私たち日本共産党県議団が、宮城県に支援活動で行ってきましたが、そのことについて、遠藤いくこ県議と横田有史県議が自身のブログに思いをつづっています。
私たちが現地に行くことによって、苦難の中でがんばっている日本共産党員や多くの人々を少しでも励ますことができたなら幸いです。
これから長いたたかいになるでしょうが、力をあわせていきましょう。
以下は、宮城県の日本共産党・遠藤いくこ県議のブログから転載しました。
2011年5月30日(月曜日)
想いがつながる、痛みがわかる
5月に入り、各県の地方議員の方が、ボランティアや調査で来て下さっています。
沖縄県議団も、被災地支援ボランティアと調査ではるばる来てくれました。乗り継いできた疲れも見せず、沖縄県としての震災対応に関する申し入れや取り組みの報告を受け、遠い沖縄県での被災地を憂い避難者受け入れに奔走する県行政と党の姿に触れて、目頭が熱くなりました。
そのうえ団長のかようさんは、「沖縄には被災地と通じるものがある」と話されました。「沖縄は鉄の暴風といわれるすさまじい戦争でたくさんの犠牲を出して焼き尽くされた。その後米軍は、県民を収容所に閉じ込めて奪いつくした。戸籍がない、登記簿謄本がないということを、沖縄は戦争で体験している。県民はその体験と今回の震災の惨状を重ね合わせて、心を痛めている。」そして「思いがつながる」「痛みがわかる」と話されました。私は、この数十日こらえていた涙が一気に噴出して、人前で泣いてしまいました。
沖縄に来る方はその理由に「海沿い」を挙げるそうです。慣れ親しんだ海がそばにあることの切ないほどの愛着を、沖縄タイムスは報じていました。石巻や南相馬からの避難者の声が載っていました。
明日は早々から石巻に向かうとの事、作業服も手袋も防塵マスクもすべて担いでの強行日程です。来てくれて本当にありがとう。そしてどうぞ気をつけて。
以下は、横田有史県議のブログから転載
2011年5月30日(月曜日)
沖縄県会議員5名全員を含む6名が、沖縄県を代表して「支援」策の調査に来県。明日から石巻でボランテェア活動へ・・・。
台風が吹き荒れる中、夕刻に沖縄県議5名と候補1名の6名が来仙。
県委員会7階の現地対策本部で、本部役員の太田・水戸両氏とともに、意見交換。
沖縄の共産党県議団の「可能なあらゆる支援を沖縄県の全力を挙げて推進しよう」と言う提案を、県は全面的に受け止め、「宮城県からの避難者だけでも、既に114世帯254名を迎えた」との事。
被災者の救援の為には、何の惜しみもなく全力を挙げたいという沖縄県。
その意を受けて、ボランテェアを買って出ながら、ニーズの調査に来県して頂いた県議団です。本当に感謝の思いでいっぱいです。
『津波被害で“まっさら”になった被災地に、財界・ゼネコンの為の絵を描こうとしている復興計画』と言う私の話に対して、沖縄県議団長がズバリ指摘しました。・・・『米軍の艦砲射撃で壊滅した沖縄を、自由に線引きして占領した米軍と全く同じではないか・・・。』
遠藤県議はその話を、感動の涙で受け止め、“沖縄の重い歴史”と“東日本大震災の被災の展開”を奇しくも重ね合わせることになった、意見交換会でした。
沖縄と宮城・東日本の“復興への熱き連帯の糸”が結ばれた、『歴史的出会いの日』と言ったら、オーバーなのだろうか。・・・・・本当に有難う御座います。
沖縄県議団ならではの激励と交流になったのですね。読んでいて感動しました。
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