4月28日は沖縄では「屈辱の日」といわれている。
1945年、沖縄に上陸占領した米軍は、住民を収容所に収容しているときに勝手に土地を奪い米軍基地を建設。収容所から帰ったときは家も土地も基地に奪われていた。その後も銃剣とブルドーザーで住民を追い出し基地を増強していった。
1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約によって日本は「独立」したが、沖縄・奄美・小笠原が本土から切り離され、引き続き米軍占領下におかれた。
米軍占領下では、米軍人、軍属による事件事故が発生し、県民の命が奪われ人権や財産が脅かされてきた。米兵等による犯罪や事件もその多くが、裁判で無罪になり、あるいは、裁判中に本国に帰り県民は泣き寝入りを強いられてきた。
米軍占領下の27年間の事件、事故、犯罪の主なものだけでも、
・1948.8.6 伊江島米軍弾薬輸送船LCT爆発事故 死者107人、負傷者70人
・1955.9.3 6歳の少女が米兵に暴行・殺害された
・1959.6.30 宮森小学校、ジェット戦闘機墜落事件 11人の児童含む17人死者、210人の重軽傷者。
・1961.12.7 川崎(現うるま市)に米軍ジェット機墜落事件、住民2人が死亡、4人が重軽傷。
・1965.6.11 読谷村で落下傘を取り付けら米軍トレーラーが遊んでいた小学校5年生の女児が死亡。
・他にも、横断歩道を渡っていた青年が米兵にひき殺され、無罪になり本国に帰った事件など多数に上る。
復帰前年の1971年11月、沖縄国会に沖縄の屋良朝苗行政主席は「復帰措置に関する建議書」(屋良建議書)を届けるべく国会に向かったが、国会は到着前に沖縄の声を聞くことなく強行採決した。
屋良建議書には、「県民が復帰を願った心情には、結局は国の平和憲法の下で基本的人権の保障を願望していたからに外なりません」「復帰に当たっては、やはり従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」と記している。
1972.5.15、沖縄の施政権は日本に返還されたが、基地のない平和な島という県民の願いは踏みにじられ、今なお、国土面積の0.6%の島に、70.3%の米軍基地が押し付けられ続けている。1995年9月4日、米海兵隊員3人による少女暴行事件、2016年4月28日 うるま市で米軍属による女性暴行殺人事件が発生し、その後も米兵等による性犯罪が多数発生している。2004年8月13日、沖国大に米軍ヘリが墜落、2016年12月13日名護市安部の海岸にオスプレイが墜落する航空機事故が発生するなど、米軍と米兵らによる事件、事故、犯罪、爆音、環境汚染等に苦しめられ続けている。
そして今、自衛隊の大増強と敵基地攻撃能力を持ったミサイルの配備で、アメリカと一体となった戦争準備が進められ、沖縄がその最前線にされようとしている。
生まれた時から米軍基地があり、それが当たり前のように育ってきた世代が多数になった今、沖縄の苦難の歴史、不条理な実態を正しく伝えていく努力が求められている。
屈辱の日から74年。沖縄の実態に目を向ける日にしてほしいものである。








