ラベル

2009年2月6日金曜日

沖縄県民を代表して「基地なくせ」の声を浦添であげてほしい

激戦の浦添市長、市議選挙は明後日投票日です。

アメリカの新しい政権に対して、「基地はいらない」「米軍基地を撤去せよ」の沖縄県民の声を届けることが重要な時です。

そのときに行われる浦添の選挙で、基地なくせ、撤去の公約を堂々と掲げている日本共産党の市長候補、市議候補が勝利することが、県民の声を届ける確かな力になります。

また、自公の国民いじめの政治を変えていくためにも、市政でも、県政でも、国政での一貫して筋をとおしてがんばっている日本共産党をのばすことこそ、確かな力になります。

今日も一日、そのことを訴えてきました。

残された時間、必死で訴えて必ず勝利しましょう。

2009年2月5日木曜日

浦添市長選挙で日本共産党の勝利を

浦添市長選挙が今度の日曜日投票です。

日本共産党は、那覇軍港の浦添移設に反対し、キャンプキンザーの撤去を掲げています。

他の候補は軍港移設賛成、基地の県内たらい回し容認派。

暮らしの問題でも、他の候補は、自公政治推進派です。

日本共産党の勝利を勝ち取りたいものです。



2009年2月4日水曜日

ある仙人の死

私をいつも励ましてくれていたSさんが急死した。

��4歳だった。

以前に脳梗塞で倒れられて半身に麻痺が残っていたが、障害者用の電気スクーターで買い物にも出かけていた。

選挙でも不自由な体を押して応援に駆けつけてきてくれた。

いまの戦争を憎み、自民党政治を喝破し、日本共産党の躍進を願っていた。

そして私を励ましてくれた。

白いひげを長く伸ばし、世の中の不条理を説き、豪放磊落に笑う姿から、私たちの間ではいつしか「S仙人」と呼ぶようになっていた。

そのS仙人が、私は出張に急逝したとのことを帰って聞かされた。

出張の前には、電気スクーターにのったS仙人と出会い、会話も交わしたばかりだったのにと信じられない思いである。

昨日、初七日だったので焼香に伺ったが、気分が悪いといって床について、翌日の朝には冷たくなっていたという。

奥さんの「いい死に方ですよ」との言葉が唯一の救いの声に聞こえた。

まさに仙人のような旅立ちのようである。

S仙人の励ましの声を忘れずにがんばりますと遺影に誓ってきた。

合掌。

2009年2月3日火曜日

誤字

急いでいるとついついチェックをしないままブログの登録をしてしまい、読者から誤字を指摘されたり、後で自分で気がついたりと恥ずかしい思いをたびたびしている。

今日も、不発弾の処理と書くべきところを勝利と書いてしまって、読者から「選挙で勝利したい気持ちが強すぎることは重々承知しているがこれは誤字ですよ」と笑いながらの指摘があった。

なるほど、ワープロのキーボードならではの処理と勝利の間違いである。キーボードの「U」の一つを多く打ってしまうと「処理」が「勝利」になってしまう。

便利な機械が思わぬ誤字を生み出してしまう。

しかし、これはいいわけにしかならない。

とどのつまり正確にキーボードを操作していないだけなのだ。

ご指摘をいただきましたSさん、ありがとうございました。

もっと正確に打てるように修行します。

不発弾処理の避難半径の縮小が実現したときの記事

市議会議員時代に、2002年6月議会で、不発弾処理について取り上げてきました。

国の責任での処理を求めると同時に、沖縄県内での不発弾処理が他府県の倍以上の避難半径になっている事実を初めて指摘し、安全な処理方法を確立して避難半径を縮小し、市民負担を軽減するよう提案してきました。

翌年には安全な処理方法と避難半径の縮小が実現しました。

この時の議会での質問と、この提案が実現したときの、記事を掲載します。

ぜひご覧ください。

引き続き、国の責任による探査、発見、処理の実現にがんばります。

那覇市議会(当時)での不発弾に関する質問

 

縦6メートルの処理壕と周囲をライナプレートという鉄板で覆った
新しい処理方式。これにより避難半径が半分に縮小された。
写真、処理壕底の右側にあるのが艦砲弾の不発弾。

2003年の赤旗記事はこちらをクリック

2003年沖縄民報の記事

2009年2月2日月曜日

臨時県議会で、不発弾処理に関する意見書を全会一致で採択

1月14日に糸満市で起きた不発弾爆発事故に関して、今日県議会は臨時議会を開催して、国の責任を明確にして対処するように意見書を全会一致で採択しました。

��、意見書では、国の責任において速やかに完全補償を行うこと。
��、不発弾等の爆発事故においては、新たな補償制度の創設など、国の責任において対応すること。
��、県内の不発弾の発見、および処理にかかる費用に関しては公共、民間を問わず国の負担とすること。
��、不発弾探査基準見直して、民間工事を含め、時期探査の義務づけ、探査等の徹底

などを求めています。

日本共産党はこれまで一貫して不発弾の発見、処理に関しては、戦争を起こした国の責任で行うように求めてきました。

私も、市議会時代から、このことを一貫して取り上げ、政府要請にも毎年のように行ってきました。

また、不発弾処理二関しては、安全な方法をとりながら避難半径を縮小して、市民の負担を軽減するように提言してきました。
この避難半径の問題では、この提言を受け、新しい処理壕方式がとられて避難半径が半分に縮小されました。

引き続き、国の責任による不発弾の発見、処理の実現にがんばります。

糸満市での不発弾爆発での老人ホームの被害はここをクリックして動画でご覧ください。

2009年2月1日日曜日

新春のつどい

昨日と今日は新春の集いが続きました。

昨日は、午前が御茶屋御殿復元期生会の新春の集いでした。

すばらしい歌三線と宮里朝光先生の講話に改めて琉球文化のすばらしさを実感しました。

午後は医療生協首里支部の新春の集い。

今日は、午前中は浦添市長選挙、市議選挙での日本共産党候補の出発式に参加。

午後からは、医療生真和志支部の新春の集いを皮切りに、儀保町自治会の新年会、末吉町の合同成年祝いとお祝いが続きました。

それぞれが、今年の健康と繁栄、長寿を祈念したものでした。

出張続きで時間に追われ、心にもゆとりがなくなっているときだっただけに、和やかな気分になりました。

また、みんなから元気をもらってがんばります。




御茶屋御殿復元期生会の宮里朝光先生と。ちなみに先生は中学の時の恩師です。



末吉町の成年祝い。四つ竹の琉球舞踊にうっとり。