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2007年9月3日月曜日

8月20日の道路冠水解消の交渉での、土砂の浚渫が実現

真地の県立南部医療センター前の県道が大雨で冠水する問題で、8月20日に現場で、上下水道部長や市土木事務所長らと交渉を行いました。
その時、県道したの暗渠をふさいでいた市の排水路の土砂は急いで浚渫するとの回答でした。

8月30日には、土砂の浚渫が終わりましたとの連絡がありました。

今日、雨も降っていましたので早速状況を確認してきました。

土砂が撤去され、暗渠からは水が流れていました。しかし、下流側が未整備のため、流れがまだまだ不十分です。

県道の暗渠の断面拡大を含め、解決までがんばります。

 
 
8月20日の交渉
 

               浚渫が終わった市の排水路と暗渠

地すべり対策で現場調査

「地すべりの危険がある。先日の大雨の時も、大量の土砂が流れてきた。何とか対策を」と真地のNさんから昨日、相談を受けました。

早速、我如古一郎市議とともに、市の土木建築部の副部長らと連絡をとって、現場確認、対応について交渉を行いました。

市としては、市道に流れてくる雨水や土砂対策として、土嚢の設置、側溝へのグレーチング設置などの改善策をすぐ行うこと。また、市として、県に対して、地すべり危険区域としての対策を急いで申し入れることなどを確認しました。

地元のみなさんとも相談し、県に対する陳情など急いで対応していくことを話し合いました。


右から二人目が渡久地修市議団長

沖縄防衛局と外務省沖縄事務所に、F15戦闘機の未明離陸に抗議

先月8月28日未明に、F15戦闘機とKC10空中給油機が米本国に向け相次いで離陸。激しい爆音を巻き散らかしたことについて、沖縄防衛局と外務省沖縄事務所に抗議してきました。

いやはや、政府の人たちというのは沖縄県民の立場に立っているのか、それともアメリカ・米軍の立場に立っているのか、ほんとに腹のたつ対応でした。

特に外務省では、対応した副所長は、「大変深刻な問題」といって、沖縄県民の立場に立ったそぶりをみせながら、返す刀で、米軍は海側に向かって飛行するなど「それなりに配慮している」などと発言。「沖縄のみなさんにとっては不満でしょうが」といいながら、「国民の多数が日米安保条約を支持している」として、沖縄県民は我慢してくれと言わんばかり態度に終始していました。

「未明の爆音は住民の受忍限度を超えていると認識しているか」との問いに、防衛局の担当は超えていると認めましたが、外務省の副所長は、受忍限度にもいろいろあるので回答できないときわめて不誠実な態度でした。

また、8月30日の地元紙の朝刊に載った、嘉手納の屋良小学校での米軍機の墜落を想定した避難訓練につて、「こんな訓練をしなければならない学校が全国にあるのか。これぐらい危険にさらされていることを異常と思わないのか」と質しましたが、そんことが有ったことさえも知らないとのことでした。

結局、アメリカいいなり、米軍いいなりの政府の態度がありあり。
沖縄県民の立場にたった政府の出先機関ではなく、アメリカ、米軍が行動しやすいように県民を押さえる立場にいるのではとの思いを強くしました。
このような政治を変えましょう。
先の参院選挙のように、このような政治を変える大きなうねりを次の総選挙、県議選挙で示していきましょう。


外務省沖縄事務所で。左から真栄里県常任、渡久地修那覇市議団長、嘉陽県議、比嘉那覇市議

2007年9月2日日曜日

儀保町の敬老会。最高齢者は104歳。

私の住んでいる儀保町自治会の敬老会がありました。

��3歳以上の長寿の祝いを迎えられた方々が、140名余いらしゃるとのことです。

最高齢者は104歳の宮城さんだそうです。

沖縄のお年寄りのみなさんは、あの悲惨な戦争を体験し、戦後27ヵ年の米軍の植民地支配のなかで苦労し、子どもたちや孫達を育ててこられた方々です。

これからも、健康でさらに長寿をと祈って、自治会のみなさんみんなで祝いました。


糸数けいこ参院議員の激励会

先の参院選挙で見事勝利をした糸数けいこさんの激励会が、グランドキャッスルでありました。

自民・公明の安倍内閣の暴走にストップをかけた選挙戦だっただけに、この県民の意志を政府は重く受け止めるべきです。

民意に背き、相変わらず基地の押しつけの強行、教科書検定撤回の拒否など、県民の意志を無視し続けています。

これからも県民が力を合わせて政治を変えていこうと誓い合いました。

日本共産党を代表して赤嶺政賢衆院議員が挨拶しました。



  糸数けいこ参院議員      

 
赤嶺政賢衆院議員


 糸数さんと渡久地修


2007年9月1日土曜日

希望を感じた、若手作家のスライドショー

義理の甥が写真展を開催しているというので見に行った。

沖縄県立博物館・美術館開館記念プレイベントと銘打って、「島クトゥバで語る戦世」と若手作家スライドショーというもよおしものだった。

時間の都合で、若手作家のスライドショーを見たが、20代の若者達5人の意欲的な作品だった。

沖縄の自然と風土、生活、祭りなどに視点をあて、沖縄を見つめようとし、また、沖縄の現実に目を背けずに、その矛盾を発信しているように思えた作品だったと思う。

若い人たちが、いろんな視点で沖縄を真剣に見つめていることにふれると、沖縄の未来に希望が見えてくる気がしてくる。

これからも、いろいろな沖縄を見つめ発信してほしいものである。


最後に壇上から自己紹介していた若手作家のみなさん。
左から、新垣一也、山城知佳子、仲宗根香織、大屋玲奈、根間智子の各氏

純白の花、ドラゴンフルーツ。

よる10時頃帰宅すると、甘い香りが漂ってくる。
きっと家の裏手の方にある、宮城さんの植えたドラゴンフルーツの花からだろう。

香りに誘われる虫たちの気分になってちかづいてみると、白い花がいっぱい咲いている。

純白で、香りがほんのりと甘い。虫たちが魅了されるのも無理はない。

たった一夜だけ、大輪の花を咲かせ、翌日にはもうしぼんでいる。

そのあとは、真っ赤な実をつける。
最近は、フルーツとして人気を呼んでいる。

このドラゴンフルーツは、別名三角サボテンという。
僕は、中学校の頃、なぜだかサボテンに興味をもち、いろんな種類のサボテンを集め栽培していた。
その頃、この三角サボテンは、いろんなサボテンの接木の台木になっており、僕たちにとっては重宝なものだった。
この三角サボテンの実がフルーツとして美味しいとは、当時はまったく想像だにしなかった。

純白の花は当時からきれいと言うことは知っていかが、まさか実がなるとは思わなかった。
たぶんに、同じ三角サボテンでも、種類がちょっと違うのかもしれない。きっとそうなのだろうと自分で決めてかかっている。

心を癒される純白の花と、甘い香りだが、人々が寝静まったころに花を開かせるとは、汚れ多き人間に知られたくないのだろうか。

それとも、その香りに魅せられてやってくる人々だけでいいと思っているのだろうか。