖縄からの支援、沖縄での支援の強化のためにがんばろう、そして何よりも、国民のくらし福祉中心、防災優先の政治への転換を求めてがんばらければと思っている。

これから、被災地支援と政治の転換を街頭から訴えてきます。

合掌。




2011年9月10日土曜日

琉球新報「記者席」、沖縄タイムス「記者のメモ」がボランティア活動を紹介

9月1日からの2度目の被災地でのボランティア活動を今朝の琉球新報の「記者席」が紹介してくれています。

沖縄戦で廃墟と化し、今なお米軍基地で苦しめられている沖縄。

県民は東日本大震災の被災者の痛みを我がことのように受けとめています。

これから行きの長い支援が求められています。沖縄からの支援も強めていきたいと思います。

先に掲載された沖縄タイムスの「記者のメモ」とともに掲載します。



9月10日 琉球新報「記者席」



9月7日 沖縄タイムス「記者のメモ」



被災地に咲いたひまわり

2011年9月9日金曜日

このブログが、日本共産党のHPの救援・復興ブログ欄に紹介されてます。

9月7日の私のブログが、日本共産党中央委員会のHPの救援・復興ブログ欄に紹介されています。

日本共産党のHPはこちらをクリックしてください。

八重山の中学校社会課・公民教科書で、「つくる会」系不採択に

八重山の中学校社会課・公民の教科書に、「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社の教科書を持ち込もうという蠢動のもと混乱が生じていました。

昨日、石垣市、竹富町、与那国町の教育委員全員が協議し、育鵬社版を不採択とし、東京書籍版を採択しました。

これまでの八重山地区教科書採択協議会の運営が特定の人によってゆがめられ、調査員が推薦もしていない教科書が突然、無記名投票、密室で採択されるなど、およそ考えられない事態が次々と強引に進められ、混乱が広がっていました。

八重山の住民や関係者らの批判が広がり、八重山や沖縄県内でもこのようなゆがんだ教科書への採択の動きに大きな批判と強い怒りが巻き起こっていました。

今回の、つくる会系の教科書の不採択は当然の結果ですが、特定の政治的意図をもった動きはこれからも続くことが予想されます。

戦争を知らない戦後生まれの世代が80%を占めるようになったもとで、沖縄戦の悲劇を後世に正しく伝えていく努力がますます重要になっていることを示しています。


琉球新報の記事

沖縄タイムスの記事


2011年9月8日木曜日

台風に負けずゴーヤー実る

緑のカーテンとして家の西側の植えてあったゴーヤーが台風2号で大きな被害を受けた。

3本中、1本は完全に枯れてしまった。残りの2本もかなり傷んでいたが、せっかく台風を生き延びたのだから、そのまま育てることにした。

1本は新しい苗に植え替えた。

大きくなって実をつけだしたら今度は台風5号の来襲。

今度ばかりはと、台風対策用の防風ネットを買ってきて、棚を下ろして地面に寝かせてネットで覆ってやった。

のろのろと長い時間風にさらされてかなり傷んでいたが、意地になって、またそのまま育てた。

朝、晩と水をかけ、有機肥料を与えて、8月の末あたりからやっと収穫できるようになった。

今度のゴーヤーは、数こそ少ないが、台風を乗り越えてきたものだけにひとしお嬉しさがわいてくる。

小さな実もつけだしているので、9月の末か10月ごろまでは期待できるかもしれない。

アメリカのケビンメアーなる差別主義者が、沖縄県民はゴーヤもつくりきれないと語ったとのことだが、こんな人物にゴーヤーを語ってほしくないものだと思いながら、実ったゴーヤーを眺めている。


2011年9月7日水曜日

東北被災地へのボランティア支援を地元紙が紹介

今朝の沖縄タイムスの「記者のメモ」で、9月1日から4日までの宮城県石巻市でのボランティア活動を紹介してくれている。

5月に続いて2度目の支援活動となったが、引き続き、現地での支援や沖縄からの支援を強めていきたいものである。

この記事と、当日の写真を撮ってくれた方から送られてきたもの、私が撮ったものを併せて紹介します。




沖縄タイムス「記者のメモ」 9月7日



破壊された墓とボランティアの人々



もくもくと瓦礫を撤去



一輪車もフル回転



遠方に被災した門脇小学校の無残な姿が。手前にはヒマワリの花が咲いていた。

2011年9月6日火曜日

早朝宣伝にメール

今日、真嘉比交差点で、自転車に旗を立てハンドマイクで出勤者に早朝宣伝を行っているところを、たまたま子どもを保育園に送る途中で見かけたとのことで、知り合いのA君がメールをよこしてくれた。

メールには「朝立ちご苦労様です。子どもをおくる途中でしたが、運転中で合図できませんでした。がんばってください」と書かれていた。

嬉しいですね。こういう反応があると、さらに力になります。

世の中を変えるために、これからもがんばります。

A君ありがとう。

2011年9月5日月曜日

課題メジロ押し、沖縄での活動に全力

経済労働委員会の視察後、宮城県石巻市でのボランティア活動に従事、昨日帰任。

今日は、さっそく6時半からの地域のラジオ体操に参加して、コーヒー会でボランテイア報告、7時半からは定例の儀保十字路での早朝街頭宣伝と沖縄での日常活動を再開。

県議会で一週間分の新聞をチェック。

様々な問題が起こっている。

オスプレイについての県と宜野湾市の質問への国からの回答なるものが届いた、辺野古の埋め立て申請を国が出す、八重山の教科書問題、消防の広域化から那覇市が離脱、不発弾処理の問題、などなど重大問題がメジロ押し。

忙しくなりそうだ。

9月議会に向けてますます忙しくなりそうだ。

2011年9月4日日曜日

こらから帰ります。

ボランテォア活動が終了し、昨日は仙台泊。

今日これから帰途につきます。

晩には沖縄につきます。

2011年9月3日土曜日

ボランティア支援活動無事終了

今日のボランティアは昨日に続きお墓の瓦礫撤去。

今日は、人数も40人近くいて作業が進展、6台の一輪車もフル稼働、道路のわきには鉄類、木類、ブロック類などの瓦礫がみるみる積まれていきました。

大雨警報が出されていましたが運よく雨は降らず、作業終了とともに降ってきました。

今日は、沖縄、神奈川、東京などから50人以上が参加し、私たちの瓦礫撤去と支援物資のお届け隊の2隊に分かれての支援活動でした。

作業終了後、高速バスで仙台につき、今日は仙台宿泊で明日帰ります。


お墓の瓦礫撤去の支援

昨日は、午前中はうどん屋さんだった店舗の掃除を行い、午後からはお墓の瓦礫撤去作業に従事。

私たちが行ったお寺も津波で被災し、かろうじて建物の姿は残していますが、壁などは破壊されています。重たいはずの墓石は倒され流され散乱しています。

流されてきた瓦や漁網、トタン、材木などが散乱し、泥もたまり何から手をつけたらいいのかわからないほどの姿です。

とりあえずは、翌日には40人近くが支援に来るというので、一輪車が通れるよな作業道確保のための瓦礫を撤去。

一息入れて目をあげると、津波と火災で無残な姿になっていた門脇小学校が目の前に立っていました。

今なお津波の恐ろしさを実感させる風景です。

お墓のそばには、復興へ向けた人々を励ますように、希望の花・ひまわりが大きい黄色い花をつけて風に揺れているのが印象的でした。

今日は、台風の影響で大雨警報が発令されていますが、晴れ間をぬって作業する予定ですが、雨が降らないことを祈ります。




お墓の瓦礫撤去



被災地にサク希望の花・ひまわり

2011年9月2日金曜日

石巻市で泥出し掃除

今、石巻市で午前中の仕事を終えて、昼食もすませ、休憩です。

1時からはお墓の瓦礫撤去だそうです。 

救援センターのPCを借りて更新していますが、マックなので苦労しています。

ボランティア支援活動2日目

午前7時です。

これからボランティア活動へ出発します。

今のところ雨は降っていません。


2011年9月1日木曜日

石巻市でボランティア活動

今日の1時過ぎ石巻市に到着。

5月30日にボランティアできてから約3カ月が経っていますが、復興の兆しはまだまだ見えません。

瓦礫はかたずけられているようでうが、その瓦礫置き場が山のようにそびえています。

震災前は住宅街だった街並みが、更地なっている痛々しい姿が広がっています。

また、いまだ無残な姿の住宅やビル、建物がたくさんあります。

今日は、台風の影響で大雨で瓦礫の撤去の作業が中止になり、室内での支援物資仕分け作業を行いました。

とりあえず報告しておきます。

首都圏の物流の中心・大田市場を視察

昨日は、首都圏の物流の中心、大田市場を視察しました。

花卉市場は、沖縄の菊などの多くがここの競りで各地に送られるとのこと。

12月と3月の小菊は99%が沖縄産だとのことでした。

これからの沖縄の菊についての課題などについて意見交換しまし。

青果市場では、取締役などと意見交換。

沖縄の果物、野菜などは大変有望だが、生産の不安定性に大きな問題があり、その克服について厳しい意見なども出されました。

本土側の視点、物流側の視点での意見はこれからの沖縄の農業に貴重な問題提起で、大変有意義な意見交換でした。

その後、千葉県の香取市の地産地消、道の駅を視察しました。
ここの取り組みも今後の沖縄の農業に大いに参考になります。

今日は、これから被災地の宮城県に向かいます。午後からボランティア活動に参加します。




花卉のセリ市場