先週、真地団地の住民から、「畳床が痛んで取り替えてほしいとの要望を出しているが、なかなか聞いてもらえないので何とかしてほしい」との要望が寄せられました。
この市営団地の畳の取り替え問題は、私も3年目に議会で取り上げ、市の部長も「畳床が劣化しているものは市として取りかえる」との答弁をもらっていただけに、すぐに調査しますと返事しておきました。
昨日、議会の決算委員会審査を終えての3時から、我如古市議と、市の担当とともに要望のあった4世帯を見て回りました。
築28年程度たっているとのことで、畳床が一度も取り替えていない所は、かなりデコボコしていました。
ほとんどの部屋がこんな状況とのことで、計画的な取り替えが求められています。
この調査を元に、市としては、要望のあった4世を畳屋さんに再度調査してもらい、必要な所は取り替えることになりました。
ただ、市としては、表替えの分は自己負担になるとのことでした。
生活が苦しい中で表替えの分の支出は大変な世帯もあり、これをどうするかが今後の問題として残されました。
一歩前進ですが、さらに要求実現のために奮闘しなければならないと思っています。
2007年10月6日土曜日
2007年10月5日金曜日
ブログアクセス1万件を突破
本日、このブログへのアクセスが1万件を突破しました。
��月7日に開始してから4ヶ月弱ですが、何とかほぼ毎日更新に努力してきました。
��日の最高アクセス件数は176だったと思います。
まだ1日200件には達していませんが、これからも様々な情報を発信していきたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
��月7日に開始してから4ヶ月弱ですが、何とかほぼ毎日更新に努力してきました。
��日の最高アクセス件数は176だったと思います。
まだ1日200件には達していませんが、これからも様々な情報を発信していきたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
2007年10月4日木曜日
那覇大綱挽が1週間延期に! 残念
恒例の那覇大綱挽が台風15号の接近のため1週間延期になりました。
��4日の日曜日になりました。
この大綱挽は、1944年の10月10日のいわゆる10・10空襲の日にちなんで、平和な那覇市を願って開催されたのが始まりでした。
台風で延期になるのは初めてではないでしょうか。残念です。
今、教科書検定問題が起きているだけに、単なる那覇市の最大のお祭りというだけでなく、その大綱挽の由来などもこの機会に多くの人に知ってもらいたいものです。
��4日の日曜日になりました。
この大綱挽は、1944年の10月10日のいわゆる10・10空襲の日にちなんで、平和な那覇市を願って開催されたのが始まりでした。
台風で延期になるのは初めてではないでしょうか。残念です。
今、教科書検定問題が起きているだけに、単なる那覇市の最大のお祭りというだけでなく、その大綱挽の由来などもこの機会に多くの人に知ってもらいたいものです。
去年の那覇大綱挽
2007年10月3日水曜日
沖縄県民大会。東京に直したら100万人が参加したことに。
今日、県民大会の実行委員会の代表が急遽上京し、文科大臣に検定意見の撤回を求めた。
報道によると文科大臣は、検定意見の撤回を拒否したとのことである。
そして、教科書会社の訂正申請で記述の修正を図ろうとしているらしい。
まさに、姑息な手段であり、政府の検定意見をつけた責任は棚上げにして、すべてを教科書会社の責任にしようとしているようである。
報道によると、県知事などは政府の態度を評価しているようだが、それでは問題は解決しない。
検定意見をそのまま存続させたままの修正などということは、検定意見を容認したことになってしまう。
県民大会が求めているのはあくまでも、検定意見の撤回による記述の復活である。
県知事をはじめ、実行委員会の代表はこの立場を明確にすべきであり、絶対に妥協してはならない。
撤回以外の妥協の道はない。政府の姑息な手段に翻弄されないように、沖縄戦での県民4人に一人が犠牲になった歴史の重みを私たちはしっかりと認識して、最後まで団結して頑張る必要がある。
政府は、沖縄県民の怒りを過小評価してはいけない。たんなる駆け引きなどでことを納められると思ったら間違いではないだろうか。
県民10人に一人が参加した県民大会。東京に直したら100万人の大集会である。このことを知るべきである。
民意に逆らう政府は、早晩、国民から見放されることを参院選挙では示されたと思うが、もう忘れたのだろうか。
報道によると文科大臣は、検定意見の撤回を拒否したとのことである。
そして、教科書会社の訂正申請で記述の修正を図ろうとしているらしい。
まさに、姑息な手段であり、政府の検定意見をつけた責任は棚上げにして、すべてを教科書会社の責任にしようとしているようである。
報道によると、県知事などは政府の態度を評価しているようだが、それでは問題は解決しない。
検定意見をそのまま存続させたままの修正などということは、検定意見を容認したことになってしまう。
県民大会が求めているのはあくまでも、検定意見の撤回による記述の復活である。
県知事をはじめ、実行委員会の代表はこの立場を明確にすべきであり、絶対に妥協してはならない。
撤回以外の妥協の道はない。政府の姑息な手段に翻弄されないように、沖縄戦での県民4人に一人が犠牲になった歴史の重みを私たちはしっかりと認識して、最後まで団結して頑張る必要がある。
政府は、沖縄県民の怒りを過小評価してはいけない。たんなる駆け引きなどでことを納められると思ったら間違いではないだろうか。
県民10人に一人が参加した県民大会。東京に直したら100万人の大集会である。このことを知るべきである。
民意に逆らう政府は、早晩、国民から見放されることを参院選挙では示されたと思うが、もう忘れたのだろうか。
2007年10月2日火曜日
「那覇市決議で火」・・・日経新聞が教科書検定問題で報道
29日の11万人の県民大会が政府を突き動かしつつある。
そんな中、9月30日の日本経済新聞に興味深い記事が掲載された。
那覇市議会でこの問題に取り組んできたものの一人として感慨深いものがあったので、その記事の前半部分を紹介したいと思う。
以下が記事。
抗議、「島ぐるみ」に
那覇市決議で火
行政・教育トップ動く
文部科学省が検定結果を公表したのが半年前の3月30日。しばらくは、沖縄県内でも感心は低く4月22日の参院補選でも争点にならなかった。仲井真弘多知事は4月の段階では、日本軍の関与の有無について「断定することは難しい」と文科省と同様の見解を述べ、それが県内で問題視されることもなかった。
空気が変わりはじめたのは那覇市議会が検定意見の撤回を求める決議をした5月中旬以降。地元の2紙が抗議の記事を連日掲載する中で、全41市町村議会が撤回要求の意見書を次々と可決し、県議会も同調した。(以下略)
那覇市議会は、いち早く撤回を求める意見書を可決し、また、6月議会開会中は、検定前の本と検定後の本の展示会を議会として開催し、世論喚起に努めてきた。
ちなみにこの記事のコピーを届けてくれたのは自民党会派の幹部である。
教科書検定が新聞で報道されてすぐその日に、臨時議会の開催と抗議と撤回要求の意見書をと動いたものの一人として、「お互いにがんばったかいがあったな」「県都の議会として、大きなきっかけの役割を果たすことが出来たな」と労をねぎらいあった。
最初の意見書採択だっただけに、いろいろな苦労があったが、県民の立場で一致に向けてがんばった。那覇市民の良識と世論の後押しが全会一致へと結びついたと思う。
久高将光議長(当時・8月に交代)はじめ各会派の議員のみなさん、及び関係者と那覇市民に敬意を表するものである。
私たちは、党派を超えて、撤回までがんばろうと誓い合った。
県民大会は、様々な関係者のなみなみならない努力と一人一人の県民の思いが実ったものであり、特に、「集団自決」の生き残りの方々が重たい口を開き新たな証言を始めたことなどが大きな成功の要因であろうと思う。
那覇市議会の一員として、今回の県民の大きなたたかいの一助になれて光栄に思う。
沖縄県民は、これからも一致団結してがんばって行きたいものである。
そんな中、9月30日の日本経済新聞に興味深い記事が掲載された。
那覇市議会でこの問題に取り組んできたものの一人として感慨深いものがあったので、その記事の前半部分を紹介したいと思う。
以下が記事。
抗議、「島ぐるみ」に
那覇市決議で火
行政・教育トップ動く
文部科学省が検定結果を公表したのが半年前の3月30日。しばらくは、沖縄県内でも感心は低く4月22日の参院補選でも争点にならなかった。仲井真弘多知事は4月の段階では、日本軍の関与の有無について「断定することは難しい」と文科省と同様の見解を述べ、それが県内で問題視されることもなかった。
空気が変わりはじめたのは那覇市議会が検定意見の撤回を求める決議をした5月中旬以降。地元の2紙が抗議の記事を連日掲載する中で、全41市町村議会が撤回要求の意見書を次々と可決し、県議会も同調した。(以下略)
那覇市議会は、いち早く撤回を求める意見書を可決し、また、6月議会開会中は、検定前の本と検定後の本の展示会を議会として開催し、世論喚起に努めてきた。
ちなみにこの記事のコピーを届けてくれたのは自民党会派の幹部である。
教科書検定が新聞で報道されてすぐその日に、臨時議会の開催と抗議と撤回要求の意見書をと動いたものの一人として、「お互いにがんばったかいがあったな」「県都の議会として、大きなきっかけの役割を果たすことが出来たな」と労をねぎらいあった。
最初の意見書採択だっただけに、いろいろな苦労があったが、県民の立場で一致に向けてがんばった。那覇市民の良識と世論の後押しが全会一致へと結びついたと思う。
久高将光議長(当時・8月に交代)はじめ各会派の議員のみなさん、及び関係者と那覇市民に敬意を表するものである。
私たちは、党派を超えて、撤回までがんばろうと誓い合った。
県民大会は、様々な関係者のなみなみならない努力と一人一人の県民の思いが実ったものであり、特に、「集団自決」の生き残りの方々が重たい口を開き新たな証言を始めたことなどが大きな成功の要因であろうと思う。
那覇市議会の一員として、今回の県民の大きなたたかいの一助になれて光栄に思う。
沖縄県民は、これからも一致団結してがんばって行きたいものである。
2007年10月1日月曜日
11万人の叫びが政府を動かし始めた
沖縄県民の血の叫び、大地の叫びが政府を動かしつつある。
29日の11万人の最大規模の県民大会が衝撃となって政府を揺り動かしてきていることが、テレビで報道され始めた。
今日、テレビの各局が県民大会の模様などを特集で紹介している。
そして、総理大臣や文部科学大臣などもコメントするようになった。
しかし、いろんなコメントを聞いても本土と沖縄の温度差を感じる。
沖縄県民は、この問題は、歴史の真実を歪曲してはならない、歴史を正しく継承しようという当たり前のことを主張しているのであり、全国の子どもたちが学ぶ教科書の問題であり、全国民的な問題だと認識して立ち上がっている。
しかし、テレビなどのコメンテーターなどの話しの端々には、沖縄県民が怒るのは理解できるなど、自分達の問題ではなくて、あくまでも沖縄という特殊的な地域問題と思っている節が見え隠れする人もいる。
それでは、ことの本質を見誤ってしまうと思う。
これは、沖縄だけの問題ではない。全国民の問題である。このことを私たちはもっと訴えていかなければならないと思う。
さらに、あと10年後、20年後に再びこのような歴史の歪曲が起きないように、どうすればいいのか。そのことも考えなければならない。
あの戦争を明確に反省し、周辺国に謝罪し、再び侵略戦争を起こさないと誓い、周辺国の信頼を勝ち取っているドイツのことももっと学ぶ必要がある。
いずれにしても、まず、教科書検定意見の撤回を勝ち取ることから始めなければならないと思う。
29日の11万人の最大規模の県民大会が衝撃となって政府を揺り動かしてきていることが、テレビで報道され始めた。
今日、テレビの各局が県民大会の模様などを特集で紹介している。
そして、総理大臣や文部科学大臣などもコメントするようになった。
しかし、いろんなコメントを聞いても本土と沖縄の温度差を感じる。
沖縄県民は、この問題は、歴史の真実を歪曲してはならない、歴史を正しく継承しようという当たり前のことを主張しているのであり、全国の子どもたちが学ぶ教科書の問題であり、全国民的な問題だと認識して立ち上がっている。
しかし、テレビなどのコメンテーターなどの話しの端々には、沖縄県民が怒るのは理解できるなど、自分達の問題ではなくて、あくまでも沖縄という特殊的な地域問題と思っている節が見え隠れする人もいる。
それでは、ことの本質を見誤ってしまうと思う。
これは、沖縄だけの問題ではない。全国民の問題である。このことを私たちはもっと訴えていかなければならないと思う。
さらに、あと10年後、20年後に再びこのような歴史の歪曲が起きないように、どうすればいいのか。そのことも考えなければならない。
あの戦争を明確に反省し、周辺国に謝罪し、再び侵略戦争を起こさないと誓い、周辺国の信頼を勝ち取っているドイツのことももっと学ぶ必要がある。
いずれにしても、まず、教科書検定意見の撤回を勝ち取ることから始めなければならないと思う。
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【動画、1分16秒】 代表質問で沖縄県平和推進基本条例の提案を行いました。先日アップした動画をさらに短縮してみました。 #沖縄県議会 #日本共産党 #渡久地修