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2011年6月6日月曜日

被災地ボランティア支援活動報告に多くの人が涙

6月3日に沖縄に帰ってきた。

被災地の現状を少しでも多くの人に伝えようと、ビデオ、写真などをパワーポイントで編集。

4日には2か所で、今日も朝1っ個所で現地の状況報告を行った。

人数は10人~20人と少ないが、一人でも多くの方々に見てもらおうと思っている。

参加者は胸を痛め涙を流す人もいる。

沖縄戦で廃墟と化した65年前の戦争とダブって、その痛みをわがことのように受け止めているのだろう。

支援活動をもっと強めなくてはならない。

明日は、石川市で演説会で報告する。

一方、国会、永田町では、被災地の国民が苦しんでいるの、自民や民主などは、総理に辞めろ辞めない、うそつき、ペテン師等のののしりあい。

こんなしている時ではない。

怒りはますばかりである。

2011年6月5日日曜日

国会は何をしているのか、怒り沸騰。

管内閣の不信任決議を出す出さないから、やめるやめないの泥仕合、はてはペテン師、うそつきの罵り合い。

被災地での支援活動をしていて痛感したのは、政府は何をしているのかという怒りだった。

支援物資を届けに来ましたとハンドマイクで呼びかけると、どこからともなく多くの方々がやってくる。

米、野菜などの食料品から、トイレットペーパー、衣類など瞬く間に無くなってしまう。

全部流されて何もない、助かった、ありがとうと声をかけていく被災地のみなさん。

今なおこういう国民が被災地にたくさんいるのに、なぜ政府は、支援物資を急いで届けないのか、いや届けようとしないのかと思う。

がれきの撤去、家の片づけ、修復作業、一軒の家に20人ほどのボランティアが総がかりで従事してきたが、周りには、その何百倍、何万倍の住宅がある。

そして事業所が被災して失業した方もこの作業に従事していて、これからの仕事、生活の見通しは全くないと話していた。

やるべき仕事の量は山のようにあり、仕事を探している人々もいっぱいいる。

なぜ政府は、このような失業した方々を日当でもいいし、時給でもいいし、雇ってこのような復旧の仕事に従事させないのか。

政府がその気になってこそ、復旧への見通しも切り開かれるのだ。

そんな被災地の声をよそに、やめろ、やめないの泥仕合。

原発も、それを推進してきたのは自民党政権だった、それを受け継いだのは民主党政権だ。

自らの責任を棚に上げ、被災地をそっちのけにした、不信任劇は、国民の反発を買っている。

沖縄に帰ってきてからもこのことを各地でいわれた。

日本共産党国会議員団は、やめろ、やめないの泥仕合に組みせず、堂々と被災者の声を届けて、その立場から、今国が為すべきは何なのかを追及、明らかにし、被災地に必要な措置求め、協力すべきは協力している。

日本共産党は、被災地に災害救援センターを独自に設けて、全国からの支援物資を集め、届け、現地でのボランティアを募り、支援活動を強化している。

民主、自民などの党略的な騒動を見るにつけ、日本共産党をもっと大きくしなければと痛感する日々である。

2011年6月4日土曜日

行ってよかった/横田有史、遠藤いくこ党宮城県議のブログを見て

 私たち日本共産党県議団が、宮城県に支援活動で行ってきましたが、そのことについて、遠藤いくこ県議と横田有史県議が自身のブログに思いをつづっています。
 
 私たちが現地に行くことによって、苦難の中でがんばっている日本共産党員や多くの人々を少しでも励ますことができたなら幸いです。

 これから長いたたかいになるでしょうが、力をあわせていきましょう。

 以下は、宮城県の日本共産党・遠藤いくこ県議のブログから転載しました。


2011年5月30日(月曜日)

想いがつながる、痛みがわかる 

 5月に入り、各県の地方議員の方が、ボランティアや調査で来て下さっています。

 沖縄県議団も、被災地支援ボランティアと調査ではるばる来てくれました。乗り継いできた疲れも見せず、沖縄県としての震災対応に関する申し入れや取り組みの報告を受け、遠い沖縄県での被災地を憂い避難者受け入れに奔走する県行政と党の姿に触れて、目頭が熱くなりました。

 そのうえ団長のかようさんは、「沖縄には被災地と通じるものがある」と話されました。「沖縄は鉄の暴風といわれるすさまじい戦争でたくさんの犠牲を出して焼き尽くされた。その後米軍は、県民を収容所に閉じ込めて奪いつくした。戸籍がない、登記簿謄本がないということを、沖縄は戦争で体験している。県民はその体験と今回の震災の惨状を重ね合わせて、心を痛めている。」そして「思いがつながる」「痛みがわかる」と話されました。私は、この数十日こらえていた涙が一気に噴出して、人前で泣いてしまいました。

 沖縄に来る方はその理由に「海沿い」を挙げるそうです。慣れ親しんだ海がそばにあることの切ないほどの愛着を、沖縄タイムスは報じていました。石巻や南相馬からの避難者の声が載っていました。

 明日は早々から石巻に向かうとの事、作業服も手袋も防塵マスクもすべて担いでの強行日程です。来てくれて本当にありがとう。そしてどうぞ気をつけて。


以下は、横田有史県議のブログから転載


2011年5月30日(月曜日)

沖縄県会議員5名全員を含む6名が、沖縄県を代表して「支援」策の調査に来県。明日から石巻でボランテェア活動へ・・・。

 台風が吹き荒れる中、夕刻に沖縄県議5名と候補1名の6名が来仙。

 県委員会7階の現地対策本部で、本部役員の太田・水戸両氏とともに、意見交換。

 沖縄の共産党県議団の「可能なあらゆる支援を沖縄県の全力を挙げて推進しよう」と言う提案を、県は全面的に受け止め、「宮城県からの避難者だけでも、既に114世帯254名を迎えた」との事。

 被災者の救援の為には、何の惜しみもなく全力を挙げたいという沖縄県。

 その意を受けて、ボランテェアを買って出ながら、ニーズの調査に来県して頂いた県議団です。本当に感謝の思いでいっぱいです。
 
 『津波被害で“まっさら”になった被災地に、財界・ゼネコンの為の絵を描こうとしている復興計画』と言う私の話に対して、沖縄県議団長がズバリ指摘しました。・・・『米軍の艦砲射撃で壊滅した沖縄を、自由に線引きして占領した米軍と全く同じではないか・・・。』

 遠藤県議はその話を、感動の涙で受け止め、“沖縄の重い歴史”と“東日本大震災の被災の展開”を奇しくも重ね合わせることになった、意見交換会でした。

 沖縄と宮城・東日本の“復興への熱き連帯の糸”が結ばれた、『歴史的出会いの日』と言ったら、オーバーなのだろうか。・・・・・本当に有難う御座います。




泡瀬干潟埋め立て中止、沖縄の菊栽培農家支援、遺伝子組み換えのパパイア問題などで政府要請

昨日、日本共産党県議団は赤嶺政賢衆院議員とともに政府要請行動を行いました。

泡瀬干潟埋め立ての中止を内閣府の園田政務官に要請、その後、内閣府の担当と交渉。

東日本大震災の影響で沖縄の菊栽培農家が大打撃を受けている問題では、最初に厚生労働省の担当官に、雇用調整助成金が菊栽培農家のパート労働者にも適用されるよう要件緩和を求めました。

農水省には、菊栽培農家が受けた被害の補償を求め、また、菊の価格安定化制度の創設御を求めて交渉。

さらに、農水省では、沖縄で優良品種としてして栽培されてきた台農5号というパパイアが、遺伝子組み換え作物であることが国の調査で判明し、全部伐採、出荷停止になっている問題で。伐採された分や出荷停止になった分の被害補償を国に求めました。そして、ハワイで開発された遺伝子組み換えのパパイアが輸入解禁に向けて動き出していることを批判し、中止を求めました。




政務官に、泡瀬干潟の中止を要請


厚労省担当官に、雇用調整助成金が菊栽培農家のパート労働者にも適用されるよう要件緩和を求めて交渉。




2011年6月3日金曜日

液状化の浦安市で調査

昨日は、宮城県から千葉県の浦安市に移動。

3月11日の大地震で起こった液状化について、地元の元木市議の案内で被害状況を調査しました。

傾いた家、陥没した道路や波打った道路、傾いた堤防など、埋立地の液状化の恐ろしさを痛感しました。

タクシーの運転手が、たまたま沖縄出身の上原さんでしたが、当時は、運転中で道路が波打って恐ろしかったと語っていました。

平坦な道路が今でも波打ち、同じ高さだったビルの玄関から50センチあるいは1メートルほど全体が陥没しています。

傾いた家も多く、すでに解体し、更地になった場所もあります。

去年建てたビルで、近々解体することになっている所もありました。

傾いた家をジャッキアップして修復している現場も見せてもらいました。

2000万円ほどの費用がかかるとのことでした。

元木市議の家も傾いたいました。






大きく傾いた堤防



ジャッキアップしている現場


2011年6月2日木曜日

被災者宅の、れき撤去、泥だし、家屋の修理/現地からの報告

昨日は、終日、被災宅のがれき撤去、泥だし、家屋の修理の支援活動に参加しました。

朝6時に仙台市を出発、石巻市の日本共産党災害救援センターへ。

全国からの支援食料などを、小袋に仕分けする作業を手伝う。

8時半、全国からのボランティアが「食糧・物資のお届け隊」と「がれき撤去・泥出し隊」にそれぞれ配置され出発。

県議団は、がれき撤去と泥出し作業につくことになり、全労連や民主団体で構成する「災害対策連絡会議」(略称・災対連)のボランティアと合流。

被災地から、泥出し、引っ越しなど様々な依頼が寄せられているという。

私たちが向かったのは、市内の建売住宅街。

一面が無残な姿。

依頼のあったのは車いす生活のKさんの住宅。

9時、現場着。

2階建てだが、一階の天井まで水が襲来したという。

かろうじて2階に避難して一命をとりとめたという。

周辺の平屋建物の方々は犠牲になり、この路地だけでも6人が亡くなったという。

目の前に、2人が亡くなった平屋の住宅が・・・。

Kさん宅の車庫、庭、玄関はいたるところから流れ着いた、大型タイヤ、冷蔵庫などがれきと泥の山。

修繕すれば、住めるとのことで、帰宅を決意したという。

それにしても、どこから手をつけていいのか全く分からないような惨状。

Kさんや、応援に来た兄弟も呆然としている。

これで立ち直れるのかとの一抹の不安に駆られる。

支援隊は、20人ほどだが、がれき撤去と、一階の水浸しになった壁はがし、床はがし、床下の泥出しの2班に分かれて作業開始。

延々とがれき撤去。

私は、嘉陽団長と他の10人ほどと壁はがし作業に。

バールを持ってなれない作業で、骨組みは傷をつけてはいけないので神経も使う。

高い場所も、腰掛けや机に上っての作業でけがをしないように気をつけないといけない。

壁は石工ボードが主で埃が目に入らないようにゴーグルをつけての作業だ。

断熱材も使用されているので、吸い込まないように細心の注意が必要。

3時ごろまでかかって、壁はがしはめどがついた。

床はがしも台所からかかった。

床下は、5センチほどの泥がたまっている。

ヘドロ、重油などが混じっているといい、匂いも鼻をつく。

住宅再建には、この泥の撤去が必要である。

泥は、スコップで書き出していたが、粘土のようになっていたので、手でそのまますくった方が効率的だった。

4時にその日の作業は終了。

翌日また、他の支援の人々で作業に来るという。

周りには、このような仕事がいっぱいある。

政府はいったい何をしていいるのかと怒りがこみ上げてくる。

今日、作業従事している、Kさんの親戚か友人なのか定かではないが、その方も失業しているという。

このような地元の人々を、政府として、がれき撤去、泥出し作業などで雇用すべきである。

そうしてこそ、再建への意欲も、希望も出てくるというものである。

玄関先、車庫、庭のがれきはきれいに撤去され、壁はがしも終了。

呆然としていたKさんたちにも少しばかり笑顔が見えた。

これからの再建、復興に、ほのかな希望の光が見えたのであればうれしいなと思いつつ現場を後にした。

日本共産党の災害支援センターも、この高さまで津波が押し寄せた。


出発前のボランティアの振り分けと打ち合わせ


がれき撤去作業


壁はがし作業に従事。修復するので、骨組みは傷をつけないように注意。右が渡久地修


高いところはけがをしないように慎重に。


石工ボードが主だが、水にぬれて痛んでいる。


床をはがして床下のヘドロを撤去。真ん中が渡久地修


休憩中




2011年6月1日水曜日

これは現実なのか、被災地の状況に絶句/現地からの報告

これは本当に現実なのか。

こんなことがあっていのか。

一瞬で日常が奪われた人々の生活。

ここで多くの人の命が消えた。

石巻市、女川町の被災地の現実はなかなか受け入れきれないほどの惨状だ。

声も出ない。

ただただ涙するだけ・・・。

日本の国の総力をあげて救援にもっと力を・・・。

政府は何をしているのか・・・怒りも出てくる。

日本共産党の震災救援センターでは、全国からボランティアが忙しそうに動いている。

若い仲間たちの元気よく動く姿に励まされる。

私たちも、地元の水沢市議や、東京、宮崎、神奈川をはじめ全国からのボランティアと一緒に、トラックに支援物資を積んで被災地での支援活動を行った。



震災前のきれいな街並みの写真が公園に掲示されていた。



きれいな街並みが一瞬で消えた。



ここには住宅が建ち並んでいたという。



津波の破壊力のすさまじさ。


このおもちゃで遊んでいた子はどうなったのだろうか。



日本共産党震災支援センターに沖縄からの黒糖、サーターアンダギーを届ける。



すべてが流されたという。
野菜、コメなどの食糧、日用品など全国からの物資を被災地で届ける。
ハンドマイクで呼びかけると、すぐに多くの人々が出てくる。