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2010年1月31日日曜日

普天間基地の閉鎖・撤去、海兵隊撤退を求めた12月議会質問

12月議会での一般質問の模様をこのブログに貼り付けてみました。
私のPCでは、写っていないので、そのため、これまで貼り付けていませんでした。何かの不具合なのでしょう。
他の方に確認するとちゃんと写っていますよとのことなので、とりあえず、アップロードしています。
原因がわかる方は教えてください。

普天間基地の閉鎖・撤去は改めて大きな課題になっていますので、多くの方に見ていただきたいと思います。


思いやり予算の廃止、普天間基地の撤去を求めた9月議会での質問

��月議会での一般質問の模様をこのブログに貼り付けてみました。
私のPCでは、写っていないので、そのため、これまで貼り付けていませんでした。何かの不具合なのでしょう。
他の方に確認するとちゃんと写っていますよとのことなので、とりあえず、アップロードしています。
原因がわかる方は教えてください。

米軍が沖縄・日本に居座る続ける大きな理由に、思いやり予算をはじめとして、米軍基地の維持費の75%から80%近くを日本政府が出していることがあります。
普天間基地の閉鎖・撤去は改めて大きな課題になっていますので、多くの方に見ていただきたいと思います。


2010年1月30日土曜日

御茶屋御殿の復元を/新春の集い/かぎやで風(動画)

戦争で焼失した御茶屋御殿の復元をめざす期成会の新春の集いが行われた。

琉球王朝時代の迎賓館に相当するもので、中国の冊奉使や在藩奉行などを招いて祝宴を開いたのが御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)である。

沖縄戦で焼失した貴重な文化遺産の一つである。

この復元をめざして復元期成会が結成され運動を行っている。

現在、国・県・市でワーキングチームもできて、遺構調査も終わり復元へ動き出している。

私は、戦争をおこした国の責任で復元すべきだとこれまでも議会で取り上げてきた。

今日は、その新春の集いだった。

会長の宮里朝光先生は、私の中学校の恩師にもあたる。

戦禍のあと首里に帰ったら、すべてががれきになり、焼けた木だけがたっていて、声も出ず涙をながすのみだった。着るものもなく、庭などをほって埋めてあったものも米兵に略奪され、何も残っていなかった。サンシン(三味線)が2丁だけ見つかったので、広場に小屋をつくりサンシンをひいて生き残った人々と励ましあった。そして、散逸した文化財を拾い集めたと語っていた。

先生は、琉球文化がどんどん失われていくことに憂いを覚えているという。

毎年の新春の集いでの、貴重な琉球の文化を後世に伝えようとがんばっておられる先生の話を聞くたびに、うちなーんちゅ(沖縄人)の誇りを強く感じるときでもある。

先生が元気なうちに復元を実現したいものである。

下に、写真を掲載します。

写真の次の動画は、この集いでの琉球の祝儀舞踊の一つである、「かぎやで風」です。ご堪能ください。



御茶屋御殿前景



唯一残った、石造獅子



宮里先生と





2010年1月29日金曜日

消防訓練で議会に入れず

今日、議会に2時ごろ出かけてい行ったら消防訓練の真っ最中だった。

訓練中は議会に入ることもできない。

車を近くに止めて、訓練の模様を見学することにした。

コンパクトカメラのビデオで訓練の模様を撮影したが、ネットへのアップがうまくいかなくて、まだ公開できてはいない。

はしご車で救出する訓練だったが、消防力の強化は重要な課題である。

しかし、現実は予算がどんどん削減されて消防職員も国基準からして大幅に少ない配置である。

こんなことではいけないと議会で何度も取り上げていいるが、大きな県民世論にしていくことが必要である。

今日の訓練の模様をネットで公開できるようにしたいと思っています。

2010年1月28日木曜日

地殻変動の予感/新たなたたかいのはじまり

 「地殻変動の予感」…、名護市長選挙をともにたたかった実感である。

 現職市長が強い地域で街頭から訴えていると、保守の市会議員が近寄ってきて、「私にも訴えさせて」とマイクを握った。「辺野古への新基地は絶対につくらせない。公平・公平な市政を実現しよう」。同じ日の夕方、訴えていると、男性が近づき外間元県議と握手し話し込んでいた。元自民党の県議で今度は応援すると語っていたという。投票日前日には、訴えをじっと聞いていたお年寄りが、「今度は稲嶺さんに入れる。息子が那覇から現市長の名刺を持って来たが、もう騙されないと返してやった」といいながら、息子の自慢話をした。息子の名を訊ねると、自民党の那覇市議だった。このような話が各地から寄せられた。

 13年前、名護市民は新基地の是非を問う市民投票で、辺野古新基地建設ノーの意思をきっぱりと示した。しかし、当時の自公政権とつながっていた市長は、市民投票の結果を踏みにじって新基地建設の受け入れを表明し市長職を辞任するという暴挙にでたのだった。市民の混乱と苦悩の始まりだった。市民、家族に分断が持ち込まれた。政府は、新基地建設を押しつけ、受け入れなければ振興策はやらないと「アメとムチ」の政策で脅し、懐柔してきた。この10年間で400億円から600億円近くが名護市に投入されたという。基地との引き換えの振興策は、基地を造るのが目的で、市民のくらしや福祉などは2の次3の次。結果は、失業率は12.5%、商店街はシャッター通りとなり、建設業など33社も倒産したという。潤ったのは、本土ゼネコンと一部の特定企業だけだったという。

 基地に頼った振興策ではくらしは良くならない、基地に頼らない名護市の振興を進めよう。この訴えは日増しに市民の心をとらえた。基地の問題も、辺野古の新基地は海兵隊の出撃拠点づくりが狙いである。海兵隊は日本を守る軍隊でも抑止力の軍隊でもない侵略の軍隊であり、普天間基地は即時閉鎖・撤去させるべきであると訴え続けた。

 もうこの基地問題を終わりにしよう。国策で翻弄されるのはもうこりごり、辺野古新基地建設は認めない、基地に頼らない名護市の振興を進めようと、保守、革新、無党派の人々の団結が実を結んだ。
 
 政府は、辺野古新基地建設と県内移設を即刻断念すべきである。新たな基地建設を県民は決して許さない。

 名護市の未来、沖縄の未来を切り開く、新たなたたかいがはじまる。

春の訪れ

我が家の裏の桜の花が咲き、メジロがさえずり春の訪れを告げていました。



















2010年1月27日水曜日

平野官房長官に抗議する/「地元合意なく移設も」発言に怒り広がる

名護市長選挙で辺野古への新基地建設反対を公約に掲げた稲嶺進氏が当選したにもかかわらず、政府の平野官房長官は、地元の合意が得られない場合でも政府として移設先を決定する可能性を示唆した発言を行ったとマスコミが報道。

この報道に接し、「アメとムチで新基地を押し付けてきた自民党と何も変わらない」「自民党政権よりひどい」「辞任を求める抗議決議を」といった怒りの声が多数寄せられた。

一体、この政権は何なのだろうか。

政治を変えたいという国民の願いによって誕生したのに、国民、県民、市民の願いに反してアメリカの顔色をうかがい、辺野古への新基地建設を強行しようというのか。

これ以上、県民、名護市民を翻弄することはやめて、きっぱりと、辺野古新基地建設と県内たらいまわしは断念すべきである。

名護市民の13年間の苦難に満ちた歴史の中での今回の審判と、県民の基地なくせ、平和への願いをもてあそぶような平野官房長官の発言は、沖縄県民の怒りをさらに広げることになることを知るべきである。