ラベル

2008年3月7日金曜日

ガードレールを食べちゃったホルトの木

自然の力や不思議さに驚かされることは多い。

ホルトの木がガードレールを食べちゃったことにも驚かされる。

��つの写真を見てほしい。

ここまでになるのに何年になるのであろうか。

最低5年以上、いやもっとなると思うが、一度役所に確認してみようと思っているが、このブログを見ている市の市道関係の担当者がいたら教えてください。

それにしても、このガードレールの味はいかがなものなのか?

場所は、那覇市識名の市霊園前の市道。

興味のある方は一度見学してみては?




2008年3月6日木曜日

日本共産党演説会でのとぐち修の決意表明

昨日の日本共産党演説会で、とぐち修の決意表明は次の通りです。

外間久子さんの後継ぎの渡久地修でございます。

私が日本共産党と出会ったのは、沖縄が本土に復帰した年でした。1972年に行われた11月の衆院議員選挙で瀬長亀次郎さんの選挙を泊まり込みで応援したのがきっかけでした。

翌年の当時の沖縄人民党の機関誌、「人民」の正月号の若者の対談特集に、私が登場していますが、私は、「沖縄から基地をなくすためにがんばって行きたい」と述べています。19才でした。

私は、それから今日まで、みなさんと一緒に、基地のない平和で暮らしよい沖縄をめざして一筋にがんばってきました。

今、沖縄で、教科書検定問題、米兵による中学生暴行事件、大増税など、身の回りに起っている事態、平和の問題でも、くらしの問題でも、県民の願いと、私たち日本共産党のめざす方向が同じ方向に向っていることを日々、痛感しています。

1972年当時は、自民党が国会でも、単独過半数で政権を握っていましたが、今では、公明党の支援がなければ、選挙も政権も維持できないようになり、それも、去年の参院選では、国民、県民から批判をうけ大敗北しました。

去年の教科書検定撤回を求める県民大会、今度の暴行事件への県民の闘いなど、主権者である国民、県民が起ち上がれば、政治を大きく動かすことが出来るということも日々示しています。

今、政治を変えようとの声をもっともっと大きくあげることが重要になっています。

同時に、その県民の願いに応えてがんばることのできる政党を国政でも、県政でも強く大きくすることが決定的ではないでしょうか。

私は、踏みにじられてきた沖縄県民の怒りと願いを胸に、平和と暮らしを守るために県政で、みなさんの代弁者として、那覇市議3期11年の経験を生かし、日本共産党の一員として、全力でがんばります。

どうか私を必ず県政へ送り出してください。

みなさんの大きなご支援を心からお願いします。


市田書記局長と6人の県議予定候補ら。左から2人目がとぐちおさむ。


決意を表明するとぐちおさむ





2008年3月5日水曜日

日本共産党演説会

今日、県議選挙・総選挙の勝利めざして日本共産党演説会が開催され、約1000人近くが参加しました。

市田書記局長の話はわかりやすいと評判でした。

私も決意を表明しました。

知り合いにカメラをあずけて写してほしいと頼んでいましたが、一枚も写っていません。

デジカメの操作を知らなかったのかもしれません。

残念ですが、後日、他の人から画像をもらってから報告します。

2008年3月4日火曜日

明日、日本共産党演説会

明日は日本共産党演説会です。

市田書記局長が参加しお話しします。

私も決意表明をします。

どのような話しをしようか今考え中です。

明日、那覇市民会館です。多くの方のご参加をお願いします。

2008年3月3日月曜日

那覇市役所の桜、満開終わる

那覇市役所の桜が満開を過ぎようとしています。

おそらく今日がピークでしょう。

小さなサクランボの実もつけ始めているので、もうも納めと言うところでしょう。

今回は、ほんとに見事なまでの開花で、市議会でも幾人かの議員が紹介していました。

今日もメジロと、カメラをもった人々が訪れていました。



2008年3月2日日曜日

沖縄県民大会の成功を

沖縄の県民大会が、「あらゆる米兵による事件・事故に抗議する県民大会」との名称で開催されることになりました。

自民党県連は参加しないことを決めたと報道されていますが、このことに対して、県民からも批判の声が上がっています。

繰りかえされる米兵の暴行事件や事故、もう県民は黙っているわけにはいけません。

私たちは一致団結してその成功にがんばります。

そして、沖縄から基地を撤去させることこそ、本当の意味での事件・事故の再発防止であることを訴え続けていきます。

2008年3月1日土曜日

基地あるが故に翻弄される続ける沖縄の実態

今朝の新聞で、基地あるが故に翻弄され続ける沖縄の実態がまた浮き彫りになった。

一つは、暴行された被害者の中学生が告訴を取り下げ、米兵が釈放されたとの事が報道された。

一部週刊誌の記者が被害者宅まで取材に押しかけ、被害者を非難する記事を書いたと報道されている。

被害にあったのは、純真で人を疑うことを知らない未成年どころかまだ幼い中学生である。それを言葉巧みにだまし、追いかけ、拉致し暴行した米兵の残額非道な行為を非難するのではなく、被害を受けた中学生が悪いと避難する行為は、その人の人間性を疑わざるをえない。

昨日も、女性後援会のハンドマイク宣伝に対して、ある女性が被害を受けた中学生が悪い、米兵は悪くないとかみついてきたという。

県民の基地をなくせという県民の世論の高まりをおそれ、今回の暴行事件の根源である基地から県民の目をそらせようと、意識的に中学生が悪いと言っている卑劣な勢力の陰が見えてくる。

中学生や家族がその重圧に耐えられなかったのだと新聞では識者などが語っていた。

異常な基地の重圧、いつまでも県民はそれに耐えなければならないのか。

いつまで繰りかえされなければならないのか。

もう、県民は黙ってはいない。基地の撤去へと向かって立ち上がる時である。