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2009年9月7日月曜日

浦添市のマンション廊下崩落現場を調査

��月3日に起きた、浦添市のマンション2階の廊下が崩落した現場を県議団、浦添市議団と共同で調査して来た。

��階の廊下がそっくり崩落して車を押し潰している。

原因は、コンクリートに海砂を使用したことによる腐食、劣化と強度不足などが指摘されている。

復帰前後の建築ラッシュで、当時は、海砂が大量に使用されていたという。

このマンションの別の棟も、危険として避難勧告が出されているとのことである。

那覇市などでは、復帰前後に、課題過密校解消のためもあって、学校の建設が進められてきた。市議時代から、小中学校の老朽校舎改築に全力を挙げてきたが、沖縄中の老朽校舎の改築問題はいよいよ急がなければならない。

また、学校だけでなく、公共施設、民間の住宅を含め、この問題は沖縄の大きな課題となっている。

けが人がいなかったことは幸いだが、住居を失った人々の今後の生活再建、住宅再建などについても行政の対応が求められる。



崩落現場



隣の住民から話を聞く、西銘県議と渡久地修

2009年9月6日日曜日

沖縄戦の現場に遭遇、絶句/戦争を美化し、正当化することは許されない

20代のころからの知り合いの高江洲さんが、沖縄戦での遺骨収拾をしているので、一度現地を見てほしいと誘われていたが、選挙などがかさなり延び延びになっていた。

今日、やっと現地を訪れることができた。

西原町幸地。

コンビニで待ち合わせをして、迎えに来てくれた車を誘導されて現地にむかった。

幸地城の跡らしく、太平洋から東支那海までが見渡せる高地になっており、素人目にも戦闘の要衝だと理解することはそんなに難しくない地形である。

その高地から、東側の斜面にむかって下り、畑を横切り、林の中を下っていく。

足元も危なっかしくてロープを伝って何とか下っていく。

すると、斜面の途中にニービ質の土の塊の中で作業している一団がいた。

私の前を降りていた若い夫婦が、もくもくと作業している男性に声をかけてあいさつしていたようだが、その現場を見たとたんに女性のほうが絶句しすすり泣きの声が聞こえてきた。

続いて降りた私の目に入ったのは、もくもく何かを掘っている高江洲さんとガマフヤーの具志堅さんだった。

「高江洲さんごくろうさん」と声をかけて近寄ると、その光景には絶句してしまった。

5人の人間の骨がそこに横たわっているではないか。

無残な姿で。

ニービ質の土の中からほぼ完全な姿で日本兵(遺骨収集をしている具志堅さん、高江洲さんらの話)の人骨が表れている。

一体は、手榴弾か何かを浴びたのか頭と体がバラバラにとびちった姿であるが、残りの4体はほぼ完全な姿である。

仰向け、うつ伏せ、足は折れ曲がるなど正常な体型ではない。

胸や頭などに銃弾の跡があるとのことである。

この光景に、しばらくは声も出ない。

初めて目にする戦争の現場だ。

人骨の状況や、米軍の銃弾などから、この壕のなかで抵抗し、外側から多数の銃弾を撃ち込まれ、また、爆発物を投げ込まれたらしいとのことでる。

西原町幸地には、日本軍の「独立混成第22連隊第一大隊」が駐屯していいたとのことで、この部隊の日本兵ではないかとのことである。

5人のうち一人は、身長や骨の成長度合いからして、10代の若者ではないかとのことである。

学徒兵ではないかと話していた。

水を飲んでいる最中か、あるいは最後に水を飲もうとしたのか、アルミ製のヤカンがあり、一人の兵隊の手には湯呑が握られていた。

彼らは、なぜここで死ななければならなかったのだろうか。

沖縄戦は、本土防衛のための持久作戦として決行され、捨石にされたのである。

この沖縄線の現場を見ると、戦争を美化し、正当化することはできなはずだ。

なぜ、こんなむごい死に方をしなければならならないのか。

ただただ茫然と立ち尽くしてしまう。

我に返り、せめてもの供養にと、靴を脱ぎ、素足になって、木べらと刷毛をかりて日本兵を土の中からだしてやる繊細な作業をしばらく手伝った。

いかなる理湯があろうと、戦争は絶対に起こしてはならなし、ましてや、美化し、正当化することは絶対に許されない。

高江洲さんや、具志堅さんらは、この日本兵の名前をできるだけつきとめて、遺族のもとに帰してやりたいと語っていた。

この地では、今年の3月からすでに25体の遺骨を収拾したという。

戦後64年、この沖縄には、まだまだ多くの戦争犠牲者がそのまま放置されていることだろう。

この遺骨収拾もこのようなボランティア任せでいいのだろうか。

戦争を起こした国の責任で、最後まで責任を負うべきである。

一日早く故郷、遺族のもとに帰れますように。

合掌。



高江洲さんや具志堅さんらの了解を得て、一日でも早く遺族のもとに帰れるようにと写真を公開しています。
頭上に光っているのはアルミ製のヤカン。そのそばの白いのは一人の兵隊の握っている湯呑。




2009年9月5日土曜日

新しい歴史の幕あけ/街の声から

総選挙の結果は、国民に新たな希望を与えている。

政治が変わる予感を与えている。

今日も、いろんな方々からいろんな意見をいただいた。紹介すると、

20代男性
いままで選挙に行っても政治は変わらないと思ったし、そういう体験もなかった。初めて自分たちの一票で政治を変えることができるということを体験した。
多くの同世代の人は、そう思っているはずだ。これは大きなことだと思う。

50代女性
とにかく、変えてみないといけない。みんな変えようと動いたと思う。自民党にはうんざりだった。でも民主党ってほんとに大丈夫。沖縄の民主党も2つに割れている。辺野古の基地はどうなるのかしら。

50代女性
共産党が赤嶺さんの議席を守ってよかった。これからうんと働いてくださいね。

60代男性
世の中が変わるだろう。自民党はあまりにもひどかったから。でも沖縄の辺野古の基地はどうなるのかな。共産党が基地問題をもっと全国的な問題にしていく大きな役割があるのではないか。これからは、選挙中に行っていた「建設的野党」というのがとても大事になるのではないか。

70代男性
自民党をやっつけてうれしい。これから政治が変わるだろう。

とこんな意見あった一方、

70歳女性
とにかく変えよう。共産党は政権をまだとれないから、今度は民主党に入れようという人たちが多かった。

と、働きかけや対話の弱かったところでは、民主党に流れていたことも判明している。

この選挙は大きな歴史の一歩である。

本当の意味での国民こそ主人公の政治の実現めざし、日本共産党ががんばりが求められている。


2009年9月4日金曜日

沖縄タイムス・記者のメモ/自転車でも街頭演説

今日も、自転車での街頭宣伝を6か所で行ってきましたが、今朝の沖縄タイムスの「記者のメモ」に登場しています。

赤嶺政賢衆院議員をはじめ幾人かから新聞を見たよと電話があるなど、結構読まれているコーナーです。

歴史的な選挙、自公政権が退場しましたが、国民こそ主人公の政治へ幕開けであり、これからが私たち日本共産党の出番です。

その立場でがんばっていきます。

以下、今朝の記事の全文を紹介します。

記者のメモ

自転車でも街頭演説

〇…7月上旬から自転車移動を始めた渡久地修県議(共産・那覇市区)。地盤の首里地区は急な坂も多く、炎天下での移動は体力もいるが、「快適で健康的。腹周りも小さくなたのこれからも続けていく」と笑顔。衆院選を終え、地域で党の政策を訴える街頭演説も、自転車に小型の拡声器を付けて再開。10年以上前から続けている活動といい「これからも『建設的野党』の立場を訴えていく」と強調。自公政権から民主党中心の政権に変わっても追及は緩めないようだ。




2009年9月3日木曜日

許せない/沖縄は米国の占領地ではない

選挙後、辺野古への新基地建設問題が新政権の重大課題に浮上している。

民主党が普天間基地の県外移設を貫き切れるかが注目されている。

日本共産党は、普天間基地の閉鎖・撤去、基地の県内たらいまわし反対、新基地建設反対で一貫している。

この民主党の県民への約束を守るかどうか、県民はもとより、全国も大きく注目している。

ところで、この問題をめぐり、アメリカ政府高官らが相次いで、辺野古への新基地建設は、国家間の約束であり、改めて日本政府と話しあうことはないとくぎを刺す発言が相次いでいる。

今日も、アメリカの日本部長が同様の発言を繰り返している。

この日本部長は、沖縄総領事のころから問題発言を繰り返し、沖縄をアメリカの支配地、占領地と思っているとしか言いようがないほど沖縄県民を侮辱しているとして多くの県民から批判されてきた人物である。

テレビを見ていて怒りがわいてくる。

アメリカへの日本政府の従属的な態度に対して、沖縄県民はきっぱりとノーの審判を下し、辺野古への新基地建設推進の自民党は全滅させたことを知らないのか。

沖縄県民がいつまでもアメリカいいなり、日本政府言いなりで基地を押し付け続けられることに我慢できなくなり、怒りが爆発したことをまだ自覚していないのか。

多くの県民、国民は自分たちの投票行動で政治が動かすことができる事を今度の総選挙で知ったのである。

振興策との引き換えや、いろんな手練手管で基地を沖縄に押し付けようとすることがもはや通用しなことを知るべきである。

新しくできる民主党中心の政権が、沖縄の新基地建設反対、普天間基地の封鎖、撤去で、県民に約束した通りに動くかどうか、県民は期待を寄せ居ているとともに、その動向を冷静に見ている。

私たちは、新基地建設反対、普天間基地の即時閉鎖、撤去のために全力を尽くすものである。

2009年9月2日水曜日

早くも民主党に試練/アメリカ言いなりから脱却できるか?

選挙で大勝して政権に就くことになった民主党。

沖縄の辺野古への新基地建設反対、普天間基地の県外移設を県民に公約してきた。

このことは沖縄県民が望んでいることであり、ぜひ実現させなければならない。

ところで、アメリカ政府は、普天間基地の辺野古移設合意は譲らないと早くもけん制してきた。

まるで占領者のようだ。

私たちは、自公政治を終わらせた後の日本の進むべき方向は、アメリカ言いなりの政治、大企業言いなりの政治から抜け出してこそ、国民こそ主人公の政治が実現できると訴えてきた。

辺野古新基地建設反対、普天間基地の県外移設を約束してきた民主党が、アメリカ言いなりの今までの政治から抜け出せるか、多くの県民が見ている。

私たちは、民主党が基地の県内たらいまわしを許さず、新基地建設反対、普天間基地の撤去で頑張ることを望むし、そのための県民の団結を呼びかけるものである。

しかし、アメリカ言いなりになって、基地の県内たらいまわしを進めることは断じて容認できない。

新しい政権がしっかりと、アメリカにものをいい、ぜひ新基地建設断念、負担ま基地の撤去を実現してもらいたい。

今朝の新聞報道を見る限りでは、沖縄県などにその責任を転嫁するようなことはせずに、民主党政権として、新基地建設断念、県内たらいまわしはやらないということをはっきりと表明すべきである。


2009年9月1日火曜日

赤嶺政賢さん比例16位

九州比例ブロック21議席中、赤嶺政賢さんは16位当選。

田村貴昭さんは31位とのこと。

田村さんまで押し上げるには、あと24万6831票必要とのこと。

もっと地力をつけることが必要だ。

民主に強烈な風が吹くもとで、沖縄でも共産党支持層からも民主に流れたと報道されているが、そう状況のもとで、前回並みの得票を獲得したのは、新たな支持層を獲得したということで健闘と評価できるのではと思う。

しかし、「対話すれば共産党を支持してもらえる。対話しなければ民主に流れる」との世論の動向の味方は当たっていたと思う。

日本共産党の力をもっともっとつけて行かなければならない。